アニカ

えー、では。
定例の作戦会議を行います

ザンクトフロスの旅籠で、あたしとエリザは夜の定例ミーティングを開いていた。あたし達の目標を達成するために今何を、どのように行っていけばいいかを、毎夜話し合っているのである。

ヘカテーも、所在なげにそこらをふよふよと漂いながら、話し合いに参加している。

ミタン人の犯罪を減らす件がどうにか落ち着いたところで、今度は勇者たちの北進を中止させ、魔物との争いをなくすための行動を開始しなければならない。

エリザ

勇者は明日か明後日にはこの街を出て、まずはグラマーニャ最北端の町ボロムへ向かい、ボロムで一泊してすぐ魔物達の勢力圏へ進攻する予定のようです。

つまり、早ければあと二日、遅くとも三日で、彼らは魔物たちの領域に入る。それまでに彼らを止めることができれば一番いいんだけれど、わずか二三日で説得できる可能性は極めて低いので、あたし達も魔物たちの領域へ進入し、彼らを追いかけつつ説得を続ける手段がないといけない。

アニカ

なにも考えずヴァルターの後をついていったら、魔物に殺されるだけだよね

こちらに攻撃の意思がなくても、魔物は襲い掛かってくる。ヴァルター達のすぐ後ろをついていけば彼らが守ってくれるかもしれないが、魔都オズィアに近づくにつれ強力になっていく魔物達に対して、まったく戦闘に参加しないあたし達を守りながら戦うことになったら、ヴァルター達の負担とリスクが増大する。

エリザ

やはり、魔物の中に私達に協力してくれる方を見つけ、その方に先導してもらうのが一番良いのでしょうが……

あたしは、ちらとヘカテーを一瞥した。彼女の種族であるドリアードは、一応魔物の一種に分類される。まあドリアードは妖精族と同じで自分達の種族だけが気ままに暮らせれば良いという種族なので、あまり魔王の配下として人間と敵対する、という感じではないのだが。

ヘカテー


うちの顔に何かついてるっすか?

アニカ

例えばこの先、あたし達が魔物に襲われたとして、ヘカテーちゃんが『この美少女達の事は襲わないで欲しいっす~』って魔物に頼めば、見逃してもらえたりする?

ヘカテー

無理っすね。
魔物のほどんどの種族はうち達ドリアードを、『あまり関わり合いのない疎遠な種族』と見てるっす

なんでも、ドリアードと言うのは、基本的に他種族とあまり交流しない種族なのだという。むしろ今のヘカテーがそうであるように、大人になるために人間の男性との恋を求めるところから、人間と近しい種族だと勘違いされていて、人間嫌いな魔物ほどドリアードを疎んじているという。

アニカ

……ヘカテーちゃん使えねー

ヘカテー

使えねーとは何っすか!?
うち結構役に立ってるっすよ?
妖精の丘とか樫の樹亭とかの映像見せたりしたっすよ!?

あたしがふと漏らしたつぶやきに、ヘカテーは猛抗議する。まあ確かに使えないは言い過ぎだった。素直に謝る。

エリザ

樫の樹亭の映像と言えば、あの映像に出てきたアルベルトと名乗る魔物。
もし彼の協力が得られるなら、とても心強いのですが

アニカ

えっ? 無理っしょ。
多分あいつ魔王の腹心かそれに近い立場のやつだよ?

アルベルトと名乗る魔物は人間の姿をしていた。人間に変身する事自体、相当高位の魔物でなければできないし、彼はどうやら、三百年前の魔王腹心筆頭ドラゴンプリーストの息子であるらしい。それに、あたし達は数日前にこの街で、彼がフォルケールと戦うところを見ている。巡礼騎士団の総長を務めるほどの手練れであるフォルケールを圧倒するほどの強さ、間違いなく魔物の中でもトップクラスだろう。

