事情を知る者にとっては予想の範疇だが、白猫のオフィスは一瞬で戦場と化してしまった。

 腕に黒い機械――PSYドライバーを装備した三人の若い男女が、窓を割って飛び込んできたのだ。

 彼らはいずれも白目を剥いている。正気じゃないのは一目瞭然だ。

野島弥一

おいおいおい、
こいつらマジか!?

 さっき出て行った龍也と入れ違いで帰ってきたばかりの弥一が、口をぽかんと開けながら後ずさりして、尻をデスクにぶつけて体勢を崩した。

野島弥一

おい、てめぇら、
ここは関係者以外立ち入り禁止――

貴陽青葉

そんなことを言ってる場合か

 青葉は三人のうち一人の懐に飛び込んで回し蹴りを放つ。

 だが、相手は青葉の足首を掴み、いとも簡単に蹴りを無力化してしまった。

貴陽青葉

止めた?

蓮村幹人

青葉!

 幹人が執務机の引き出しから銃を取り出し、青葉に投げ渡す。

蓮村幹人

今日届いたばかりの新品だ
弾も入ってる。使え!

貴陽青葉

了解

 青葉は真横から飛び掛かってくる女の腕に発砲。狙いはPSYドライバーだ。しかし、女は腕をわずかに下げることで銃弾を回避し、PSYドライバーだけでなく自分の身の安全まで確保してしまった。

西井和音

せいっ!

 和音が女の横からハイキックを繰り出して頭に直撃させる。これにはさすがに対応出来なかったらしい、女は泡を吹いて資料が詰まったねずみ色の棚に衝突してずるずると崩れ落ちた。

 青葉の足首を掴む男がそのまま腕を振り上げようとするが、弥一がその腕にボールペンを突き刺すことで力が緩み、ようやく青葉は相手の拘束から逃れる。

 続けざまに幹人がタックルをかまして男を昏倒させ、青葉が残った一人に銃を投擲して額に命中させる。これにより、ようやく三人の狂人が無力化された。

 青葉は床に落ちた銃を拾い上げ、倒れた一人の顔をよく観察する。

貴陽青葉

私達の動きが最初の一瞬だけ
読まれていた

予知能力を量産したのか

野島弥一

おかしい

 弥一が指を口元に当てて呟く。

野島弥一

俺にはこいつらが相手一人分の動きしか予知してないように見えた
薬品の作用に体が追いついてない
オーバードーズの可能性もある

 さすがは元・医者。着眼点が違う。

蓮村幹人

それを検証している余裕は無い
脱出するぞ

 幹人が急いで上着を羽織り、執務机の傍に立てかけていたステッキを引っ掴んだ。

蓮村幹人

こいつらはただの切り込み役
後続がすぐに来るぞ

 言っている間に事務所の正面玄関が蹴破られ、いま来た連中と似たような目をした軍勢がなだれ込んできた。まるでゾンビ映画の世界に叩き落とされた気分だ。

 青白い顔色の人外じみた人間の波が、こちらの姿を認めるなり焦らすように距離を詰めてくる。

西井和音

この様子だと車もアウトだね

 和音が言う通り、既に社用車は彼らに壊されているだろう。

西井和音

社長、どうします?
いっそ、奴らが割った窓から
飛び出しちゃいます?

蓮村幹人

君は鬼か?
四十越えたオッサンに
そんなアクションをさせないでくれ

貴陽青葉

正面から突破するのは難しい

 青葉は懐からもう一丁、整備が終わったばかりの愛銃を抜き出す。

貴陽青葉

だが、皆殺しにしていいなら
難しくはない

どうする?

蓮村幹人

よし、飛び降りよう

 清々しいまでの掌返しだ。

貴陽青葉

了解

 青葉が発砲。天井のスプリンクラーを破砕すると、着弾地点を起点に白いスモークが爆発して室内を覆い尽くす。本来は着色した二酸化炭素によって火災を鎮静化する為の代物だが、外部から無理矢理破壊すると煙幕の役割も果たしてくれる。この緊急脱出装置の迅速な稼働には青葉の射撃技術を要するので、言うなれば青葉専用のスモーク弾という見方も出来る。

 何はともあれ、四人は即座に窓から飛び降り、草村の如く待ち構えていた大勢の人混みを視界の真下に捉えた。

貴陽青葉

どけっ!

