如何にあゆであろうと、血痕と肉片が散らかった食堂で食事をする気はさすがに起きなかった。

 こちらに仕向けられたPSYソルジャーズの面々は全て王虎と共に始末した。実はこれがあゆにとって人生初の殺人行為となる訳だが、いざやってみるとそんなに罪悪感は湧かなかった。不思議な気分だ。

 適当な椅子に腰かけ、あゆは大きなため息を吐いた。

東雲あゆ

ふいー、
思ったより時間掛かっちまったー

王虎

いま水依ちゃんからメールが来た

 王虎が顔色一つ変えずにスマホの画面を眺める。

王虎

あの子は無事みたい
黒狛探偵社とかいう奴らの手で
保護されたそうよ

高白が直接率いていた
PSYソルジャーズ六十体も全滅

たかが十体相手に手こずってた
私達が馬鹿みたい

 平静を装ってはいるが、王虎の肩や頬は切り傷を負っていた。手刀だけでカマイタチを起こせる能力者による負傷だ。あゆも実は無傷ではなく、王虎がカバーしてくれなければ、左腕の火傷だけでは済まなかった。

 あゆは再び、血溜まりに沈むPSYソルジャーズの亡骸を見遣った。

東雲あゆ

……お祖父ちゃん。仇は討ったよ

 未来学会は単なる流通の窓口だが、薬物の製造元であるライズ製薬との繋がりもいずれは警察の手で暴かれる。そう遠くない未来に双方は共倒れするだろう。

 これで復讐は完了した。でも、不思議と気分は良くなかった。

 落下時に白猫の仮面が脱げていたことにすら気付かず、遠ざかるヘリのハッチから顔を覗かせていた水依を見つけて青葉は安堵した。救出作戦は成功だ。

 その下で、縄梯子に掴まっている黒狛四号が黒犬の仮面を外して自らの素顔を晒す。

 これが、白猫と黒狛に身を置く秘蔵の探偵同士における、初の顔合わせとなった。

東屋轟

とうとうバレちまったか

 ロケットランチャーの片づけを終えた轟が苦い顔をして唸る。

東屋轟

まあ、あいつなりにこれが
フェアだと思ったんだろ

あれはそういう奴だ

貴陽青葉

知ってる
だから私はあいつを気に入ったんだ

東屋轟

そうかい。ま、お知り合いってことなら今後も仲良くしてやってくれや

じゃあな

 屋上から去り往く轟の背中は、何処となく彼に似通っていた。

 しばらく経つと、幹人は言葉を選ぶように言った。

蓮村幹人

……青葉。彼の正体を知った以上、
彼とはもういままで通り友人として
付き合えないかもしれない

貴陽青葉

社長はあいつの正体を
知っていたのか

蓮村幹人

随分と前からな

 幹人の秘密主義には慣れている。特に腹は立たなかった。

貴陽青葉

私はずっと前から、
黒狛四号の正体が
あのバカならいいなって思ってた

 青葉は心の底から安心しながら告げる。

貴陽青葉

これだったらいいなっていう
願いを叶えてくれた

あいつは最高の相棒だ

蓮村幹人

そうか

 幹人はいつも通り、青葉の頭を撫でまわした。

蓮村幹人

成長したな
私なんかより、ずっと大きくなった

貴陽青葉

もっと褒めるがいい

蓮村幹人

事務所の片付けが終わったら祝勝会だ。食べたい物があったら
何でも用意してやろう

そうだ、井草さんも誘ってみるといい
きっと喜ぶぞ

 幹人に言われて思い出した。

 事務所の片付けの前に、水依に会わなければ――と。

 自分が助かったという自覚を得られたのは、縄梯子を伝って紫月がヘリの中に這い上がってきた時だった。

池谷杏樹

紫月君、お疲れ様

葉群紫月

いえーい

 紫月とハイタッチする杏樹をぼうっと眺め、水依は力なく呟いた。

井草水依

……お母さん

池谷杏樹

へ?

 杏樹が素っ頓狂な声を上げ、自分で自分を指差した。

池谷杏樹

なに? あたしのこと?

井草水依

……何となく、そう見えただけ

池谷杏樹

そういうあなたは
柚木さんにそっくり

井草水依

……!

