……起きた。

いま、何時だ……?

半分寝ぼけたまま、時間確認の為にいつもの習慣で携帯電話の画面を見た俺は――

下犬目 的

うおおおおお!?

――驚愕のあまり、一瞬で覚醒した。

時刻が既に八時を回っていて、急がないと遅刻しそうだから?

違う。

昨日の今日で、早速出雲からの留守電が残されていたから?

違う。

じゃあ。

ドット欠けが、既に画面の八割以上を埋め尽くしていたから?

…………っ!!

俺は準備もそこそこに、家を飛び出していた。

幸いというかなんというか、制服のまま寝ていたおかげで、手早く顔を洗いスクールバッグを掴み上げるだけで登校準備は完了した。身だしなみと言うには不足だろうが、この緊急事態でゆっくり準備している方がどうかしているだろう。

おかしい。明らかに進行が早すぎる。

てんこの話では、ドット欠けが全体に広がるのは明日の夜くらいだったはずだ。だからこそ安全を考慮して、今日中に決着をつけることにしたってのに……!

見慣れた通学路を全力で疾駆しながら、出雲からの留守電が入っていたことを思い出して再度携帯を開く。

画面の大半が血のように赤く染まった液晶は、とても見ていて気持ちの良いものではないが、この際四の五の言ってはいられない。

既にその殆どが視認不可能な領域となった画面から、おぼろげな記憶を頼りに留守録再生の手順を辿る。再生ボタンを乱暴にタップすると同時にスピーカーを耳に当てると、すぐに出雲の声が聞こえてきた。

仮名 出雲

やっほー、出雲だよ。ごめんね、昨日はメールするって言ったんだけど。もしかしたらミームの影響で画面見えないかもと思って留守電にしたよ

仮名 出雲

それで頼まれてた情報だけど。喋るの大変だからさ、《meme研究部》の活動用アカウントの方に送っておいたよ。部室のPCとかで見てね

仮名 出雲

それじゃあ、後は頑張ってね。頼んだよ

そこで留守録の再生が終わり、終話音が機械的に鳴った。

…………。

なにか、引っかかる。留守電全体を通してアイツが軽口を全く言わないなんてこと、あるか?

……違和感が消えない。多分俺は、なにか大事なことを忘れてる……。

――思い出せ……。

歩調は緩めずに、思考する。
学校までの距離はあと三百メートル程度。このまま全速で部室棟に直進すれば、五分もあれば部室にたどり着く。

――昨日、眠りにつく前に、何か重要な事が頭を掠めたハズ……。

部室に着いたらすぐにPCを立ち上げて、メールを確認しよう。いやその前に、部員の皆と連絡をとった方がいいか。でも携帯がこの調子じゃ……。

――携帯?

……そうだ。携帯。

俺は、出雲の持っている携帯が何か、知らない。

急速に、嫌な予感が膨らむ。

まさか。

まさか。

まさか。

下犬目 的

……ッ!!

すぐに出雲に電話をかけた。
ここ数日何度もかけた相手だ。画面が見えなくてもアイツにはコールできる。だが――

――出ない。いつもなら、まるで待ってたみたいにすぐに出るのに……!

……どう考えても軽率だった。本当に――どうかしていた。

俺は、出雲をミームに巻き込んでしまったのか――

部室棟に到着し、階段を一足飛びで駆け上がる。

心臓が早鐘のように鳴り、汗で髪やシャツが張り付く。携帯も手汗でじっとりと湿っている。

全速力で廊下を疾走すると、たちまち《meme研究部》の室名札が掛けられた部屋にたどり着いた。乱雑に扉を開け、転がり込むように部屋に入る。

そのまま速やかにPCの電源スイッチを押下すると、ほぼ同時に携帯に着信があった。

発信者名が見えないから、電話に出てから判断することにして応答ボタン(があると思われる位置)をタップすると、俺からもしもし、という間もなく――

三ツ森 あまね

まと先輩! 大丈夫ですか!?

――狼狽えた様子の三ツ森の声が、耳に入った。

《meme研究部》の部室は、世間一般で言う部室像とは少し隔たりがある。というか、有り体に言えば、学業に用いる教室そのままだ。

その理由といえば、晴れて同好会から部活動に昇格した《meme研究部》に、元々特別教室として使われていたこの部屋が部室として充てがわれた際に、

――いいね、この部屋! 教室の中で活動するっていうのがなんか《学校の怪談》って感じでいい!――

と先代会長の篁さんが謎の持論を展開したせいで、部室らしい改装をしなかった点が主な理由となるだろう(あの人のことだから、改装が面倒だったというのも大いにあるだろうが)。

