てんこ

……ふむ。成る程のう

あの後、一限の真っ只中に四人揃って学校を抜けだした俺達は、てんこの坐す古神社に集まっていた。

いまは、今回のミーム――赤いドット欠けに関する俺たちの考察をてんこへ説明していた所だ。
時間的余裕が無いことからかなり駆け足気味ではあったが、時折相づちを打ちながら聞き入るてんこの様子を見るに、なんとか上手く伝わったらしい。

あらかたの説明を終えた所でてんこは少し考えこんだが、その後、拝殿の床材の上に平置きされた俺の携帯を前足でぺたぺたと触りながら、得心いった表情で二度三度頷いた。

てんこ

うむ、中々気張ったのお――恐らく正鵠を射ておる

てんこのその言葉で、今朝から続く緊張状態により強張った空気が少しだけ、緩和した。

てんこ

――が、まだ足らんの

――ッ!

一度弛緩した空気に、再び鋭い緊張が走る。が、すぐにてんこは次の言葉を紡いだ。

てんこ

なあに、とはいえ解決までは其程遠からんじゃろう。今お主らの見聞を元に捕喰を試みたんじゃがの。情報は出揃っているようじゃ……が、しかし、あと僅かの所で弾かれておる

下犬目 的

あと僅か……って、何が足りないんだ?

てんこ

ふむ……

てんこは目下の携帯電話を凝視しながら暫く考えこむ素振りを見せたが、やがて視線をこちらに向けて話し始めた。

てんこ

……うむ。これは、恐らくじゃがの……

天之 キリ

恐らく?

てんこ

……吾輩の、この――すまほ? なるものに関する理解が及ばぬ為に……捕喰に至れんものと思われる

…………。

下犬目 的

……え、なに? 急にそんな工学的な話になっちゃうの? もしかして、人類最大の神秘は伝承でも霊でもなく科学だった、みたいなエセSFチックなノリに移行するの?

てんこ

仕方なかろう。わからんもんはわからんもん

なんだよ『わからんもん』って。キャラ変してんじゃねえか……。

三ツ森 あまね

でも、どうしましょう~……。てんちゃんに一からスマホの事教えるなんて、日が暮れるくらいじゃ済まないですよね……

てんこ

む。なんじゃ娘御、愚弄しておるのか

そりゃするだろ。全力出すわ。二話で作り上げた威厳をこんな早々に放棄する奴がいるか! が、てんこ愛の極めて深い三ツ森にはそんなつもりは全くなかったようで(その割には言葉に棘があった気がするが)、すぐにごめんね、ごめんね、と繰り返し謝罪をしていた。

リリー・セクタ

掛け合い漫才はいいですから、とにかく話を進めましょう

……今日イチで力強いジト目を喰らった。そのまま数秒間程睨みを利かせた後、リリーはてんこに向き直り、意を決した表情で話しかけた。

リリー・セクタ

……てんこさん。失礼を承知で言いますが、てんこさんはこういった機械に関する知識は全く無い、と考えても宜しいですね?

てんこ

まあ、そうなるの。吾輩が人々と最も深く関わりあっていた頃――御先稲荷(おさきとうが)として祀られていた頃じゃな。
その頃には、斯様に精緻な細工は当然なかった。吾輩の世俗に対する理解はその辺りからほぼ止まっておるからの、解りかねるのも無理からんというものよ

そう返答を受けたリリーは、すぐに成程、と相槌を打った後、てんこの肉球の受け皿となっている俺の携帯を指差して、話を続けた。

リリー・セクタ

それでは私が、この携帯の内部や仕組みに関して詳細な説明をしても、てんこさんの理解の助けにはならない――と言うことでしょうか

てんこ

む。……ま、確かに。吾輩には現代の器械に対する理解が圧倒的に足りん。口頭で解説を受けたところで、恐らく理解には至らんじゃろうな

リリー・セクタ

解りました

リリーは短くそう返事をすると、自身の通学用バッグから、明らかに一般的なものではないであろう、特殊な形状をした工具類を幾つか取り出し始めた。

リリー・セクタ

それでは、今から私が的先輩の携帯を分解します。てんこさんが細かい仕組みを理解せずとも、直接内部を見て『霊障と同調している部分』を目視する事が出来れば、てんこさんのミームに対する《心象》は、捕喰可能な程度まで嵩ずるのではないでしょうか

なるほど。現代の機械そのものを知らない者に対して、その原理を口で説明するのは難しい。中身を開いて直接それを見てもらうことで、携帯電話に対するてんこのイメージを少しでも底上げしようという事か……、って、

え、なに!? 俺の? 今俺の携帯って言った!?

