隔離病棟に侵入したのはさっきの一人だけ。次の一人は通常の病棟に出てすぐの地点で見つかった。
 相手は二十代後半の女性だ。テレビでよく目にするアーティストにそこはかとなく似ているような気がしたが、だからといって呑気にサインを求める気にはならなかった。

 生憎、色紙なんて持ち合わせていない。ていうか、彼女の名前すら思い出せない。

あれ? まだ生きてるのがいた

 焦点が合わない目がこちらを向く。手には血まみれのメスが握られていた。

 腕には黒い機械。やっぱりあれが狂気の源らしい。

死ねぇ!

葉群紫月

今度はセ●ラさんかよ

 女が馬鹿正直に真っ直ぐ突っ込んできた。紫月は空いた左手で相手の手首を――取ろうとして、空を掴んだ。

 彼女が掴まれる直前で自身の腕を真上に跳ね上げたのだ。

 動きが読まれているのか――まるで北条戦と同じだ。まさかとは思うが、この女もさっきの出っ歯もPSYドラッグを摂取しているのでは?

 逡巡しているうちに逆手に持ち替わったメスの切っ先が紫月の額に迫る。

葉群紫月

あーらよっと

 紫月は特に意識せず、さっと彼女の後ろに回り込んで十手を後頭部に叩き込んだ。

 崩れ落ちる彼女の体を丁寧に受け止め、適当な壁に寄りかからせる。これで二人目だ。

葉群紫月

……そういうことか

 紫月は彼女の腕に装着されていた黒い機械を外し、中に装填されていた液体を機械の小窓越しに見つめ、その正体をすぐに看破した。

 案の定、PSYドラッグだ。しかも北条が使っていたものよりかは性能が低い。

葉群紫月

この機械はPSYドラッグ専用の
注射器って訳かい

誰がこんなモンを――

おいおい、使えねー女だな
なにやられてんだよ

 通路の突き当たりから、遠巻きに別の男がこちらの様子を眺めている。彼も例に漏れず腕には黒い機械が装備されている。さっきの二人よりかは喧嘩慣れしていそうな、肉体的にも屈強な金髪の若い男だった。

おめーか? その女をヤったの

葉群紫月

殺しても犯してもいねーよ
それより、あんたらはこんなトコで
何してんの?

この黒い機械は何? どこ産?

こいつはPSYドライバーつってな

 男は自らのPSYドライバーなる代物をこれ見よがしに持ち上げると、ポケットからUSBメモリーみたいな形をした液体入りの細い容器らしき物を抜き出す。

このアンプルの中に入っている
PSYドラッグを注入する
戦闘用の注射器だ

ドラッグの効果は肉体強化から
未来予知まで何でもござれだ

 一人目の●ムロは肉体強化、二人目のセイ●さんは未来予知か。

 だったら、こいつが使うPSYドラッグの能力は何だ?

いくぜクソガキ
現人神様から受け継いだ力の
片鱗を見せてやる

葉群紫月

は?

 訳分からんことを言ったかと思えば、男はアンプルをPSYドライバーのスロットに装填して、機械本体のダイヤルやスイッチをてきぱきと操作した。

 ややあって、男の掌で野球ボールサイズの火炎が燃え盛る。

葉群紫月

ふぁッ!?

こいつが超人たる俺達の力だああああああああああああああああああ!

 男が火炎をオーバースロー気味にぶん投げてきた。紫月が慌てて身を伏せて回避すると、通り過ぎた火炎がそのまま後方の壁に当たって爆散する。

 壁に入った放射状のヒビを見て、紫月は目を剥いて口をぽかんと開いた。

葉群紫月

……何これ? 何のSF映画?
いま俺、もしかしてミュータントに
襲われてる?

オラオラオラァ!

 火炎の球が立て続けに投擲される。一球入魂とはこのことなのか。こいつはもしかしたらメジャーリーガーになる夢があったのかもしれないというくらいの気合が、投げられる球の全てに込められていた。

 紫月は火炎球を回避しながら相手に肉薄する。

馬鹿め、ビンゴだ!

