#4 最高の相棒

 青葉と泰山の手前にはきちんと茶が出されているのに、幹人の分だけは用意されていなかった。

 まあ、当たり前か。黒狛からすれば、こちらは招かれざる客だ。

池谷杏樹

ふざけんじゃないわよ

 応接間のソファーの真ん中を陣取り、杏樹が唇をへの字に曲げて管を巻く。

池谷杏樹

あんた達の為に裂ける
人員はうちに一人もいないわ

つーか、自分が関わってる案件で
丸損こいて追い回されてるのは
あんた達じゃない

うちは一切関係無いんですけど
あたし達は一般市民!
だから敵の本拠地に乗り込んで
騒ぎを鎮静化するなんて以ての外!

石谷泰山

そう目くじらを立てないでください

 泰山が苦笑を浮かべながら杏樹を諌める。

石谷泰山

誰だって大変なのは同じなんです
私の部下もいまは白猫の職員を
援護している真っ最中だ

協力する姿勢だって
大事だとは思いますがね

池谷杏樹

そもそも石谷さんは何で
こいつらを連れて来たんですか?

石谷泰山

東雲あゆという
女子高生に
頼まれたからです

貴陽青葉

あゆに?

 青葉が素で驚いたような反応をすると、泰山も似たような顔をして答える。

石谷泰山

君も彼女と知り合いだったか
なら話が早い。我が社もこの事件を
受けて民間人に紛れて四季ノ宮に
避難しようとしていたんだが、
その直前で東雲さんが
飛び込んできてね

俺とも馴染みが深い人物と
関係がある子みたいで、
一応は話だけでもと思って
事情を聞いたんだ

彼女、どうやら未来学会に
何かしらの恨みがあるみたいでね

貴陽青葉

北条の一件だな

 青葉が目を細めて述べる。

貴陽青葉

しばらく連絡が取れないと思ったら
未来学会を嗅ぎ回っていたのか

石谷泰山

彼女が調べ上げた情報は
全て俺が預かっている

もしかしたらこの状況を
打開する突破口になるかもしれない

池谷杏樹

ちょっとちょっと、
勝手に話を進めないでよ!

 杏樹が立ち上がり、全身を使って威嚇する。

池谷杏樹

あんたら人の話を聞いてた?
私達は関係無いっつーの!
大体、さっさと出て行って
くれないと本当に困るんだけど!

東屋轟

そうだな。蓮村さん達を追って、
未来学会の連中がここに
来ないとも限らない

 轟が場違いにリラックスした様子で言った。

東屋轟

何度も言うが俺達は無関係だ
それに、うちのエースを
不能にした奴の頼みを安請け合い
すると思います?

蓮村幹人

……………………

 杏樹と轟の論理は正しかった。理由も彼らがいま述べた通りだ。

火野龍也

だとしても、このままじゃ仕事どころの話じゃないっす!

 龍也が焦燥気味に口を挟んできた。

火野龍也

お願いっす!
金なら俺がどうにか
都合しますから!

池谷杏樹

火野君の頼みでもさすがに無理
探偵の仕事の範疇を越えてるし

火野龍也

そんな……

 突然、部屋全体に乾いた銃声が響き、天井に小さな黒い孔が空いた。

 青葉が天井に向けて発砲したのだ。

貴陽青葉

弾一発分が無駄になった
請求書には誰の宛名を書けばいい?

 一斉にのしかかった沈黙の中、青葉がゆらりと立ち上がる。

貴陽青葉

大人連中が全く頼りにならんようなら、私一人でも水依を助けに行く

蓮村幹人

待て、青葉

 幹人は鋭く彼女を制した。

蓮村幹人

他に手を考えよう
自暴自棄になるのはまだ早い

貴陽青葉

悪いがその口で何を言ったところで
説得力は皆無だ

 それを言われるとかなり辛い。まさか部下に本気で怒られる日が来ようとは。

貴陽青葉

どいつもこいつも役に立たない
もういい

 青葉が毒を吐いて立ち上がり、ソファーを離れて戸口の前に立つ。黒狛どころか幹人ですら見放したようだ。

 彼女がドアノブに手を掛ける。

美作玲

待って

 意外にも、青葉を引き止めたのは玲だった。

美作玲

私、さっきまで例の子を救出する
算段を組み立てていたの

貴陽青葉

何だって?

