……起きた。

いま、何時だ……?

半分寝ぼけたまま、時間確認の為にいつもの習慣で携帯電話の画面を見た俺は、現在時刻を把握するとともに、今回のミーム――赤いドット欠けが無事解決した事を、改めて認識した。

昨日の話。

あの後、俺の携帯を見て何やら思いついた様子を見せていたてんこが、いかにも『悪巧みしてます』といった顔をしながら、リリーと二人で何やらナイショ話をしていた。

話はすぐにまとまったらしく、数分後には、てんこは賽銭箱の上で穏やかな寝息を立て始めた。

リリーは話が終わるとすぐに携帯を組み上げて俺に渡してくれたが、その際に浮かべた悪戯っぽい笑み――リリーがこういった含みのある表情を浮かべる事は珍しい――に、正直、不穏な気配を感じずにはいられなかった。こわい……。

手渡された携帯の電源ボタンを長押しして早速電源を入れると、果たしてドット欠けはすっかり解消していた。

見慣れた壁紙が少しの乱れもなく表示されている事にこれほど感動を覚えることは、今後一生を通じても中々無いだろう。

待ち受け画面には、一件の新着メールを示す通知が表示されていた。出雲から送られたメールだ。受信時刻から見るに、携帯が分解状態だった時に届いたもののようだった。

メールの内容は、『今日は忙しい、明日学校で』という旨が記載された簡素なものだった。直接声を聞いたわけではないが、出雲から連絡があったという事に、一先ず安心した。

メールを読み終えた時点で、時刻は既に正午を経過していた。皆疲労の色も濃く、この日は全員学校を休む事にした。

遅まきながら学校へ欠席の連絡をすると、俺は早々に帰宅し、適当に食事を詰め込んでさっさと床に就いたのだった。

日付は変わり、今は朝の五時過ぎ。

昨日の夕方には既に眠っていたことを考えると、かなりの長時間熟睡していたようだ。思わず『惰眠を貪る』という表現が頭に浮かんだが、これは疲労の影響によるものであるから詮方無いことだ。……という事にしたい。

時間にはまだ余裕があるし、もう一眠りすることもできるが――やめておいた。今日は出雲が登校するハズだ。万一遅刻でもしたら、あまりにも拙い。今日くらいは早めに登校して、おとなしく昨日休んだ授業分の復習時間に充てるとしよう……。

午前六時三〇分。

《私立伝奇高等学校》の本校舎二階、廊下の大体中心辺りに位置する、《二年C組》の室名札がかかった教室。

黒板側の扉を開くと――いつもと同じ、まるで待ってたみたいににやにや笑う出雲の姿がそこにあった。

おはよ。待ってたよー。なんか今日はいつもより早いね? まだ、クラスメイト誰も来てないよ?

朝日の差す閑散とした教室で、教卓に腰掛けてこちらに笑みを向ける姿は、若干不本意ながら、絵になる類のものではあった。

下犬目 的

……なんで『いつもより早い』イレギュラーが発生してて待ち受けられるんだよ、とは突っ込まねえぞ

え、どしてー?

出雲は笑っている。すごく嬉しそうに笑っている。

下犬目 的

当然だ。なぜなら俺は一昨日の電話の際に、この携帯にスパイウェアが仕込まれてることを既に知識として蓄えているからだ。お前のことだ、恐らくは端末のスリープが解除された時間や位置情報などのデータも発信されるようになっているんだろう。その辺りの情報が掴めていれば、俺の動向など離れていても一挙手一投足まるっとお見通しというワケだ! そうだな?

わっ、すごいね。またまた超推理のお披露目だ

下犬目 的

フッ……、この程度で驚かれては困るぜ……。ちなみに自分で言ってて凄え悲しくなったぜ……なあ、この呪縛、解いてもらってもいい……?

割と切実なお願いだった……。というか、昨日携帯を組み直してもらう時にさらっとリリーにもお願いしてみたら、

――私はハード専門なのでソフトウェアの事はあまり詳しくありませんが……これ、相当巧妙に偽装されてますね。多分一般に出回ってるスパイウェアじゃない……。もしかしたら、自作かも。……すいません、これは私では助けになれそうにないです――

最悪の場合は、端末の初期化を行うしか無いですね――と、残酷な最後通牒をつきつけられた。どんな技術力だよ……。

ともあれ、できれば初期化はしたくないし、リリーに何とか出来ない以上は本人に頼むより他無い。俺はすがる思いで出雲に頭を下げた。

あは。なに言ってるのさ。せっかく頑張って仕込んだんだもん、そう簡単に外す訳無いよ~

可愛く断られた。

ていうか的くん、また推理外してるよ?

