水依がいる部屋まであと一息だったのに、最悪の形で足止めを喰らってしまった。
青葉が仮面の奥からPSYソルジャーズを睥睨していると、何が可笑しかったのか、高白が耳に障る哄笑を上げる。
水依がいる部屋まであと一息だったのに、最悪の形で足止めを喰らってしまった。
青葉が仮面の奥からPSYソルジャーズを睥睨していると、何が可笑しかったのか、高白が耳に障る哄笑を上げる。
ふぉっふぉっふぉ!
これで貴様らは袋の鼠という奴よ
このビルはまさしく理想の監獄
我々こそは水依様を護る
最後の関門といったところか
あなた達は一体何がしたいの?
杏樹が前に出て毅然と言い放つ。
新薬開発部門の主任とか言ったわね
PSYドラッグとPSYドライバーが
完成した以上、あなた達が水依ちゃんを
護る必要はもう無いでしょ?
ありますとも
彼女は未来学会の旗印
これからも未来学会の連中を
押さえつけておくには水依様の力が
必要となるでしょう
当然の話です
人間を何だと思ってんのよ。腐ってるわ
んん? 貴方達こそ何を言っておられるのかな?
高白は本気で理解不能といった反応を示す。
まさか、貴方達は彼女を
一人の人間として尊び、
ヒューマニズムでこの私に楯突いている
のでは無いでしょうな?
だとしたら笑止千万
彼女はこの世界の未来を決める
礎として存在する神であり、
貴方達のような下等な人種とは
次元を異にしているのです
その神様を傀儡に仕立て上げ、
あんたの手で未来学会どころか
全人類まで支配しようっての?
馬鹿みたい
まるであんたが神様になるとでも
言ってるみたいじゃない
前言撤回します
池谷杏樹、貴女はそこらの馬鹿より
呑み込みが早い
いまこの場で投降するなら、
私の部下として貴女を歓迎して
差し上げましょう
だーれがあんたみたいなマザファキ野郎の靴を舐めるかっての
全く以てその通りっす
龍也が地の底から響くような声を奮い立たせる。
未来を決める礎?
次元を異にする?
下等なのはあんたの思考回路っす
ほう?
井草さんは神なんかじゃない
彼の拳に鉄さえ握りつぶさん程の力が込められる。
いつもぼーっとしてて、朗らかで、
たまに不器用で、そのせいで自分の未来まで犠牲にすると決めるような、
とても優しい一人の女の子っす!
彼女の未来を決める権利は彼女以外の
誰にも無い。それでも誰かがあの子の
未来を奪うなら、俺達があの子の未来を
奪い返してみせる
少なくとも、てめぇみたいな
腐れ外道には絶対渡さない!
だからどうした!
高白が絶叫して両手を広げる。
現実を見るがいい!
この状況、
この戦力差!
水依様のもとへ
行きたければ、
お前達だけでこの
PSYソルジャーズを切り抜けてからにしろ!
言われなくても、そうさせてもらう
青葉が二丁のベレッタの銃口を眼前の敵に向ける。
私が連中の足止めをする
池谷社長と火野君はその隙に
巫女の間へ急げ
たった一人で
何が出来る!?
高白の言う通り、あの人数を相手に一人で戦うのは無謀が過ぎる。理屈から言えば全滅は避けられないし、そもそも足止めすら叶わない。
それでも、やるしか無いんだ
自分に言い聞かせ、改めてそうするしかないと確認する。
例え自分の命を擲ってでも水依を助け出す。最初から決めていたことじゃないか。
大丈夫。私が死んでも、白猫の仲間が、黒狛の連中が、あゆが、火野君が、新渡戸さんが、石谷さんが――黒い仮面のあいつが、きっと何とかしてくれる。
お嬢さん
君は下等を下回る低劣にして
愚鈍な生物らしい
高白が片手を挙げると、銃火器を携えた敵が一斉に銃口をこちらに向ける。
さようなら。白猫のおバカさん
彼の片手が降り下ろされ、敵勢の引き金が落ちる。
頬の横を何かが通り過ぎる感覚。敵の銃弾だろうか。
いや、違う。
後ろから、丸い何かが飛んできたのだ。
手榴弾っ――!?
