彼女は異世界の人間だから

第六話
「異世界の過ごし方」











全部、わかってるんだよ。理沙子……




 理沙子に振られた僕は、もちろんショックだったけど、そうなることはわかっていた。


 だからその日は普通に帰って、ご飯も食べたし、風呂に入っていつも通りに過ごして眠ることができた。







 それから一週間、僕はじっとしていた。



 金曜日。学校が終わるのを待って、僕はようやく動き出したのだった。










 いつものあの公園のすぐ近く。

 車道に止められた紫色の軽自動車を見付け、僕は駆け寄った。






やっと来たか。ほら、早く乗れ

すみません、ユートさん。お願いします

ふん。ちゃんとシートベルトしろよ?



 言われた通りしっかりシートベルトを締めると、すぐに車は発進した。











 僕がユートさんと話すようになったのは、理沙子に会えなくなってから二週間後のことだった。


 突然僕のスマホに電話がかかってきて、あの公園に呼び出されたのだ。















おせーな。もっと早く来いよ

そんなこと言われても……ていうか、なんで僕の電話番号知ってるんだよ!

リサのスマホを見たに決まってんだろ

なっ……?! そんなことしていいと思ってるのかよ

うるせーな。ていうか、お前そんな態度取っていいのか? リサのこと聞きたくないのか?

そ、それは……。ごめん



は? ごめんなさい、だろ?

くっ……ごめんなさい

ふん……。やっぱムカツクが、まぁしょうがねー



 ユートは背が低いのに、ふんぞり返って僕を見下ろそうとする。



それで、理沙子は? 今どうしてるんだ? まさかまた体調を崩してるのか?

落ち着けよ。順に話してやるから、そこ座れ




 僕は言われた通りベンチに腰掛ける。
 が、ユートは立ったままだ。


 ……なるほど、こうすれば僕を見下ろすことができるというわけだ。




リサのことを話す前に、まず確認だ。

お前、あいつから異世界の話は聞いてるな?

まぁ……。異世界の人間だからって、いつも言ってたけど



 ちなみにユートのことも異世界の人間だと説明していた。






当たり前の話だが、それ、嘘だからな。
間違っても信じるんじゃねーぞ



……う、うん。わかってる



 僕は頷きながら、心の中で呟いていた。


そうなのか……。ちょっと信じかけていたなんて、絶対言えないな












で、だ。
今のリサなんだが……実は、入院している

え……入院、って……

元々、身体が弱いんだ。それはお前もわかってるだろ?

…………



 異世界の人間だから、こっちの世界であまり運動はできない。

 そう言っていたけど、異世界の部分が嘘ならば、単純に運動があまりできないということになる。

 ボウリングが1ゲームもできないほど、体力がないのだ。



あいつ昔からそんなだから、学校にもあんまり行けなくてな。友だちも全然できなかった

ああ……



 思えば、理沙子は友だちと遊ぶようなことをほとんど知らなかった。

それでな、そのうちこんなことを言い出すようになったんだ










『私は異世界の人間だから』








……ってな

…………






もうわかったと思うが、あいつは自分を異世界の人間にすることで、周りの人と同じ事が出来ない言い訳にしていたんだ。
そう思い込むことで、出来ない自分を諦めていた

あの言葉に、そんな意味があったのか……

あんまり異世界異世界言うもんだから、仕方なく俺も付き合ってやった。
それでリサの心の負担が軽くなるならってな

ユート……



 態度はデカイし、口は悪いが、ユートは常に理沙子のことを心配している。






ん……? 待った。
ユート、君はいったい……。

なんでそんなにリサのこと、詳しいんだ? 昔のことまで知ってるなんて

なんでって、そんなの当たり前だろ。リサが赤ん坊の時から側にいるんだからな

それって、幼馴染みってことか……?






ささい ゆうと

ちげーよ!

兄だよ兄。俺のちゃんとした名前は笹井由人だ。リサのお兄様だぞ!







…………はい? 兄って……







え、兄妹?!





 ユートと理沙子が兄妹……。



 異世界並みに信じられなかったが、腑に落ちることも多い。

 ユートが理沙子のことに詳しいのはもちろん、常に心配しているのも兄だからだ。

 理沙子にユートが恋人なのかと聞いた時、あっさり否定したのにも頷けた。

 だけど、それでもすぐに信じられなかったのは……。




お前、俺のこと年下だと思ってただろ?

えっ! いや、そんなことは!

嘘つけ! ずっとタメ口だったじゃねーか。

言っとくけどな、俺大学生だからな。
19だぞ。車の免許だってあるんだからな!






まじか……



 三つも年上とは……もしかしたら今日一番の驚きかもしれない。








話はわかった……あ、わかりました。

それで、理沙子さんはまだしばらく入院なんですか?