池谷杏樹

ちょっと、玲……!

 杏樹が止めるのも気にせず、玲は自信満々に告げる。

美作玲

いまこの場にいない人達も含めて、
黒狛と白猫の職員は一人一人が
特定の分野を極めたエキスパート

下手な警察よりは上手くやれる

池谷杏樹

玲! 何を勝手に――

美作玲

社長は黙ってて
ください

 怒っているのか、玲がさっきまでの温和な雰囲気とは似ても似つかぬ形相を浮かべる。

美作玲

街を支配した未来学会の連中は
いずれ人の家に土足で踏み込む

多分、この事務所にも
私は嫌ですよ、そんなの

だって、私はこの黒狛が――
この街が好きなんです

 幹人も美作玲という人物をあまり知らない。仕事上はあまり関わる相手でもないし、そもそも彼女は裏方の仕事が多いと聞いている。でも、杏樹の反応から見るに、彼女がこういった感情を吐露するのは珍しいのだろう。

美作玲

何の変哲も無いこの街で
私達は一緒に生きてきた

黒狛の仲間がいて、
ライバルの白猫の人達がいて、
石谷さんの会社があって、
火野君もいて……

いままでたくさんの縁を
結んでくれたこの街が、
あんな訳の分からない連中に
壊されるのなんて、私は嫌です

池谷杏樹

玲……

東屋轟

言われてみれば、たしかに

 いままで否定的だった轟がようやく肯定的な見解を示す。

東屋轟

そう考えるとだんだん
腹が立ってきたな

美作の言う通りだ

石谷泰山

私も同意です

 泰山が首を縦に振って同意する。

石谷泰山

さて、池谷社長
貴女の部下達は
こう言っていますが、
貴女はどうするおつもりで?

池谷杏樹

……ええい、もう! わーったわよ! やればいいんでしょ!? やれば!

 杏樹が自棄気味に叫ぶ。

池谷杏樹

しゃーないわね!
そんなに言うんだったら
街の救世主くらい
やってやるっての!
で、何だっけ? 救出プラン?
何でもいいからとっとと
話しなさい!

蓮村幹人

私達に協力してくれるのか?

 幹人は慎重に再確認した。

蓮村幹人

すまない。この借りはいずれ返す

池谷杏樹

あんたには何も期待してないっつーの。その代わり

 杏樹は青葉の傍まで駆け寄り、彼女の頭を強引に自分の小脇に抱えこんだ。

池谷杏樹

本日限定であんたと青葉ちゃんは黒狛の傘下に入る。どんなに無茶でも玲の考案した作戦には必ず従う

そういう条件だったら協力してあげる

蓮村幹人

その程度の条件なら
痛くも痒くも無い

貴陽青葉

池谷社長

 青葉が右手に持ったスマホの画面を杏樹の顔の前に掲げた。

貴陽青葉

水依から
メールが来た
これ、何だと思う?

池谷杏樹

……まさか

 杏樹は意外にも複雑そうな反応をした。

 街の大混乱が巻き起こる十分前。紫月は今月で何度目になるか分からないお見舞いの為、斉藤久美の病室を再び訪れていた。

 部屋に入ってベッドの上の彼女と対面する。
 今日で決着を付けなければ――決意した矢先、久美の方から口を開いた。

斉藤久美

また来てくれたんだ

葉群紫月

話があるからな

斉藤久美

私もね、君に話があるの

 久美は寂しそうに微笑んだ。

斉藤久美

初めまして、
葉群紫月君

葉群紫月

……!?

 内臓が口から全て飛び出しそうな気分になり、自然と片足が引いてしまう。

斉藤久美

逃げないで

 彼女は釘を刺すように紫月を制した。

葉群紫月

……斉藤先輩
いつ、気付いたんですか?

斉藤久美

最初から
ごめんね、騙すような真似をしちゃって

葉群紫月

騙す?

 何から何まで訳が分からない。理解に努めようとしても思考が千々に乱れる。

 久美は状況の整理も兼ねて説明する。

斉藤久美

これは最初から全部、私の自作自演
蓮村さんは君よりずっと前から
私のお見舞いに来てくれて、
それで君が私にしたことを
話してくれたんだ

葉群紫月

あいつから何を聞いた?

