路上駐車の解消を目的として設置された駅前の市営駐車場は、未来学会の地下駐車場とそのまま繋がっていた。市営駐車場の地下は関係者用の車両を停める為にある空間だが、奥の物資搬入口から先は地下鉄の線路みたいなトンネルになっていたのだ。

 停めてあった適当な車のスマートキーを玲にハッキングしてもらい、彼女の運転で隠し通路の暗がりを静かに進む。この車を後で元の場所に戻す為、未来学会の地下に着いたら、玲とは車と共に別行動となる。

 後部座席に龍也と並んで座っていた青葉は、窓の外を意味も無く眺めながら、ついさっき打ち立てた救出作戦の概要を思い出していた。

 作戦の立案者である玲と、警察関係者との人脈が深い泰山、そして幹人の三人だけの短いディスカッションと他方への電話による情報入手を経た結果、作戦は次のように展開されることが決まった。

美作玲

二手に分かれて
行動しましょう

 玲がホワイトボードと黒いマーカーを用いて作戦の概要を説明する。

美作玲

一つは井草水依ちゃんを
直接奪還する救出部隊

もう一つはとある車両を
確保する捕獲部隊です

火野龍也

捕獲部隊?

 龍也が太い首をかしげる。

火野龍也

何の話ですか?

美作玲

さっき井草さんから青葉ちゃんに
届いたメールには
車のナンバープレートの番号が
記載されていたの

それがいまから一時間後に
未来学会の地下駐車場に停車するから、
これを彩萌市内の人が少ない場所で
押さえて欲しいんだってさ

 彼女の口ぶりだと、その情報は水依の未来予知によるものだと分かる。

石谷泰山

その役割は俺と美作さんでやる

 泰山が挙手して申し出る。

石谷泰山

東雲さんの調査結果によれば、
駅前の市営駐車場から未来学会の
地下駐車場まではトンネルで
繋がっているそうだ

救出部隊には市営駐車場から潜入して、
小型のGPS発信機をその車に
装着してからビル内の探索を
始めてもらう

火野龍也

その車って誰のですか?

石谷泰山

交通局の連中によると、そいつは
警視庁のお偉いさんの車で、
しかも新渡戸さんや小樽署長も
彼の行方を追っていたらしい

にわか信じがたいが、
彼女の未来予知能力は
本物みたいだな

 泰山も元は警察組織の人間だ。特に地元の警察との親交は深い。幹人の存在は今日初めて知ったようだが、新渡戸とは仕事で何度か会ったことがあるらしい。

石谷泰山

そこで署長に進言した結果、
ハンティングゲームへの
参加の許可が下りた

よって俺は救出部隊には
参加出来ない

貴陽青葉

人手を欠くのは惜しいが、
それが水依の頼みなら
聞かない理由は無い

 あれだけほっとけだの止めろだのと言っていた水依が、最後の最後で助けてと涙ながらに懇願した。その上で発信した要求なら、きっとそれには必ず意味がある。

 少なくとも、青葉はそう信じていた。

池谷杏樹

で、救出部隊はどーすんの?

 杏樹がソファーの上で脚を組みながら横柄に訊ねる。

池谷杏樹

まさか青葉ちゃん一人に
行かせる気じゃないでしょうね?

美作玲

勿論、
社長も一緒です

 玲がマーカーの先で杏樹を指す。

美作玲

それから、火野君
あなたも救出部隊の仲間入りです

火野龍也

俺っすか?

美作玲

発見した水依ちゃんを担いでいく役割。それに、会いたいんでしょ?

火野龍也

分かりました。俺、やります!

東屋轟

おいおい、ちょっと待てや

 龍也が意気込んだと思ったら、今度は轟が不平を漏らす。

東屋轟

ビルの中が手薄とは限らんだろ
素人が突っ込んだところで
足手纏いにしかならないぞ

美作玲

これまでの話を聞く限りでは東雲さんが先行してる筈です

彼女と青葉ちゃん、社長がいれば
火野君一人が居たところで
足枷にもならないでしょ

東屋轟

じゃあ、俺はどうすんの

美作玲

東屋さんの仕事は救出部隊に
対する保険です

 玲はホワイトボードに、救出の簡単な手順を描き記した。

美作玲

ビル内に侵入した救出部隊が
水依ちゃんを発見、保護して、
石谷さんが手配したヘリを使って
屋上のヘリポートから脱出する

もし何かしらの要因で救出部隊が
屋上まで来れなくなった時は、
東屋さんがビルの外壁に穴を空け、
そこから救出部隊を脱出させる

出来ますよね、その程度の芸当

東屋轟

あんま使いたくないんだけどなぁ

 轟は杏樹の執務机の後方にある扉を空けて一旦その奥に引っ込み、黒光りする大型の筒を抱えて部屋から気だるそうに再登場する。おそらく、あそこは黒狛の秘蔵っ子専用のモニタールームだろう。彼と同じ立場の青葉には簡単に察しがついた。

