サンドリヨンは意地悪な継母と義姉に召使いのような扱いを受けていた。わたしの場合、血の繋がる母と妹に似た扱いをうけているが、こうもシチュエーションが被ると動揺が隠し切れない。


 サンドリヨンの話は大好きだ。記憶は定かではないが、昔誰かにサンドリヨンの話を読み聞かせしてもらったことがある。その時その人に、

アリシアもきっとそうなるよ

 と言ってもらったっけ。
 あれ? その人って誰だったかしら。
 お母さんでも、おばあちゃんでもなかったことは確かだが、どうしても昔の記憶が曖昧で思い出せない。

 かぼちゃの馬車の中で、ベルさんは魅入るようにこちらを見つめてくる。独り言で 「ああ、やってよかったわ」と言ったりだとか、「うんうん」と頷いているが、何にせよ一番満足しているのはベルさんのようだった。

 屋根裏部屋でベルさんにプロデュースされたものの、まだ自分の姿を見ていない。

 髪をいじられ、綺麗なブルーベリー色のドレス(しかもサテンの生地)を着せられたのは確かだ。それだけではない。サンドリヨンを意識したガラスの靴まで! 

 どこまでも凝っているベルさんのプロデュースに心の底から慄いた。
 あと、

ベル・デスタン

これ、アリシアのためにデザイナーに作ってもらったの!

 と無邪気な笑顔でプレゼントされた、アイリスのネックレス。ガラス細工でできているのか、透き通った薄紫色がとても美しい。セレナーデの図書館の扉が開く夕空を彷彿とさせる。


 そんなネックレスもつけて、生来初めてのお洒落をしてしまったわけだ。もちろん言うまでもなく、心臓がお祭り状態である。

ベル・デスタン

アリシア、今夜の夜会で是非自信を抱いてちょうだい。

貴方、見違えるように美しくなったんだから!

サンドリヨンはガラスの靴を落として王子様に拾ってもらったけど、貴方は何を落としてくるのかしらねぇ

 ドレスの裾をあげ、ガラスの靴を見つめてみる。わたしなんて存在が何かを落としていくなんておこがましいにも程があるけど、この夜会を何か意味のあるものにしたいと思う自分がいた。

アベル

……何だ、この有様は

 思わず口元を引きつらせるアベル。屋根裏部屋に帰ってきてからの開口一番がそれだった。


そこには、胃痛で悶え苦しむアリシアはおらず、脱ぎ捨てられたアリシアの普段着、ツギハギだらけのブーツ、いつもボサボサな髪をまとめている藍色のリボンが乱雑に置かれていたのだ。


 アベルは今まで自分を買ってくれた主人は色事が好きな人間が多かったせいかある意味見慣れた光景だが、まさかアリシアが? と、一瞬思ったもののベッドは乱れていないからそうではなさそうだ。ふぅっと息を吐いた瞬間、そんな自分にアベルはぎくりとした。

アベル

なんで俺、安心してんだ

 アリシアだって、あんな地味でも一応年頃の娘だ。いつ男と恋仲になってもおかしくないはずなのに、どうしてアリシアだけはあり得ないと言い切れよう。


 セレナーデの図書館で借りた本をベッドに投げ、ベッドに腰掛ける。がたがきているのか膝の球体関節が少し軋んだが、構わず足を組んだ。


 さて、アリシアはどこに行ったんだ? 
 セレナーデの図書館は自然と除外され、残る候補はニナのところか、この間話していた貴族のところとなる。だが、夜にニナのところへ行くなんてことはなかったからきっと前者は違うだろう。となれば、後者しかない。

アベル

ちっ……好き勝手しやがって

 アリシアは自分が思うように動いてくれれば良い。それこそ、その目的は「探し人」を探すためだけにあった。

 「探し人」は歌がうまく、オペラをよく鑑賞していたのだ。
 アリシアがオペラ業界に入り込んで成功すれば、きっと「探し人」の手がかりがつかめるはずだ。
 目的が達成できれば、あとは用なし。そう最初は思っていたものの、

【わたし、貴方のことしか見えていないんだと思います】

 ぬぼーっとした思考の持ち主、アリシアが意志のこもった目であんなことを言ってくるとは、流石に予想だにしていなかった。と同時に、自分がいなくなったらあいつはどうなってしまうのかとも思ってしまった。

アベル

確か、あいつも同じこと言ってたな……探し人も

 ベッドに身を沈め、瞳を閉じてみた。人形は夢を見ないが、人間は夢というものを見るらしい。夢さえ見れない、誰かを幸せにすることさえできない自分は、なんて救いようもない無用の長物なのか。



 掠れた声で”セ・シャン(もう全てにうんざり)”と言ってみても、心は晴れない。



 自分にとっては”セ・シャン”は魔法の言葉で、今まで数えきれないほどの主人が墓に身を埋めても、墓石の前で奥歯を噛み締めながらこの言葉を吐いたらそこで幕は閉じていたのに。

 ――今回の主人は、厄介だ。実に厄介だ。

なんだなんだ? あの派手なかぼちゃの馬車は

まぁたベルお嬢様がサプライズでもされているんじゃなくて?

