32│私の名前を

川越 晴華

母は、優しくてアクティブな人でした。すごく明るくて、はきはきしていて

川越 晴華

父は、母とは対照的に、おっとりしていて、少し病弱な人だったんです。

きっと家を出たのも、母に連れられてなんだろうなって思ってます。推測ですけどね

川越 晴華

推測ばっかりだから……今日、まなと君と、まなと君のお母さんを見て、ああ、私、きちんと会って話したいなあって思って

雨音 光

そっか

川越 晴華

いろいろ、訊きたいんです。

どうして私を置いていったの、私はこう思ってるの、そっちはどう? って……一年と少し経ちましたから、たぶん冷静に話せると思うんですけど

雨音 光

やっぱり、話したい……?

川越 晴華

はい、できるのなら今すぐにでも

即答だった。

雨音 光

そうだよね……ごめん、変な質問した

川越 晴華

いえいえ、そんな! 

私も、なんか、語っちゃいました

ちら、と先輩を見ると、先輩も私を見つめてくれる。


にこっと、優しく微笑む先輩を見て、大好きだなって、心の底から思う。

雨音 光

晴華が話してくれるの、嬉しいよ。晴華はたぶん、いろいろ話さない人だから

川越 晴華

そうですかね……うん、そうかも。

隠してばっかりですね

雨音 光

だから、俺だけ特別って思う

歯を見せて、いたずらっ子のように笑う先輩。

ずるい。

そんな笑顔見せられたら、ますます好きになってしまう。

川越 晴華

猫見を分けてくれたときから、私も先輩の特別ですか?

雨音 光

……かわいいこと言わないで

真っ赤になって、そっぽを向く先輩を見て、密かにニヤリと笑う。

先輩の言動に照れてばかりじゃいられない。


もう少しいじっちゃおうかな、とイタズラ心が芽生えるけれど、今は我慢して、話を少しだけ戻す。

川越 晴華

でも、今日みたいに正直に言えなくてすれ違っている人を見ると、猫見を分けてあげられたらって、思いませんか?

私は、いつもの会話の延長のように、思ったことを言っただけ。


でも、こんなことを訊かなければよかった、と後悔することになる。

雨音 光

うーん、時々思うけど、でも、誰にでも分けられるわけじゃないからね

きっと、先輩も、特に何も考えずに返事をしたはずだ。


先輩自身の発言の矛盾に、気がつくことなく。

川越 晴華

そうなんですか?

雨音 光

うん。俺達の共通点、何だと思う?

川越 晴華

共通点?

しばらく考えて、わかりません、と降参すると、先輩はにこりと笑って、教えてくれた。

雨音 光

名前だよ。

俺は名字に雨がついて、晴華は名前に晴れがつく。

猫見の能力は、天気に関係する言葉が名前の中に入っている人じゃないと、使えないんだ

川越 晴華

へえ!

そのとき、私は新しいことを知ることができて単純に嬉しかった。

でも、どこかで引っ掛かっていた。

川越 晴華

あれ、何だろう?

何かが、何かがおかしい。




違和感を胸に、私は先輩と別れた。

クロニャ

どうしたんですかにゃ? すごく真剣な顔をしていますにゃ

川越 晴華

……あ、そう?

クロニャ

にゃあ

ベッドに横になっていた私の顔を覗きこんできたクロニャが、困った顔をして手を伸ばしてきた。

私の眉間をぎゅっと押す。

クロニャ

ここに力が入ってますにゃ、どうしましたかにゃ??

川越 晴華

……今日、レインとクロニャはどんな話をしながら帰ったのかなって

クロニャ

にゃあ! 嘘だあ! 

そんなこと考えてませんでしたよにゃあ!

川越 晴華

でも気になる、教えて!

クロニャ

にゃ……別に、大したことは話してないですにゃ。にゃんか……にゃんか

川越 晴華

かわいいとか言われた?

クロニャ

にゃあ! にゃんか、にゃんか、にゃあ……

にゃんか、にゃんか、にゃあ! 

川越 晴華

あはははは、かわいすぎる。

わかった、もう訊かない。あっはは

クロニャ

笑いすぎですにゃあ! 

は、晴華にゃんはかわいいとか、言われましたかにゃ?!