 青葉の乱暴な発声と共に、四人は薬漬けの連中の顔を思いっきり踏んづけて跳躍、また別の人間の顔を踏みつけ、さながら『けんけんぱ』のように人混みの上を闊歩した。

 やがて軍勢の輪から抜けると、振り返り様に青葉が威嚇射撃。肉薄しようと前のめりになっていた彼らの足元に火花が散った。

蓮村幹人

走れ!

 幹人が先行し、殿を務める青葉が威嚇射撃を繰り返し、左右を和音と弥一がつぶさに監視するといった陣形で鈍色の街路を疾走する。

 一般の通行人が慌てふためき、はたまた呆然と立ち尽くしている。

 その間を縫って疾駆する中、弥一が天を仰いで子供のように喚く。

野島弥一

もう嫌だ! 社長、命懸けの仕事は金輪際受けないでください!

蓮村幹人

まだまだ元気そうだな
その調子でこれからも
よろしく頼むぞ

野島弥一

人の話を聞けやこのヒゲオヤジ!

蓮村幹人

黙れゲイ。減俸するぞ

貴陽青葉

アホなことを叫んでる場合か

 唯一冷静な青葉が舌打ちして立ち止まる。

貴陽青葉

見ろ
あいつら、一般人まで攻撃している

 言われなくても、他の三人にも見えているだろう。PSYドライバーを装備した若いチンピラ風の男が、手にした鉄パイプで倒れている老人を滅多打ちにしているのだ。

 弥一が青葉の横を抜け、疾風の如くチンピラに迫る。

野島弥一

何してんだ、
このクソったれが!

 血走った眼の弥一が放った、助走付きの右ストレートが見事にチンピラの頬を捉えた。

 しかし奴はそれだけでは倒れなかった。後ろに崩れかけた体勢を元に戻し、鉄パイプを高々と振り上げたのだ。

貴陽青葉

野島さん、伏せろ!

 反射的に弥一が頭を低くした直後、青葉が二発発砲。鉄パイプの長さが半分になり、相手の右肩から噴き出た血が菊の花みたいに咲いて散った。

 チンピラが右肩を抱えて蹲ると、弥一は彼に踵落としを決めて気絶させ、倒れる傷だらけの老人の脈を測った。

野島弥一

……まだかろうじて生きてる
俺は爺さんの応急処置を――

蓮村幹人

無理だな。奴らが追いついてきた

 さっき踏み越えた連中が、車道全体を占拠してよたよたと歩み寄ってくる。

 既に都市機能が麻痺しているのか、そういえば車道に展開されている乗用車の数もやけに少ない。これも奴らの仕業か。

蓮村幹人

さすがに今度ばかりは
年貢の納め時か

 幹人の顔が徐々に青ざめていく。

貴陽青葉

諦めるのはまだ早い

 青葉が弾倉を交換しながら言った。

貴陽青葉

このままあの世で泣き寝入り
するのだけは勘弁だ

蓮村幹人

この数を相手にどうする気だ?
弾のストックが切れたらお終いだぞ

貴陽青葉

だったら銃の台尻で撲殺してやるまでだ

 自分で言っておいてなんだが、何て馬鹿馬鹿しいプランだろう。

 これは押し寄せる絶望感を誤魔化したいだけの威勢であって、他の誰かに希望や勇気を与えるような言葉ではない。

 そんなものを謳う資格なんて、私は持ち合わせていない。

 開けている筈の視界が黒いもやで浸食されているような錯覚。

 やっぱり駄目なのかという、諦観。

石谷泰山

よく言った

 誰かの声と共に、青葉の視界が閃光と共に押し広げられた。

 瞼の裏さえ焼くような光の爆発と耳に障る金属音がしばらく続いたかと思えば、数秒後には絶望の権化とも言えるような軍勢が一人残らず地面に倒れ込んでいたのだ。

貴陽青葉

いまのは……閃光手榴弾か

石谷泰山

その通り

 いつの間にか横から青葉の肩に手を置いていた褐色肌の男が陽気に笑う。

石谷泰山

初めまして
私は株式会社・IMSの社長、
石谷泰山です

貴陽青葉

IMSというと……
民間軍事会社の?

