はぁ……はぁ……

あれから。
何がどうなったのか、よく覚えていない。
恐らくは怒った私はシンディを置いて勝手に帰ってしまったのだろう。
その割には、家には帰りたくないという本能故か、知らず知らずのうちに歩き回り、気が付けば時間は既に9時前。
何も食べない、飲まないで、何かから逃げるように。
数時間、ただ意味も無く移動を繰り返していた。

……

多少は落ち着いてきた。
でも、気分はドン底だ。
本当に最低だ私は。
悪意のない言葉に過剰反応してこのざまだ。
相手のことなんてまるで考えないで、言いたいことだけ吐き出して逃げていく。
それを止めることすらできずに。
だから……生きているのも嫌になる。

帰りたくない……

今家に帰れば、姉さんや真白に確実に何かを言われる。
事実、スマホには姉さんの連絡が数件入っている。
留守録も入っているし、心配かけているのだろう。
……だから、どうした?

姉さんにあれだこれだと同情されて、惨めな気持ちになるだけだ。
真白には言いたい放題罵られて、辛い思いをするだけだ。
今は、誰にも会いたくない。一人でいい。
どうせこの苦悩、この地獄を分かってくれる人は……同種の人間だけなのだ。
先生のように、理解しようとしてくれる人でもない限り、向こう側の人間が分かることなどない。

…………

……たまには。
たまには、一人になりたい。
自分の意思で。
だけど……いつも孤独、か。
そのとおりだよ。
家族は私をちゃんと見てくれない。
友達は言うほど多くはないし苦労ばかりかけられる。
数少ない分かってくれる先生だって、いつもいるわけじゃない。
最後は自分しか残らない。

私は行く宛もなく、ただ歩きだした。
今夜は、どうしようか。
そんなことを漠然と考えながら。

私は……何をしているんだろう。
こんな時間になってまで、こんなところで。

……

制服姿が目立つ。
既に時刻は11時。
まだまだ明るい繁華街。
職質を避けながら、私はぼうっとしながら移動していた。

足はへとへと、中身はボロボロ。
……ああ、何かもう、どうでもよくなってきた。
今ここから、歩道から一歩前に出れば、車道を走る乗用車に撥ねられて楽になれるかな、と思うほどには。

ついでに、変な連中に声をかけられそうになってさっき慌てて逃げた。
この時間帯に仮にも女子高生が一人で彷徨くのは良くない、とは思っている。
でも同時に、どうせ大した価値もないから、どうなってもいいという投げやりな考えもある。
自棄みたいなもんだろうか……?

姉さんからもまだ連絡が来ている。
いい加減、鬱陶しい。煩わしい。
心配なんてしなくても、私は一人でも問題を起こすことはない。
そこまで落ちぶれていないし、理性も飛んでない。
どれだけ人を見下せば気が済むのか。
信用していないのは、この一件でよくわかった。

いっそ間違いでも犯して復讐してやろうか。
そんな危険な考えまで一瞬鎌首を擡げた。
……悪くないかもね。

考えが纏まらないまま、ぼーっと歩いていく。
疲れた。眠い。お腹すいた。気持ち悪い。
悲しい。苦しい。怠い。辛い。

……寂しい。
……死にたい。

先生

あれ……涼、さん?
なにしてるのこんなところで?

……?

道を歩いていたら、知らない女子高生と思われる人が私に声をかけてくる。
俯いて歩いていた私は顔を上げた。
私の名前知ってる? 誰だこの人。

先生

もう結構遅いよね……
もしかして、夜遊びでもしてるの?
でもカバン持ってるし……
どうしたの?

…………

あれ、この声……どっかで聞いたことがあるような。
いや、この姿を見たことがまずあるような。

先生

あれ、もしかして……
誰だかわかってない?

…………

いえ、誰だか今漸く分かりました。
ただ絶句しているのは、なぜこの時間帯にあなたがそんな格好をしているのか理解できないからです。

先生っ!?

そこに居たのは、何と先生だった。
何時ぞやのコスプレ状態の。
何がどうしてこうなった!?

先生

今頃気がついたんだね……
まぁいいか……

先生

取り敢えず、もう遅いから
ちょうど私も帰るところだったの
涼さんも部屋に来て
何かあったんでしょ?

……怒らないんだ。
理由も、聴かないんだ。
空気を察して、何も言わないでくれるその優しさが嬉しい。
私はありがたく、その申し出についていくことにした。

先生の部屋はあそこから近所のワンルーム。
シンプルで機能的な室内かと思っていたら。

!?

