百手

さあ、始めようか

 百の腕を伸ばして仁王立ちした百手が一本の触手で手招きするように挑発する。

 しかし、魔王の息子はそれを見て、ピクリとも動かずただ百手の姿を見つめていた。

百手

どうしたんだい? いまさら怖気づいたとでも?

百本の黒い腕。貴様、まさか

百手

百の腕を持つ英雄。ひきこもりの君でも聞いたことがあるかい?

秋乃

今自分で英雄って言いましたよ。恥ずかしくないのでしょうか?

ジーナ

しかも、ひきこもりって。店長もほとんど店から出ないんですから同じようなものですわよね?

百手

外野、うるさいよ

 百手の二つ名を聞いて、威勢のよかった魔王の息子は愕然と口を開けたまま立ち尽くす。

貴様が

 強く拳を握り、込めた力で空気が震えている。

貴様が、裏切り者!

百手

おや、魔王というのは彼のことだったのか。確かに面影があるように見えるね

黙れ! 貴様のせいで私の父は……

百手

死んだのかい? 本人の行いのせいだろう?

私の父は人間に命乞いをしたのだ! そしてあろうことか魔王城を大改装してショッピングモールにした上に、人間たちと共存するなどと

 魔王の息子は近くにあった作業用の机を強く叩く。

 ケーキのように簡単に崩れたそれは、バラバラになって床に散らばった。

百手

あ、あれれ、ずいぶんと彼も改心したものだね

秋乃

うちはしがないコンビニですのに

ジーナ

実は結構ショック受けていますよ、あれ

我は誓った。必ず人間に、そして裏切り者である百の腕を持つ英雄に復讐してやると。そして我は人間の手で異世界へと送ってもらったのだ

秋乃

結局人間に頭を下げたんですかー!

ジーナ

お、今のツッコミ良かったですわよ

小木曽

いいと思うっす

秋乃

本当ですか!? 私、とても嬉しいです!

 勝手に盛り上がる観戦組を尻目に、二人の睨み合いは続く。

そして、我は不老不死のウイルスの存在を知り、こうして研究の準備を進め、そしてついにウイルス感染した少女を見つけたのだ!

百手

でもそれがうちの従業員なんだよね

知らぬ。我の野望のためにっ!

百手

面倒だなぁ

 振り下ろされた触手をすんででかわして、百手を睨む。

前口上中に殴りかかるとは卑怯な!

百手

だって長いんだもの

くっ。さすが裏切り者と呼ぶに相応しい卑劣さよ

小木曽

まぁ、どっちかって言うと店長も悪役っぽいっすね

ジーナ

しかも結構下っ端ですわね

百手

聞こえてるよ

しかし、貴様は忘れているようだな

百手

何をだい?

こちらには人質がいるということだ。貴様のいう従業員。富良野ゆかりとそれから名前のわからんガキがな。こいつらの命が惜しければ手は出さないほうがいいぞ

百手

それってそこの二人のことかい?

心配か? まだ手は出していない。ただ眠っているだけだ

百手

眠って、ねぇ?

何?

 百手が触手で指した方向に魔王の息子が視線をやる。

 その先にはただ空っぽの手術台のようなベッドがあるだけだ。

どこだ?

 慌ててゆかりのいたベッドの方を見るが、やはりそこに誰の姿もない。

いや、思ってたよりも眠ってる人をおぶるのって大変だね

な、何で貴様ピンピンしている!

 ようやく二人の姿を見つけた魔王の息子が見たのは、研究所の玄関で眠りに落ちたはずの要がゆかりを背負って観戦モードの三人に合流するところだった。

いやぁ、いいタイミングで富良野さんを助けて出てこようと思ったんだけど、話が長くて

秋乃

しょうがないですよ、マスター。結構因縁ありげでしたから

小木曽

姫は俺が預かりますんで

小木曽さん、目が怖いよ……

 まだ眠ったままのゆかりを背中から下ろして小木曽に預ける。

疲れたー。眠ったフリって意外と難しいもんだね

バカな!? あれはクロロフォルムだぞ! 人間なら場合によっては死に至る強力な催眠剤なんだ! 高かったんだぞ

そんなもの嗅がせたの!?

