黒ネコが高らかに鳴いた瞬間に突如として世界が色を失い、雑踏のざわめきも車が走る音も、それどころか自分たち以外の人影すらも消えた空間の中で、洸汰はわけもわからずぽかんとしていた。
黒ネコが高らかに鳴いた瞬間に突如として世界が色を失い、雑踏のざわめきも車が走る音も、それどころか自分たち以外の人影すらも消えた空間の中で、洸汰はわけもわからずぽかんとしていた。
それに対して、この空間を作り出したと思しき黒ネコの使い魔のクロエと、その主である魔法少女のカレンは何かを警戒するように虚空をじっと睨みつける。
そして、
来る……
少女が小さく呟いた瞬間、まるで空気をかき分けるように、何もないところから奇妙な生物が現れた。
粘土で作ったいろんな生き物の体をでたらめに繋ぎ合せたあとでくっつけた場所を丁寧にならしたような、醜悪な生物は、眼下のカレンたちを見つけると、金属同士をこすり合わせたような気持ちの悪い咆哮をあげ、その直後に空中をかけてカレンたちめがけて突進を仕掛ける。
あぶニャいニャ!
っ!?
こっち!!
使い魔の警告に短く息をのんだカレンがとっさに、状況についていけずにぼけっとしたままの洸汰の腕を引っ張って思いっきり引き寄せる。
女の子の膂力とは思えないほどの強い力で引っ張られた洸汰はバランスを崩し、そのまま地面にがりがりと顔を擦りつけてしまう。
「ぎゃ~~~す!!」とかいう悲鳴が聞こえた気がするが、カレンもクロエもそんなことを気にすることなく、襲撃を仕掛けてきたケモノと正面から対峙する。
こいつの気配は使い魔だニャ……
キメラを使い魔にするとか、こいつの主は頭がおかしいニャ
ハグレの魔物だったらまだ良かったけど使い魔か……
ハズレね……
何がハズレなのかは分からないが、明らかにがっかりするカレンに怒るようにケモノが再び咆哮し、鋭い爪を振りかざしながら突撃してくる。
しかしカレンもクロエも、今度はよけようとする素振りすら見せず、その場に棒立ちになる。
何をやって……!?
悲鳴じみた声で叫びながら、洸汰は爪に少女と猫が引き裂かれる瞬間を想像し、思わず顔をそむける。
しかし、直後に洸汰の耳が捕らえた音は、肉を引き裂く生々しい音でも、少女の絹を裂くような悲鳴でもなかった。
まるで金属製の鍋のそこをお玉でたたいたような、そんな硬質な音が響き、思わず目を開けた洸汰が見たもの。それは、光る魔法陣を前に悠然とたたずむカレンと、その壁に爪を突き立てる奇妙な生物の姿だった。
え……あ……?
……………………ほう……
よかった…………
一瞬何が起こったのか分からず、それでも少女が無事であることにほっと息をつく洸汰をカレンは振り返った。
これから起こることをよく見ていて……
そしたら……私があなたの記憶を消そうとした理由が……
魔法に関わるということがどういうことかが分かると思う……
クロエ……お願い
彼を守ってあげて……
……仕方ニャいニャ……
今回だけは特別ニャよ?
うな~~~~~~~~っ!!
黒猫が再度泣き声を上げた直後、突然光が洸汰を包み込み、三角を立体的に組み合わせた箱の中に閉じ込めた。
準備オーケーだニャ
クロエの合図に背中越しに頷いたカレンは、それまで正面に展開していた、ケモノと自分を隔てる魔法陣を解除する。
当然、醜悪なケモノはチャンスとばかりに目の前の少女を引き裂こうと思いっきり爪を振り下ろす。
このくらいならアレを使わなくても平気かな……
迫り来る爪を目の前に暢気につぶやいたカレンは、その爪を避けようとはせず、それどころかその細い腕をもって、ケモノの豪腕をあっさりと受け止めてしまった。
マジで……?
その、普通ならありえない光景に洸汰が思わず頬を引き攣らせると、いつの間にか彼の肩の上に飛び乗った黒猫が解説をしてくれた。
カレンは身体強化魔法を得意としているニャ……
というか、自然要素魔法――エレメント・マジックがただ苦手ニャだけニャ……
今、カレンは魔法で極限まで自分の身体能力を高めているニャ……
素手で魔法障壁をブチ抜いたり、地面にでっかい穴を開けたりできるカレンからしたら、あの程度のことニャんて造作もないことだニャ
マジかよ……
前半の言葉の意味までは分からないまでも、戦いが始まるまでは、どこか天然少女といった印象を持っていた洸汰だったが、クロエの解説と目の前で繰り広げられる光景に、その認識を改めざるを得なかった。
一方、そんなことなど露とも知らないカレンは、掴み取ったケモノの腕を、万力のようにぎりぎりと力をこめて締め上げていく。
筋肉が押しつぶされ、骨が軋みを上げる痛みにケモノが吼えながら足掻く中、その華奢な腕一本で軽々とケモノを持ち上げたカレンは、そのまま頭上高くまで持ち上げ高と思うと、徐に思いっきりケモノを地面に叩きつけた。
凄まじい音があたりに響き、衝撃が魔法に守れた洸汰の元にまで届くほどの勢いは、コンクリートの地面に巨大なへこみを作り上げ、その衝撃が余すことなくケモノの体の中を駆け巡った。
全身の骨が砕かれ、内臓に突き刺さる痛みにケモノが血反吐を吐きながらあえぐ中、一変の同情も見せずにカレンはケモノを見下ろす。
分をわきまえずに、私に嗾けたあなたの主人を恨みなさい
それだけを静かに呟いてカレンは拳を握り固めると、何の躊躇もなくケモノの心臓を貫いた。
断末魔の叫びを上げ、そのまま生命活動を停止したケモノから腕を引き抜く。
直後、ケモノから吹き出した夥しい量の血が、カレンの体を真っ赤に染め上げていく。
しかしそんなことなど意に介さないカレンは、その凄惨な光景に言葉を失った洸汰の目の前に歩み寄る。
これが魔法に関わるということ……
殺し、殺されることが日常的な世界なの……
こんな世界に、あなたは関わるべきじゃないわ……
だから私はあなたの記憶を消そうとしているの……
そこのところをもう一度よく考えてちょうだい……
それでもあなたが記憶を消されたくないというのならそれで構わない……
私はあなたの意見を尊重するわ……
明日……答えを聞かせてもらうわ……
……
クロエ、行きましょ……
返り血を軽く拭い、颯爽と踵を返すカレンの足元へ使い魔が追従し、一人と一匹は路地裏から立ち去っていく。
直後、色を取り戻した世界の中で洸汰は一人、呆然としたまま取り残された。