 そんな声が馬車の中にまで届く中、わたしは落ち着き払っているベルさんを縋るように見つめていた。ベルさんは

ベル・デスタン

いい?

 と鼻息を荒くして話し出した。

ベル・デスタン

打ち合わせしておくわよ。

取りあえずアリシアという名前は出したくないのね? それなら今夜の貴方は『アイリス・ブレーズ』ね。適当に決めちゃったけど。

あとね、忠告しておくけどデスタン家の夜会はそんじょそこらの夜会と違うから気をつけてちょうだいね。

ただ机に燭台を並べてしんみりと夕食をとる夜会と違って、舞踏会に似たものだから

緊張のあまり声が出ないまま、取りあえず相槌を打つ。わたしは「アイリス・ブレーズ」。そう、「アイリス・ブレーズ」なのよ。

 心のなかで復誦しながら別人になりきる。すると、不思議と今の自分が「アリシア・バレ」ではないと錯覚し、なぜか心が軽くなった。

ベル・デスタン

さあ、開幕よ!

 馬車の扉が開かれた瞬間、その場にいた皆の視界がこちらへ凝集される。

 軽い目眩、重いガラスの靴、うるさい心拍音で思考がストップしかけたが、なんとかベルさんの背中を追いかける形で大きすぎる門扉をくぐった。

ベル様の後ろの女性、どなたかしら? 見ない顔だけど

さぁ? あんな綺麗な女性がいたら覚えているものだが

 周囲の忍び声が耳に届いても、誰のことをどう言っているのか理解できぬままふらついた足取りでエントランスホールへたどり着く。

ベルお嬢様、お帰りなさいませ。お客様がたくさんいらっしゃっています

 召使いの男性が笑顔でベルさんの帽子を預かると、ベルさんはキョロキョロとあたりを見廻しながら、

ベル・デスタン

そうみたいねぇ。ねぇ、ヴェラお姉様は?

 と問う。どこか不機嫌そうな声に聞こえたのは気のせいだろうか。

御婚約者様と一緒に二曲目を踊られています

ベル・デスタン

……そう

 あ、そうだった。確かベルさんはアベルを買った夜に婚約者が急死したと言っていた。本当に気の毒だと思う。

 しかし軽い口調で言っていたためそこまで気を引きずっていないのかと思いそうになったが、そんなわけあるはずがないじゃない。

 親に愛されて育ったお姉さんと、親から離れて育ったベルさん。お姉さんには婚約者もいて、今のベルさんにはいない。

 わたしはベルさんは何でも持っている人だと思っていたけど、隠された空虚感が垣間見れた気がして息を飲んだ。

ベル・デスタン

よぅし、アイリス。わたくしの大切なお友達! 色んな方に自慢しちゃいましょうっと

 ベルさんは歌をうたうように突き抜ける高音でそう口遊むと、わたしの手をとってホールへ入っていく。

アリシア・バレ

あ、ちょっと、ベルさん! わっ、まぶし!

 目から入った強烈な光で頭が痛くなる。徐々に慣れた視界に映ったのは、好奇心旺盛にこちらを不躾に見てくる目だった。

ベル・デスタン

アリシア、すくんじゃいけないわよ。

貴方が自信を持つためには、多くの目にさらされる覚悟が必要なの。ほら、背筋を伸ばす!

アリシア・バレ

は、はい!

 容赦なく背中をばしっと叩かれ、ピンと頭を天井から吊るされたようにまっすぐ立った。


 すると不思議なことに、今までと違って広い視界と、足りなかった酸素が肺の隅にまで入ってくる。


 わたしは今までかつて、こんな立ち方をしたことがなかった気がする。いつも背中を丸めて、地面を見て他人を見ようとしなかったのかもしれない。

ベル・デスタン

ふふ、背筋を伸ばすことでやっと目にも光が映り込んだわね。

貴方の目は淀んでるように見えたけど、きちんと光があったのね

 ベルさんの言葉に少し嬉しくなって感謝の言葉を口にしようとした瞬間、遠くから大きな

ブラボー!

