33│怒りと優しさ

目の前が真っ暗になった気がする。足元が、ふらつく。

ーーにゃん、晴華にゃん! 

クロニャ

落ち着いてくださいにゃあ!

クロニャの声に、私ははっと我に返った。

先輩が、心配そうな表情で歩み寄ってくる。

雨音 光

どうしたの、晴華。

ごめん、俺、何かした?

先輩の肩にいるレインの、不安そうな視線が私に突き刺さる。


もし、先輩とレインが、私達のことを、前からずっと、そんな視線で見ていたのなら。


私は、ひとつ深呼吸をする。


冷静に、冷静に、と心の中で繰り返しながら、ゆっくりと言葉を紡ぐ。

川越 晴華

先輩、質問があるんです

雨音 光

うん、どうしたの

川越 晴華

先輩は、私の名前に晴れるって文字があるから、猫見を分けられたって、教えてくれましたよね

川越 晴華

そして、猫見を分けるときには、名前を知っていないといけないんですよね

先輩は、こくんとうなずいて、私の言葉を待っている。

川越 晴華

どうして

呼吸が、つまりそうだ。

川越 晴華

どうして、始めて出会ったときに、私に猫見を分けようと思ったんですか

雨音 光

それは、晴華が自殺するのかと思って、あわてて

川越 晴華

違うんです、先輩。

どうして、私の名前を知っていたんですか

先輩は、私が何を言いたいのか、察したみたいだった。


そのときの、表情。




どうして、笑ってくれないの。どうして、困ったような表情になっているの。

気がつくと、私は問いただすように先輩に詰め寄っていた。

川越 晴華

私のこと、出会う前から知っていたんですね?

川越 晴華

名前も、調べてあったんですよね?

川越 晴華

屋上から、私のこと、見てたんですよね?

雨音 光

晴華、落ち着いて。晴華が何を言いたいのかわかった、でも、待って

川越 晴華

待てません。どうして?

泣きそうだ。私の予想が、当たっていく。

否定の言葉がないのが、何よりの証拠だ。


胸が苦しくなる。

川越 晴華

どうしてずっと、黙っていたんですか? 

私に目星をつけていたんですよね、屋上から私のことを見て、あの子どうして嘘ばかりついているんだろうって、気になりましたか?

雨音 光

晴華

川越 晴華

友達と笑っていても、どこかでつまらなさそうで、どこか冷めてて、きっと、そんなふうに見えていたんですよね? 

私がどれだけ嘘をついても、先輩にはお見通しですもんね?

別れが怖いから、友情には何も期待していなかった、私。




きっと、そのうらはらさに、先輩は驚いただろう。




にこにこと笑顔をふりまく私のそばで、私の本心は、どんな顔をしていたのだろう。


クロニャは、どんな顔をしていたのだろう。

川越 晴華

クロニャを見て、私の本心を見て、あの子は大変そうだって、思ったんですよね。

表面上の私と、クロニャのギャップが、きっとあまりにすごかったんですよね? 

あの子は何かあるに違いない、名前はなんだろう、そうやって調べたんですよね?

放った言葉が、そのまま自分に突き刺さる。

川越 晴華

先輩は、私を知っていた! 

同情で近づいたんですよね?

雨音 光

晴華は、今俺が、同情でつきあってると思ってるの?

怒鳴るように叫んだ私に、先輩はそれでも、ゆっくりと、落ち着いた口調で言った。

雨音 光

そうじゃないよ、晴華。

俺は、晴華が好きで、つきあってるんだよ。

かわいそうだからつきあうなんて言ったら、俺だって人から見ればかわいそうな過去を持ってる。

でも、晴華はそれで、俺とつきあったんじゃないでしょ?

川越 晴華

……そう、ですけど

泣きそう、泣きそう。

先輩、そうじゃなくて。

川越 晴華

そうじゃなくて、私は

投げ捨てるように、言葉を吐く。

川越 晴華

同情で近寄られたのが……嫌なんです! 

あの子かわいそうだなって思って……そんなふうに思われていたのを、秘密にされていたことも、嫌なんです! 

最初からずっと、先輩は私のこと、何かある、かわいそうな、傷をおった子だって思ってたってことじゃないですか

頭の中は、ぐちゃぐちゃだ。

川越 晴華

どうして、今まで黙ってたんですか……! 