 男の右手に、さっきの十倍以上の大きさの火炎球が生まれる。

 至近距離で叩き込むつもりか。

終わりだ、
クソガキ!

葉群紫月

お前がな

 場所が廊下の一本道なのもあって逃げ場が無い。かてて加えて、攻撃範囲が広すぎる。

 本当なら、この段階で紫月は燃えカスになっている予定だった。

あっ!?

 男の右手の甲にメスが突き刺さり、発生していた火炎が一瞬で霧散する。

 この隙は逃さない。懐に入り、十手で額を一突き。男が白目を剥いて仰向けに倒れる。

 相手の気絶を確認して額を拭うと、紫月は向かい側に驚くべき人物の姿を捉える。

東雲あゆ

葉群君、おっす。なんだか久しぶり

葉群紫月

誰かと思ったら東雲さんか

 背中に細長い布袋を背負った東雲あゆが、メスを両手一杯に携行しながら歩み寄ってくる。さっきの見事な援護は彼女の仕業だ。さすが忍者の末裔といったところか。

葉群紫月

どうして君がここに?

東雲あゆ

葉群君に頼みがあるの
事情は歩きながら説明するから、
倒した連中を一か所に纏めてから
ここを出よう

葉群紫月

そうだな

 紫月はいま倒したばかりのパイロキネシス使いを見下ろす。

葉群紫月

こいつは……ドモ●かな
リアルで●ッドフィンガー
撃ってたし

東雲あゆ

はい?

葉群紫月

何でも無い。さっさと済ませよう

 淡泊を装い、紫月はあゆと共に気絶中の男女一組を担ぎ上げた。

 あゆから受けた簡単な事情説明のおかげで、今回の一件に関してほとんど無知無関係だった紫月でも状況はすぐに呑み込めた。

葉群紫月

なるほど。天然のニュータイプである
井草さんに人口のニュータイプの
お友達を作ってあげようっていう計画か

 一人で駄目でも皆で行けば怖くない、みたいなノリだろうか。

葉群紫月

でも街の人間を無差別に襲う
理由にはならないよな
やりたいなら組織内だけでヤク中を
量産してりゃ済む話だろうに

東雲あゆ

それにもやんごとなき
事情がありまして……

 病院の敷地を出て、二人は未来学会の方角に徒歩で向かっていた。呑気にバスやタクシーを捕まえている余裕が無いからだ。

葉群紫月

まあいい
で、俺は結局何をすればいい?

東雲あゆ

未来学会のビルに乗り込んで
水依っちを直接奪い返すの

救出作戦の概要は白猫と黒狛の間で
決めるように仕向けたけど、
やっぱり人手が多いに越したことは
無いと思う

もしもの為のピンチヒッター
君と私はその役割だよ

 つまり美味しいところを掻っ攫って千両役者になれと言っているのだ。これまでにこなしたどの仕事よりも難易度が高い。

東雲あゆ

街の掃除は警察がやってくれてる

 あゆが鉛色の空を見上げると、オリーブ色のヘリが何機か頭上を通り過ぎた。

葉群紫月

自衛隊のヘリか
こりゃいよいよ大事だな

東雲あゆ

でも、解決したら英雄になれるよ

葉群紫月

笑うぜ
女の子一人護れなかった奴が
街を救うヒーローになれってか

東雲あゆ

私だって誰一人救えなかった

 あゆは背中の布袋を紫月に手渡した。

東雲あゆ

でも、次を護れない理由には
ならないでしょ?

葉群紫月

かっこいいねぇ

 紫月は布袋の中から、一振りの大太刀を取り出した。

 忘れもしない。これは先の戦いで使用した極上業物――秋嵐だ。

葉群紫月

見るからに新品っぽいな。別固体か

東雲あゆ

秋嵐のコピー品
お祖父ちゃんの知り合いが
四季ノ宮に鍛冶工房を持っててね、
その縁で融通してもらった物なんだ
後でちゃんと返さないとね

 潜入捜査から武器の調達まで手を回した彼女は、もしかしたら探偵や忍者を越えた何かしらのエージェントなのかもしれない。

葉群紫月

東雲さんは先に
本部のビルに向かってくれ

俺より三倍速く走れるだろ?