そんな我らが部室が唯一普遍的な教室と異なる点といえば、部屋の隅に設置された、一台の型落ちしたデスクトップPCだ。

あの後、俺は三ツ森に頼んで各部員に緊急招集をかけてもらった。
今は一限をフケて招集に応じ、部室に駆けつけてくれた部員達と一緒に、PCのディスプレイを覗き込んでいる。

天之 キリ

仮名さんからのメール……これだね

学校指定のメールクライアントサービスを起動すると、未読を示すバッジが付いた出雲からのメールが届いていた。

三ツ森 あまね

かりなさん、大丈夫でしょうか~……

下犬目 的

解んねえ、出雲は今日学校を休んでるし、未だに電話にも出ないんだよ。とにかく、なんとか俺たちで解決するしかない

リリー・セクタ

……そうですね。一刻も早く解決の糸口を見つけましょう

天之 キリ

だね

下犬目 的

ああ。じゃあ、開くぞ

カチッ、と軽いクリック音が鳴ると共に一面に表示されたメールには、今回の件に関連があると思われる様々な情報が記載されていた。

それぞれソースが異なるのか、箇所によって文体等に相違があったが、要約するとこんな内容だ。

人工霊。

一九八〇年代初頭に、ある閉鎖的な国家の軍部で行われた心霊実験。

人間の残留思念を読み取る特殊な装置を開発することで、霊化していない死者の思念を具象化し、霊体とする技術。

当時、非道徳的であるという理由から軍内部でも反対意見が殺到。実験は半ばにして頓挫することとなった。

しかし、実験が凍結される直前にプロジェクトを牽引していた一人の若い科学者が、装置の一部とデータを持ちだして失踪した。

該当の科学者は計画の進行中に交際相手を亡くしており、それが動機となって本計画に異常に傾倒していたものと見られている。

失踪当時、警察機関と軍部の連動による大々的な捜査が行われたにも関わらず、杳として消息が掴めなかったことから、実験の続行を望む軍上層部の一部の人間が、裏で逃走の手引をしていた可能性が指摘されている。

その後年月が経ち、別件の捜査で寂れた農村に立ち寄った際に、小さな山小屋から科学者の遺体が発見される。

遺体は死後数年が経過していたが、山小屋には数ヶ月以内に人が出入りした痕跡がわずかに残っていた。

実験に使用されていた装置類は一切残っていなかった。が、巧妙に隠蔽されてはいたが、それらが設置されていた形跡だけは確認された。

なお、その後装置の行方は知れず。

噂では、闇ブローカーの手を渡って、とある携帯情報端末(PDA)メーカーの元に渡った等とされている。

メールには他にも、装置の外観や働き、各パーツの名称や形状などの細かな情報が記載されていた。

一通りの内容に目を通した後、俺は印刷ボタンをクリックして手早く印刷を開始した。すぐに、年季の入ったプリンターの駆動音が部屋中に響き渡る。

メールを読み終えた皆がそれぞれに口を開いた。

天之 キリ

……これって……!

三ツ森 あまね

つまり~、みなさんの使ってるスマホの端末に、心霊実験用装置の集積回路? が使われていた、ってことですか……?

三ツ森の意見を受け、リリーが流暢に解説を続ける。

リリー・セクタ

ええ。より正確に言うと、『スマホの端末に心霊実験用装置の集積回路が使われていたという事実が、噂として人から人へ伝わりミーム化した』といったところでしょうか……。
とはいえ、当時の技術力で作られた集積回路がそのまま現行の端末で使用されているとは思えませんから、実質には回路内の一部の半導体が流用された、というところでしょう

天之 キリ

ナルホド、要は私達の携帯の中にそのヤバいパーツが入ってるってことね! じゃあ、ソレをぶっ壊すなりすれば何とかなるんじゃない?

天之 キリ

――既に仮名さんの命もかかってるし、的の携帯もなんでかアタシらのよりドット欠けの進行が早い。もう壊したくないなんて言ってる場合じゃないからね

キリは意を決したようにそう言い放つと、近くの壁に立てかけてあった桐製の木刀の柄を掴んだ。

リリー・セクタ

ちょっと待ってください

ピシャリ、とリリーが言い放つ。

リリー・セクタ

会長、てんこさんのお話憶えてますか? 我々だけで破壊した場合に、呪詛返しが起きる可能性があると話してましたよね。強行策に出るとしても、てんこさんが居るところで行ったほうが無難です

天之 キリ

う、そうだったわね……

う~ん、と唸りながらキリが木刀を手放すと同時に、プリンターの印刷音が止まった。

俺はメールのコピーが一通り刷り終わっていることを確認しながら、全員に提案した。

下犬目 的

じゃあもう、すぐにでも神社に向かったほうが良いんじゃないか? キリの言う通り、今は時間が惜しいだろ

するとすぐにリリーがこちらに向き直り、こう進言した。

リリー・セクタ

……いえ、ここである程度考えを纏めた方が良いでしょう。私に少し時間を下さい

自信に満ちた淡青色の瞳が、真っ直ぐに俺の目を射抜いた。

リリー・セクタ

まず今回の件ですが、てんこさんの言っていた強行策は使えないものと思ったほうが良いです

五分ほどの思考時間を経た後、そんな切り出しからリリーは説明を始めた。

天之 キリ

なんでよ? てんこは自信満々に出来るって言ってたじゃない

下犬目 的

あぁ。むしろその方が楽、って言う口ぶりだっただろ?