伝統的に、代々の魔王の腹心というのは原則三人と決まっている。例えば先代勇者が倒した魔王の腹心はギガントスカル、ケルベロス、ドラゴンプリーストの三人だ。

樫の樹亭の映像の中で、アルベルト達の会話にはオルトロスなる魔物の名前が出てきていて、そいつがどうやら現在の腹心筆頭らしい。そして、欠員だった腹心最後の一人がオベロンに決まったとも言っていた。二人の腹心の名前が出ているという事はあと一人いることになる。そのあと一人の腹心こそ、アルベルトなのではないかとあたしは睨んでいる。

もし彼が魔王腹心でないとしても、それに準ずる最高クラスの魔物であることは間違いない。人間の味方などするわけがない。

エリザ

しかし、彼は人間と争わずに共存しようと考えているようです。ならば、私たちと目指すところは同じです。

アニカ

いやいやいや、全然違うよ。
あいつの話ぶりだと、ミタン人と共存するためにグラマーニャ人を南に追いやろうって魂胆じゃん。それ、魔王討伐隊が魔王を倒すことで魔物の勢力圏を北へ追いやるのと何が違うの?

おっしゃる通りです。とエリザはうなずいた。

エリザ

彼のやろうとしていることは到底受け入れられるものではありません。ですが彼のその考えが、私達と共存したいという気持ちから出てきたものなのであれば、別の方法で共存できるという事を丁寧に説明すれば、我々の理念に賛同してくれる可能性はあります

言われてみればそうかもしれない。
正直なところ、あたしはアルベルトと名乗る魔物の話を聞いて、彼が「人間との争いを終わらせたい」と考えていると知ったとき、少し意外に感じたのだ。

魔物の中でも最上位のもの達というのは、とにかく人間と争うこと、人間を最後の一人まで殺しつくすことを至上の目的としているようなやつらなのではないか、という考えがあたしの心のどこかにあったので、争いを終わらせ共存するための方法を模索するアルベルトに違和感を感じたのだ。

魔王を含めた魔物の上層部がみんな人間を滅ぼすことしか考えていないのなら、そもそもあたし達のやろうとしている停戦交渉自体が無理だという事になるから、もちろん魔物達にも話の通じるやつがいるという一縷の希望を持ってはいた。しかし、それはあくまで「そうでなければ目標が達成できないから、そうであってほしい」という一種の希望的観測に過ぎなかった。

そういう意味では、確かにアルベルトと名乗る魔物が、争いを終わらせたいと考えているとわかったことは大きな収穫と言えるかもしれない。目的は一緒なのだから、説得すればあたし達に協力してくれる可能性はある。

アニカ

だけど、アルベルトと交渉する方法は、今のところないよね

エリザ

イーリス様からもらった封筒を使えば、手紙を届けることは出来ますが、まだほとんど言葉を交わしたこともない段階でいきなり手紙をさしあげても、取り合ってくれないでしょうね

アルベルトとあたし達の接点と言えば、こちらが一方的に樫の樹亭での映像を盗み見したのと、あとはこの街でフォルケールとアルベルトがいざこざを起こした時に、ちょっと会話を交わしただけに過ぎない。顔見知りと呼ぶのもおこがましい程度の関係で、いきなり手紙で交渉しても相手にされないだろう。

エリザ

まだアルベルトとは交渉できないとすると、今のところ私達が魔物の勢力圏を旅するのを助けてくれそうな知り合いは二人います。

アニカ

二人? 魔物の知り合いというと、一人は癒しの泉で会ったドワーフのおじいさんか

あのドワーフのおじいさんは長命なドワーフ族の中でも特に高齢の様だった。ドワーフは高齢になればなるほど強力な魔術が使えるから、彼は相当な実力者のはずだ。オズィアまでの道中にいる魔物達に対して、彼が口利きをしてくれれば、戦闘なしでオズィアまで行けるかもしれない。