彼の頭上に浮いていた、オリーブ色の球体が爆発。咄嗟に高白の前に躍り出た三人の敵が爆風を受けて首や腕を吹っ飛ばされた。
白煙が前後左右に広がって漂う様を呆然と眺めていると、後ろ側の通路から、黒い人影がゆったりと歩いてくる。
彼はやがて、青葉の目前で立ち止まった。
お前は……
ようやく来たわね
杏樹がふっと笑みを浮かべる。
うちの、エースが
青葉とは対照的な黒いジャケットと黒い犬の仮面。腰には何処かで見たような日本刀が差してある。
初めて姿を見る。彼は黒狛探偵社のエース。コードネーム・黒狛四号だ。
黒狛四号
あなたの無期限休暇を解除します
杏樹が意気揚々と告げる。
休み明けの初仕事よ
思いっきり暴れてきなさい
イエス、ボス
彼はいつも聞いたような声で応じ、左手で懐から十手を、右手で腰の日本刀をゆらりと抜き放ち、煙幕の中へ鋭く切り込んだ。
突然の事態に騒然となっていたPSYソルジャーズ達は陣形を崩され、黒狛四号が放つ正確無比の斬撃を甘んじて受け入れるという憂き目に遭っていた。彼の太刀捌きと十手捌きは実に鮮やかで無駄が無い。自分に触れさせず、相手をとにかく速く殺れとプログラミングされた戦闘マシンみたいだ。
一人で五人の敵を葬ると、彼の背後から剣と槍を振りかざす別の敵が飛び掛かる。
青葉が両手の銃を発砲。その二人の頭を即座に撃ち抜いた。
何をしている!
青葉は口をぽかんと開けて立ち尽くしていた龍也に檄を飛ばす。
ここは私達に任せて、
二人は早く水依のところへ!
でも、それじゃあ二人が――
お前が言ったん
だろうがっ!
自分の肩ごしに龍也を睨みつける。
自分の手で
奪い返して来い、
未来を!
……っ!
龍也が意を決したように頷くと、杏樹が鋭く先導する。
行くわよ!
はい!
二人が同時に駆け出すと、高白がその場でへたり込みながら扇子を突き出す。
ここを通すな!
奴らを殺せ!
指示に応じ、三人の敵兵が杏樹と龍也に正面から突っ込んできた。
杏樹が正面の敵から奪ったナイフで、元の持ち主の頸動脈を切って絶命させる。左右から挟み撃ちしてきた敵は、青葉と黒狛四号が一人ずつ葬った。
退けやオラァ!
龍也が見た目通りの恐ろしい怒声を放ち、正面の敵にタックルをかまして吹っ飛ばす。普段は温厚な彼も、本当にキレるとこの程度は簡単にやってのけてしまうらしい。
杏樹と龍也があっさりと敵勢を切り抜けて奥の通路に消える。
黒狛四号と青葉は手近な敵を一瞬で片付けて並び立つと、遠巻きにこちらの様子を窺っていた敵勢を睥睨してから同時に駆けだした。
発信機を取り付けた車が地下駐車場から飛び出し、市の中心を離れ、国道を沿って静岡方面に向かう。
この様子を、玲はノートパソコンの画面に表示されたマップでモニタリングしていた。
高速で動いている赤いビーコンが件の車両。三つの青いビーコンが警察車両だ。新渡戸と結託して、味方である警察車両は玲の指示を受けて対象を追跡している。
しかもただの追跡ではない。交通網が復旧し始めたこのタイミングで、人や車の通りが比較的少ないであろう地点へ追い立てているのだ。
きっと、追跡対象の運転手はこう思っているだろう。
何で俺が警察車両に追われているんだ? 一体何処で情報が漏れた? ――と。
……こちら黒狛三号
そろそろ狙撃ポイントをM1が
通過します
了解。タイミングの指示を
ええ
赤いビーコンが向かう先には、決して動かない緑色のビーコンが点滅している。
対象がポイントに辿り着くまでの予測時間が迫ってきた。
彩萌市は富豪が多い関係で、自家用機の離陸に必要となる非公共用飛行場が設営されている。この施設にはIMSの社用ヘリを一機だけ駐機させており、最近ではとあるご夫人の依頼を受けて、犬探しの為だけに華麗なる燃費の無駄遣いを働いてしまった。
機種はアグスタA119コアラのステルス塗装仕様。見た目が気に入ったのと、民間機にしては搭乗人数が多いからという理由で購入に踏み切った代物だ。
泰山は床に体を固定して、開け放ったハッチからドラグノフの銃口を覗かせ、スコープ越しに広々とした人気の無い灰色の道路を凝視していた。
距離は大体一キロ弱。飛行中なので風が強い。弾道の逸れは既に織り込み済み。
耳のインカムから玲の声がした。
カウント四秒前。三、二、一――
泰山の直感が告げる。
ああ、当たるな、これは。
――いまっ!