急なキラーパスに動転している俺を知ってか知らずか、リリーは床上に刺繍の入った生成りのクロスを敷き、手際よく分解の準備を進めながら言った。

リリー・セクタ

的先輩、勿論嫌なんて言いませんよね? 状況が状況ですし

下犬目 的

お、おう……。勿論言わねえぞ! ただ、別に俺のじゃなくてもいいんじゃないかなー? なんてちょっと思ったりもするんだけど……や、嫌なわけじゃないんだけどな! 勿論!

……我ながら死ぬほど見苦しい……。いや、本当に使ってくれて構わないと思ってはいるんだ! でも、まあ、なんで俺の携帯狙い撃ちなのかなー、なんてね、やっぱりちょっとは疑問になると思うぞ、うん!

リリー・セクタ

…………

リリーの今日イチのジト目が、いとも容易く更新された。
というか、もうジト目じゃなくて普通に睨んでる域だった。

リリー・セクタ

……敢えて、真面目に答えますが。先刻も言ったように、先輩の携帯が一番同調率が高いんです。ミームに対する理解を深めるという趣旨である以上、先輩の携帯を使うのが一番都合が良いという想像は付きますよね?

下犬目 的

付いた! すげえ想像付いた! スイマセンでした!!

平謝りした。
後輩の女の子に睥睨され、全力で謝罪する俺だった。

リリー・セクタ

はぁ……安心して下さい。今回は壊す必要はないですし、何事もなければ、また組み直せば使えるようになります

てんこ

阿呆は放っておけ。……確かに、その方策であれば可能かもしれんの

リリー・セクタ

解りました。では私は早速分解に入りますので、皆さん、そのまま三分ほどお待ち下さい

……その後、平身低頭の姿勢を貫く俺に全く触れることなく、きっちり三分で分解は完了した。

なおこの間、普段は俺に対してネガティブな応対をすることが滅多にない三ツ森ですら、若干軽蔑の念が篭った眼差しを俺に向けていたことは気づかなかったことにしたい。

天之 キリ

アンタやっぱりクズだよねー。クズ犬だね。犬に失礼だけどね

……普通にディスってくる奴もいた。ほんとすいませんでした……。

てんこ

……ふむ。これが、すまほの中身か

リリー・セクタ

はい。で、該当の部品は――形状から鑑みて、こちらに当たると思われます

てんこ

成る程……うむ、お主の云う通りじゃな。この部品から、霊的な気配を嗅ぎ取れる

リリー・セクタ

そうですか、よかった……。では、後はお願いします

てんこ

合点、じゃ。良うやったの。後は任せるが良い

そうこうしている間に、捕喰の準備が整ったらしい。俺、何もしてねえ……。

でもまあここまでくれば、後はてんこに任せるのみだ。
自分の仕事を終え、拝殿の階段を降りてこちらに近づいてきたリリーを含め、俺達は鳥居を挟んでてんこからニ~三メートル程度離れた位置で、解呪の瞬間を待った。

てんこは、クロスの上で精密に分解された俺の携帯を暫く凝視していたが、数瞬の間を置いた後、小さな声で何事か囁いた。

なんと言ったのかは、俺にはわからなかった。

それは、単純に距離が離れていたからかもしれないし、

もしかしたら、最初から俺には理解できない言葉だったのかもしれない。

だから俺が認識出来たのは、聴覚ではなく視覚から得た情報だけだった。

閃光。

瞬間的な、光の奔流。

境内を丸々飲み込むかのような、閃耀の洪水。

てんこの囁きが俺の耳に届いた直後に起きたソレは、俺達の視界を一瞬にして白色に染め上げた。

下犬目 的

――ッ!

