第18話 本音 うたた寝 その垣根
第18話 本音 うたた寝 その垣根
こくり、こくりと船をこぐマーメイを、クララはきょとんとした目で見つめていた。
お、お疲れみたいですね、マーメイさん
……そうですね
先にシャワーを終え、休憩スペースでクララの戻りを待っていたマーメイは、ベンチで待つうちに眠りに落ちてしまったようだ。
組んだ腕にも収まりきらない、薄手のタンクトップの豊かな胸が、寝息に合わせてやわらかく上下する。
クララも、そして整備士シビ・ブラックも思わず声を潜めて、そっと隣のベンチに座る。
クララさんも、その、体とか、大丈夫ですか?
あ、はい……
今のところは、あんまり前と変わらなくて、大丈夫だと思います
爪の力(ウングィス)もしっかり使えるし
スパーリングを終えた後、クララは左腕をシビ・ブラックに診せていた。
ライブメタル義肢『アルムバースト』のメンテナンスを担当することになった彼女は、自室にいる時以外はクララにほとんど付きっきりで、細やかに気を使ってくれた。
そうですか。
で、でも、無理はしないでくださいね
医学的なことは、えっと、私、詳しくはないですが
こ、こんな精密機械が体に直接、四六時中くっついてるんです。
きっと本人が想像している以上に、気力も体力も使っているはずですんで……
背丈の大きなシビが、年下の自分に対して泣きそうな目で訊ねてくるたび、クララは少しだけ申し訳ない気持ちになる。
日常生活に支障はないか、訓練の最中におかしな挙動を見せはしないか。
問いかけられるたびクララの脳裏によぎるのは、左腕が意識の外で勝手に動きアーデルを屠った、あの時のこと。
何を心配されてもクララは何と答えればいいかわからず、ただ、
大丈夫です、すみません
と返すことしかできなかった。
ほ、ホントですか……?
お二人とも、なんだかその、無理しがちな方に見えちゃうんで……
マーメイさんも?
と、クララは再び傍らで眠るマーメイを見る。
そういえば、マーメイが居眠りをする姿など、今まで見たことがあっただろうか。
たぶん、あなたのためです
……私の?
ムルムルから渡された左腕(アルムバースト)の開発資料、マーメイさんもずっと読み込んでるみたいですから
クララは目を丸くする。
え、あ、あれを……?
は、はい
その、私が担当に決まってすぐ、マーメイさんご自身に頼まれて、データをお渡ししておきました
日中はお忙しいでしょうから、たぶん、夜とかに読んでらっしゃるんじゃ
正直なところクララ自身、未だにその資料のすべてに目を通してはいなかった。
左腕の機能や機構についての解説らしきテキスト、その密度と量にひと目で圧倒されて以来、ついつい敬遠してしまっていたのだ。
リーダーやパオ・フウ隊長ももちろんですけど
やっぱりクララさんを一番心配しているのは、マーメイさんですよ
クララさんの身にもし何かあった時のために、寝る間も惜しんで勉強だなんて……
しきりに感心するシビの言葉は、もうあまりクララの耳には入っていなかった。
この人はひょっとしてずっと、私のことを。
まだ、あの時のことを。
胸の詰まるようなうれしさと、同時にこみ上げてきた困惑に、クララはきゅっと唇を噛む。
左腕と共に戦い抜くという自分の決意は、もしかしたらマーメイに、さらなる重荷を背負わせているのではないだろうか。
じっと考え込んでしまったクララを見て、シビは取り繕うように、だが懸命にクララに伝える。
わ、私にも、な、何かあったら言ってくださいね!
その、頼りないかもでホントにすみませんですけど、き、機械の扱いならそこそこ、できるつもりだったりするんで……!