東屋轟

これ、誰にも言わない頂戴ね

 彼が持ち出したのは、いわゆるロケットランチャーだ。しかも、かの有名なRPGである。こんなものを隠し持っている探偵社は、世界広しと言えど黒狛だけだろう。

池谷杏樹

さて。じゃあ、
行くわよ

状況開始!

 杏樹が立ち上がり、両手を強く叩いて乾いた音を打ち鳴らした。

 情報戦・電子戦のエキスパートにして参謀役の美作玲、ありとあらゆる武器を使いこなす元・自衛隊員の東屋轟。黒狛が戦闘力最強などと陰で噂されているのは、主にこの二人の超常的な特技に起因しているのかもしれない。

 敵に回すと恐ろしいが、味方になると非常に頼もしい。うちの事務所はいつもこんな連中と張り合っていたのかと思うと冷や汗が出る。

美作玲

着いたわ

 件の地下駐車場に着き、玲以外の全員が降車する。

 玲の車が折り返して去ると、杏樹が早速問題の黒いプリウスを発見し、あらかじめ泰山から受け取っていた小型の発信機を車体の真下に取り付けた。

 その間に、青葉もいつも被っている白猫の仮面を装着する。今回は激しい戦闘になる可能性があったので、ボイスチェンジャー機能はあらかじめ取り除いている。

 無駄口を叩いている余裕は無い。三人はエレベーターの横の階段を三段飛ばしで駆け上る。杏樹が先頭、龍也が真ん中、青葉が殿だ。

 五階まで来て、杏樹が息を切らしながら呟いた。

池谷杏樹

思ったよりすんなり進めてる
気持ち悪いわね

貴陽青葉

あゆから貰ったマップだと
地下駐車場のさらに下の階に
シェルターがある

兵力が出払う直前に事務員なんかは
そこに避難したんだろう

誰もいなくて当然だ

 貰ったマップの情報は全て頭の中に叩き込んである。記憶力には自信がある方だ。

 無言で走り続けているうちに額から汗が噴き出てきた。地上六〇階のビルを走って昇るのは苦行以外の何ものでも無い。

 先に音を上げたのは杏樹だった。

池谷杏樹

ねぇ、やっぱり関係者用の
エレベーター使った方が早くない?

貴陽青葉

王虎の所在が掴めない以上は却下
ここの職員百人よりもあいつ一人が
断然厄介だ

池谷杏樹

そんなに強いの? その……ワンワン?

貴陽青葉

ボケる余裕があるなら
まだ大丈夫だな

火野龍也

二人の体力が俺には
信じられないっす

 龍也が顔色一つ変えずに言った。

火野龍也

やっぱり探偵ってタフなんすね

貴陽青葉

そういう君もいい走りっぷりじゃないか

火野龍也

まあ、体力だけは
いっちょ前なもんで

 適当に会話しながら走っているうちに、いつの間にか五十階まで辿り着いていた。

池谷杏樹

およ?

 次の五十一階に上がろうと身を翻したところで、三人の前にベージュ色に塗装された防火扉が立ちはだかった。これより先の階は行き止まりである。

池谷杏樹

うっそぉ!?
ここまで来て、もう上に上がれないの!?

