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オズウェル

なぁ、エリオ
男同士で飲む酒って、なんでこんなに不味いんだろうね

エリオ

おい、おい、言うなよ……それ、俺も今思ってたんだからよぉ

しかもこの店のブイイ、出し殻で風味もなくて吐きそうだぜ。おぇ!

 昔にセレナーデのメンバーであった「金のプリマ」ことセレスティーヌとの再会さえなければ、この酒の席に女の子がいたのに。
 そうしたら、不味い酒や食事も少しはましなものとなっていたのに。
 互いがそう思っていたところだったのだ。

オズウェル

まぁ、その、なんだ。
セレスティーヌの消息があのような形で知ることになるとはね。

エリオ

ははっ 俺は特に思い入れのねぇ女だから別にいいけどよ。アベルはなかなかくるもんがあるだろーな。

だって彼女、アベルに対して強引にアタックしてたし

オズウェル

そうだね、懐かしいものだ。
アベルの探し人のことを聞いた翌日に、彼女が左手首に十字架の傷をつくってきた時にはたまげたよ。あの時、アベルが彼女をぶったのもびっくり仰天ではあったけどね。

 オズウェルは感慨に耽りながら目を伏せる。

 金のプリマ、セレスティーヌ。アリシアとは真逆で、積極的かつ華美だった彼女はアベルに恋をしていたのだろう。それなのに、突然彼女はセレナーデを見捨て、二度と戻ってこなくなったのだ。

 理由はわかっている。けれどもそれは、あまりにも複雑な理由であった。

 エリオはカラカラと他人事のように笑い、右手を挙げて「シャンパン!」とギャルソンに頼む。おいおいそこは葡萄酒だろう、とオズウェルは思ったが、あえて口には出さなかった。

エリオ

つーかさぁ、アベルって本当読めねぇよな
多分さぁ、俺より女の子を泣かせてるぜ!

オズウェル

全くだ。その可能性は否めないね
お嬢さ……アリシアは、どうなるだろうね

 今までの女性のように、人生が狂うほどに悲しまないでほしい。それがオズウェルの本音だが、アベルは絶世の美女に対しても容赦ないサドっぷりだから、オズウェルは内心ヒヤヒヤしていた。

エリオ

あー、あの子かぁ
俺はあの子は今までの女の子とひと味ちがうと見た

アベルはアリシアに夢中になる、に50フラン賭けようじゃないか

オズウェル

やれやれ……お前のところのパトロン――ベル様だっけ? 貴族並に金遣いが荒くなって

一年間の新聞購読料分出しても大丈夫なのかい? はい、僕も50フラン

 エリオは悪そうな笑みを浮かべ、「勝ちを意識してる時しか賭けねぇよ」と言い切った。
 オズウェルは紙幣を重ね、エリオを窺い見る。

オズウェル

ほぅ……では、僕はこう賭けよう
アベルより、君のほうがアリシアにお熱になるとね

エリオ

はっ おいおい馬鹿言うなよにゃんこちゃん
俺は今まで女の子を性の対象として見たことがない! いつも芸術の対象として見てきた!
アベル以上に、ありえないだろうね

 自信満々に言い放つエリオを見て、オズウェルは達観した表情で葡萄酒を飲み、こちらもまた勝ちを確信した表情で囁いた。

オズウェル

エリオ、アリシアを甘く見ちゃいけないよ

あの子は真透明ではない。ガラスみたいに、不純物がたくさん含まれているからこそ、「透明に見える」だけなんだよ

ベル・デスタン

アベルに復讐しない?

 うふっと笑うベルさん。そして固まるわたし。
 ふくしゅう、と反芻(はんすう)した後、ようやく意味がわかってソファから立ち上がった。

アリシア・バレ

だ、駄目です! そ、そもそも恨んで、いませんし

ベル・デスタン

まあ、本当にそうかしらぁ? 
今一度、胸に手をあてて再考なさいな。

ふふっ、別に憎悪の感情を恥じる必要はないわ。貴族だって憎悪や嫉妬の感情はあるもの。


知ってる? 大概の貴族がアマン(恋人)をつくって温室でなにをしているか? 
カトレアしているのよ。日頃、配偶者に向けそうになる憎悪や嫉妬を背徳的な愛に変換しているのよ

※カトレア……男女関係を築くこと

 うっと言葉に詰まる。
 未知なる世界、未知なる感情が波のように押し寄せる。この暗い波に呑まれたら、それこそ闇の深海に引きずり込まれそうで恐怖した。


 飲み差しのティーの中に映るわたしの顔は、今まで見た中で一番醜悪な表情を浮かべていた。わたしは、こんな表情を浮かべることができるんだ。

アリシア・バレ

ベルさん……わたし、アリシアは今までお人形のように生きてきたんです。
わたし……わたし

 まるで人形から人間になることを恐れているような口ぶりね。そう自分を嘲笑う自分も存在している。


 混沌とした思考に発狂しそうになったちょうどその時、控えめなノック音が聞こえた。

ベル・デスタン

なぁに?