一生懸命にそう言ってから、シビはじゃあ、と手を掲げ、二人を残して休憩スペースを出て行った。
静かになったその空間で、クララはふと気付き、ベンチを立つ。
そして、空いているマーメイの左手側に、今度は少しだけ距離を詰めて、クララはちょこんと座る。
すやすやと眠るマーメイの頭が、少しずつクララのほうに傾いてくる。
自分の右肩、冷たくない方の肩を枕に、と思って座り直したのだが、彼女の頭を支えるには、クララの身長はまだ少し足りない。
それでも、とクララがもう少し間を詰めたその時、寄せた頭の上に、マーメイのこめかみがひと時だけ、ふわりと乗った。
そのまま乗せてくれていいのにとクララは思うが、眠りの中でも気を張っているのか、マーメイはすぐにくいと頭を持ち上げてしまう。
こくり、こくりと、持ち上がってはじわじわ傾いてくるマーメイの頭を、クララは息を潜めて寄り添い、じっと待っていた。
次の戦いが始まるまでは、せめてこうして支えてあげられないだろうか、と。
今度は何だってんだ、あの総隊長さまはよ
隊長室に向かう途中不機嫌にそう言うココアを、メルは笑顔でたしなめる。
昼過ぎ、食事の後。
ルクス機動歩兵部隊全員はカラカルに呼ばれ、明日以降展開する共同作戦のブリーフィングを受けることになっていた。
だめよ、ココちゃん。仲良くしなきゃ
相手は議会直属の鎮圧部隊さまよ
でもよ……
ムルムルの連中まで、偉そうに居座りやがって
食堂の空気が悪くてしょうがねえ
駐屯を続けるムルムルの一般兵たちには、パオとピクシーの計らいで、隊舎の空き部屋が割り当てられた。
アーデルを相手に共に戦う仲間だからと、ルクスの兵たちは彼女らを歓迎するつもりでいたが、それに反してムルムルの兵たちの態度はひどく冷たく、不躾だった。
共用の食堂で顔を合わせても、慣れ合う気は無いとでも言いたげに、各々黙々と食事を済ます。
メルやココアが声をかけても、皆一様に、面倒くさげにじろりと睨みつけてくるだけだった。
コミュニケーション不全で静まり返った食堂の空気の不味さには、ココアならずとも不満を抱えていて然るべきだろう。
そのことはメルも、そしてカラカルの補佐役としてムルムルとの窓口を務めるピクシーも、十分に理解していた。
あの新入りの腕、開発中の兵器とか言ってたな
ふと思い出したように、ココアはクララの義手のことを口にする。
メルの笑顔にもわずかにぴりりと緊張が走る。
まさか、あれが完成したら、CAT全員にくっつけようってんじゃ……
やだココちゃん、冗談言わないでよ
あれくっつける為にわざわざ腕ちょん切らせたりするの?
いやいや、わかんないぜ
むしろ三本目の手として無理やり……
このへんからニュるっと!
やだ、ちょっと!
くすぐったいしキモい!
あながち冗談じゃないかもしれませんよ、それ
じゃれあうココアとメルの後ろに、ジェシカとミアが追いついた。
あ、お疲れジェシー
おいおいどういうことだ、冗談じゃないって
ココアさんも、まだ知らないんですね。
いえ、実は
先輩二人に対して、自分の方へ耳を寄せるよう指で招いてから、ジェシカは声をひそめて答える。
この間の襲撃の時、私見たんですよ
あの子、ミモル型を拳ひとつでぐっしゃぐしゃだったんですから
そんなの、マーメイだってやってるだろ
怪訝な顔のココアに向かって、いやいやと首を振り続けるジェシカ。
それが、ちょっと普通じゃなかったんですよ
一度仕留めた相手を、さらにこうしつこく、何発も何発も殴りつけたり……
かと思えば、そうやってぐしゃぐしゃになったアーデルを見て、泣きそうになって
あの子、まるで腕が勝手にやりましたみたいな顔してて
ね、姉さん……
興奮して早口になり始めたジェシカを、今度はミアがたしなめようとする。
だが。
ミアだって見たでしょ、クラブ型の鋏をぶっとばすところ
ロボニャー級未満の搭乗兵器であんな出力、ありえないと思わない?