えっマジ? なんか嫌なデジャヴュなんだけど……。もしかして携帯以外にももっと色んなモノ仕込んでるとか? オイオイ、まさか発信機とか付いてないだろうな……。

いやー、そういう事じゃないんだよね

と言うと出雲は教卓の側面を蹴ってその勢いで飛び降りると、三、四歩ほど進んで俺の目の前に立ち。

愛してるからだよ

ぎゅっ。

と、抱きついてきた。

愛してるから、的くんの事はなんでも分かっちゃうんだよ――乙女の勘ってやつかな?

出雲はそう言うと腰に回した腕の力を強め、俺の胸元に顔を埋めた。

――コイツ……、顔は見えないが、今間違いなくニヤついてやがる……!

なにやら全身めっちゃ柔らかいのがもう気が気じゃないが、これで少しでも浮足立った態度をとれば、付け込まれること間違い無しだ。ここは焦らず理性的に、淀みなく逃げを打つのが最良だろう。

下犬目 的

出雲、バカな真似はよせ。俺たちはそんな関係じゃないはずだ。それに万一クラスメイトにこんなところを見られたらどうする。面倒な事になる前に離れた方がいい

下犬目 的

めっちゃいい匂いする

…………

……すっげえベタなことをしてしまった。

な、なんか流石に恥ずかしいんだけど……

おお、珍しく照れている。初めて反撃出来た感があるぞ。

だが出雲は恥じらいながらも、両腕のロックを外す様子は全くなかった。

……あ、でね。昨日のことなんだけど……

出雲は密着したまま見上げるように俺の目を覗きこみつつ、そう話を切り出した。

下犬目 的

ああ、そうだったそうだった。いやー良かったぜ。お前に影響及ぶ前に解決できて

え、影響? なんのこと?

下犬目 的

ん? だってお前、携帯の――

と、そこで、教卓の上に置かれた出雲のものと思しき携帯が視界に入っ……あ、あれ? 俺の携帯と機種が違う……?

…………。

下犬目 的

もしかして……、俺の勘違い?

……なんか、ややこしいことになってそうだね

なるほど。ボクの携帯の機種がキミらと一緒のものだと勘違いして、心配してたと

ひとしきり事情を説明した。

いや、だってさ、心配するだろ。あのタイミングで学校休むし、連絡繋がらないし!
決して俺の早とちりというわけでは無いハズだ。断じて違う!

……は、恥ずかしい……。

いやーなるほど。なんか余計な心配をさせて申し訳なかったね。まあでも普通に考えて、ボクが同じ機種を持ってるなら、話を聞いたタイミングで文句の一つでも言うと思うけどね

た、確かに……。

下犬目 的

じゃあ、何で学校休んでたんだよ……。留守録もいつもの感じじゃなかったし……

ああそうそう。あのね

と言うと出雲は一度言葉を切り、少し考える様子を見せたが、やがて俯きながら続きを話した。

……うちの母親がね。最近、再婚したんだよね。それで昨日は手続きやら色々で忙しくって。あとはまあ、お義父さんに対して若干、人見知り? みたいな感じで、ナーバスになってたかも。……ごめんね、事前に説明しとけばよかったよね。なんか、恥ずかしくて

出雲は一息にそこまで説明すると、普段見せる事のない神妙な表情でこちらを見た。

下犬目 的

そういうことだったのか……

本当に早合点だった。

下犬目 的

ええと、おめでとう? でいいのか? まぁとにかく無事でよかったよ。そういえば俺、お前のそういうプライベートな情報全然知らねえな。新しい親父さんとはうまくやれそうなのか?