ベルお嬢様。ビジュティエ(宝石商)がきています

※ビジュティエ(宝石商)…名前とは全く違い、
当時は主に貴族から残飯を回収し、
広場でその残飯を売る職業の人

ベル・デスタン

あら、また残飯回収にいらっしゃったの? 
適当にあげておきなさい。

あと、アリシアをご自宅へ送って差し上げて。どうやら気分が悪いようなの

 ベルさんは左右対称の綺麗な笑顔を浮かべ、答えは急がないわ、と言葉を投げかけた。わたしはフラフラとジョルジュさんに連れられ、辻馬車に乗る。


 鮮明だった視界が、セピア色のように色あせていた。ガタンガタンと揺れ動く辻馬車の中で、だんまりだったジョルジュさんが口を開いた。

バレ殿、どうやらベルお嬢様がなにか困るようなことをおっしゃったようですね。申し訳ないかぎりです

アリシア・バレ

え? あ、いえいえそんな!

ベルお嬢様は、悪い人ではないんです。ただ、本当に変わっているだけで

 ジョルジュさんは優雅な動作でカーテンを開ける。すると、外はもう紺のビロードに覆われた夜空に変わっていた。

 仲睦まじく歩く男女ペアを見た瞬間、自然と視線をそらす自分がいた。

ベルお嬢様は、ご両親に愛されず育ったんです。次女の運命、と言ってしまえばそれまでですが。


ご両親は長女にあたるヴェラお嬢様に愛情を一心に注がれ、ベルお嬢様の子育て全般を召使いに任せたのです

アリシア・バレ

…………

食事やすれ違う際にしか顔を合わせない御家族。さぞお辛い想いをされたと思います。


ベルお嬢様は寂しさを紛らわせるように勉学、もっぱら博物学に励みました。また、同時に動植物で部屋を満たしだしたのです

アリシア・バレ

だから、ああいった部屋に?

 それなら会得がいく。一風変わった、生死問わずコレクションに満ちた部屋は足りない愛情の裏返しだったのだ。

そうなのです。最初は生きた動植物でした。

しかし、ベルお嬢様が生まれた時から寄り添っていた愛猫のレオが死んでしまってから、変わられてしまいました

 ねぇ、ジョルジュ。レオはずっとここにいるわ。死んでしまっても構わない……。


 私が、剥製にしてずっと大切にしてあげるわ。
ずっと、ずっと一緒よ。

そう言われて、レオを剥製にしてしまったのです。

今でも変わらず、レオの剥製は部屋に飾られています。
ベルお嬢様は愛に飢えていながらも、愛に忠実な方なのです

 屈折した愛ではありますが。そう語るジョルジュさんの表情は夜の闇に隠されていたが、きっと悲痛に満ちたものであっただろう。


 孤独を埋めようとするお嬢様、ベル。しかも婚約者が亡くなられたばかりなら、いっそう孤独感が募っていることだろう。あの笑顔の裏に泣き顔が隠れていただろうことに、わたしは気づけなかった。

ベル・デスタン

レオ、レオ。わたくしの愛は正しいわよね? ね? 

わたくしを拒否する者は皆嫌いよ。今度の子は、アリシアはどうかしらね?

 生まれた時から8年間寄り添ったレオの剥製をそっと抱き寄せ、窓から見えるエトワール凱旋門を眺める。星(エトワール)の名に相応しい輝き様にほっと息を吐く。

ベル・デスタン

わたくし、生きた女の子の友だちも欲しくなっちゃった。

ねぇ、レオもいいと思わない?……レオ、ねぇ、応えてちょうだいよ

 レオは星になったわけじゃない。そう、この手の中にずっといる。

 そう信じてやまないベルは、ただただパペットを操る人形劇のように、見えない存在を信じて語っていた。

アベル

やぁ、アリシア。まさかそんななりなのに夜遊びを覚えたのか?