貴陽青葉

エレベーターも止まっている

 青葉は横のエレベーターのスイッチを何度か押し込み、階数表示を睨み上げた。

貴陽青葉

ある程度の階層まで辿り着けば
侵入者はそう簡単には
逃げられなくなる

このビルが無駄に高い理由も
これで説明がつくな

池谷杏樹

こうなったら正面突破しか無いわね

 杏樹は手持ちのタブレット端末にこの階のマップを表示する。

池谷杏樹

この通路を抜けた先は
修練部屋になってる
ここの階だけ防火扉が
降りたってことは、
連中は十中八九、私達をあの部屋に
招待するつもりでしょうね

 ここからでも例の部屋に繋がる扉が見えている。通路に光源がほとんど無い為、まるで地獄に繋がる門でも見ている気分になる。

貴陽青葉

完全に罠だな

火野龍也

でも、行かなきゃ

 龍也が一歩分だけ踏み出した。

火野龍也

最初から命懸けは覚悟の上っす

貴陽青葉

よく言った。行くぞ

 三人は慎重に通路を進み、扉の前で立ち止まり、息を呑んで取っ手を握り締めた。龍也が右側、杏樹が左側の扉を同時に開き、青葉が銃口を部屋の中に突き出した。

 コンクリートの柱と打ちっぱなしの床だけの殺風景な部屋だった。

高白

黒狛探偵社の池谷杏樹社長、
その他水依様のご友人方、

よくぞいらっしゃいました

 対岸の通用口を塞ぐように、白いおしろいを顔に塗りたくった痩躯の男が立っていた。

 しかも彼の横には、銀色のボタンが至る所に付いた白いジャケットを纏う人間達が鶴翼の陣を敷いていた。全員もれなく腕にPSYドライバーを装備しており、頭にはヘッドマウントディスプレイのような機械まで装着している。

 数は五十から六十といったところか。揃いも揃って剣や薙刀、銃火器などで武装しているところを見ると、少なくともこちらと友好的に接してくれるつもりは無いらしい。

高白

お初にお目に掛かります
私はライズ製薬株式会社
新薬開発部門主任の高白と申します

そして私の横に広がる彼らは、
私の部門が総力を上げて開発した
改良型PSYドラッグの被験体の
中でも最高の戦闘能力を誇る
精鋭部隊

 勝手にべらべら喋ったかと思えば、高白なる男は懐から取り出した扇子をばさっと広げて、ほくそ笑むと同時に口元を隠した。

高白

正式名称、
PSYソルジャーズと申します

 仕事終わりの飯は最高だ、と言わんばかりに、あゆは食堂で満漢全席を楽しんでいた。

 未来学会の非戦闘員は別の場所に避難している。万が一侵入者が現れた時の備えとして、彼らの安全だけは何があっても確保したかったのだろう。外で薬漬けの連中を大暴れさせるように命じた奴とは思えない配慮だ。もしかしたら指揮官は二人いて、うち一人は不要な争いを避けたいと考える穏健派なのかもしれない。

 スパゲッティやハンバーガーを貪って脂肪分を摂取しながら、あゆはひたすら待ち続けていた。

 最後に残る、最大の障害を。

東雲あゆ

こんなに食べたら太っちゃーう
でも、まあいいか

 手を伸ばそうとしたフライドポテトが目の前で破裂した。顔や服にマッシュされたジャカイモの飛沫が降りかかる。

東雲あゆ

わ……私のフライドポテトがあああああああっ!

王虎

呆れた。
敵の本拠地でランチタイムとか、
イカれてるにも程があるわ

 食堂の入り口からサイレンサー付きのハンドガンを突き出していた王虎が、本気で呆れ返ったように肩を竦めた。

王虎

これまで数多くのイカレ野郎と対峙してきたけど、あなたはその中でもとびっきりのおバカさんね

東雲あゆ

いえいえ、私なんかまだまだですよ

 あゆはゆっくりと席を立ち、手元のフォークを弄びながら挑発する。

東雲あゆ

この程度じゃあの二人には及ばない

王虎

あの二人? 誰のこと?

東雲あゆ

さあ?
でも、いずれ会えるんじゃない?

 あゆは伸びをすると、屈伸や前屈といった準備体操をしながら言った。

東雲あゆ

それでさ、王虎さん
もし良かったら、これから食後の
運動に付き合ってくれません?

王虎

なるほど。あなたは単なる囮
侵入者が水依様を奪還するのに
邪魔な奴らをこの場に
呼び寄せる餌って訳ね

東雲あゆ

狙いが分かってるのに
わざわざ来ちゃうって、
王虎さんもお人良しだなー

王虎

私がいなくても侵入者対策は
万全だもの

それに、あなたを放っておくと
ロクなことにならない気がしてね

 王虎はストラップで提げていたAKライフルの銃口をあゆに向けた。

王虎

悪いけどここで死んでちょうだい、
現代に蘇った忍者さん

東雲あゆ

私は忍者じゃない

 スカートの下からクナイを抜き出し、腰を低く落とす。

東雲あゆ

通りすがりの
探偵だよ

 呵責容赦の無い王虎の発砲と共に戦闘の火ぶたは切って落とされた。

 火花と硝煙が弾ける銃口から目線を外さず、居並ぶ机の上を走りながら弾丸を回避、蹴っ飛ばした椅子で相手の射線と視界を遮った。

 王虎が椅子をかわし、再び発砲。あゆはリロードの隙を縫って右手を一閃、投擲したクナイで銃口の先端を破壊する。これでAKは使い物にならない。

 王虎はコンバットナイフとハンドガンを抜き、発砲しながらこちらへ素早く詰め寄ってきた。これが彼の本来の戦闘スタイルらしい。

 さっきから持っていたフォークを投げて王虎の突進を一瞬だけ牽制して、

東雲あゆ

風魔戦技・蹴の一――万物返し!