 何処から質問したらいいか分からなかったが、まずは目先の謎から知りたいと思った。

 久美は瞑目して答える。

斉藤久美

君が私と健の身辺調査をして
報告書を作ったこと、
こんなことになった責任を
取る為に入間と戦ったこと、
君がずっと私のことで
思い悩んでいること――

やっぱり探偵さんって凄いね
たった一人でこれだけのことを
調べ上げちゃうんだもん

葉群紫月

じゃあ本当に最初から最後まで
演技だったってことですか?

斉藤久美

うん

 久美があっさり認めるが、紫月からすれば色々と納得がいかなかった。

 たしかに最初のあたりから既に違和感はあった。事実が発覚した現段階なら、あの時の自分には余裕が無かったからそこまで気が回らなかったのだろうと振り返ることも出来る。

 しかし、それ以上に大きな疑問が残る。

葉群紫月

……じゃあ、先輩はどうして
あんな真似を?

斉藤久美

納得がいかなかったから、かな

 彼女が俯き加減に述べる。

斉藤久美

いまでこそ普通に会話出来てる
かもしれないけど、
思い出すだけでもやっぱり怖いし、
この病院から一歩でも外に出たら
発作が起きて気絶するの

そういう時、
目を覚ましたら必ず考えるよ

何で自分がこんな目に
遭わなきゃいけないんだろうって

 不公平は何処の世にも存在する。生まれながらの敗者も、確実に存在する。それを言い訳と吐き捨てる勝者の発言力が強いこの世界でも、在るものは在るのだから仕方ない。

 同じように、勝者だった者が意味も無く被る損害も確実に存在する。

 例えば、斉藤久美のように。

斉藤久美

そう思ったら、
恨みがましくなるじゃん

 久美は自分の体を両手でかき抱いて、震えていた。

斉藤久美

だったら、こういうことになった元凶に責任を取ってもらうくらいしか、いまの私が納得する方法は無いって……

立ち直れるかもしれないって
思いたかった

ただ、それだけなの

 藁にも縋る思いというのは、まさにこういうのを指すのだろうか。

 どのみち、それで久美の社会復帰の手助けになるのなら、主治医としても協力しない手は無いだろう。だから幹人と結託して、こんな馬鹿げた計画を思いついたのだ。

 しかし、彼女にだって分かっていた筈だ。限界は遠くない、と。

斉藤久美

葉群君は思ったより優しくしてくれた
でも君が必死になりきろうとする度に、今度は見てるこっちが辛くなってさ

だから、今日で許して終わりにしようって思ったの。葉群君だって、本当はそのつもりでここに来たんでしょ?

葉群紫月

……はい

 紫月は俯き、拳を固く握った。

葉群紫月

それから斉藤先輩をどうするかはこの場で考えるつもりでした。だって、支えを失った先輩がどういう行動に出るのか、正直予測がつかなかったから

斉藤久美

だったら良かったじゃん
手間が省けてさ

 無理をしている風も無く、彼女は歯を見せて無邪気に笑った。

 女の子は本音を隠す達人という話を聞いたことがある。もしかしたら、彼女はこちらに心配を掛けまいと無理をしているのかもしれない。

 余計に胸が痛い。鉄板にむき出しの臓物を押し付けているように苦しい。

斉藤久美

私はもう、大丈夫だよ

 久美は人を安心させるような面持ちで告げた。

斉藤久美

時間はもうちょっと掛かるけど
必ず立ち直ってみせるから

葉群紫月

……どうして先輩はそこまで
強いんですか?

斉藤久美

強くないよ
ある人にちょっとだけ
勇気を分けてもらっただけ

葉群紫月

ある人?

斉藤久美

白猫のエースさん

 意外でも何でも無かった。久美の救助を直接行ったのは白猫のエースだけだからだ。

斉藤久美

蓮村さんが教えてくれたの
その人が私を助けて、入間を倒したって
顔は知らないし会いたいと言っても
会わせてくれなかったけど、いまでも
その人は私のヒーローなんだ

だから私はいつかその人に会って、
必ずお礼を言うんだ

 いままでの久美は寄る辺の無い昏い野辺をひたすら這い回っていたに違いない。白猫のエースは、そんな彼女の前に突如として舞い降りた篝火のような存在と言えるだろう。

 今度会ったら、久美の言葉をあいつに聞かせてやりたい。

斉藤久美

だから頑張るよ
あの人のみたいに、
強くなれるように

葉群紫月

……そうか

 もう、彼女の心配はしなくて良さそうだ。

葉群紫月

あいつに貸しが一つ生まれちまった
どうやって返そう

斉藤久美

? あいつ?