うん、すごくいい人だから大丈夫だと思うよ。っていっても、正直まだあんまり分かんないんだけどね。初めて会ったのも、つい一週間くらい前のことだし

照れたような苦笑を浮かべてそう言った出雲だったが、その表情に不安めいた感情は見て取れず、差し当たっては問題が無いように思えた。

あ、でね。再婚にあたって、苗字も変わったから。これからもよろしくね、的くん

相変わらずのハートマークが浮かびそうな物言いとともに、出雲は胸ポケットから真新しい生徒手帳を抜き出すと、それを自身の顔前の位置に、口元を隠すような形で掲げた。

氏名欄には、『各務出雲(かがみいずも)』と記載されていた。
な、なんか語感がかっこいい……。

放課後。

六限の授業が終わって部室に直行すると、他の部員の姿はまだなかった。

全員が揃うまで時間を潰そうと、俺は窓際の適当な机に腰掛けた。グラウンドで部活動に勤しむ学友達を何とはなしに見ていると――

てんこ

ふあ……、よく寝たわ

――突如、金色の声が室内に響いた。

下犬目 的

うおっ! なんだ!?

てんこ

ここじゃ、ここじゃ

声はどうやら、スラックスの右前ポケットにしまってある携帯から発せられているらしい。

俺はすぐにポケットに手を突っ込んで携帯を掴み出し、ロック状態を解除して画面を見たが、その様子に特に不審な点はなかった。電話アプリも起動してはいない――が、その声は引き続き、俺の手元にある携帯から発せられた。

てんこ

ほお、ここが部室とやらか

下犬目 的

この声……まさか、てんこなのか? どうなってるんだよ、お前、神社からは出られないはずだろ?

てんこ

うむ、吾輩じゃ。どうなってるのかと聞かれると、ちと困るが……

いや俺の方が困る。ちゃんとした説明を断固要求するぞ。

てんこ

昨日も言ったが、此度の霊障の引き金となった部品が、吾輩の力に同調して一種の霊力を帯びておったでの。これを依代とする事で此方と通信を行えないかと画策しておったのじゃが、どうやら上手くいったようじゃの

……すごい、ふわっとした説明をされた。何だそのトンデモ理論は。空想科学研究所に怒られるぞ。だがまあ納得、昨日の悪巧みはコレを狙っていたのか。

てんこ

お主の云う通り、今の吾輩はこの神社から出ることが出来ん。この通信でその辺りの不便を補えればと思ったが……やはり、どうも厳しい。その器械の持つ機能を介して、其方の近辺の様子を見聞きする事や、此方の意思を伝える事は出来るが、それだけじゃな

……ふむ。つまり、携帯に内蔵されているカメラのレンズ部分をイン、アウト共にこうして塞いでしまえば――

てんこ

わっ、なんじゃ。急に暗くなってもうたぞ

焦ったようなてんこの声が聞こえてきた。成程、こうなるって事か。うん、ちょっと面白い。

てんこ

……お主、なんぞ悪戯しておるじゃろ

ばれた。
てんこは大きな溜息と共に、

てんこ

はあ……、こんなうつけが吾輩の命運を握っていると思うと、何とも遣る瀬無い

と吐き捨てると、暫しの間黙りこんだ。どうやら寝起きとあって若干機嫌が良くないらしい。これは『触らぬ神に祟りなし』、だな……。文字通り。

このように、普段は気ままというか、すっかり人間味のある(狐に使う言葉として的確かは不明だが)振る舞いをしているてんこだが、本来ならばコイツは、人間には知覚することすら及ばない、ヒトとは全く格の異なる存在――所謂《神》に位置づけされる存在である。

かつては名のある大社の御先稲荷を担い、それから気の遠くなるほどの長い年月を経て神格化した妖狐、らしい。

しかし近代化の進む日本においては、神、妖怪、民間伝承といった《目に見えないモノ》に関する信仰は徐々に失われていった。

信仰無くして神は存在し得ない。『非科学的』という言葉で切り捨てられた存在は徐々にその力を失っていった。

俺達の所属する《meme研究部》は、そう言った目に見えない存在や伝承(俺達はそれらを一括りにミームと呼んでいる)を調べあげ、その調査内容を公表する事を主な活動内容としている。

この活動を通じて、ミームに対する信心を復活させる事、ひいてはてんこの失った力や神格を取り戻す事を目的として、篁さんによって発足された部活だ。

一口に神格を取り戻すと言ったが、その為に俺達がとる方法は、大きく別けて二つ存在する。

その方法の一つは、ミームの調査を行い、その調査結果を我が部の活動報告として公表すること。
平たく言うと、学内新聞を作って配布したり、ホームページ上に記事を作って公開するといった活動だ。