ふん、ようやく正しい言葉遣いができるようになったか



 ユート……さんは嬉々として僕のことを見下ろす。

 これはさすがに頭を上げられなかった。
 知らなかったとはいえ、かなり失礼なことをしてしまった。



でも、どうして僕に色々教えてくれたんですか? 前に会ったときは、僕に話すことは無いって感じだったのに

どうでもいいだろ、そんなこと。

……と言いたいところだが、そうもいかねーか



 ユートさんは理沙子のスマホを調べてまで、僕を呼び出したのだ。

 いくら兄妹とはいえ、あまりよろしいことではない。




12月からずっと、リサが今までにないくらい元気でな

え? それって……僕と、会ってから?

ふん……。もちろん、精神的な意味でだぞ。身体の方は変わっていない



 いくら元気でも、身体はついていかない。
 ちょっと無理をしただけで疲れてしまうということか。


特に週末、金曜日の登校日は楽しそうだった

登校日?

……まさか、理沙子って金曜しか……

そうだ。週に一回だけ学校に通ってるんだよ



 その登校日の放課後に、僕は会っていたのか……。

だが、二週間前からすっかり元気が無くなっちまってな

…………!

正直、見てられねぇんだよ

でもそれって、お兄さんが理沙子を連れ帰ったからじゃ

おい、調子乗るなよ。お兄さんとか、やめろ

す、すみません、ユートさん






チッ……。

仕方がないんだよ。あいつが元気になるならと放っておいたが、あれ以上無理をすれば倒れるのは目に見えていた。

そしたら、また手術が延期になる

しゅ、手術? 理沙子、手術するんですか?!





ああ。本当は年末に予定していたんだ。それが延びて今月末になった。

理由はわかるな?

……はい



 僕とボウリングをして、体調を崩してしまったからだ。

先に言っておくが、手術自体は失敗は無いと言われている。

だがあいつは、万が一を考えてしまったんだ。手術の説明を聞いた時、飛び出していった



 僕はハッとなる。

 僕と出会ったのが、きっとその時だったんだ。

 薄着で外に出たことも気付かず、寂しそうな顔で佇んでいた。








それでだ。お前に、手術前に会って欲しい

理沙子に? もちろんです、会います!



 願ってもない話だった。僕は即答していた。




落ち着け。

……ただし、俺が今日話したことは全部秘密にしろ

秘密? ええっと、それは……

手術のことはもちろん、異世界のこともだ。
全部知らないフリをして、リサに会え

そんな、どうして



 すべてを知ったのに、その嘘に付き合い続けろというのか……?



以前、一度だけ異世界のことを否定したことがあるんだが……その時、リサが暴れ出してな。当然数日寝込む結果になった

えっ……!!

リサの中では、本当に異世界の人間なんだよ



 異世界の人間だから。


 理沙子にとって、それは真実なんだ。
 だから手術前にそれを否定するようなことは言ってはいけない……。


もっとも、リサは万が一を考えてしまっている。
だから、会ったとしてもお前は別れを告げられるだろうけどな

なっ?! ……いや、そうなるのか……


 もしかしたら手術は失敗して、本当に会えなくなるかもしれない。

 そう考えているのなら、理沙子はそういう選択をするのだろう。




それでも、手術前にお前に会えば、今よりはマシになると思ってな。

俺だって、万が一は起きて欲しくないんだ

……そういうことなら、はい。
わかりました


 やはり、ユートさんは……妹の理沙子のことをいつだって心配しているのだ。

 ならば僕も、覚悟を決めるしかない。




いいか、手術は成功する。するはずだ。そして成功すれば、リサは普通の生活が送れるようになる

……! そうなんですか!?

ああ。あいつの異世界はもうすぐ終わるんだ。

だから、その時にもう一度会って、引っ張り上げてやれ




















ああ~……やっぱムカツク。
俺はまだお前のこと認めたわけじゃないからな



 先日のことを思い出している間に、ユートさんの車は病院の駐車場に到着していた。

 僕らは車を出て、病院の中へ向かう。






だいたい、リサが元気を無くしたのは、お前が告白したのもあるんだからな?

はい……って、え?! なんでそれ知ってるんですか!

お前バカだろ? あんなデカイ声で告白すれば聞こえるに決まってんだろ

うっ……



 そういえば、告白直後にユートさんが割り込んできたんだった。

お前なんか振られちまえばいいんだ

や、やめてくださいよ……

 というか既に一度振られている。

 わかっていたこととはいえ、あれは結構ショックだった。








……リサのヤツ、手術が終わったのにどうも実感がないみたいでな。毎朝自分が生きていることに驚いてる。
ましてや、これから普通の生活が送れるなんて、信じられないでいる

………

もう、今日退院だってのにな


 ユートさんに導かれ、理沙子の名前がかけられた病室の前に辿り着いた。


 足を止め、扉の前で、ユートさんは僕の顔を見る。



お前がやること、わかってるな?

