捨て身だな

吾助

今日は冷えるな……。

夜が明けた頃、おじいさんに留守番を頼まれた吾助は、診療所で本を読んでいました。
ここには、おじいさんの珍しい本がたくさんあります。

いろいろな言葉で書いてあって、ふつうとは違った知識を得られます。
吾助は辞書を使ったりすれば、だいたい読むことができました。

小さい頃から、与兵に会いがてら、ここの本を読むのが密かな楽しみでした。

吾助

ジジイはこれ、全部
読んでるんだよな……。

どの本にも読んだ形跡があります。

吾助

まあ、数百年単位で生きているなら、俺でもできるかもしれない……。

何百年も生きる。
そのことを考えて、吾助は少し寒気がしました。

それは、どんな気持ちなのでしょう。
知っている人間が、どんどん年老いて亡くなっていくのです。

それがどんなに大切な人間だったとしても……。

そんなことを考えていると、診療所に誰かがやってきました。

与兵

じいさん
いるか?!

与兵の声が聞こえてきました。
そして、鶴太郎を背負った与兵が血相を変えて飛び込んできます。

吾助

留守だけど。

与兵

また吾助かよ!

吾助

どうした?

気にせず吾助は訊ねました。

与兵

……。

与兵

応急処置はしてあるから
診てくれ。

診察用のベッドに鶴太郎を降ろしました。

鶴太郎

大丈夫だよ、
与兵……。

離れていく与兵の頬に手を伸ばし、鶴太郎は言いました。

与兵

バカかお前は!

与兵

いや、バカは俺か……。

吾助

男でガキに手を出したか……。

その様子を見ていた吾助は、ぽつりと言いました。

与兵

言うな。

吾助は鶴太郎の怪我の具合を診ました。

吾助

喘ぎ声と痛みの悲鳴の区別がつかなかったとか?

与兵

さすがにそれはないぞ。
ちゃんと悲鳴に気づいた。

苦しい言い訳でした。

与兵

俺はバカだ。
本当に大馬鹿だ……。

落ち込んでいました。

鶴太郎

与兵は悪くない。
意地悪なこと言わないでよ!

吾助

いや、悪いだろう。
現に怪我が悪化している。

与兵

吾助の言う通りだ。

鶴太郎

与兵は悪くない。
ボク、嬉しかったもん。

鶴太郎

与兵の嫁だもん。
こんなのなんでもないよ。

鶴太郎は言いながら、ポロポロ涙をこぼします。

与兵

俺がいけなかったんだ。
お前は怪我していたのに……。

そう言って、鶴太郎の肩を寄せ、頭をなでました。

鶴太郎

与兵~。

鶴太郎は与兵に抱きつきます。

吾助

……。

吾助はため息をつきました。

吾助

治療するから出ていけ。

与兵

いや……、俺は……
そいつと……。

吾助

邪魔だ。

吾助は与兵を診察室から追い出しました。

しばらく吾助は黙って鶴太郎の治療していました。

鶴太郎

吾助、
与兵のこと好きでしょ。

てきぱき動いていた吾助の手が止まりました。

吾助

なんで俺が?

でも、止まっていたのは一瞬で、すぐにまた治療をはじめます。

鶴太郎

見てればわかるよ。

吾助

あいつは家族同然の腐れ縁ってだけだ。

鶴太郎

嘘だ。吾助からは
ボクと同じ匂いがする。

吾助

どんな匂いだよ。

吐き捨てるように吾助は言いました。

鶴太郎

与兵が大好きって匂い。

吾助

…………。

どんな匂いかわかりません。

鶴太郎

だからボク、
焦っちゃったんだ。

吾助

あ?

鶴太郎

ボクをダシに与兵の家、
入り浸るつもりだったでしょ。

吾助

そんなことするわけないだろ。

鶴太郎

あの家、昼でも夜でも
やりたい放題だし。

山奥の一軒家なので、周囲に人はいません。

鶴太郎

誰にも気づかれずに
いろいろできるもん。

吾助

邪魔しに行ってやろうか?

鶴太郎

見たいの?
ボクと与兵がしてるとこ。

吾助

……。

鶴太郎

痛っ!

患部に吾助の肘が当たりました。

吾助

ああ、悪い。
当たったか。

鶴太郎

綺麗に治してよ。じゃないと、与兵はずっと罪の意識に苛まれて、ボクのことを手放せなくなるよ。

吾助

わかってる。
だから少し黙ってろ。

鶴太郎

……。

ほぼ治療を終え、吾助は器具を片付けながら言いました。

吾助

お前はあいつのお人よしなところを利用しようとしているのか?

鶴太郎

利用?

吾助

あいつなら騙され放題だ。
何でも信じるからな。

そんな与兵を、吾助はずっと見ていました。

鶴太郎

与兵は吾助に彼女を盗られたって言ってたけど……

鶴太郎

与兵を騙そうとしていた女の人を追っ払ったんじゃないの?