リリー・セクタ

そうですね。でもそれは、霊障を受けている者が『私達だけの場合』です

そこでリリーは一度言葉を切り、机上に置かれたプリントに目を向けた。

リリー・セクタ

……おそらく私達だけなら、携帯を壊してからてんこさんにミームを捕喰してもらうことで、対処が可能だったはずです。でもその方法は、霊障が起きている携帯が手近にないと使えません

下犬目 的

……つまり、現時点で連絡が取れない出雲の分は解呪できない、ってことか

俺の要約に対し、リリーは小さくうなずいてから続けた。

リリー・セクタ

はい。皆さんも知っての通り、てんこさんがミームを捕食する際の方法は基本的に二通りです。
てんこさんの霊格で力任せにミームを捕喰する強行策か。
または、ミームに対する知識と理解を深めたうえで捕喰し、存在そのものを完全に消失させる、いわゆる正攻法か。

リリーは説明に合わせて立てた二本の指の内一本を折り、説明を続けた。

リリー・セクタ

ですが今回の例では、先ほど述べた理由により強行策を採る事は考えません。なので我々が目指すのは、『正攻法によってこのミームの存在自体を完全に消し去ってもらう事』になりますね

天之 キリ

ナルホド。その為に情報を整理したほうが良いって言ったワケね

リリー・セクタ

そうなります。この場合はてんこさんの言っていた通り、ミームについての詳細な情報が必要になる筈ですから。
で、今回のミーム――赤いドット欠けについて情報を纏めましょう

プリーツスカートのポケットから自身の携帯を取り出したリリーは、液晶の三割程度が赤く染まった画面を見て眉を顰めながら、話を続けた。

リリー・セクタ

まず、我々の所持しているこの携帯自体に、問題の半導体が用いられているとは思えません。
事件からかなり年月が経っていることもそうですし、なにより、そんな曰くつきの半導体が大量に日本の市場に出回っているとは考え難いです

……確かにそうだ。仮に、例のパーツが流用された携帯が出回っている、という話が事実だとしても、昨日三ツ森が言っていた通りこの機種の普及率は日本ではトップクラス。

当然、流通しているその全てにソレが組み込まれていることはあり得ないだろうし、数少ない『部品が組み込まれた携帯』がたまたま俺達の所持している携帯だった、というのは些か飛躍が過ぎるだろう。

下犬目 的

つまり、今俺達に起きている事象は、問題の半導体がこの携帯に仕込まれているから起きてる、っていうワケじゃなくて

リリー・セクタ

はい

『もし私達の携帯が該当の端末だったとしたら』

『実験によって玩ばれた霊が、所持者である私達に害を及ぼすかも知れない』

リリー・セクタ

そんな、人々の畏れによって具象化したミームなのかも知れません

人の口に戸は立てられない。

当時の事件関係者から漏れ伝わった話が、都市伝説的に水面下に広がった。

近年で携帯情報端末のメーカーが件の半導体を流用し、その事実が噂として何処からか伝播した。

その二つがマッチした事で、一つの都市伝説として真実味を帯び。
その結果、伝承は力を持ち、現実に影響を与える存在――ミームとなった、ということか。

天之 キリ

人の想像によって生まれた、本来は存在しないはずのミーム……ってことね

そう纏めたキリに、視線を向けたリリーがおそらく、と返して頷いた。

三ツ森 あまね

あの、わたしからも一点いいですか……?

場が静まったタイミングを見計らってか、聞き役に徹していた三ツ森が恐る恐るといった様子で手を挙げる。

下犬目 的

三ツ森、何かあるのか?

三ツ森 あまね

はい……。えと、まと先輩の携帯だけ侵食が早い件についてなんですが……

下犬目 的

ああ。そういえばさっき電話くれたよな。サンキュ、すげーいいタイミングだったわ。……でも何で解ったんだ?