川越 晴華

言われたよ、先輩、直接かわいいかわいいって言ってくるから、すごく照れる

さらっと言うと、クロニャがぽろっと

クロニャ

レインは遠回しすぎてよくわかりませんにゃあ

とこぼした。

なるほど、遠回しにいろいろと言われているらしい。

先輩の守り猫だけれど、レインは先輩と真逆のところもあって面白い。

川越 晴華

……不思議だよね、守り猫

クロニャ

にゃ?

川越 晴華

クロニャ、私ね、今日先輩に訊いたの。

猫見を他の人に分けたいと思ったことはないんですかって。

そしたら、猫見を分けるための条件を教えてもらったんだ

クロニャ

にゃ、条件? そんにゃものがあるのですか?

川越 晴華

クロニャも知らなかった? 

天気を表す言葉は名前に入っている必要があるんだって。

先輩は名字に雨で、私は名前に晴れ

クロニャ

にゃ! 本当だ! 知らにゃいことがたくさんですにゃあ

川越 晴華

そう……それで、なんか、もやっとしてるの

クロニャ

もや?

うん、とうなずいて、私はクロニャをなでる。

川越 晴華

何か、変だと思うの……何だろう

クロニャ

にゃ……変にゃこと?

気持ち良さそうになでられながら、クロニャは首をかしげる。


変なこと。違和感。

川越 晴華

先輩が、私に猫見を分けてくれたのは、私が条件に当てはまっていたから……

クロニャ

条件に当てはまっていれば、誰でもよかったんじゃ? ってことですかにゃ

川越 晴華

ううん……そうじゃなくて

屋上でのことを思い出す。


先輩に抱き止められて、生きていれば楽しいことがあると諭されて、違うのだと言う暇もなく、猫が好きかと訊かれて、おでこをくっつけられて……。

クロニャ

にゃ!?

川越 晴華

変だよ、やっぱり変だ

クロニャ

にゃにがですか?

川越 晴華

だって……あのとき、先輩は私の名前を知らないはずなのに

クロニャ

にゃ?

川越 晴華

私は先輩のことを知ってたよ、噂で。
先輩は有名人だったから。

でも、先輩は私のことを、屋上で会うまで知らなかったはず。

なのに、どうして私に猫見を分けることができたの

クロニャが大きな目をくるくると動かして、なるほど、と静かにうなずいた。

クロニャ

晴華にゃんが何を考えているか、何を心配しているか、わかりましたにゃあ

川越 晴華

……もし、先輩が

クロニャ

待ってくださいにゃ

言いかけた私の言葉を、クロニャにぴしゃりと止められる。

クロニャ

もしかしたら、わたしにはまだできませんけれど、レインは能力を分けることができる人、つまり条件に当てはまっている人とそうでない人を見分けることができるのかもしれません。

まずは先輩に確認してみる必要がありますにゃ

とても冷静な分析に、私の頭の中に浮かんでいた不安がしゅるしゅると消えていく。

川越 晴華

……そっか、そうだよね

クロニャ

にゃ! 猪突猛進は素敵にゃことですけれど、たまには冷静さも必要ですにゃあ

川越 晴華

うん、ありがとうね、クロニャ

たよりになる黒猫を、私は優しくなでた。

次の日、先輩を屋上に呼び出した。不安で一杯な私の心を無視するかのように、空は綺麗に晴れわたっている。

雨音 光

久しぶりだね、屋上

うーんと背伸びをする先輩の後ろ姿を見つめる。

広い背中。
ついこの間、あの背中に私は手を回して、ぎゅっと強く抱きしめた。

川越 晴華

……先輩

雨音 光

ん?

先輩に触れたい、もっと知りたい。溢れる思いは止まらない。


でも、それよりもまず、私は先輩に訊かないといけない。


じゃないと、私は先輩を信じることができなくなってしまう。

川越 晴華

ひとつ質問があるんです。

猫見を分ける相手を見分ける方法って、名前以外にありますか?

雨音 光

ん? どういうこと?

川越 晴華

えっと、手がかりと言うか……名前以外に、例えば猫見を分けることができる人をクロニャが見分けられたり、とか、そういうのはあるのかなって

雨音 光

分けたい相手でもいるの?

先輩は、微笑んで、言ってほしくなかったことを、口にする。

雨音 光

名前が分からないと、猫見を分けられるかどうかは判断できないよ

心の奥で、黒い何かが渦巻く。

雨音 光

……晴華?

川越 晴華

……同情だったんですか

雨音 光

え?

川越 晴華

同情で、私に近づいたんですか!?

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