これは、俺達が信憑性のある調査結果を報告することで、人々のミームに対する興味、関心を誘い、信仰心を取り戻す一助とする試み、という訳だ。

……まあかなり気の長い話だから、正直コレは『もののついで』というやつだったりする。《meme研究部》の表向きの活動という事だ。

本来ならそんな回りくどい事をせず、てんこの姿を衆目に晒してしまえば、否が応でもてんこの存在を認めざるを得ない状況が作れるわけだが……、現時点において、俺たちにはそれをする事が出来ない事情があった。

その事情というのが、先に挙げた『信仰の不足によるてんこの力の消失』だ。

無論、幾ら力を失ったといえど、有象無象の妖怪や霊などの力がてんこのそれに及ぶことはあり得ない。

――が、相手が神と同格、またはそれに近い霊格の持ち主であれば話は別だ。
そのように強大な力を持つ存在からすると、てんこのような力の衰えている神などは、その力を奪う上での格好の的という事に他ならない。
それゆえ、てんこはそういった外敵から身を隠すために、結界が張られたあの辺鄙な神社から出ることが出来ない、という事だった。

そして方法のもう一つが、調査の際にミームによる《障り》が発生した場合に、てんこがこれを《捕喰》すること。

詳しい理屈は不明だが、捕喰によって、俗に霊力だとか言われる超自然的エネルギーを取り込む事で、それを失った力の補てんに充てられる、という事らしい。

奪った力が直接反映される性質上、前者の方法よりも手っ取り早い為、力を取り戻す手段としてはもっぱらこちらがメインになっている。

聞くところによると、篁さんが初めて出会った時のてんこは今以上に衰えており、その尻尾の数は一本のみだったらしい。

三年経った現在、てんこの尻尾は力の恢復(かいふく)に比例するように、その姿を二本にまで取り戻していた。……が、てんこの談によれば、全盛期のてんこは四本の尻尾を有していたという。

残りの尻尾はあと二本。色々と人間離れしたところのあった篁さんの協力をもう仰げない事を踏まえると、完全復活までの道のりはまだまだ険しい……。

てんこ

おい、的

――と、そこで不意にてんこから声をかけられた。

てんこ

暇じゃ。……この一室には吾輩の知らぬものが色々あるようじゃな。どれ、案内(あない)せよ

てんこはつっけんどんに言った。暇じゃ、ってなあ……。
まあ、我が部のお稲荷さまから下された神託だ。他のみんなが集まるまでの間くらい、素直に聞いてやるとするか。

三十分後。部員一同が集まった部室内で、俺たちは《meme研究部》で不定期に発行している学内新聞《meme》の作成の為、今回のミーム――赤いドット欠けに関する情報を纏めていた。

リリー・セクタ

……というところでしょうか

今回の事件のあらましを整理し、それをリリーがホワイトボード上にまとめ終わった所で一息つくこととなった。

天之 キリ

いやー、しかしすごいねコレ。ハイテクだわー。昨日的が言ってた、『人類最大の神秘は科学だったー!』みたいなやつ、案外ほんとかもねー

キリは物珍しそうに、『物言う携帯』を矯めつ眇めつ眺めていた。対岸の火事とでも言うのか、その様子はそこはかとなく愉しげだった。

チクショウ、他人事だと思いやがって……。俺からすると、出雲に続いて俺のプライバシーを削ってくる要因が増えたとしか思えねえよ。

てんこ

うむ。吾輩も案外勝手が良くて驚いておる。……まあ続けておると消耗が激しそうじゃから、常時繋いでおくことは無いじゃろうが

下犬目 的

そんなもんかね……。まあどうでもいいけど、この部室以外では不用意に声出すなよ。携帯が自発的に喋ってるところなんて見られたら、怪しまれる一直線だからな

俺がそう釘を刺すと、てんこはふん、と一つ鼻を鳴らして答えた。

てんこ

仔細ない。その辺りのことは当然わきまえておる

なるほど、腐っても神だ。いくら人間の見分けが付かないとはいえ、はるか昔から人々の暮らしを支え続けてきた存在な訳だから、そういった機微を察することくらい容易ということか。少し侮りすぎていたかもな。

てんこ

うむ。つまり怪しまれぬよう、現代に則した言の葉を用いれば問題ないのだろう?

全然わきまえてねえー!