三ツ森は困ったように少し笑った後、話し始めた。

三ツ森 あまね

昨日帰ってからですね、お兄ちゃんに電話してもう一度詳しい話を調べて貰ってたんです。もしかしたら、聞いてなかったところで手がかりになるような情報があるかもしれない、と思って

そこでひととき間をおいた後、三ツ森は、机の上に置いてあった俺の携帯に視線を向けて話を続けた。

三ツ森 あまね

まと先輩の携帯って、わたし達と違って後期型ですよね? 最近、新しく買ったものですし

下犬目 的

そうだな。とはいっても購入したタイミングこそ最近だけど、販売され始めたのはもう一年近く前のはずだから、もう最新って感じじゃないな

三ツ森 あまね

えぇ、そうなんですよね。で、それに関連してなんですが――

言いながら三ツ森は自身の携帯を操作して、受信日時が今朝方の一通のメールを開き、俺たち全員の見える位置に置いた。

三ツ森 あまね

これ、お兄ちゃんからのメールです。わたしも今朝、それこそ先輩に電話する直前にこのメールを見て知ったんですけど……元々この話には、こんなジンクスが付随していたらしいんです

三ツ森 あまね

一つは、『同じ機種の携帯電話所持者に、呪いが伝播するらしい』ということ。これは皆さんもうご存知ですよね。
……それともう一つが、『特に、《後期型》の端末を使用している場合、より強い呪いがかかるらしい』、ということです

メールに記載された文章をスクロールしきると同時に口頭での読み上げを終えた三ツ森は、一度そこで口をつぐんだ。

リリー・セクタ

成程……。もしかしたら、今回のミームの出自に当たる『例の半導体が用いられた端末』が、的先輩と同じ後期型の端末だったのかも知れませんね

下犬目 的

つまり、たまたま同じ型式の携帯を持ってた俺だけ、ミームとの同調率が高かった、みたいな事か

俺がそう纏めた後に数秒沈黙が続き――その後に、三ツ森は沈痛な面持ちで口を開いた。

三ツ森 あまね

……すいませんでした、私がもう少し下調べをしていれば……

普段マイペースな三ツ森が、これ以上ない、か細い声で呟いた。

下犬目 的

三ツ森

三ツ森 あまね

……ぇ?

下犬目 的

心配すんな。俺もキリもさ、《meme研究部(ウチ)》に居る以上、危ないことは割と慣れっこだよ。お前らもまだ日は浅いかもしれないけど、その辺はもう何となく分かるだろ?

天之 キリ

うんうん。特に的は、危ない目に遭う専門家みたいなもんだからね

おい。いやまあ確かに、今までを思い出してみたら満更間違ってもない気はするが。

下犬目 的

あー、それにさ、三ツ森が厄介事持ち込むのも結構慣れてきたぜ? お前入学早々から飛ばしてたもんな。これで三回目くらいじゃないか?

リリー・セクタ

小さいのも合わせると四回目ですね。私はもっと以前から被害を受けてますが

天之 キリ

そうね。あまねがトラブル背負い込んでくるのなんてもう慣れたわ。たかだか四ヶ月前後でパターン確立なんて、逆に凄いんじゃない?

かなり口は悪いが、それぞれが思い思いの激励を投げかける。三ツ森は目に涙を浮かべたまま二、三度瞬きして、それから、消え入りそうな声で囁いた。

三ツ森 あまね

うぅ……有難う……ございます……っ

下犬目 的

キリの言う通りだぜ。むしろ、トラブルメーカーが居ないと、餌が摂れなくててんこが困っちまうだろうしな

かはは、とちょっと大げさ気味に笑った俺は、既に涙目になった三ツ森に立ち膝で視点を合わせて続けた。

下犬目 的

確かに、今回は出雲の命もかかっちまってるから、いつもと全く同じとは言えねえけど、でもこれは俺が巻き込んじまったんだ。三ツ森に全く非は無え。お前はいつも通り、ぽわーっとしててくれればそれでいいよ

三ツ森 あまね

……はいっ

瞳は涙を湛えたままで、それでもしっかりと目線を俺に合わせて、三ツ森は頷いた。

とにかく、あらかたの情報は集まった。俺は三ツ森の頭をぽんぽんと数回撫ぜた後、立ち上がって皆に向き直り言った。

下犬目 的

よしっ、リリーと三ツ森のおかげであらかたの事情は解ったわけだし、そろそろてんこの所に行こうぜ

言いながら携帯を懐にしまい、メールのコピーを纏めて手早く外出の準備を進める。

天之 キリ

コラー! アタシが何もしてないみたいな言い方すんなー!!

いや、お前は今回何もしてないだろ、とは言わなかった。間違いなく面倒くさいことになるのはもう経験則でわかる。

リリー・セクタ

いや、今回会長は本当になにもしてないです

言うのかよ!

三ツ森 あまね

……ふふっ

凄まじい勢いで振り向いたキリが、怒りを込めた眼力を後輩二人に送り、二人は素早く視線を逸らした。

リリー・セクタ

では急ぎましょう。仮名さんの携帯がもし後期型だとしたら、的先輩と同じく時間の猶予は少ないはずです

目を逸らしたまま言い放ったリリーの提案に頷き、俺たちは神社に向かった。

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