エリザ

もう一人は、暗闇の森のハーピーの女王オキュペテーです

なるほど。オキュペテーもハーピー族という比較的強力な種族の女王であるから、他種族に対して「アニカとエリザを傷つけるな」と言えるだけの発言権を持っていそうだ。

アニカ

ただ、そう簡単に助けてくれるかね……

ドワーフのおじいさんは癒しの泉から離れたがらないだろうし、オキュペテーも女王という職務上、とても忙しいだろう。

エリザ

ご両人とも、私達の旅に直接ご同行願って魔物への口利きをしていただくのは無理でしょうね

アニカ

でもさ。どんな小さな事でもいいから助けてください、ってお願いするのはいいんじゃない? お願いするだけならタダだし、イーリス様の封筒使えば手紙は一瞬で届くんだし

エリザ

タダではありませんよ。
封筒は数に限りがあるんですから。恐らくご両人の少なくともどちらかに協力をお願いしなければならないのは確かでしょうが、どのような文面で何をお願いするか、よく考えなくては

それから二人で、ドワーフのおじいさんかオキュペテーにどんなお願いをしたらいいかを深夜まで議論したけど、残念ながら答えは出ず。その夜の会議はお開きとなった。

頭を使う会議をした直後というのは、しばらく頭が議論モードになっていて、気持ちが高ぶってなかなか寝付けない。会議が深夜まで及んでもそれは変わらない。あたしは眠くなるまで、ちょっと宿の外を散歩することにした。

季節がら、北方都市ザンクトフロスの夜と言えど気温は決して寒くなく、時折吹くわずかな風が心地よい。

夜風に吹かれながら、さっきまで話し合っていた事について考える。

誰か魔物の協力を得なければ、ここから先の行程を進むことはできない。では、どんな魔物にどうやって協力を要請するか。

イーリス様からもらった、どんな相手へも一瞬で届く魔法の封筒は八枚ある。万が一お互いがはぐれてしまった場合のために、エリザと半分こして四枚ずつを持つようにしているが、このたった八枚を有効に使わなければ、交渉途中で封筒が尽きるということにもなりかねない。

アニカ

ああ! もうやめやめ!
考えるのやめた。明日にしよ!

そんな事を考えながら街の中央を走る大通りをふらふらと散策していると、向こうから人影がこちらへ歩いてくるのが見えた。

幸いにもその日は月が明るかったので、その人物の風体を視認することができた。部屋着のようなラフな格好をしているところを見ると、ならず者の類ではなく、あたしと同じように眠れずに宿から出てふらふらしている旅行者だろう。

警戒すべき相手ではないとみて構わずそちらへ歩いていくと、向こうもだんだんとこちらへ近づいてきて、ついに人相が判別できるほど近くまで接近した。

アニカ

あれ? ヴァルターじゃん。
眠れないの?

その人物はヴァルターだった。少しうつむき加減になりながら、とぼとぼと歩いていたのだが、あたしが声をかけると、はじめて他人の存在に気付いたと言うように、びくっと肩をすくめた。

ヴァルター

……なんだアニカか。
あぶねーぞこんな夜中に女の一人歩きなんて

アニカ

荒野の狩人が街の暴漢ごときに遅れをとるかっての。
それよりヴァルター元気ないけどどしたの? いつもの「強さこそ正義」の脳筋ヴァルターはどこ行った?

なにやら浮かない表情のヴァルターを元気づけようと、つとめて明るく振舞ってみるが、ヴァルターの表情は晴れない。

ヴァルター

……お前はいいよな。
悩みとかなさそうで

軽く馬鹿にされてる気がするが、ヴァルターは真剣に悩んでいるようなので怒るのはやめにして、とりあえず相談にのる。

アニカ

どーしたのさ一体。
まあ、アニカおねーさんに話してみなって

ヴァルター

お姉さんってお前……
俺より年下じゃんか

ヴァルターはしばらくの間、お前に話しても仕方がないとかなんとか、独り言のようにぶつぶつと文句を言っていたが、やがて意を決したように話し始めた。

ヴァルター

俺がこのまま旅を続けて、オズィアに着いたら、……やっぱり、オベロンと戦う事になんのかな?