てんこ

現代風……、現代風……

ぼそぼそと呟く声が、スピーカーから聞こえる。

てんこ

……うむ。こほん

わざとらしく咳払いをしたてんこが続けて――

てんこ

ぱないの!

下犬目 的

はいアウトォォォオオ!!

こらこらこらこら! 危険なネタを使うな!

ただでさえキャラも役割も被ってんだからお前は!!

三ツ森 あまね

てんちゃんかわいい~! まるで、しの

下犬目 的

それ以上は言うなっ!!

てんこ

相も変わらず五月蝿い奴らじゃの……

騒動の発端たる張本人が、極めて冷静な声で呟いた。

リリー・セクタ

皆さん、馬鹿話はお済みでしょうか

そして、その更に上を行く、底冷えするようなリリーの冷たい声が室内を通り抜けた。

下犬目 的

あ、ああ、すいません……。よし、そろそろ検討に戻るか……

謝罪。立場が弱い……。
なんか、最近こんなのばっかりだな俺……。

リリー・セクタ

はい。とはいえ、仮名さん――失礼、各務さんに頂いた情報とわたしたちの推測で、記事に必要なあらかたの情報は出揃っているとは思います。他に不足を感じられる方はいらっしゃいませんか?

天之 キリ

アタシは特に無いかなー。……あ、不足ってワケじゃないんだけど、強いて言うならこの動機の部分

キリはそう言いながら、出雲のメールを印刷したコピーの一部分を指差した。

リリー・セクタ

動機、ですか?

天之 キリ

うん。ほら、実験当時に計画を強行した科学者がいたって話。……この人、何かちょっと、可哀想だなーって思ってね

リリー・セクタ

ああ、成程。……そうですね。事故で失ってしまった想い人にもう一度会いたい一心で、実験を強行してしまったのだとしたら……

下犬目 的

……科学者本人は謀殺されて、彼女は死後に魂を冒涜された挙句悪霊となって人を襲っている、か。確かに、悲惨だな……

などと俺たちが感傷に浸っていると、俺の携帯を見つめて(より正確に言うなら、てんこの声に意識を向けて)笑みを浮かべていた三ツ森がこちらを向いて発言した。

三ツ森 あまね

え? 皆さん、そんな風に考えてたんですか?

天之 キリ

……どういうこと?

三ツ森 あまね

う~ん、これはあくまでわたしの個人的な考えなのであくまでも一つの仮説として欲しいんですけど、

三ツ森 あまね

この話、そんな悲劇な感じの話じゃないと思いますよ?

三ツ森 あまね

まず皆さん、多分文脈からなんとなく読み取ってそう判断したんだと思うんですけど、もう一度、メールの該当の箇所を読んでみていただけます? 彼女が『事故で亡くなった』、なんて、どこにも書いてないんですよね

三ツ森 あまね

それに、皆さんの話通り、お互い想い合ってる恋人どうしだったとしたら、ちょっとおかしくないですか?

三ツ森 あまね

彼女さんの霊が、実験に使われた事に恨みを持つだなんて

三ツ森 あまね

普通、喜びこそすれ恨む事なんて考えられないと思うんですけど……。勿論何か、わたし達の知らないイレギュラーがあれば話は別ですが。例えば、被験体はそれはもうすさまじい苦痛を味わう、ですとか

三ツ森 あまね

でもそういう不確定な要素を度外視して考えると、やっぱり彼女さんが霊障の原因となるっていうのは不自然に感じました。ですからわたしはこう考えていたんです。順番が違うんだって

三ツ森 あまね

ああ、これ『科学者が実験のために殺した』んだなって

三ツ森 あまね

だとしたら、辻褄合いますよね? ――科学者は、より精度の高い実験を行うために最も身近な人間を殺して被験体を得る。女性は身勝手な理由で殺され、その上死後に至っても尊厳を冒涜するような実験で弄ばれた事に、現代まで残るほどの強烈な恨みを持つ

三ツ森 あまね

若しくは――科学者はその女性のことを愛しすぎていたのかもしれませんね。あまりにも愛が深すぎて、女性を霊として飼い殺すことで束縛したかったのかも。確かに、相手がお化けなら、色々と余計な心配は減りますからね

三ツ森 あまね

うんっ。こっちのほうがわたし好みな理由かも~! ……あれ? 皆さんどうされました?

