不思議な一夜を終えて、平坦な生活が始まる。

朝9時半。


いつもの喫茶店ペガサスでコーヒーを一杯飲む。


競馬のある日と無い日でこの店の雰囲気はガラリと変わる。


誰もいない落ち着いた空間の中でいつもなら気怠い朝にぴったりの爽やかなソフトロックの名盤がかかっているのだが、
今日に関してはおそらく50~60年代ごろの東京ブギウギと黒猫のタンゴを足して割ったような昭和歌謡チックな曲にのって青澄んだ少年の歌声が流れている。


週末のレースに備えてスポーツ新聞の競馬欄にくぎ付けのマスターに尋ねる。

小暮忍

マスター、この曲は?

老主人

菅原君に借りてるレコードなんだがね、なんでも薄幸の天才美少年が歌う幻の名盤らしい。たしかにこれが中々味わい深くってね。泣けるんだよな



耳に残る、
初めて聞くはずなのにどこかで聞いた事あるような、
自然と体に入ってくるメロディーと歌声だった。

老主人

この曲がどうかしたかい?

小暮忍

いや、いつもと違うセンスだと思ったからついね。ご馳走様



ずっと聞いていたかったが開店時間も近づいてきたので、
後ろ髪引かれる気持ちで喫茶店を出た。



気を取り直して昨日も行った蕎麦屋に行くとむじなが売り切れていて、
仕方なく冷やしきつねそばを注文する。


しかもそのやっと出て来たきつねそばにもホウレン草が乗せ忘れていたので、
小暮は女将に声をかける。


ワイドショーに夢中の若女将は二度三度声をかけられて初めてこちらに気づいた。


ホウレン草の事を聞く前にふと気になったので昨日の女の事を尋ねてみる。

おかみさん

先生の後ろの席にいた年増の女?そんなのいたっけ?巨人戦に夢中でわかんなかったなあ。最近負けてばっかで嫌んなっちゃうよ

小暮忍

最近ここらで橋からの飛び降り自殺ってあったっけ?ストリッパーらしいんだけど

おかみさん

最近ていつからいつまでの話さ?ワケありの女が橋から身投げするなんてのはここらじゃよくある話で…あ、ごめんよ



若女将は粧子の事が頭に浮かぶまで些か時間がかかりすぎたと反省した。


しかし、
女が川に身投げするなんていうのは昔からよくある話なので小暮はそこまで女将に嫌気はしなかった。

小暮忍

いやいいんだ。謝る事は無いよ。変な事聞いたのは俺だから。悪いね



そう言って小暮はいつもの蕎麦湯までたしなまないうちに店を去った。


ホウレン草のクレームの事、
それとこの店の裏メニューにお稲荷さんなんてあったか?
など聞こうとしていたが毛頭忘れていた。



ロック座の前を通り、
タイムテーブルを確認すると女の出番まであと30分と迫っていた。


どうやら看板ポスター写真には女は映っていないので、
もしかしたら急なスポット出演か何かかと小暮は考えていると背中からトラックがぶつかったような衝撃で背中をドカンと叩かれて

菅原大吾

昼間から何てモノ観てんだよ。このむっつりスケベイケメン。ああ、略してスケメンってどうよ?ウハハハハ

ゴリラみたいな笑い声と共に菅原がやってきた。

小暮忍

お前、未だに織原さんと俺がデキてるとか言いふらし回ってるのかよ。仕事に支障が出るからよせよ

菅原は小暮の言葉を無視してクンクンと彼の匂いを嗅ぎ始めた。

菅原大吾

お前、昨日経華ちゃんとセックスした?

小暮忍

な、何言い出すんだよいきなり

菅原大吾

いつもより疲れてるけど何かすっきり血色の良い顔、ベタなドラマみてえなリアクション。ご挨拶がてらいきなり経華ちゃんのトピックから始まる。これはボーナス確定の本前兆演出でしょ。ウハハハハ



独りだけ盛り上がって小暮の肩をバチバチ叩く菅原。


もう何を弁解しても弄ばれるだけだと考えて話題を切り替えようとした。



続く

ゆらめき IN THE AIR その7

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