 という声が聞こえた。

 そっと視線をそちらへ移すと、そこにはなんと……遭遇したくなかった人物、お母さんとエリゼがいたのだ。着飾った二人は遠目から見ても美しくて、お母さんが若く見えるせいもあってか、本当の姉妹のようにも見える。

 「ブラボー!」と言っていた男性がこちらを見た瞬間、大声で駆け寄ってくるではないか。

ミシェル・ド・ブローニュ

おお、ベル殿! お久しぶりだね、お招きありがとう! 今日もうつくしっ……

ベル・デスタン

あ、ミシェル。そこにバナナの皮が

ミシェル・ド・ブローニュ

は? おわぁぁぁぁ!!!

 まさかこんな典型的なドジをする人がいるとは、と意表をを衝かれる。そう、男性は飼い主に懐く子犬のようにこちらへ駆け寄ってきたものの、なぜか運悪く落ちていたバナナの皮に足を滑らせて転んだのだ。
 ベルさんは

ベル・デスタン

もう、まぁたドジしちゃって。格好悪いわよ

 と言って蔑む目で見ていた。しかしこのまま何もしないのも気が引けるので、取りあえず駆け寄ってみる。

アリシア・バレ

あ、あの。大丈夫ですか?

ミシェル・ド・ブローニュ

ああ、すまないね。おおっと、転んだことで髪のセットが乱れて……

 転んだ状態のまま鏡で自分の顔を確認する男性を見た瞬間、驚愕のあまり目を疑った。そのミシェルと呼ばれた男性は、そう――学校で女子から人気のハンサム男子として有名な、あのミシェルだったのだ。
 一度ニナからもらった花をもっていて、

その花、君に似合ってる

 と世辞を言われたことがある。それをエリゼによって虐めの口実として使われてしまったけど。

ミシェル・ド・ブローニュ

よし、今日もイケメン。鏡の中の僕もイケメン。
あれ、君――

 やっと鏡をしまった彼は、わたしの顔を見て固まった。

アリシア・バレ

え、えっと。ぼ、ボンソワ……

ミシェル・ド・ブローニュ

すっっっごく可愛いね! 
どこの娘? 名前は? 

ああ、僕って何て罪なことをしていたんだ! 良家の美女はもう顔と名前は一致していたと思ってたが、君のような女神を見落としていたとはね。あ、そのはにかむ顔もまたかわ――

ベル・デスタン

い・い・加減にしなさい、ミシェル!

 ベルさんの方から扇子が飛んできて、うまい具合に彼の額に直撃した。とうとう涙目になったミシェルさんは、肩を落とした。

ミシェル・ド・ブローニュ

す、すまなかった……。ベル殿、そんな怒るなよ。せっかくの整った顔が台無しだぞ

ベル・デスタン

ふんっ。わたくしの大切な友だちにあまりベタベタしないでくださる?

ミシェル・ド・ブローニュ

はいはい。――って、友だちぃ!? は、ベル殿が女の子の!? しかも生きてる女の子の友だちを作った……だと……? ぷぷっ

ベル・デスタン

うるさいわね、蝋人形にするわよ

 吹き出したミシェルさんにベルさんが目にも留まらぬ速さで鳩尾狙って拳を入れたせいで、ミシェルさんはまた床に伸びた。

 ベルさんは何事もなかったかように澄ました顔で、

ベル・デスタン

さぁ、次へ行きましょうか

 と言い放った。

アリシア・バレ

あの。ミシェルさんは放っておいて大丈夫なんですか?

ベル・デスタン

ああ、大丈夫よ。あいつ、昔から床が大好きって言ってたから

 後に聞いた話だと、ベルさんとミシェルさんは幼なじみで腐れ縁のような関係らしい。


 気の強いベルさんに蹴られる日が多かったせいで、ブルジョワジーなのにベッドより床で寝るようになるほど床が好きになったのだとか。どういった奇怪な嗜好に目覚めてしまったのか、ベルさんは深くは語らなかった。


 それから老若男女問わず色んな方とお話しているうちに、時計の針は11時近くになっていた。


 うまい具合にお母さんとエリゼとは避けて通れてほっとしたのも束の間、ベルさんはわたしの手を引っ張ってホールの二階へ案内した。

アリシア・バレ

どうしたんですか?

ベル・デスタン

うん、ここならいい角度ね。
アイリス……いえ、アリシア。ここでいっちょ持ち前の歌を披露してみない?

アリシア・バレ

 無理無理無理っと手を顔の前で振るものの、ベルさんは

ベル・デスタン

大丈夫!