発砲。ビルや家屋の隙間を通り抜け、7.62×54mmR弾の一閃が追跡車両の後輪右側を見事に撃ち抜いた。
人通りが少ない閑散とした住宅街付近の大通りで、黒いプリウスのタイヤが予定通りのポイントでバーストして車体をスピンさせ、手近なガードレールに衝突してようやく活動を停止した。
警察車両の三台が即座にプリウスを包囲すると、うち一台に乗り合わせていた新渡戸と共に部下の巡査達が一斉に降車して、問題の車に乗っていた人物の顔をガラス越しに確認する。
間違いない。警察庁次長・村井重三だ。
新渡戸は降車時に持ち出したレスキューハンマーで運転席側の窓ガラスを割って、手際良く扉のロックを解除して重三を引っ張り出し、彼の懐から電子キーを奪い取って後部トランクを空けて中を改める。もしかしたら未来学会が保有していたPSYドラッグとPSYドライバーを大量に持ち逃げしている可能性があったからだ。
しかし、入っていたのは予想外にも、初老の男性だった。
マジかよ
き……君は
まだ意識があったらしい。井草勝巳は両手両足を縛られたまま、新渡戸を虚ろな瞳で見上げていた。目立った外傷は無いが、脱力の具合から見て、スタンガンみたいな非殺傷兵器を喰らった可能性が高い。
新渡戸は仕方なく、自分のスマホで救急車を要請した。
巫女の間に掛かっていた鍵は、杏樹がこっそり携帯していた自動拳銃で破壊した。
龍也は彼女と一緒に部屋の敷居を跨ぐと、手錠で足首を玉座の脚に繋がれたままへたり込んでいた水依の傍に駆け寄った。
火野君……?
井草さん、
もう大丈夫っす
火野君。水依ちゃんの耳を塞いで
杏樹が手錠の鎖を拳銃で破壊すると、龍也はすぐに水依の体を抱え上げて部屋を去り、階段を駆け上って屋上のヘリポートに向かった。
その道すがら、背後の杏樹がスマホで別行動中の玲に連絡を入れる。
お姫様を確保!
屋上にヘリを寄越して!
これで少なくとも龍也と杏樹、水依の安全は確保される。
しかし、下の階に残してきた紫月と青葉はどうなる?
……青葉は?
憔悴しきっているというのに、水依はまず真っ先に青葉の心配をした。
いま葉群さんと一緒に戦ってるっす
大丈夫、あの二人が揃えば
無敵っす!
これは決して水依に対する気遣いではない。確証があるから言っているのだ。
紫月も青葉も、一人一人はたしかに優秀だが、決して度を越して強くはない。杏樹や幹人、他のメンバーと比べたらプロとしてはまだまだ欠点だらけだろう。
でも、あの二人が一つになったら?
まるで互いの欠点を埋めてしまえるくらい正反対な二人が一堂に会したら?
だからこそ、龍也は信じて前に進み、水依とこうして再会したのだ。
二人共……絶対に帰ってくる
いまの龍也には、二人が滅びるイメージが全く浮かばなかった。
肉体強化と未来予知を有する四十五体、発電体質や発火体質といった超常系の力を有する十五体の計六十体で構成された無敵の超能力集団、PSYソルジャーズ。彼らはライズ製薬新薬開発部門で管理していた被験体の中でもPSYドラッグに対する適性が高く、その上で戦闘に関する優秀な資質を持ち合わせた者達ばかりだ。
だというのに、このザマは何だ?