葉群紫月

いいや、こっちの話

斉藤さん!

 ようやく場が和やかになったと思ったら、今度は主治医の女性が血相を変えて病室に飛び込んできた。

いますぐこの病院から避難します
あなたも一緒に

斉藤久美

先生? 何かあったんですか?

それはっ――

葉群紫月

あーらら、こりゃ大変だ

 さっきからずっと電源が点けっぱなしになっていたテレビの画面を見て、紫月は眉をひそめて肩を竦めた。

『彩萌市内で謎の集団が暴徒と
化して民間人を襲撃。死者、
怪我人多数』

斉藤久美

酷い……

 久美が映像の中の殺戮を目の当たりにして瞳を潤ませる。

 紫月は即座にテレビを切った。

葉群紫月

あんまりじっと見るもんじゃない
それより、先生

 紫月は主治医と一緒に部屋の外に出ると、小声で話の続きを始める。

葉群紫月

まさか、この病院にも?

ええ。数は三人ですが、一人一人が
化け物みたいな挙動をしてて――

あんなの人間じゃないです
ていうか、そんなことより
この病棟の人達だけでも……

葉群紫月

避難させたい奴が簡単に
動かせるんだったら話は
早いんですがね

聞けば、斉藤先輩はこの病院から
出られないらしいじゃないですか

それは……そうなんだけど……

 さっきから彼女が度々言い淀んでいるのは、ここが精神病患者用の隔離病棟だからだ。それ以外に説明は要らないだろう。

葉群紫月

仕方ない
相手の数が少ないなら俺が
行って制圧してきます

簡単に言わないでっ……!
あれはもうそんなレベルの相手じゃ――

●ムロ・レ●

見ぃつけたぁ!

 廊下の曲がり角から、三十代くらいと思しき出っ歯の男が前のめりに疾駆してくる。

 彼の腕には黒い機械が装着されている。あれが何かは知らないが、テレビの映像に出演していた暴徒の連中が装備していた物品と同じであることから、こいつは十中八九奴らの仲間と見ていいだろう。

●ムロ・レ●

なあなあ見てくれよ!
俺、こんなに速く
走れるんだぜぇええええ!

葉群紫月

ああ、そうかい

 既に相手の目前で腰を落としていた紫月は、上着の懐に右手を突っ込み、

葉群紫月

だから、何だ!

 抜き出した十手を一閃。相手の勢いとこちらの打撃力がぶつかり合い、男の顔が潰れた空き缶のように変形し、交通事故みたいな勢いで跳ねて地を転がった。

 ひしゃげた男の顔を見下ろし、紫月は冷ややかに告げる。

葉群紫月

俺はあんたの三倍速く走れるぞ
来世はシャ●・アズナ●ルに
転生する予定だから

●ムロ・レ●

親父にもぶたれたこと……無いのに……

 男はそれっきり喋らなくなった。別に死んだ訳でも無さそうだし、まあいいや。

葉群紫月

先生。●ムロ・レ●を一匹
やっつけました
これであと二人でしたっけ?

え……ええ

 先生までドン引きしている。仕方ないか。

葉群紫月

さて、お次はカ●ーユを
ビタンしてきます

斉藤久美

葉群君

 久美が病室の扉を開けて、紫月を不安そうに見つめる。

斉藤久美

行っちゃうの?

葉群紫月

ええ。街がこの状況なら、
きっと君のヒーローも戦ってる
だったら俺も行かないと

 無論、自分一人が行ったところで誰も彼も救えるとは思わない。でも、一つくらいは護ってやらないといけない。

 だって、あいつは俺の相棒だから。

葉群紫月

あいつが君に与えた希望が
俺を救ってくれた

だから、今度は俺の番だ

 久美に背を向けて、一歩を踏み出す。

斉藤久美

葉群君

 彼女が呼び止めてくる。紫月は振り返らなかった。

斉藤久美

……さようなら

葉群紫月

さようなら、先輩

 彼女と会うことは、この先もう二度と無いだろう。これは、そういう挨拶だった。

『禁忌の探偵』編/#4最高の相棒 その一

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