 屋根裏部屋の扉を開いた瞬間、アベルの顔がドアップで待ち構えていた。
 片手に燭台を持ち、不気味に微笑んでいるため、陰が入った顔が恐ろしくてたまらない。


 悲鳴をあげそうになった瞬間、アベルは器用に片手で扉を閉めてわたしの腕を引っ張った。
 驚いたことに、その引っ張る力はこちらが痛いと感じないほどの力だった。もしかして、この前痛いと訴えかけたことで配慮してくれたのだろうか。

アリシア・バレ

あ、アベル! あれ? 今夜はセレナーデの図書館に行ってない、の?

 アベルは大抵、夜になるといつの間にか部屋を抜け出し、図書館へ行っている。そのため、わたしが眠りにつく頃はいつもいない。朝起きるとけろりとした顔で戻ってきており、椅子に座って本を読んでいたりするのだ。

アベル

ああ。オズウェルのやつがニナと会ったらしくてな、その時にお前が貴族に連れられたと聞いたらしい。

お前、貴族に魅入られるとはなぁ? 
そんなみすぼらしい姿で? 
半ば信じられなくて、早く問いただしたかったのさ

 燭台のロウソクの火がゆらゆらと揺れ、陰影のはっきりしたアベルの顔はニヤリと嗤った。長い金の睫毛に火の光が反射して、スカイブルーの眼球も魅入ってしまうほど輝いている。


 アベルはもしかしてだけど、その貴族が男性だと勘違いしているのではなかろうか。あえて性別はふせつつ、わたしは事情を語った。

アリシア・バレ

わ、わたしの声を気に入ってくださった貴族の方がいて、家に招待されました、はい……

 うん、間違ってはいない。要約しすぎた回答ではあったが、間違ってはいないのでアベルの目から逃れないように見つめたまま胸を張って言ってみた。


 するとアベルは眉根を寄せたが、すぐに真顔に戻る。わたしが口を開こうとしたその瞬間、何を思ったのかアベルはふっとロウソクの火を消してしまった。

アリシア・バレ

え、くらっ、アベル?

 アベルの手も離れてしまったことで、どこにアベルがいるか分からなくなってしまう。そこら中に手を回してアベルを探していると、アベルはさもおかしげに笑いながら

アベル

で?

 と言葉を吐く。

アベル

その貴族の性別は?


 やっぱり聞いてきた。嘘はつけない、と思ってしぶしぶ答える。

アリシア・バレ

女性、です


 その答えを聞いたアベルはくくっと笑い出し、声高に言葉を紡いだ。

アベル

そうかそうか。だろうと思ったぜ。お前を好く男なんていないだろうからなぁ

 少しだけ、少しだけだけどもカチンときてしまった。
 確かに、わたしはそこらの女の子と比べたら格好はみすぼらしいし器量も良くない。ええ、それは分かっている。けど、そんなはっきりと言わなくてもいいじゃない。


 むっとした顔で虚空を見つめていると、シュッと音がした。アベルがマッチをすったようで、再び灯りが蘇る。ロウソクに灯すと、燭台は地べたに置いてあぐらをかいて座った。同じように座れと言いたげに指で床を叩いたので、わたしもアベルの真正面に座った。

アベル

なぁ、アリシア。はっきりさせようじゃないか。お前の憎しみの根っこはなんだ?


 ふいにかけられた言葉、見透かされたような目に肝が冷える。

アリシア・バレ

に、憎しみなんて、ないよ……

アベル

うそをつくな

 がしっと力強く両頬を包み込まれ、射抜くようなオールドブルーの瞳とかち合った。

アベル

アリシア、俺のほうがお前より何十倍も多く生きているんだ。

お前は心のなかにある憎しみに気づかないふりをして生きている。だが、それだといつまで経ってもそのままだぞ


 やっぱり、やっぱり気づかれていたんだ。アベルの整った顔は至って真剣で、紡ぐ言葉は力強い。どこか劇の中で名演技を演じている役者のように思えた。

アリシア・バレ

そんな……

アベル

言ってみろ、誰なんだ

 誘導尋問のように言葉が振りかかる。わたしは目眩がした。
 憎しみを抱いている対象――ぼんやりと浮かんだが、いやいやとそれを煙にまいてごまかしていたのかもしれない。

アリシア・バレ

そ、それは


 ギリッと奥歯を噛みしめる。言ってしまっても大丈夫だろうか。

アリシア・バレ

エリゼ、お母さん、おばあちゃん、わたしを愛してくれない人びと


 ほろりと頬につたうなにか。アベルは笑みを深くしてそれを指で拭い取ってくれた。

アベル

前半は上出来だ。――で、後半の曖昧な『わたしを愛してくれない人』っていうのは誰なんだ? 

