次の日の昼休みは、沙希との弁当のあと屋上に出向いてみた。
次の日の昼休みは、沙希との弁当のあと屋上に出向いてみた。
そろそろ陽射しがない場所には秋の気配が忍び寄ってくる。
しかしこの時間の屋上はまだ少し夏の香りがする気候だ。
そのためだろう。俺がたどり着いた時点では、一見して俺以外の生徒は見当たらなかった。
ちょうど給水塔の影になるような場所にいた水夜を除いて。
屋上の中でもそこはやけに涼しそうだった。
鞄も一緒にここに持ってきていたらしく、やけに大きいそれは彼女のそばにおいてあった。
早退する気満々かよ。
ムンドゥスに行く、ってわけではないようね
俺に気付いて振り向く。
そうだな
どうかした?
どうかしないと話をするのはダメなのか?
夏月が私と接触する姿はあまり見られないほうがいい
そう言いつつ、少し寄ってスペースを空けてくれた。
俺は水夜の横に腰掛ける。
夏月、ひとつだけ尋ねてもいい?
そう言って彼女は俺の目を覗きこんだ。
至近距離に水夜の瞳があり、自然と声が固くなる。
何だ?
誰が隣に座っていいと言ったの?
…………え?
えっと……ダメだったんですか?
冷水を掛けられたように唖然として立ち上がることも出来ず、ひたすらに沈黙が続き俺は水夜と見つめ合った。
背中が冷たいのにぬるい汗だけが額を伝う。
そして水夜が目を逸らさずに囁いた。
………冗談だったのに
わかりにくいよ?!
本気で嫌われてるかと思ったよ俺は。
安堵のあまり息混じりについ大声を上げてしまった。
夏月うるさい
……誰のせいだよ
そうボヤきつつ、今度こそ二人で足を伸ばして給水塔を囲むフェンスにもたれかかる。
互いの顔も見ずに、目の前の屋上からの景色を眺めながら会話を続けた。
それで、どうしてあまり俺達が近付かない方がいいんだ?
…………
ネタを考えるな!普通に答えれば良いだろ!?
ため息混じりに、水夜は肩を竦めた。
………俺、悪くないよね?
インサニアの存在は、モルタリスを影の代わりに持つ人間には脅威。だから本人に自覚はなくとも無意識にインサニアを攻撃をするよう、本能付けられてる。
だからこそ私たちは、この世界で理由なく迫害を受けやすいのだけれど。
夏月と会っていると、インサニアの存在が別の形でこの世界の明るみに出る恐れがある
それで俺と会ってるところを見られたくないと
今は問題ない
付け足すように水夜は言った。
少し慌てたように聞こえたのは気のせいか。
安全日だから
下ネタに逃げるなよ!!!
どうしよう、この子急速にキャラ崩壊してる。
というかそういう性格だったのか水夜は
いいえ
二秒でバレる嘘やめろ
本当よ
そして覗きこまれる。
本当に……あなたにどう接していいのかわからないから
…………
間近で見るとやはり水夜は綺麗だ。
そしてその双眸は今悲しげに揺れていた。
俺はその言葉が彼女の戸惑いの形なのだとわかっていた。
友達なんていたことはなかったし
……
処女だし
だから困ったら下ネタを強引にねじ込むのやめろ!!
ぜんぶ本当よ?
尚更、たちが悪いからな?!
乾いた笑いが口から出そうになった。
水夜がためらいがちに再び口を開く。
もし私たちが恋人ならキスでもすればいいのでしょうけど
……
本当にわからないの
その響きは、冗談ではなかった。
急速に増した疲れを払うようにため息をつく。
自然に、でいいんじゃないの?
……生?
それがお前の自然なんだな、よくわかった
水夜は俺の溜息に気付かなかったようにこちらを見上げた。
してみる?
……何を?
キス
事も無げな口調の割りに、いやに緊張した面持ちだった。
言葉を選んで尋ね返す。
……それで俺と水夜の何かが変わるのかな
さぁ?
そういうのもたぶん、自然と変わるべきなんだと思う
そう
そんな少しホッとしたような、されど半ば残念そうな声に、やはり隣にいる少女はきっと人と触れ合うことに慣れていないんだろうなと思った。
だからこんな額越しに熱を測るように、手探りで関係を一から形作ろうとする。
少しの気恥ずかしさと呆れ混じりに嘆息しつつ、話を逸らす。
そういえば、なんでこっちに転校したの?
水夜はこちらを横目に見て、また前方の景色に視線を戻した。
あなたのため
……
嘘、家の都合
……そう
踏み込まれたくない、と言っているのだろう。
じゃあ授業中に席にいない時は大体ここ?
そうなる
じゃあ会いたい時もここに来ればいいのか
そう
黙りこんでしまった。沈黙があたりを支配する。
なぁ
俺は言おうか言うまいかかなり迷った末に尋ねた。
何?
どうして……急に下ネタを混ぜなくなったんだ?
ずっと警戒してたんだけど。
………私の方こそ尋ねたい
何だ?
さっきから夏月の言う『下ネタ』って何?
今までのぜんぶ天然かよ?!!
彼女の深淵を垣間見た気がした。
切々と下ネタの概念を語り、それを控えるように説いたあと。
しばらく沈黙が続いた。
しかし横目で盗み見ると、水夜は特に居心地の悪さも苛立ちも覚えていないようで安心した。
沙希とともにいる時の静寂とは違い、少し緊張感がある。
けれど悪くはない。
気付かれ、目が合う。
何?
水夜はムンドゥスには行かないのか?
私の役目は夏月を導くことだから、特別なの
それも理由に含めて、屋上にいるのか
いいえ、単純にここは好きだから
そう言って目をそらし景色に戻す。
追うように視線を投げる。街が見渡せた。空が見渡せた。
何を見ているんだ?
何も
見てないのかよ
特には
やはり水夜との会話では俺がツッコミ役に回るらしい。
見る必要がないものは見ない方がいい
……
見る必要がないもの。それは例えば。学校とか。クラスメイトとか。
言う必要がないことも言わない方がいい
……
私の感性は少しズレているみたい
自覚あったんだな
時代が追い付いていないのよ
ある意味その通りだけど、どこからそのポジティブ思考捻出してるの
でも夏月は
思いついたように唐突に続けた。
夏月は見ていたい
……そうか
それは救世主だから?
訊けなかった。
それで、俺は次いつムンドゥスに行けばいいんだ?
あなたが必要とされ、あなたが必要とする時
それは、いつなんだ?
その時にならないとわからない。その時に薬は渡す
ということは、俺はしばらくは日常を続けるのだろうか。
この距離感の定まらない、水夜との関係を。
出来れば早めに定まって欲しいけれど。俺の精神衛生的に。
でもこれは今までの日常とは。俺に役割だけを与えてきた日常とは、きっと違う。
これからもよろしくな
……突然どうかしたの?
別に
俺はチャイムが鳴る前に立ち上がり、別れを告げ、校舎の中に戻った。
水夜はもちろん戻らずそのままだった。
――私の罪だから
振り返った視界の空を、鉄のドアが遮る。
だから聴こえなかった。
ふりをして、俺は階段を降りる。
授業だ。