はい。……任せてください




……じゃあ、頼んだぜ




 ユートさんは背を向けて、廊下を戻っていく。

 僕は一度頭を下げて、病室に向き直った。





…………よし


 意を決し、病室のドアをノックする。





コン コン






……はい? ユート?



 二週間ぶりに聞く、理沙子の声。

永一、だけど。入っていい?

…………え? ええぇぇっ?!

永一くん?! ま、待って!




 中からなにかが倒れる音がしたが、やがて静かになり。


 そっと、ドアが開かれていく。






ほ、ほんとに永一くんだ……

久しぶり。元気そうだね

うん……久しぶり。とりあえず中に入って?



 僕は理沙子に促され、病室の中に入る。








ここに来たってことは、もう全部わかってるんだね。
……ユートかな?

うん。だいたいのことは聞いたよ

そっかぁ。じゃあ、見ての通りだよ。

手術は無事に終わって、その後も良好。今日退院なの



 病室はもう片付いていて、ベッドの横にキャリーバッグが置いてある。さっきの音は、これを倒した音だろう。




でもね、やっぱり私は、異世界の人間なんだよ

え……?

今さら普通の生活を送れるって言われても、ね。正直、どうしたらいいかわからないし……運動もできるって言われても、信じられない。怖いんだよ


 ユートさんが言っていたことを改めて理解する。

 彼女は確かに、実感できていない。でもそれは、当たり前なんだ。


私は、異世界の人間だから。
普通に過ごせって言われても、難しいよ


 彼女にとって、外の世界は異世界だから。
 病室と自分の家。それ以外は、未知の世界。


 週に一回、金曜日だけ外に出るのとは、わけが違う。
 怖くて当然なんだ。


 そんな理沙子に、僕がかける言葉は……。





理沙子。僕が、この世界……君にとっての異世界に、連れ出してあげるよ

えっ……?

理沙子は知りたかったはずだよ。異世界のこと。普通の生活のこと。
……約束したじゃないか。どこにだって、連れて行ってあげるって

それは、そうだけど……。私、本当に、大丈夫なのかな

大丈夫。なにかあっても、僕が側にいるから。だから安心して、付いてきて欲しい



 僕は理沙子に向かって手を伸ばす。

 理沙子はじっと、僕の手を見つめる。



理沙子。君はもう、異世界には帰れない。こっちの世界で暮らしていくんだ

異世界には……帰れない

……さあ、僕の手を取って





 理沙子は自分の胸に手を当てて、顔を上げて僕を見る。





……あのね。前に、聞いたこと。もう一度、聞いていいかな?

うん? いいけど、なに?



 僕が促すと、彼女は顔を赤くした。

永一くんは、どうして……その、私のために、一生懸命になってくれるの?

……それは





 僕は理沙子に一歩近付いて、その手を取る。







理沙子のことが、好きだからだよ






 理沙子は少し驚いた顔をして、やや俯いた。




……ごめんね、永一くん

…………っ!!









私は異世界の人間だから。

そう言って、もう会えないって、お別れなんかして、本当にごめんなさい。

……嘘ついて、ごめんなさい

理沙子……

本当はもっと、永一くんと色々なところに行きたかった。もう一度会いたくて仕方がなかったの。

だからいま、すごく嬉しいよ



 微笑む理沙子の瞳に、涙が浮かぶ。

お願い、永一くん。私をここから連れ出して。
外の世界のこと、いっぱい教えてね。
異世界での過ごし方……たくさん

もちろん。理沙子の行きたい所、やりたいこと、なんだって言ってくれ。僕が叶えてみせるから。どこにだって、連れて行くから





ありがとう。永一くんになら、安心して付いていけるよ。

……私も、永一くんのこと、好きだから









 こうして理沙子は、異世界――こっちの世界に、一歩を踏み出す決意をした。


 きっと色んな事に戸惑うだろうし、不安もまだたくさんあるだろう。

 だけどその時は、必ず僕が側にいる。
 その手を引いて、道を示してあげるんだ。





 彼女は異世界の人間だったけど。

 でも、これからは違う。




……さようなら、私の異世界







理沙子。それじゃ、行こうか

うんっ。永一くん!










 手を繋ぎ、外へと踏み出す彼女の顔は――



 今までで一番、嬉しそうな笑顔だった。























「彼女は異世界の人間だから」
了 

第六話「異世界の過ごし方」

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