東雲あゆ

葉群君は?

葉群紫月

どっかで適当に足を拾う
バイクの一台くらいは
転がってるだろ

東雲あゆ

分かった。じゃ、また後で

 あゆの姿が一瞬にして視界から消えた。その速さは三倍どころでは無い。

 紫月は全力疾走で大通りに抜け、病院のテレビで映された事件現場に到着した。ここは彩萌駅前の大きな交差点だ。商社ビルや都会の駅前だったらよくあるような小売業の店舗が居並んでいるのはいつも通りだが、交通網が既に麻痺しているせいか、車道に存在する全ての車がその場で立ち往生を喰らって行列を形成していた。中には横転して炎上している車体なんかも見受けられる。

 救急車を遠くに止めざるを得なかったのか、救助隊がせっせと往来しているというのに特殊車両の一つも見受けられない。歩道には大勢の人々が血を流して倒れており、隊員達はその介抱に当たっている様子だった。警察や自衛隊なんかも護衛や避難誘導に参加している為か、ここに敵らしき人影は既に見受けられない。

 まるで、海外で起きたテロ事件のニュース映像を見ている気分だ。

野島弥一

よし、次だ、次!

西井和音

ちょっとっ……野島、少しは休んだら?
顔色悪いよ?

野島弥一

んなモン誰だって同じだ
社長だって言ってたろうが

最高の仕事をしろって

 既に応急処置が済んだ幼女の前で、一組の男女が言い争っていた。

 あれは白猫探偵事務所の西井和音と野島弥一だ。彼らも救急隊に混じって怪我人の応急手当てに励んでいたらしい。

野島弥一

どうせもうここに敵は来ねぇ
ちゃっちゃと終わらせるぞ――って、

ああっ!?

 弥一がふいにこちらの姿を見て素っ頓狂な声を上げた。

野島弥一

葉群紫月!

西井和音

え? あれが?

 彼らが血相を変えて一斉にこちらへ詰め寄ってくる。この様子だと、既にこちらの正体が彼らには露見しているようだ。

野島弥一

お前、こんなとこで何やってんだ?

葉群紫月

いまから未来学会のビルに
乗り込むところっすけど……

西井和音

よし、それなら丁度いいや

 和音が近くの道端に転がっていた大型二輪――カタナを起こした。

西井和音

さっき連絡が入った
うちのエースと社長も黒狛と組んで
本丸を潰すってさ

だから、あたしがあんたを
そこまで運んでいく

葉群紫月

いいんすか?

西井和音

これで貸し借りはチャラだから
ほら、さっさと乗りな!

 シートに跨いだ和音からヘルメットを投げ寄越され、紫月は彼女の後ろに飛び乗った。

西井和音

野島。すぐ戻るから、
しばらく一人で頑張って

野島弥一

お安い御用だ

西井和音

よし!

じゃあいくよ、
葉群君!

葉群紫月

はい!

 エンジンを入れ、カタナが急発進。

 彼女の運転テクは神業じみていた。いまや鉄の障害物と化した車の間を絶妙な速度変化ですり抜け、時にはもぬけの殻となっていたプリウスを踏み台に特撮も真っ青のジャンプアクションまで繰り広げたのだ。

 話には聞いたことがある。白猫の社員達も黒狛同様、何らかの分野に秀でたプロフェッショナルの集まりであると。

 杏樹によれば、野島弥一はかつて若手の有望な医師として彩萌総合病院で重宝されていた秀才。西井和音はありとあらゆる車両の運転技術に精通した元・スタントマンで、特撮モノの女性戦士のスーツアクターだったという。

 我が黒狛探偵社は、轟や玲に勝るとも劣らない実力を持つ二人を擁する化け物みたいな事務所をライバルとして認めていたのか。

 陳腐な言い回しだが、敵に回すと恐ろしく、味方に回ると頼もしい。

 彼らの力を思い出しているうちに、未来学会の本部ビルが視界に入った。

『禁忌の探偵』編/#4最高の相棒 その二

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