きちんと曖昧な部分も認識しろ。もやもやするのは感情を正しく認識しないからなんだ、アリシア

 その言葉で口をつぐんでしまった。わたしを愛してくれない人は、たくさんいる。そう、たくさん――。


 となりの家のマーガレットさんや、エリゼの取り巻きの人びと、教会の神父様。それらを独り言のようにアベルに伝えた後、こう思ってしまった。



 では、目の前のアベルはどうなのか?

 アベルは毎度、わたしにきつい言葉を投げかけるし、わたしが泣いてもそれをやめない時がある。ときどき、

 「アベルはわたしを憎んでいるのではないか?」と思うほどだ。かといって、たまに気まぐれのように助言をしてくれることもある。


 わからない、一番身近にいる対象なのに、なにを考えているのか。それがとても辛いのかもしれない。

アリシア・バレ

アベ……ル……

アベル

なんだって?

アリシア・バレ

アベル、あなたは、その……わたしのこと、どう思ってる?

 その問いかけに、アベルの得意げな笑みは一瞬にして剥がれ落ちた。
 聞いてはまずかっただろうか。
 ひやりとしたが、アベルは何事もなかったかのようにまた口角を上げた。

アベル

愚問だな。その問いかけに答えたとして、お前はどうなるんだ? 

例えば俺が『お前を好いてる』といえば、お前は俺を好きになるのか? 

逆に俺が『お前を憎んでいる』といえば、お前は俺を憎むのか? 

どちらになったとしても、それはお前が真意で得た感情ではない。『俺に流された感情』になってしまう

アリシア・バレ

つ、つまり?

アベル

おいおいお前の頭は飾りか? 

つまりだ、俺がお前に抱いている感情を問う前に、お前が自分自身に問うべきということだ。

分かるか? 他人に依存した感情は捨て去れ。自分がどう思うかが一番重要なんだ

 なんとなく意味がわかった気がする。
 わたしはアベルに、つまり他人に自分がどう思われているかを問う前に、自分の抱く想いに気づかなければいけないのだ。


 いつもわたしは、自身の感情をないがしろにしてきたんだ。
 感情を認識しないまま、無の溝にそれを捨ててしまっていた。それだと、人間でいる意味がない。なんて馬鹿なことをしていたのだろうか。

アベル

おおっと、目に光が宿った! 
それでいいんだ、アリシア・バレ。

お前は人間なんだ。眉を上げ、目をかっぴらき、空気をしっかり吸い込んで鮮明な視界と心で生きろ、アリシア。

お前が変われば、周りが変わる。お前が考えれば、状況は何パターンにもルートが分かれる

アリシア・バレ

そう……だね。あの、アベル

アベル

何だ?

アリシア・バレ

ありがとう

 自然とこぼれたお礼の言葉に、アベルは目を細めて得意気に笑った。

アベル

お前はわかりやすいようで、難しいからなぁ。自分でも自分の感情に気づきにくいだろ?

俺がお前の、感情の先生になってやる。
やっとお前は憎しみという感情を引きずりだした! 

俺に吐き出すことで、少し前進したんだ。今回だけは褒めてやろう。やれやれ、今まで骨が折れたもんだ

アリシア・バレ

? も、もしかしてアベル。今までの態度って、その、演技もあったの……?

アベル

ったりめぇだろ。 俺はサディストではあるが、ずっと鞭ばかりなのも退屈だ。

飴も与えてやるのも悪くない。だからってこれから王子様のように優しくするつもりもない

アリシア・バレ

そ、そうですか

 それでも、心が踊るようなえもいわれぬ感覚が押し寄せていた。

 やっと、本来のアベルの姿に近づいているんだと思うと、もっとアベルのことを知りたいとも思ってしまった。

アベル

アリシア、あらかじめ互いに約束したいことがある。

これはお前を錆びさせないためでも、俺がお前を手助けしやすくするためでもある

アリシア・バレ

なに?

 自分でも驚くほどに少し上擦った声がこぼれ出た。
 アベルは片膝を立てて座ったまま、わたしに顔を近づけた。睫毛がふれあう距離でぴたっと止まり、低い声でこう言った。

アベル

まあ、ない前提の話だが――これからなにがあっても、互いに対して『好き』やら『愛してる』といった言葉を投げかけないこと。

いいな? これらの言葉を口から出した瞬間、俺とお前の関係は一気に瓦解すると思え

 その残酷な言葉に、心地よい熱に包まれていた心は一気に冷えきった。

第15幕 踏みにじられた泡心

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