アニカ

オベロンは魔王腹心に叙任されたらしーからねえ……。
ヴァルターが魔王を倒そうとする限り、オベロンは全力で抵抗するはずだよ

歴代の勇者たちの記録を紐解いても、魔王腹心の息の根を止めるまでには至らなかった例はあっても、戦闘そのものを回避できた例はない。魔王との死闘の前に必ず、三人の腹心たちそれぞれと戦っている。

ヴァルター

俺にとってオベロンは、自分の犯した罪の象徴みたいなものだ。
……俺には、戦える自信がない

それで悩んでいたわけか。
トイフェルに憑かれた故の行動だったとはいえ、ヴァルターは人間と共存していた罪のない妖精の丘の妖精たちを皆殺しにした。その事に対して、トイフェルの支配から解放された今のヴァルターは強い罪悪感を抱いているのだ。この上さらにオベロンを討つことで、さらに罪を重ねて良いものかと、彼は逡巡しているのだ。

ヴァルター

なあ、教えてくれアニカ。
こんな場合は、どう行動するのが正しいんだ?
どうすれば俺は妖精虐殺の咎人から、また正義の勇者に戻れるんだ?

彼のその問いかけは、悲痛な響きを持っていた。考えても考えてもどうして良いかわからず、いっそ他の人が進むべき道を教えてくれないかと、切実に願う者の声だった。

どう行動するのが正しいかって? あたしの答えは、こうに決まっている。

アニカ

ヴァルターにとって何が正義かなんて、あたしが知るわけないでしょーが。
あたしはあんたじゃないからね

ヴァルター

……? お前、あれだけ魔王討伐を中止しろって言ってたくせに、こっちから「どうすればいい?」って訊いたら突き放すのかよ

アニカ

中止しろって言って欲しかったの?
あんたに一族郎党を皆殺しにされたオベロンがかわいそうだから殺すなって?
中止することが正義だから、討伐を中止さえすればあんたの罪は消え、また正義の勇者に戻れるって言って欲しかったの?

現在の時間帯を考えると少々ご近所迷惑かもしれないくらい、思わず声を荒げてしまった。あたしの言葉にヴァルターはしばらく返答に詰まっていたが、やがて搾り出すように言った。

ヴァルター

……罪が消えるわけないだろ。
罪を背負った上で、どうするのが正義なのかを訊きたかった

アニカ

あのね! あたしはあたし自身が考える正義に基づいて、魔王討伐隊を止めようとしてんの。でも、それがヴァルターにとっても正義なのかなんて知らない

アニカ

あたしの話を聞いて、なるほどアニカの考える正義というのは、自分にとっても正義だと思えるなら、討伐を中止してくれればあたしは嬉しい。でも、自分の考えもなしにあたしの正義を盲目的に受け入れて、馬鹿みたいに従ってもらってもそれはあんたの正義じゃないし、あたしはあんたの行動に責任は持たない!

今のヴァルターは、未来を選択するのが苦しいから逃げたがっているだけだ。オベロンに対する罪の意識と、勇者としての責任の板ばさみの中でこの先の行動を選択するのが辛いから、誰かに決めてもらいたがっているだけだ。

そういう状態の人を意のままに操るのは簡単だ。「これこそが正しい道だ。こうすれば幸せになれる」と言いさえすればいい。考える事に疲れた人は簡単に従ってしまう。

でもそれはトイフェルが人を誤った道へ陥れるのと同じ手法だ。あたしはそんな風にして目的を遂げたいわけじゃない。正々堂々と説得して、納得したうえであたし達に協力してほしいのだ。

アニカ

さあ自分の頭で考えなさい。
ヴァルターはどうするのがいいと思ってんの?

ヴァルター

俺がこれ以上ないほどの不幸に突き落としてしまったオベロンを、さらにまた攻撃するなんてできない。
でも、勇者として魔王を討伐する事は間違っているとは思わない。だから悩んでるんだ

そう言って彼は、押し黙ってじっと考え込んでしまった。

アニカ

悩め悩め♪
答えはあんたにしか出せないんだからさ

あたしがそう言うと、彼はまだ悩んでいるようだったが、少し表情に生気が戻ったようだった。

ヴァルター

わかった。考えてみるよ。
なにが俺にとっての正義なのか

そして彼は、もと来た道を戻っていった。
あたしも、もう宿に戻って寝るとしよう。

(続く)

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