眼を焼くような圧倒的な光量に耐え切れず、反射的に腕を眼前に構え――遅きに失してはいるが――両目をきつく塞いだまま光の収束を待った。

数秒か、数十秒か。

光が収斂した後、明滅する視覚を宥めつけてようやく視界を確保した頃には、既にてんこは賽銭箱の上で腹這いになっており、脱力した様子でこちらに話しかけてきた。

てんこ

いつ迄そうしておる。終わったぞ

そう告げたてんこの表情に平時の不遜な印象は無く、声色からも若干の疲弊の様子が見て取れた。

三ツ森 あまね

……ええと、もう終わったんですか?

と、若干呆気なさげに三ツ森が言う。

俺(多分キリも)に関しては、捕喰可能な段階まで至れば、事がすぐに解決するのは割といつもの事なので、さしたる驚きはなかったが――とにかく、安心した。

リリーは……まだきつく目をつむっていた。

てんこ

ああ。此度の霊障の要因は存在ごと喰ろうた

当面の一関はつきぬけたじゃろう――と嘆息とともに吐きだすと、てんこは更に姿勢を崩し、脇腹をこちら側に向けた《くの字》の体勢になって休息を取り始めた。

俺は、閃光がすっかり消散した境内を何歩か突き進み、拝殿の階段上で立ち止まって、足元に置かれている携帯の様子を見た。

分解された携帯は、見た目には変化が見受けられず――俺に霊視といった類の能力がない以上当然だが――解決したかどうかは自分では分からないが、てんこが言うなら間違いはないだろう。

下犬目 的

お疲れ。ありがとうな、てんこ

膝を少し折って目線を合わせ、礼を言った。
ついでに尻尾の一つでも撫でてやろうかとも思ったが、コイツが接触を極端に嫌がることを思い出してやめた。

天之 キリ

うん、アタシの携帯の方は表示直ってるわね! いやーほんと、助かったわ!

三ツ森 あまね

てんちゃん、ありがと~!

リリー・セクタ

……目がしぱしぱします

遅れて駆け寄った他の部員達も、口々にてんこに声をかける。
てんこは脱力したまま一度鼻を鳴らすと、片目だけを開いてつっけんどんに言った。

てんこ

……ふん。契約の折にも言ったがの。吾輩の依頼によってお主らに危険が降りかかる以上、其れを振り払うのは吾輩の義務じゃ。成り行き上当然のことをして、礼を言われる筋合いは無い

天之 キリ

あはは、てんこは相変わらずツンデレを地で行ってるねー

てんこ

ツン……? 相変わらずお主らの言うことは良う解らん……。ともあれ、今回の件はこれで解決じゃ。……吾輩は少し休むぞ

そう言うとてんこは両の目を瞑り、いよいよ本格的に寝る体勢をつくった。

てんこは基本的に、捕喰を行った後はこうして休眠を取る。詳しい理屈は解らないが、捕喰にはそれなりに力を使うらしいという事と、捕食対象の《格》によって消耗の程度が異なり、その度合いに比例して休眠期間が長くなるという事は、なんとなく把握している。

力を付けるために餌を摂ってるのに、それで疲れるなんて本末転倒じゃないか? と思ったこともあるが、それを篁さんに言うと、

――食事っていうのはね、本来力を使うものなんだよ。普段はあまり意識していないかもしれないけど、それは人だっておんなじだ。それにてんこの場合は、対象の力を削ぐところからが食事だからね。疲れない道理はないよ――

と、軽く窘められた事があった。解るような解らないような話だが、まあそんな理由で、問題解決後にてんこが眠りにつくこと自体は、毎度恒例の事となっている。

とはいえ、てんこの話だと今回のミームは《低級霊》との事だから(てんこから見ると大凡のミームは格下に位置するであろうから、判断材料としてはちょっと乏しいが)、多分それほど長い休眠にはならないだろうとは思う。長くても精々、丸一日程度という所か。

既にまどろみ始めたてんこを前にそんな事を考えていると、三ツ森が自身のスクールバッグの中身を探りながら言った。

三ツ森 あまね

あ、てんちゃんもう寝ちゃう? 今日も油揚げ、持ってきたんだけど~

てんこ

食べる~!