 杏樹から口から出たのは、あまりにも予想外な苗字だった。

池谷杏樹

私には柚木水穂っていう友達がいたの
随分と昔、この街で占い師をやってた
彼女に仕事の協力をしてもらってさー

特にそのぼーっとした
平たい眼なんかあなたとそっくり

でも仕事が終わった途端に
いきなり消息を絶って――って、あれ?

何で泣いてんの?

井草水依

……柚木は旧姓

結婚して、その人は
井草水穂になった

 ぽろぽろと、膝の上に涙が落ちる。

井草水依

私は……井草水穂の
……娘です……っ

池谷杏樹

……そっか

 杏樹は寂しそうに微笑む。

池谷杏樹

いいことを教えてあげる
私は柚木さんとの別れ際、
彼女にぴったりの二つ名を
遊び半分でプレゼントしたことがあるの

井草水依

二つ名?

池谷杏樹

そう。笑っちゃうかもしれないけど――

 紫月と龍也も興味津々のようで、杏樹に熱い視線を注いでいた。

池谷杏樹

禁忌の探偵

どう?
納得でしょ?

 母の本業は探偵ではないと訂正するのは無粋だろう。それくらい、その二つ名は素敵な皮肉と敬意で溢れていた。

池谷杏樹

今日からその名前はあなたのモノよ
お母さんから貰った最後の贈り物、
大事にしなさい

井草水依

……はい

 水穂にとって、杏樹は初めて自分が持つ力に誇りを与えてくれた相手なのだろう。

 まるで、水依にとっての青葉みたいだった。

火野龍也

そろそろ飛行場です

 龍也が窓越しに眼下の滑走路を眺めて呟いた。

火野龍也

帰りましょう
俺達の街に

 ここは彩萌市。金持ちがちょっと多い以外には何の変哲も無いけれど、大切な家族と仲間が共に暮らす故郷の街。

 母が地を這ってでも愛し、自分を産み落としてくれた素敵な居場所だ。

 彩萌市が街としての機能を完全に取り戻したのは騒ぎの四日後だった。

 街で暴れていた薬物中毒者の軍勢は、他県からすっ飛んできた自衛隊の大部隊が放ったスタングレネードで制圧され、結局警察側には誰一人として死傷者どころか怪我人すら出なかった。しかし、民間側に出た怪我人と死傷者の数は通常の大規模テロとさほど変わらない。つまり、街全体としては最悪の結果に転んでしまったのだ。

 未来学会とライズ製薬への強制捜査は後日執り行われ、PSYドラッグに関わっていた数多くの物的証拠が元となり、それぞれの団体は遠くないうちに解散へ追い込まれる結果となった。勿論、井草勝巳が立ち上げた殆どの企業もこの一件による風評被害で瓦解の一途を辿るだろう。

 そして、問題の井草勝巳は現在、留置所に勾留されている。

 面会室の窓越しに、勝巳は自らの娘、井草水依と対面している。この様子を、新渡戸は勝巳の背後から静かに眺めていた。

井草勝巳

すまなかったな、水依

井草水依

お父さんが無事で良かった

 水依が目じりに小粒の涙を浮かべる。

井草水依

まだ居なくなっちゃ駄目だよ

だって、私の家族はもう、
お父さんしか……

井草勝巳

そんなことは無い。私は父親失格だ

 勝巳は水依の背後に立っていた王虎を見遣る。

井草勝巳

王虎。これが最後の依頼だ
家の中にある私の私財を
全て使ってくれて構わない

だから、これから先も水依の傍に
いてやってくれないか?

王虎

その依頼は承服しかねます

 王虎が迷いなく答える。

王虎

水依様が私を法廷代理人に据え、
司法側に貴方の保釈請求を申請しました
家のお金は全て貴方の保釈金に充てます

井草勝巳

水依、お前……!