もう、何も聞けない。
これ以上、先輩を傷つけるのも、私が傷つくのも、嫌だ。




そう思った瞬間、私は走っていた。先輩に、背を向けて。





先輩とレインが、同時に私の名前を叫んだ。


私は、その声をふりほどくようにして、走った。
クロニャが何度も私を呼び止めたけど、聞かずに、走り続けた。

クロニャ

……晴華にゃん

帰ってすぐ、着替えもせずにベッドにうつ伏せになって、私はぐるぐると考えていた。


クロニャが、心配そうに呼び掛けてきて、私の頭を優しくなでてくれた。

川越 晴華

……頭の中、ぐちゃぐちゃ。

なんで自分が、こんなに怒ってるのかもわかんないの

クロニャ

……秘密にされていたこと、ですかにゃあ

川越 晴華

……うん、そうだね。だって、私のこと、何かある子だって思って、腫れ物にさわるみたいに接してたかもしれないって思ったら……今まで先輩に言われて嬉しかったこととか全部全部……なくなっちゃうみたいで

言葉にして、整理整頓をしていく。

私の思い。私の怒り。

川越 晴華

私は……先輩にどう思われているのか、全然わからなくなっちゃって、怖くなったの

静かに、ためいきをひとつこぼす。

川越 晴華

どこかで否定してほしかったのかもね……

クロニャ

……わたしが、まだ晴華にゃんに認識されていなかったころ、わたしは確かに、晴華にゃんの心のままに動いていました。

いつもどこかで、信じていない。
晴華にゃんが笑っているときでも、わたしはすました顔をしている。

何度か、そんな姿をレインに見られたことがありますにゃあ

川越 晴華

そうなの?

クロニャ

にゃあ。

屋上からわたしを見ていたかどうかはわかりませんが、廊下ですれ違ったことがあります。

レインは目立ちますからにゃあ。

猫なのにピアスをつけていますから、人間と何かしら関わりがあることはすぐにわかりますし。

先輩が有名にゃように、猫の中でもレインは、有名にゃんですにゃあ

川越 晴華

そうだったんだ……

クロニャ

話がそれました。わたしが何を言いたいのかというと、そのときのレインの視線についてにゃんです

川越 晴華

視線?

クロニャ

にゃあ。

レインは、私を見るとき、別にかわいそうに、にゃんて表情はしていませんでしたにゃあ

クロニャ

ただ、わたしをじっと見ていました……彼は冷静にゃ猫ですから、かわいそうだとかそんにゃことを考えるのではにゃく、たぶん、ただ純粋に、わたしのことを観察して、何か異変があったらすぐに光にゃんに知らせようとしていたのだと思います

クロニャ

つまり、そこにあったのは、純粋に助けたいという気持ちではにゃいのかなあ、と……それは先輩も、同じにゃのではにゃいかにゃ、と

クロニャ

もし先輩が晴華にゃんに同情していたとしても、その同情は、優しい気持ちからじゃにゃいですかにゃあ……

同情が、優しさ。

その言葉が、私の胸にすとんと落ちて、それでも、なかなか溶けていかない。

川越 晴華

……クロニャは、すごいね。優しくて、冷静で……どうしてそんなに先輩のことも、レインのことも信じられるの

トゲのあるような言い方になってしまったけれど、クロニャはわたしを責めない。


責めずに、少し悲しそうな表情を浮かべるだけだ。

クロニャ

……晴華にゃんは、信じられませんか

川越 晴華

怖いんだもん……信じるのは、怖い

机の上に置いてある携帯が、着信を告げる。
私は、その通知から逃げるように顔をそむけた。




長いこと鳴っていた着信が切れて、数分後にまたかかってくる。
私は、やっぱり電話に出ることができない。
また切れたと思ったら、今度は数秒もしないうちにもう一度着信がくる。



手を伸ばすこともできないまま、私はただ、先輩からの着信が切れるのを待っていた。


着信が三回あったあと、にゃいんの通知が立て続けに来た。


私は、寝る前になってようやく、その通知を確認した。

雨音光

晴華、今日はごめん。

雨音光

俺は、晴華がかわいそうだなんて思ったことはないよ。

ただ、困っているなら、助けたいと思っただけ。

今まで、晴華が人を助けたいと思ったときも、そこに同情がなかったのとおなじように

雨音光

それでも、何か言うべきだった。じゃないと晴華が傷つくことを、俺がしっかり考えておかないといけなかったよね

雨音光

直接謝りたい。晴華が俺に言いたいこと、たくさんあると思う。全部言ってほしい

雨音光

連絡待ってるね

雨音光

おやすみ

先輩からの言葉に、何て返せばいいのかわからなかった。




わかってる。先輩が、私のことをどれだけ大切にしてくれているか。

きっとこの言葉も、本心から言ってくれたんだろう。


でも、それでも、今会ったら私は何を言うかわからない。


私の中の、傷つきたくないと叫ぶ弱い部分が、先輩を攻撃してしまうかもしれない。






もう少しだけ、時間をください。
ごめんなさい。






それだけ返して、私は布団にくるまった。

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