想像以上にピンク色!?

なんだこの少女趣味は!?
これが社会人の部屋だと!?
待て、これは明らかに子供の部屋だ!!
ファンシーすぎる!!

先生

何が言いたいのかすぐわかるよ
みんなすぐそういうし

……先生は、少女趣味だったんですか

先生

…………まぁ……

…………

……うん、これは子供部屋だ。
ぬいぐるみがたくさんある。
目に入るはピンク色。
可愛いもの系がすごく多い。
私の部屋とは大違いだ。

先生

因みにこの格好してるのはね
さっき見たでしょ、泡吹いた洗濯機

あぁ、あの風呂場にあった洗濯機。
何か口から泡吹いて死にかけていたけど。
洗濯機が壊れてしまって、洗濯物が全滅。
着替えと汚れものを混ぜて放り込んでいることに気づかずやってしまって、挙句にはそれがきれない。
出かけるようの服じゃなかったので、仕方なく置いてあった制服を着て出ていったらしい。合掌。

先生

で、重たい洗濯物を運びながらコインランドリーから帰ってきたの
その道中、涼さんを見つけたというわけ

……

先生

挙句には帰ってくるのも遅かったせいでご飯も食べ損ねるし
今日は厄日ね……

ぶつぶつ小言を言いながら、慣れた手付きで遅い夕飯の支度を始める先生。
何気に私の分まで用意しようとしている。
問わなくても分かる、ということか。
格好から推察されたんだろうな。

私も手伝います

先生

いいの?
なら助かるなぁ
そういえば、食べてなさそうだから用意しちゃってるけど、平気?

平気です
ほんとに何も食べてないので

先生にそう言うと、不意に表情を引き締める。
手を止めないで、問うてきた。

先生

……帰り際、何かあった?

……ええ、まぁ……

それから私は、昼休みのことも含めて、個人を特定しない程度に誤魔化しながら全部話した。
先生には、抵抗なく全部打ち明けることができた。
敵じゃない、分かってくれると信じられるから。

先生

そっか……
自分が悪いってことも、ちゃんと自覚してるんだね?

…………

分かっている。
突然怒鳴り出して、自己嫌悪からこんな時間までフラフラしている私が悪い。
自覚している。
先生はただ話を聞いてから、一言で要約した。
反省している。

先生

ならいいよ
ちょっと待ってて

一度席を外して、何処かに電話。
相手の声が少し漏れて、こちらにも聞こえる。
あの焦った様子の声は……姉さん?
先生は、何か事情を話して戻ってきた。

先生

うん、これで大丈夫だよ
不調のようだったから、帰宅する前に私の家で預かってましたって、誤魔化しておいたから
遅くなったことに関しては私のせいにしちゃっていいよ

……すいません
色々、してもらっちゃって……

先生は私を庇ってくれた。
姉さんからの連絡は、不調で無反応ということで誤魔化す。
一応保護していたということで口裏を合わせてくれた。
私が道中、何も大きな問題を起こしていないので不問にしてくれた。
……本当に有難い。
これ以上何か言われたら私も自滅しそうだったから。

先生

まーまー、そういうこともあるよ
今夜は泊まっていっていいから
時間も気にしないで

何から何まで……ありがとうございます

先生

いいよ
謝りに行くときは私も一緒に行くから、そこんところも安心してて

下手な慰めも同情もない。
それが嬉しい。
ちゃんと話も聞いてくれた。
対等に、目線を合わせて、接してくれる。
これが、人としての扱い。
当たり前の扱い。
……『普通』の人間が、私にしてくれないこと。

先生

こっちも余裕ないから簡単でもいいかな
ぶっちゃけ、バイタルメンタル限界なの

私がメインやります
一宿一飯ですんで、これぐらいは

先生

涼さんて、料理出来るの?

姉さんほどじゃないですけどね
ウチ、妹が何もしないんで私が時々作ってるんです

先生

あるよねー、そういうの
弟と妹は上がいると何もしない!

先生、兄妹でもいるのかな。
妙に実感の篭った発言だった。
そんなこんなで、疲れている先生と共にパパっと簡単に夕飯を作った。
そういえば、姉さん以外と調理をしたのは初めてだった気がする。
ハッキリ言って、楽しかった。
そのあと色々駄弁って、布団を間借りして眠りについた。
その日は、先生の部屋で厄介になることになったのだった。

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