白猫と黒犬の仮面を被った一組の少年少女を相手に、傷一つ負わせていないどころか、逆に圧倒され始めているではないか。
高白がいま目の前にしている光景は、さながら悪夢の仮面舞踏会だった。
白猫の少女が二丁拳銃を操り、PSYソルジャーズが火炎や電撃などを放つ前に急所を的確に撃ち抜いて一人ずつ死滅させる。
黒犬の少年が日本刀と十手を快刀乱麻の如く振り回し、荒々しく兵の胴や首を裂いて血風を撒き散らしながら次の兵に飛び掛かる。
この上に厄介なのは二人の連携の密度だ。黒犬の少年に隙が生まれたら白猫の少女が遠距離からの発砲で対処し、白猫の少女が開いた活路を突き進みながら黒犬の少年が一撃必殺の太刀捌きでPSYソルジャーズをばったばったと斬り伏せる。まるで盾と剣だ。
いくら未来を予測出来ても、二人を捉えられなければ意味は無い。こちらの攻撃は絶対に当たらないし、あちらが放った攻撃をこちらは絶対に避けられない。
つまり、PYSソルジャーズは確定した敗北の未来へと歩を進めている状態なのだ。
ば……馬鹿な……っ!
兵力の四分の三を失ったところで、高白の声がしゃっくりのように引き攣る。
たった二人で……私の精鋭を……
床一面に広がる内臓や肉塊、高濃度の薬物を含んだ粘り気のある血の池が、彼らが行った殺戮がどれだけ凄惨であったかを示す成績表のようだった。
再び隣り合った暴虐の化身達に向かって、高白は錯乱と共に叫んだ。
貴様ら……一体何者だあああああああああああああっ!?
彼ら一人一人の正体は大体検討がつく。
でも、二人が揃った時に生まれる悪魔の正体を、高白はまだ知らなかった。
知らないなら
教えてやる
黒狛の少年が十手の先を前方に振り上げるのと同時に、白猫の少女も片方の銃口をぴたりと高白の額にポイントする。
私達は彩萌市を護る最後の盾
そしてこの街に害を成す馬鹿共を
ぶった斬る最後の剣
私は
俺は
悪魔の名が、いま明かされる。
白猫探偵事務所の
黒狛探偵社の
秘蔵の
探偵だ
突如として横の壁が大爆発を起こして吹っ飛ばされ、灰色の煙が二人と高白の間に割り込んできた。何者か知らないが、外側から爆発物でこのビルを攻撃したのだ。
高白は腕で顔を覆うと、煙が晴れると同時に、壁に空いた風穴の前に急ぎ、信じられない光景を目の当たりにした。
なんと、あの二人は近くを飛んでいたヘリのハッチから降ろされた縄梯子に捕まって、このビルからの脱出に成功したのだ。正確には、黒犬の少年が片手だけで縄梯子に捕まり、白猫の少女が彼の空いた片手を掴んでぶら下がっている。
青葉ぁああああああああああああ!
この階より一際低い近くのビルには、二人の人物が控えていた。
一人は白猫探偵事務所の蓮村幹人。もう一人は、ロケットランチャーの弾頭を交換している真っ最中の大柄な男だった。ビルの壁を爆破したのは後者だ。
黒狛の少年が白猫の少女を片腕の力だけでぶん投げると、幹人が頭上から落ちてきた少女を受け止めて地面に倒れ込む。
高白は唖然と呟いた。
秘蔵の……探偵
これは何かの間違いだ。たかが探偵如きに我らの神を奪われ、しかもたった二人の子供にこちらの戦闘力を食い荒らされ、未来学会に仇を成した全ての人間に逃亡を許すとは。
これを人は、完全敗北と言うのだろう。
……げっ!?
悪夢はまだ続いていた。
いましがたロケットランチャーの弾頭を交換し終えた大柄な男が卑しいにやけ顔を晒し、得物の筒先をこちらに向けてきたのだ。
発射。白と灰色が入り混じった煙の尾を曳き、ロケット弾が身を伏せた高白の頭上を通り過ぎ、あろうことか残りのPSYソルジャーズの群れに突っ込んでしまった。
大爆発。至近距離で巻き起こった爆風に煽られ、床に転がっていた人の腕や内臓といったグロテスクな代物が壁の大穴から掃き出された。
かろうじて転落を免れた高白は、目の前に落ちた味方の生首としばらく睨めっこして、やがて全ての終わりを悟って意識を失った。