ジーナ

私の用意した対猛禽類用の麻酔でも元気でいらっしゃるくらいですもの

言っておくけど、俺まだあの時のこと許してないからね

ジーナ

そんな、要様ぁ

こいつも、もしかして人間じゃないのか!?

俺は人間だよ!

ちょっと普通と違って、睡眠薬とか効きにくいだけで

ジーナ

地上最強の生物より効かないんですけれどね

小木曽

姫のウイルスも発症しないっすね

百手

私の触手の粘液も効かないね

秋乃

あと、怒るとお店の誰よりも怖いです

違ーう! 俺はまともな人間なの!

百手

で、人質とやらはどこにいるのかな?

あ、えっと、いざ尋常に!

百手

やれやれ

 振り下ろされた豪腕を二本の触手で受け止めて、百手は魔王の子の懐に潜り込む。

百手

ちょっと痛いかもしれないよ

 伸ばした腕が天に向かって真っ直ぐに立つ。

百手

一瞬百撃

 全方位から伸びる黒が世界からその身を切り離すように襲い掛かる。

 視界が闇に覆われ、再び光の下に帰ってくるときには、全ては終わっている。

百手

私は決して殺さない。ただ気が変わるかもしれない。それはこれからの君次第だよ

 部屋に入ってきたときと同じ人間の姿に戻って床に倒れた男を見やって、百手は言葉を放つ。

 その諫言に答えは返ってこなかった。

いいんですかね、あのまま放ってきちゃいましたけど

百手

ちゃんと鬼頭に連絡しておいたから大丈夫だよ

百手

そういえば彼の名前聞かなかったな

そういえば。結構高名なんじゃないですか? 店長のことも知ってたみたいだし

百手

どうやら私と同じ世界の者らしかったしね

え、店長ってこの世界の生まれじゃない?

百手

その説明は一話分くらい長くなるからまた今度にしようか

ジーナ

それにしても久しぶりに見ましたわ。店長の必殺技

百手

私は決して誰も殺さないよ。だから必殺技じゃないさ

そういう意味じゃないと思うんですけど

百手

それにしたって高橋くんも無茶をするよ。眠った振りをして相手の根城に潜り込もうだなんてね

一番早く富良野さんのところに行こうと思ったら、それが一番かなって

小木曽

しかし、下手をすれば死んでいたかもしれません。高橋さんの姫への忠誠心、感服するっす

いや、俺のは忠誠心じゃないから

秋乃

とっさの判断でそこまでしてしまうなんて、私はもっとマスターから学ばなくてはなりません

百手

あのー、みんな? 私のことも褒めてくれていいんだよ?

 店へと戻る道すがら、それぞれに勝手なことを言い合う。

 夕方から夜へと空が変わり始めている。

ゆかり

あれ、ここどこ?

ジーナ

あら、ゆかり。やっとお目覚めですの?

ゆかり

あ、ジーナだ。私何してたんだっけ?

ジーナ

覚えてませんの?

ゆかり

なんか昔の夢、見てた気がする。あの時も店長が来てくれたんだよね

ジーナ

今回は全員で来ましたわよ

ゆかり

わぁい、あたし友達いっぱいだ

ジーナ

のん気ですわね

 溜息をついたジーナの隣、無言のまま歩いている要の存在にゆかりは気付く。

ゆかり

あ、要くんも来てくれたんだ

別にいてもいいでしょ。ちょっとは役に立ったし

ゆかり

へへ、嬉しいなぁ

それはそうと、ちゃんと言うべきことがあるでしょ

ゆかり

うん。みんな、ありがとう!

今度こそ謝るのかと思ったけど。まぁ、正しいからいいか

 まだ睡眠薬の効果が抜けきっていないのか、ふにゃふにゃと笑うゆかりを見ながら、要は微笑んだ。

最終話 そしてまともな人間もいなくなった(前編)

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