井草水依

そーゆーこと

 素で驚いている勝巳とは対照的に、水依の態度は落ち着き払っていた。

井草水依

家は引き払って、王虎さんが
新しくマンションを借りるってさ

そこが私達の新しい家だよ

王虎

ご主人様が帰ってくるまで、
彼女はこの私めが命を懸けて
お守りしますわ

だから、ご主人様も早く
帰ってきてください

井草勝巳

お前達……

新渡戸文雄

いい娘さんと従者様を持って幸せだな、井草さんよ

 とうとう、新渡戸は素知らぬ顔で口を挟んだ。

新渡戸文雄

二人の願い、受け入れてやんな
お嬢ちゃんにはまだ、あんたが
必要みたいだ

井草勝巳

……ああ、分かった

 勝巳は俯き、涙を堪えながら言った。 

井草勝巳

帰ってきたら、この三人で
またやり直そう

新しい家族として、
今度は真っ当に

 この様子なら保釈金さえ払えば、後にどんな判決を下された後でも闇の世界から足を洗えるだろう。裁判所は条件に見合う金さえ受け取ったら保釈を許さなければならないというのもあるが、彼の場合は本当の黒幕である高白に利用され、その上で作戦を中断しようと考えを改めたので情状酌量の余地がある。

 ちなみに元凶の高白はほぼ死刑確定だろう。前述の被害評価を裁判所に聞かせてやるだけで無期懲役は免れない上に、非人道的な人体実験の数々が白日の下に晒され、目を覚ました後も自分の罪を正当化しようとする発言が見受けられた。勝巳と違い、救いようの無さは火を見るより明らかだ。

 面会時間が終わる直前、勝巳は両の掌を窓に張り付かせる。

 水依と王虎は、それぞれ片手の掌を彼の掌と重ね合わせた。

 二人と一人を隔てる窓なんて、彼らには在って無いようなものなのかもしれない。

 留置所を出て、一旦は王虎と別れ、水依は駅前の噴水広場で身を震わせていた龍也に手を振った。寒空の下で長時間待たせてしまったのは本当に申し訳なく思っている。

 彼と向かい合い、水依は手に提げていた小ぶりな紙袋から、王虎の手を借りて綺麗にラッピングした小箱を差し出す。

井草水依

これ、四日遅いバレンタインデーの
プレゼント

火野龍也

わざわざ持ってきてくれたんすか?
超嬉しいっす!

 年不相応な外見の強面が年相応にはしゃぐ姿は何となく可愛らしかった。

火野龍也

人生初の同い年の
異性からの
バレンタインデー
プレゼントっす!

これで今年は
胸を張って
生きていけます!

井草水依

悲しいことを言わないの
これからも毎年作ってあげるから

火野龍也

マジっすか!?
わっほーい!

 喜び過ぎだ。彼がどれだけ荒んだ心の持ち主だったかがよく分かる。

井草水依

……火野君

火野龍也

はい?

井草水依

言いそびれてた。ごめんなさい

火野龍也

え? 何で?

井草水依

私の為に、あんな危ない目に
遭わせちゃって

火野龍也

何言ってんすか
俺はほとんど何もしてないっすよ

井草水依

そんなことは無い
あの時、火野君が来てくれて、
凄い嬉しかった

 もしあの場に到着したのが杏樹だけだったら、こうして龍也と顔を合わせることさえ辛いと思っていただろう。

 彼の勇気を見習いたい。あれは心の底からそう思った瞬間だったのだ。

井草水依

ありがとう
貴方のおかげで、
私は心の底から
笑えるように
なりました

火野龍也

れ……礼ならあの二人に
言って欲しいっす

 照れているのか、龍也が耳まで赤くして顔を背けた。

火野龍也

それより、さっき葉群さんからメールが来ました。これから一緒に、葉群さんと貴陽さんが行きつけにしてるラーメン屋に来ないかって

貴陽さんも東雲さんも、
いまそちらに向かってるそうです

井草水依

青葉……

 あれから青葉には一回も会っていない。勝巳の逮捕や保釈に関する手続き、自身の事情聴取などに追われていたので、あの日からいまに至るまでは知人友人に会うどころか学校にすら行っていないのだ。

火野龍也

彼女はきっと、
純粋に喜んでくれると思います

 こちらの心境を見透かしたのか、龍也が飄々と言った。

火野龍也

最近一緒に居て良く分かりました

彼女は体が小さくても
心はビッグな人です

井草水依

……そうだね
うん、その通りだよ

 彼に言われるまで忘れていた。

 貴陽青葉という人間が、神より寛大な心の持ち主だということを。

『禁忌の探偵』編/#4最高の相棒 その五

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