コマンドギアのアームが繰り出すパンチを真似しながら、ジェシカは首を傾ける。
そう……かもしれないけど……
ミアは言葉に詰まる。
振り下ろされたクラブ型の大鋏を、一撃のもと弾き飛ばしたクララの左の拳。
コマンドギアのコクピットから見たその瞬間が、今もまだミアの目に焼き付いている。
そして、自分の乗るメテオーアで同じことができるかと聞かれれば、間違いなく答えは否だ。
ジェシカの言う通り、あの大質量を容易に動かすことのできる出力など、コマンドギアでは到底実現しようがないはずだ。
だが、ジェシカが口を開き、さらに何か言いかけたところで、
はいな。この話、おーしまい
メルがぽん、と手を打った。
メルさん……
ま、アレは実際、アーデル戦には十分役に立ってるみたいだし
クララちゃん、今は私たちと同じ、ルクス機動歩兵部隊の一員なんだからさ
にこやかに言いながら、メルはココアとジェシカの肩に手を添える。
そして、さっさと行きましょうとばかりに、二人をぐいぐいと押していく。
ちょ、でもよ……
まあまあ、ココちゃんもジェシーも
もしあの子絡みで何かあったら、ムルムルさんにしっかり責任取ってもらえばそれでいいじゃない、ね!
顔を見合わせたココアとジェシカは、今ひとつ合点が行かないながらも、やがては黙ってうなずいた。
はいはい、早く行かないと。
ムルムルさまに鎮圧されちゃいますよおー?
子どもをあやすようにおどけるメルに、三人は思わずくすりと笑う。
たどり着いた隊長室のドアをノックしたココア、そしてジェシカが先に入る。
と、ミアだけが足を止め、しんがりのメルを振り返った。
どしたの、ミーちゃん
小首をかしげるメルに、ミアは小さく頭を下げる。
あの、ありがとうございます
ん、なんのこと?
えっと……
姉さん、人のウワサ始めると、すぐヒートアップしちゃうから……
ミアの言葉に、メルは一瞬だけ目を丸くした。
ああ、そういうこと。当然じゃない
彼女が何に対して感謝しているのかを、メルはすぐに察した。
だが。
仲良くしとかないとこっちが危ないでしょ、あんな化け物
笑顔をわずかも崩すことなくメルはそう言い、ミアの脇を抜けて部屋へと入った。
申し訳ありません、遅くなりました!
最後に隊長室に現れたのは、マーメイとクララの二人だった。
マーメイの寝ぼけ眼と、何かに寄りかかっていたような頬の跡。
そしてクララの片側だけ跳ねている、不自然なクセ毛。
ここに来るまでに二人がどんな状況であったのか、場にいるおよその者がひと目で察した。
予定時刻より二分オーバー。だがカラカルはさしてそれを咎めることなく、
かまわん、始めよう
そう言って、手元のボードの映像を共有サイズに拡大し、空間上に映し出す。
描かれているのは、バーシムとパーリアを中心とした、西ボリアの広域地図だ。
さて、先日パオ・フゥが言っていたことは理解しているな
お前たちには引き続き、私の指揮下で戦ってもらう
カラカルが指先で空間をなぞると、映像上に、赤と青の二つの光点が新たに出現する。
まずは機動歩兵部隊を二つに分ける。片方は通常どおりバーシムの治安維持と防衛
青い点はここ、CAT西ボリア支部のあるバーシムに重なったまま。
だが赤い点は、カラカルの指の動きに従ってゆっくりと南に下り、山間の小さなポイントで、赤い点はぴたりと止まった。
もう片方は、バーシムへ向かって来る物資輸送部隊の護衛任務についてもらう
行く先は西ボリア最大の軍事工場エリア、
ビスティブルだ