35│まっすぐな気持ち

川越 晴華

……クロニャ、先輩の家に行こう

いてもたってもいられず、私は家を飛び出した。

川越 晴華

先輩……どうしたんだろう

先輩に、何かあったかもしれない、とクロニャは言った。




いったい、何が?
私は、唇をぎゅっとかみしめる。




先輩の家に行くまで、私は何度も考えた。


大丈夫、いや、大丈夫じゃないかもしれない、いや、大丈夫……でも……。


走りながら、目に涙がたまって、それを懸命にぬぐった。




私は、何をしているんだろう。

川越 晴華

先輩の言葉も聞かず、勝手に怒って、連絡がとれなくなって、あわてて……私って本当に、自分勝手だ。

でも……!

私は、願った。何かに、祈った。




レインとクロニャが連絡をとれなかったのには、何か別の理由があって。

先輩もきっと今、ただ学校に来られなくて、ただ電話にも出られないだけで。

先輩の家に行ったら、先輩が何事もないようにふらっと出てきて、少しだけ驚いた顔をして……私に、勝手すぎると、怒ってくれたら。




そうだったら、どんなにいいか。

川越 晴華

どうして、もっと先輩の話を聞くことができなかったの……!

自分勝手な後悔に胸をしめつけられながら、私はただ、走った。

レイン

晴華さん!

川越 晴華

レイン!

先輩の家の前にいたレインは、私を見るなり駆け寄ってきた。

レイン

よかった……来てくれるって、信じてました

川越 晴華

クロニャが、連絡、とれなかったって……何か、あったかもって……それで……

肩で息をしながらなんとかそう伝えると、レインは神妙な顔つきでひとつ、うなずいた。

レイン

僕は止めたんですけど……光が無理をして

川越 晴華

何があったの?