吾助

そんなことするはずないだろ。
あいつの彼女はいつも美人だから、横取りしただけだ。

鶴太郎

ボクみたいな美形に、ひどい目を見させられたって言ってたよ。
そのこと?

吾助

お前、自分は美形だって思ってるのか?

鶴太郎

当然だし。

ためらいもなく、うなずきました。

吾助

確かに、与兵の彼女はいつもそんな感じだったな。

吾助

あいつ、顔で選ぶクセがある。
お前もどうせそのクチだ。

鶴太郎

そんなのどうでもいいよ。
ボクの顔を気に入ったって言うんなら、それでもいいんだよ。

鶴太郎

与兵はボクを助けてくれたんだもん。
その恩返しのためなら、何でもするよ。

鶴太郎

与兵がこの顔が好きって言うんなら、いくらでも見せてあげるんだ。

吾助

治療をしたのは俺だぞ。
俺がいなかったら、足を引きずることになっていたかもしれない。

鶴太郎

与兵がボクを見つけてくれなかったら、ボクは今も雪の中にいたかもしれない。
春になっても誰にも見つけてもらえなかったかも。

鶴太郎

それに吾助は与兵から代償を受け取っているよ。恩を返すのならやっぱり与兵だよ。

吾助

あいつは治療費のほとんどを払っていない。きっと踏み倒すつもりだ。

鶴太郎

与兵はそんなことしない。

吾助

俺の方が、お前よりも
ずっと長くあいつといるんだ。

鶴太郎

それなのにわかんないの?
与兵がそんなことしないって。

吾助

………………。

吾助の方が先に目をそらしました。

吾助

それで、お前は俺に本性をさらして、何がしたいんだ?

鶴太郎

本性?
こんなの本性でもなんでもないし。

吾助

あ?

鶴太郎

治療、終わったよね。
早くボクの与兵に会いたいんだ。

吾助

お前のじゃねえよ。

鶴太郎

ううん。
もう、ボクのだよ。

吾助

一回やったくらいで、
女房気取りすんな。

鶴太郎

お嫁さんにしてくれるって、
与兵、言ったもん。

吾助

あいつ、ホントにバカだ……。

鶴太郎

ねえ、与兵を呼んできてよ。

吾助

……。

吾助はため息をついて、与兵を呼びに待合室に行きました。

与兵

終わったのか?

吾助

ああ……。

与兵

どうしたんだ?
何か悪いところでもあったのか?

不機嫌そうな吾助を見て与兵が言いました。

吾助

なんなんだ?
あのクソガキは。

与兵

悪い……。
あいつ、育ちがおかしいらしくて……。
まともな環境じゃなかったようなんだ。

吾助

どんな環境だ?

与兵

大人の情事を見られるような場所だったらしい。

吾助

………………。

与兵

誰かの嫁になれば、そこから抜けられるらしいんだ。

吾助

どんな女郎屋だよ。

与兵

やっぱりそういうところだよな。

吾助

嫁って言ったって、無理だろ。
あっちも男なんだし。

与兵

嫁にするって、言ったんだが。

吾助

口約束じゃ、嫁になったことにはならない。

吾助

そういう組織が、それくらいであんな上玉手放すはずないだろ。

与兵

確かに……。

吾助が与兵の耳元に口を寄せました。

吾助

よかったのか?

与兵

……。

与兵はコクっとうなずきました。

吾助

客とか取らされていたのかもな。

与兵

……。

与兵は唇を噛みしめました。

与兵

あいつをそんなところへ戻らせない。

吾助

お前、あのガキのこと、
好きなのか?

与兵

す……好きとか嫌いとか、
そういう問題じゃなくて……。

吾助

好きでもないガキと寝たのか?
怪我を悪化させるくらい。

与兵

放っておけないだろ!

吾助

お前、ちょっとは学習しろよ。
いつも同じようなこと繰り返しやがって。

吾助

下半身で思考してんじゃねえよ、
このボケナスが。

与兵

か、下半身って……。

吾助

しりぬぐいするこっちの身にもなれ!

与兵

しりぬぐい?
何のことだ?

吾助

もういい。
お前、ガキ連れて山に帰れ。

腕をつかまれて診察室に連れていかれ、与兵が鶴太郎を背負うと同時に診療所の外に追い出されました。

吾助

何やってんだ?
俺……。

吾助はひとりになると、そう呟きました。

吾助

俺の方が、
よっぽどバカだ……。

そう思い、ため息をつきます。

吾助

あれ?

また白い羽根が、目の前を飛んでいます。

吾助

なんだ、これ……。

空気をいっぱい含んで、ゆっくりと降りてくる羽根をそっと手でつまみます。

吾助

そういえば、
与兵の肩にもついていた気が……。

その羽根は、雪のように白く、風を受けてゆらゆらしていました。

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