…………。

なんなのこの子……怖いよ……。

リリー・セクタ

あまね、先輩方が引いてます。勿論私も引いてます。ドン引きです

リ、リリーが滅多に使わない若者言葉で罵っている……。

三ツ森 あまね

あう、すいません……

てんこ

いや娘御、なかなか面白かったぞ。吾輩、そういう話は中々好きでな

楽しそうなてんこの声が、スピーカーから発せられた。

三ツ森 あまね

てんちゃん……!

てんこ

しかし、今回の霊障――どっと欠け、といったか。……先刻の説明の折、お主らは吾輩にこう言っておったの。『《ドット》とは異国語であり、訳すると《点》という意味合いである』と

下犬目 的

……あぁ、ミームの情報を纏める時、ついでに説明したな。それがどうかしたか?

てんこ

なあに、単なる洒落じゃよ。つまるところ《どっと欠け》とは、直訳すると《点欠け》、言い換えれば、《欠点》に通ずるところがある

てんこ

娘御の推察が正しいのならば、その科学者とやらには、人間性という観点において甚だしく欠落している点――欠点があった

てんこ

ともすると、その《欠点》という心象(イメージ)が、此度の霊障を象ったものの一因だったのやもしれんな

はあ……。なにやら難しい話だな。

天之 キリ

あはは、それは流石に考え過ぎじゃない?

リリー・セクタ

会長は考えなさすぎです。でも確かにそういったhumorのある考察を、次の記事では締めの部分に記しても面白いかもしれませんね

三ツ森 あまね

わ。リリちゃん、やっぱり英語の発音いいね~

リリー・セクタ

……!

リリーは無言で三ツ森の肩辺りをぽかぽかと叩き始めた。

てんこ

お主ら、相変わらず賑やかじゃのう。……ああ、そういえば一つ言い忘れておったんじゃがの

天之 キリ

え?

てんこ

此度のミームの事じゃ。吾輩の捕喰によって、霊障はその存在ごと完全に滅したのは間違いないんじゃが

三ツ森 あまね

じゃが~?

てんこ

……お主らの話では、この器械は『霊化するに至った引き金の装置其の物ではない』、という話じゃったな。つまり、本来は霊化するはずのない存在が、想いの力によって力を得たものであると

確かに、そういう話だったな。

てんこ

で、吾輩が捕食したのは、その想いの力によって生まれた霊の方な訳じゃ。つまり、その元となった装置がもし現存しているとしたら、そちらに関して吾輩は関与しておらん。『当時の実験によって霊化した女性』とやらを直接を捕喰した訳ではないからの

……おいおい、ってことは……。

てんこ

うむ。今までに発生していた霊障は既に失せておろうが、元となった装置そのものが世に残っている限り、今回と同様の逕路を通って――つまり想いの力によって再び霊化に至る、という可能性は今後もあるやもしれんな

下犬目 的

っでええ! マジかよ! それ先に言えよ!!

天之 キリ

それなら記事作ったらまずいじゃない! 最悪、噂が広まったらまた大惨事になる可能性あるわけでしょ!?

てんこ

すまん。忘れておった

忘れておった、じゃねえよ……。

下犬目 的

うへー、今回は《meme》の発行は無しだな……

今回のミームは長い年月を経てやっと霊化に至った存在だから、俺たちが情報を公開する事で噂が広まったとしても、同じように再び力を持つにはまた数年、数十年とかかるのだろうとは思うが……。それでも、なるべく広めないに越した事はない。

リリー・セクタ

それは困りましたね。研究成果の公開はうちが部活動している唯一の証拠ですから、それが減るとまた部費の削減が起きるかも……

三ツ森 あまね

そうなるとてんちゃんのエサ、もっと減っちゃうね~

てんこ

なにっ! どういうことじゃ、説明せえ!

天之 キリ

油揚げの量減っちゃうかもって事だねー。それに活動費減ったら調査規模も縮小するかもしれないから、もしかしたら今後検出するミームの量も減るかもねー

……そんな風に賑やかに会話を繰り広げる面々を見ながら、俺は心の中で思った。

――ドット欠けまた起きたら怖いし、これからは出雲にもてんこにも、俺の携帯監視しててもらおう……。

プライバシーを一切放棄してでも身の安全を確保する決意を固めた俺は、会話もそこそこに、早速履歴とブックマークの整理を始めたのだった……。

《欠点》 終

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