少し顔をしかめたレインは、行きましょう、と私に背を向けた。

レインの案内で、先輩の家に入ると、先輩のお母さんが玄関にたっていた。

はじめましてと頭を下げると、先輩のお母さんは小さく微笑んだ。表情が、先輩にとても似ている。


私が話を始める前に、先輩のお母さんはいいの、と手を横にふった。そして、優しい声で言った。


私達の話は、また今度。
今は光のところに行ってあげて。


私は、ぺこりと頭を下げて、レインの後をついていった。

先輩の部屋のドアを、静かに押す。

正面のベッドに横になっていた先輩が、目だけこちらに向けて、私の名前を呼んだ。

雨音 光

晴華……

どうしてか、わからない。でも、それだけで、私はぼろぼろと泣きだしてしまった。

今は、泣いている場合じゃないのに。

雨音 光

晴華、どうしたの

先輩は、横になったまま微笑んだ。

川越 晴華

どうした……の、は、こっちの……台詞で

気がつくと、私はベッドの横まで駆け寄って、ひざをついて、先輩の顔をのぞきこんでいた。


やっぱりだ。いつもより、顔色が悪い。

川越 晴華

先輩、……大丈夫、ですか。

ごめんなさい。私、怒ってばっかりで……

雨音 光

いや、晴華が怒るのは、当たり前だと思うよ。

俺が悪かったなあって、思ってる。ごめんね

私は、何度も首を横にふる。

川越 晴華

私が、先輩の話を、何も聞かなくて、先輩は……説明しようとしてくれてたのに

雨音 光

晴華、泣かないで。
来てくれて、嬉しいから

私は、あわてて涙をぬぐった。

泣いている場合じゃ、ない、のに。

川越 晴華

ごめんなさい……取り乱しちゃった。

先輩、どうしたんですか、レインが、無理をしてって言ってましたけど……

雨音 光

あー……

先輩が、ふいと目をそらした。

先輩の枕元にいたレインが、べ、と先輩に向かって舌を出す。

雨音 光

えっと、順をおって話すと……

先輩は、小さく苦笑しながら、ゆっくり体を起こした。

上半身を起こした状態で、先輩は頭を小さくかく。

雨音 光

俺の方が悪かったよ。

ずっと黙っていたのは、本当に間違っていたと思う。
しっかり、説明するべきだったんだ

私をまっすぐ見つめて、先輩は、言う。

雨音 光

俺は、初めて晴華を見たとき、驚いた。

にこにこしてる女の子の横で、冷めた目の猫がいて……うらはらだと思った。

かわいそうに、って思ったんじゃない。
大丈夫かな、って心配した

雨音 光

どれくらい心配だったかっていうと、学年と名前を調べてしまうぐらい……猪突猛進過ぎるよね。

でも、いつかあの子は辛さで潰れちゃうんじゃないかって本気で心配してたんだ

雨音 光

その子の名前には、晴れの字がついてた。

俺は、猫を見せてあげたら、この子、喜ぶかも、なんて、単純に考えた。

レインともよく話してた、あの子に猫見をあげたら、って。

まあ、冗談だったけど……でも、ある日屋上に行ったら、晴華が飛び降りようとしてた

雨音 光

俺は晴華に、現実には面白いことがあるって知ってもらうしかないと思って、とっさに猫見を晴華にあげた。

必死だった。
助けなきゃって思って……ただ、それだけ

雨音 光

本当は、晴華から猫見はすぐにはずそうと思ってた。

でも、晴華は人助けをしたいって言ってくれて、俺は素直に嬉しくて……それで、どんどん、晴華と仲良くなれて

雨音 光

それで……少しずつ、好きになっていったんだよって、言えばよかったんだ

雨音 光

言葉が足りなすぎたよ。

結果、俺は晴華を怒らせた。
当たり前だと思った。

もう、許してもらえないとも思った。
おわったって、絶望した。

それでも、晴華に許してもらいたかったから……無理をして、倒れて、レインにさんざんバカにされて、でも、晴華は来てくれた

ふ、と先輩は弱々しく笑った。

雨音 光

ごめん、晴華。
でも、信じてほしい。

俺は同情で晴華とつきあってるわけでも、同情で好きになったわけでも、同情で名前を調べたわけでもないよ……ただ、心配だっただけ。

それで、好きになって……今はただ、大切なんだ

どうして。




どうして、私は先輩のまっすぐな思いを、まっすぐなままに受け止められなかったんだろう。

まっすぐな気持ちを、斜めに受け取っていたのは、私なのに。
先輩は、悪くないのに。


しっかりと、話を聞けばよかった。ただ、それだけなのに。




私は、先輩の手に、そっと自分の手を重ねた。


私は、何て言えば、先輩に許してもらえるだろう。
まっすぐに伝えるしかないのは、わかっている。


この言葉にこめた気持ちが、少しでも伝わりますようにと願いながら、私はゆっくり、言葉を紡ぐ。

川越 晴華

先輩……ごめんなさい、私……人を信じるのが怖くて、すぐに逃げて……ごめんなさい

川越 晴華

先輩を、信じます。
勝手に怒って、どなって、本当にごめんなさい……

言葉にすれば単純で、それが、とても苦しい。

川越 晴華

私も、先輩が、大切です

ぽん、と先輩の大きな手が、私の頭を優しくつつんだ。

そして、小さな子をあやすように、ぽんぽん、と優しくなでられる。

雨音 光

晴華

ふいと顔をあげると、先輩が静かに手を広げた。

川越 晴華

……光先輩……!

わっ、と私は先輩に抱きついた。

川越 晴華

先輩、大好きです……

雨音 光

……知ってる

言って、ふ、と先輩が笑いをこぼした。

私も、つられて笑う。

雨音 光

信じられなくなったら、その度に、好きなの? って訊いていいからね。

その度に俺は、今回みたいに取り乱しながら、好きだよって伝えるから……不格好だけど

川越 晴華

そんなこと、ないです

雨音 光

いやいや、カッコ悪いよ……頑張りすぎて倒れて、今も部屋着だし……もっとおしゃれしとけばよかった、部屋ももっと綺麗にしておきたかったし……

川越 晴華

そんな先輩も、いいと思います。
私もカッコ悪いですよ、びーびー泣いて

雨音 光

それは、かわいいでしょ

先輩は、ゆっくりと私を離して、両手で私の顔を包みこんだ。

親指で、涙を優しくぬぐわれる。

そのまま、ほっぺをひっぱられる。
うう、遊ばれてる。

雨音 光

あはははは

川越 晴華

……先輩!

雨音 光

……ねえ、名前で呼んで

川越 晴華

ひゃー!

急に甘えてくるのは、ずるいー!

ずるいよねえ! と同意を求めてクロニャを探すと、いつのまにかいなくなっている。

川越 晴華

……光、先輩

雨音 光

なあに?

川越 晴華

……レインとクロニャ、途中からいなくなってたの、知ってました?

雨音 光

知ってた。
レインにテレパシーで言われた。

そうだ……レインに、しっかり説明するんだよって言われてたのに、話がそれちゃった。

俺が、倒れたのは……

雨音 光

探したんだ。
晴華が家に帰れば、わかるよ

私は、ゆっくりと、家に帰った。
探したって、誰を。
それも、怖くて、訊けなかった。


実際に、姿を見るまでは。


ゆっくりと、家のドアを開ける。

おかえり、晴華

声を聞いても、まだ、信じられなかった。

川越 晴華

……お母さん

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