石谷泰山

ええ。我々は貴方達の味方です

 石谷泰山と名乗ったその男は、改めて幹人に向き直る。

石谷泰山

あと少しで警察車両と救急車が
到着する。それまでの間、
私の部下がどうにかして
彼らを抑え込みます

 泰山が顎をしゃくると、建物の陰から迷彩服とタクティカルベストを装備した黒マスクの連中が四人だけ現れた。

石谷泰山

しかし、なにぶん少数精鋭でして
この状況で我々がどれだけ
耐えきれるかは相手次第でしょう

蓮村幹人

手を貸してくれるのは有り難いが、
そちらが弊社と接触してきた
理由を知りたい

石谷泰山

さるお方からの要請で、
いまから私が貴方達を
黒狛探偵社にお連れします

貴陽青葉

黒狛に?

 大人二人の会話に青葉が口を挟む。

貴陽青葉

貴方達は黒狛とコネクションを?

石谷泰山

とある仕事でニアミスしたのを
きっかけに仲良くなりまして

ささ、そんなことより早く行きましょう
裏道を辿りながらだったら
比較的安全に辿り着ける

野島弥一

俺はここに残りますよ

 弥一が手持ちの救急キットで老人の介抱しながら告げる。

野島弥一

護ってくれる奴らが来たなら好都合だ。道端で倒れてる民間人の手当てを済ます

西井和音

だったらあたしも残るわ

 和音が軽くストレッチしながら言った。

西井和音

人手は必要でしょ?
あんたの救命活動を手伝ってあげる

野島弥一

すまない

蓮村幹人

西井君、野島君

 幹人が鋭く二人を呼ぶ。

蓮村幹人

人生で最高の仕事をしたまえ
そして絶対に生きて、また会おう

野島弥一

イエス、ボス

西井和音

また、私達の職場で

 今日の二人はいつも以上に頼もしかった。

 これが白猫探偵事務所。力と仕事で築いた信頼の坩堝だ。

貴陽青葉

……行ってきます

 青葉は傍の幹人にしか聞こえないよう、二人に対して呟いた。

 走る時は後ろを振り向かない。これが、青葉なりの信頼の形だった。

 泰山の案内で裏道を辿り、青葉と幹人はやっとの思いで黒狛の事務所が入っているテナントビルの前まで辿り着いた。

蓮村幹人

懐かしいな

 事務所の窓ガラスを見上げ、幹人が遠い目をして呟く。

蓮村幹人

私は元々この事務所で働いていた
まさか、また戻ってくることに
なろうとはな

貴陽青葉

思い出に浸っている時間は無い。行こう

蓮村幹人

ああ

 青葉を先頭にして、三人は二階に通じる階段を昇った。

火野龍也

離してください!
あんたらが駄目なら
俺一人で行きます!

池谷杏樹

何言ってんの!?
ちょっと落ち着きなさいって!

 階段の中腹あたりから見えた事務所の扉の向こうから、青葉にとっては聞き覚えのある声同士が一悶着を起こしていた。

東屋轟

おい坊主、犬死にしたくなきゃ
社長の言うこと聞いとけって

火野龍也

誰が坊主っすか
たしかにハゲてますけど!

美作玲

論点がズレてるって
とりあえずお茶をもう一杯――

池谷杏樹

轟君ちょっと、押さないでっ

東屋轟

だからって俺の腹に肘打ちするの止めてもらえませんかね

池谷杏樹

うるさ――わわっ!
火野君、扉を開けちゃ――

 激しい物音が続いた後、事務所の扉が開かれ、中から四人の男女が前のめりに倒れ込んで折り重なった。

 一番下が火野龍也、上が杏樹、その上が東屋轟で、一番上が美作玲だ。

池谷杏樹

ふぎゅううぅ……!
こら、上のデブ!
やっぱりあんたいますぐ
体脂肪率落とせ!

東屋轟

美作。お前、ちょっと体重
増えたんじゃね?

美作玲

東屋さん、次言ったらお茶に
青酸カリを混ぜますよ

火野龍也

全員の体重を一手に引き受ける
俺の苦しみは無視っすか!?

 揃いも揃って間抜けな連中だった。黒狛の職員は揃いも揃ってアホばっかりと幹人が評していたが、あながち間違ってはいなかったようだ。

 やがて杏樹がこちらに気付いて嫌悪感を顔に出す。

池谷杏樹

……あんたら、
ここで何やってんの?