 とウィンクしてみせた。

ベル・デスタン

安心してちょうだい。
床と壁はきちんと大理石でできてるから、そんな声量がなくても声が反響するわ

アリシア・バレ

そ、そういう問題ではないんです!

ベル・デスタン

まあまあそう言わず! 
みなさぁぁぁぁん! 今から歌手の卵、アイリス・ブレーズの御歌を披露させていただくわ!!

アリシア・バレ

ベルさん、なんてことを……!?

 やめてください! と言いながらベルさんの腕を引っ張るが、時は既に遅し。
 興味津々にこちらを見上げる観客が待ちわびるようにこちらを見ていた。


 あ、もしかして。この緊張感に混ざる不思議な高揚感って、憧れだった金のプリマも感じたものと同じものなのかもしれない。


 現在の金のプリマではなく、過去の彼女を思い出す。すると不思議と、あの時の彼女と同じように歌ってみたいと思えたのだ。


 もちろん足は震えてるし、喉だってしまってるし息も浅いけど、これを乗り越えられたら少し自分が変われるのではないだろうか。

 最初は独り言のように囁く声で歌い始めてみる。今、自分が歌っている曲はなんだろう。あ、分かった。金のプリマが歌っていたアリア、『恋はハバネラ』だ。


 大丈夫、もっと声を出せる。
 そう思えた瞬間、徐々に喉を開いていった。大理石に響く声に驚きつつ、瞼をおろして自分の音色に集中させた。


 何分経っただろうか。
 歌い終わった瞬間に視界に映ったのは、呆然とした顔だった。
 まずい、失敗したかもしれない。そう思ってすぐ姿を消そうとした瞬間、耳をつんざくほどの拍手喝采が鼓膜を襲った。

アリシア・バレ

嘘、でしょう……?

 その場で蹲って目を見開くと、ベルさんは

ベル・デスタン

それが貴方の実力の一部よ

 と言って微笑んでみせた。

ベル・デスタン

信じられない?

アリシア・バレ

も、もちろんです! だ、だって、これまで褒められたことなんて……

ベル・デスタン

なかったの? 
それは酷い環境で育ったのねぇ……でもね、アリシア。そんな環境を作り出す要因は自分にもあることに気づいたほうが良くてよ

 わたしにも、そういった環境を作り出す要因がある? 

 ベルさんの言葉に、舞い上がっていた気持ちが少し冷え込む。

 どこに要因があったのだろうと逡巡していると、ふと壁にかかった時計の針が12時を回ろうとしていることに気づき、心臓が飛び跳ねた。

アリシア・バレ

あ、もう時間! 早く帰らないと、アベルが

 そこまで言って後悔した。
 あ、そうだった。アベルを良く思わないベルさんにそれは禁句だった。

 あまりにも無神経なことを言ってしまった自分を殴りたくなるが、ベルさんは意外にも笑顔で

ベル・デスタン

そうね、そろそろ帰ったほうが良いわ

 と言って背中を押してくれた。

アリシア・バレ

あ、ベルさん

ベル・デスタン

なぁに?

アリシア・バレ

ごめんなさい。あと、その――ありがとうございます

 振り返りざまにそう言うと、ベルさんは一瞬悲しそうに目を細めた。それが何を意味するか、その時のわたしは全く分からなかった。

アリシア・バレ

急がなきゃ……って、あ!

 エントランスホールから門扉をくぐった瞬間、躓きかけてガラスの靴を片方落としてしまったのだ。

 引き返そうとしたものの、先程の歌で興味を持った人がわらわらと押しかけてくるため、ガラスの靴は人影に隠れて見えなくなってしまった。

さっきは素晴らしかったよ。お名前は?

どこの御令嬢なの?

アリシア・バレ

あ、すみません! 急いでいますので

 仕方なくそのまま去ってしまったが、まさかあのガラスの靴が彼に拾われているとは思ってもみなかったのだ。

ミシェル・ド・ブローニュ

おや? このガラスの靴って、確かあのアイリス殿が履いてた……

 ミシェルはガラスの靴を拾うと、それを頬にあてながらアリシアの奏でた音色を思い出し、恍惚とした表情を浮かべた。

ミシェル・ド・ブローニュ

ガラスの音色に、ガラスの靴、なによりガラスのような透明感のある美しい容姿! 

はぁ……ガラス細工の少女、アイリス。絶対僕の妻にしてみせる……!

 決意のこもった瞳でそう言いながら、ミシェルは鏡で自分の顔を確かめながら

ミシェル・ド・ブローニュ

うん、今の僕もかっこいい

 と感嘆したのであった。

第17幕 落とされたガラスの音色と靴

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