俺は自分の部屋で宙に向かってナイフを構えていた。
俺は自分の部屋で宙に向かってナイフを構えていた。
手の平に重みを感じる。人を殺せる質感。
それは水夜に指示されたトレーニング方法だった。
どうして常人の動きをイメージするのと水夜は尋ねた。
人間の体術以上を想像しろと。
それでも足りない、想像という概念の向こう側に思考の矛先をねじ込めと。
あなたの力はそんなものではない
彼女の言葉を信じる。
俺はまだ強くならないといけない。
仲間を殺されないためにも、世界を救うためにも。
足りない。まだ、力が足りない。
俺の力は基本的に身体能力に依存しない。
ムンドゥスでの俺の身体は今ここにある肉体そのものでなく、正確にはその影を媒介にする。
だから体力を底上げするのも、技量を身体に染み込ませるのも、まったくではないがあまり意味は無い。
それよりもむしろ、想像。
俺の救世主たる本質はそこにあるらしい。
すなわち肉体たる影を限界以上に使用できる能力。
であるなら俺の突破すべき限界はむしろ物理的な身体ではなく、精神の方にある。
人は生まれながらにして精神に枷を負う。
自分に何が出来て、何が出来ないのか。
この世界で何が起こり得て、何があり得ないのか。
そんな常識とも呼べる生きていく上で当たり前に必要な知識は、肉体限界のない俺の無意識の限界として、想像を鈍らせる。
俺が到達すべきは想像力の向こう側。あり得ないことをあり得ると信じ、実現する力。
一瞬の思考速度の差が命取りになる戦闘において、その技術は使うものではなく身に付けるものだ。
自分が何者でもあれると心から信じる。
世界を改変し創造する。
そのためのこのイメージトレーニングだ。
一人でナイフを持って、自分が今何が出来るかを数え上げていく。
例えば今俺はこのナイフを持って階下へ赴き、すでに眠っているだろう母を殺せる。
例えば今俺は近所の庭に忍び込んで、外に繋がれている飼い犬の足を切り落とせる。
例えば今俺は最寄りの一人暮らしの人間を解体し、内側からぐちゃぐちゃにできる。
母はまず騒がないように口を抑え、喉仏にナイフの底を叩き下ろして潰した。
何が起こっているかわからないままに彼女は声にならない音を首に空いた穴から漏らす。
太ももに大振りな刃を突き立てて逃げられないように。
そして損傷させた足と対角になる腕の手首を切り落とす。
この辺りで母はようやく殺戮者が俺であると気付いた。
途端に俺はその両目を薄く切り開く。
血の涙を流しながらどうしてどうしてとただ一念に染まっているであろう頭蓋を脳天から割った。
次は犬だ。
俺は母の血を洗い流し、着替えてから靴を履き外に出る。
向かいの家の三軒隣り。供物は寝ている。
あぁしかし近づくと俺に気付き目線を上げる。
そう躾けられたのか、見覚えのない闖入者に吠え始める。
だから俺は少し焦りながら門を押し開き、ナイフを振り上げて首を叩き斬る。
頚椎を抉った手応え。
一撃で切り落とせるはずもなく、気管だけが繋がった状態で犬は鳴き喚き始める。
俺は笑いを堪えながら、家族が起きる前にもう一撃。
仰向けの顔面に突き立て、喉まで縦に裂く。
それで動かなくなった。
供物の足を、ごりごりと力任せに切り落とした。
庭に備え付けの水道で犬の足と俺の手の血を洗い流す。
水を止めて耳をすませる。
虫の声に遠くの車の音。どうやら誰も起きてこなかったらしい。
残念だ。殺したかったのに。
窓際に吊るした風鈴の音に目を開いた。
そこは当然俺の部屋だった。
母は殺されなかった。
犬の足は四本残っている。
でもまだ終わっていない。
深く息を吸い込んで。
俺は通りの突き当りの家の大学生を解体するために目を閉じる。