 手前の机を蹴り上げ、即席の壁としてお互いの間を遮った。

東雲あゆ

続いて打の一

天嵐掌!

 机の天板を螺旋気味に捻った掌で突き飛ばして王虎にぶち当てる。これはさすがに効いただろう。

 と思ったら、一旦は倒れたものの、王虎は案外簡単に起き上がり、ハンドガンで発砲。

 弾丸があゆの頬を掠めて小さな傷を作る。

王虎

強い……!

東雲あゆ

あっぶねぇ、
死ぬとこだった

 二人して、互いの実力に畏怖する。

王虎

うっふふーん、青葉ちゃんでも
こうはいかなかったわよん?

東雲あゆ

あなたが思うより青葉は強いよ
少なくとも私なんかより、ずっと

王虎

彼女を随分と高く買っているのね

東雲あゆ

本当のことだよ

 私は知っている。青葉の強さは、決して単純な腕っぷしだけじゃない。

 彼女の弾丸はもっと疾く、もっと鋭く、もっと重い。的の中心の、さらに向こう側を狙う心眼があるからこそ、彼女の銃弾は世界の何処にでも当たってしまう。

 王虎が放つ、静の美を体現するような弾丸に、勝るとも劣らない。

東雲あゆ

私を倒したければ貴陽青葉か葉群紫月を連れてきな

王虎

……そう言われたら負けを
認めざるを得ないわね

 何を思ったのか、王虎はハンドガンを下ろした。

王虎

例え貴女を倒したとしてもそれを越える怪物があと二人? 冗談じゃないわ

命がいくつあっても足りやしない

東雲あゆ

じゃあ、いますぐ依頼主を
見捨てて逃げちゃう?

王虎

……私だって、迷ってる

 彼の瞳からは、既に戦意が喪失していた。

王虎

井草家のボディガードだって、
最初はただの仕事のつもりだった

でもね、彼らはこんな私を
家族の一人として扱ってくれた
ただ一緒にいるだけで楽しかった

でも私はあくまでただの傭兵
ここで純粋に二人を護りたいと
思ってしまったら、
私は自分の生業を
捨ててしまうことになってしまう

争いの無い温かな場所で
名も無い一人になるか、

命のやり取りに興じて
名のある一人になるか

私はどっちを選べばいい?

東雲あゆ

大切な人を命懸けで護る、
名のある一人になればいい

 あゆは偉そうに言った。

東雲あゆ

水依っちを本当の意味で護りたいなら、私達に力を貸して

王虎

たったいま、貴女がそう必死になる
必要も無くなったわ

 王虎は極めて無造作にハンドガンを食堂の扉に向け、三発発砲した。

 すると、扉のガラス越しに控えていた、三人の白い制服の連中が血の飛沫を散らして立て続けに倒れる。

 すぐさま扉は開かれ、後続の連中がぞろぞろと踏み入ってくる。

王虎

高白の奴、本性を現したわね
おかげで迷いが吹っ切れたわ

東雲あゆ

こいつらは?

王虎

PSYソルジャーズ
ライズ製薬お手製の精鋭部隊

 こいつらの情報だけはあゆも入手していなかった。内偵したのはあくまで未来学会だけで、この短期間ではライズ製薬の調査に手が回らなかったのだ。

王虎

私と貴女が揃った時に来たってことは、
こいつら、私達をまとめて
始末するつもりよ

東雲あゆ

指揮官に裏切られちゃったか
じゃあ、やることは一つだね

 あゆは呑気に伸びをしてから、両指の骨をぽきぽきと鳴らす。

東雲あゆ

私達でこいつらを
ぶっ飛ばそう

王虎

未来予知に
気をつけなさいよ
Are you ready?

 王虎が前方に突き出したハンドガンの銃身とナイフの刀身をクロスさせる。

王虎

stand by――

 PSYソルジャーズも臨戦態勢に入った。

王虎

ready move!!

東雲あゆ

Yeah!!

 踊り手は現代に蘇った忍者、東雲あゆ。介添えは最高峰の傭兵、王虎。

 前人未踏の舞踏会が、いま始まった。

『禁忌の探偵』編/#4最高の相棒 その三

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