蓮村幹人

それはこっちの台詞だ

 幹人が盛大にため息を吐いた。

井草勝巳

どういうことだ!? 何故彼らは民間人を攻撃している!?

 彩萌市全体の混乱は、勝巳にとっては予想外もいいところだった。

 未来学会の本部ビルの最上階に位置する管制室は、いまのところ高白と勝巳の牙城と化している。壁に埋め込まれた大型モニターに映し出された光景は、彩萌市の各所に配備された街頭の監視カメラの映像だ。

井草勝巳

攻撃目標はあくまで白猫と
彩萌署だけだった筈だ!

即刻止めさせろ!

高白

それは無理な相談です

井草勝巳

何?

 隣の高白が扇子で口元を不気味に隠す。

高白

知覚と神経に多大な影響を与える薬物に汚染された連中に統率を求めるという発想がそもそもの間違い。いまや彼らに貴方の声は届きませんよ、代表

井草勝巳

高白、貴様まさか――

高白

ええ。白猫を強襲する部隊以外の者達は皆、PSYドラッグの成分濃度を通常の三倍以上に設定してあります

 これまでの廉価版PSYドラッグは、体内に取り込んだところでまともな状況判断能力や最低限の知覚を脅かさない程度の仕様だった。しかし、ある一定の濃度を越えると服薬した者が凶暴化するという実験結果が既に明かされている。

 もし高白の言ったことが本当なら、知性を欠いた数百体以上の猛獣が彩萌市内を隈なく席巻していることになる。

井草勝巳

何故だ?
一体お前は何のつもりでこんなことを!

高白

何故? そんなのは決まっている

 高白は懐から無造作にスタンガンを取り出し、勝巳の腹にぐいっと押し付ける。スイッチを入れた瞬間、二十万ボルト以上もの電圧が勝巳の全身を蹂躙した。

 まともな声より先に嗚咽が漏れ、勝巳は仰向けに倒れ込む。

井草勝巳

がっ……高白……っ!

高白

私は常日頃から、貴方が説く家族愛に虫唾が走っていましたよ

この世界を超能力者で埋め尽くすという素晴らしい計画の発端が、言うに事欠いて亡き妻との約束だというのだから笑いが止まらない

そんな脆弱な精神で成し遂げられる程、プロジェクト・サイコは決して甘くない。だから私が貴方に成り代わって計画を遂行する

 高白が指を鳴らすと、出入り口から銀色のボタンが特徴的な白い制服らしきものを着た男達がぞろぞろと室内に立ち入り、オペレーター達にサブマシンガンの銃口を突きつけて静止した。

井草勝巳

こいつら……
PSYソルジャーズか……!

高白

ええ。これが私の切り札です

 これは非常に拙い状況だ。未来学会の実働部隊はほぼ全て出払っており、事務や食堂に回っている裏方の職員達を除けば、勝巳を護ってくれるような兵力はこのビル内に存在しない。とある調査の為に外出していた王虎もこのビルに戻るのは当分先だ。

高白

全ては計画通り

 高白がいつになく高揚感を露にする。

高白

民間人に手を出した以上、未来学会のゴミは警察によっていずれ処理される

綺麗に掃除されたビル内には私の配下になることを許されたPSYソルジャーズの面々が残り、貴方の身柄はこれからやってくるであろう侵入者達を受け入れた後で富士の樹海に移送される

そこで自分の血が腐るのを感じながら、あの世で亡き妻と会えるかどうかを神に電話で聞いてみるといい

井草勝巳

水依を囮に……その侵入者をビルの中で始末するつもりか

高白

さすが代表。中々のご慧眼で

 もし万が一、侵入者――貴陽青葉が水依を奪い返しに来るようなら、それこそ王虎を急いで呼び戻して彼女の相手をさせるつもりだった。

 しかし、体が痺れて動かない以上、もう彼を自由な場所には召喚出来ない。

高白

感謝しますよ、井草勝巳

 高白が心底馬鹿にしたように勝巳を見下ろす。

高白

理由がどうあれ、新たな人類の創始者になろうとした貴方の熱意は本物でした。これから先は、私が貴方の意志を引き継ぎます。手始めにこの街を支配し、日本を跪かせ、やがて世界を屈服させてみせましょう

 高白が勝巳の首筋にもう一回スタンガンを当てる。

 今度ばかりは、さすがに耐え切れなかった。

『禁忌の探偵』編/#3願い その四

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