なんか飛び起きた。

下犬目 的

おい。なんだ、『食べる~!』って! キャラぶれすぎだろ! 漢字も違えし!

てんこ

あっ。喰べる~!

下犬目 的

あっじゃねえよ……

なに、寝ないの? さっきの四百文字以上に及ぶお前の休眠に関する解説はどうしてくれんの? 一般的な原稿用紙一枚分以上も脳内で語っちゃったんだけど!

てんこ

五月蝿いのう、お主の脳内の話なんぞ知るか

軽くこちらを一瞥してそれだけ言うと、以降は油揚げの咀嚼にかかりきりになった。

にこにこ顔の三ツ森から手渡された油揚げを、いわゆる『あ~ん』の格好で実に美味そうに平らげるその絵面は、まさに餌付けされているソレだ……。か、完全に手懐けられている……。

てんこ

ふう。喰った喰った

数分後、一ダース分(三枚セット×四個)もの油揚げを食し、満足気な表情を浮かべたてんこが言った。

てんこ

馳走になったな、娘御

三ツ森 あまね

お粗末さまです! 今日もいい食べっぷりだったね~。でも、捕喰の後なのにお腹苦しくないの?

うーむ、と唸って少し間を開けた後、てんこは言った。

てんこ

捕喰はあくまで失った霊格を取り戻すための手段じゃからの。このような喰餌とはまた趣旨が異なる

三ツ森 あまね

それって別腹、みたいなこと~?

てんこ

まあそういう認識でよい。深く説明するのは面倒じゃ

と言って説明を打ち切った。

下犬目 的

その辺はいいけどさ……。娘御娘御って、いい加減名前ぐらい憶えてやれよ。毎回エサ貰ってる身なわけだし

てんこ

む。そうは言うがのう。吾輩にお主らの判別がつかん以上、それは少々無体な話ではないか?

さも当然といった顔で言い切るてんこだったが、確かにその通りで、てんこには『人間の見分けがつかない』ようだ。

これは篁さんに言わせれば、生物としての格があまりにも違いすぎるため、らしい。「スケールは違うが、我々から見た場合でも、虫などの個体差を見分けるのは難しいものだろう?」と説明された時は、妙に納得したもんだった。

てんこ

吾輩も、敢えて一括りにしている訳ではないのじゃ。中には、お主や撫子子のような例外も居るが、其れを除けばやはり区別が出来ん。こればかりは、《そういうもの》として捉えよ

そういうもの、か……。やっぱり、よく解らねえな。篁さんは色々と規格外なところがあったから、例外判定なのは納得だけど。俺がその例外に入ってるっていうのはやっぱり謎だ。少なくとも、俺よりはキリの方がよっぽど常人離れしていると思うが。

三ツ森 あまね

まと先輩。わたしは大丈夫ですよ! その内、必ず憶えさせてみせますから!

家族の中で一人だけペットに懐かれていない子のような、虚しい決意を表明した三ツ森だった。それも、すごく嬉しそうに。

と、まあ脱線はここまでにして……、そろそろリリーに携帯を直してもらうか。

てんこが解決したという以上問題は無いとは思うが、それでも出雲の様子が気にかかる。今日は一度も連絡がついてないわけだし、この辺りでもう一度電話をかけておきたい。

下犬目 的

リリー

俺が呼びかけると、リリーはすぐに意図を察し、てんこに話しかけた。

リリー・セクタ

解りました。てんこさん、先輩の携帯はもう修理を始めて問題無いですか?

てんこ

ああ、仔細ない……と思ったが、一寸待て

言うとてんこは賽銭箱から飛び降りて、再度分解された携帯に近づいて目を細めた。

てんこ

……この部品、まだ力があるの

下犬目 的

えっ?

てんこ

ああいや、案ずるな。捕喰は当然成功しておる。……恐らく、捕喰の際に吾輩の力に中(あ)てられた為じゃろう

てんこはその後暫く、何事かを思案するような様子を見せたが、やがてこちらを向くと小さな声でぽつりと一言呟いた。

てんこ

……ふむ、いいことを考えた

犬歯を見せて獰猛に笑む姿は、悪戯を思いついた子供のそれそのものであり、俺にイヤな予感をさせるに充分な力を持っていた……。
こえーよ……。

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