#3『願い』

 二月十四日。バレインタインデー。

 だからどうした、という気分を抱きつつ、青葉は和音と共に寂れたボウリング場に赴いた。

 決して遊びに来た訳ではない。仕事で来たのだ。だからといって、ここに就職したい訳でもない。

 入り口の扉を潜ると、横並びのレーンと、地べたなりプラスチック製の椅子なりに座って飲酒や喫煙などに興じているガラの悪い若者の集団が視界一杯に広がった。

あん?

 若者の一人が気だるそうに振り向いた。

お、美人さんと可愛い子ちゃんのご来店

西井和音

あんた達に聞きたいことが
あんだけど

 和音が鷹揚な態度で、若者の一人が持っていた黒い箱型の機械を指差す。

西井和音

その黒い奴、
未来学会から貰ったもんでしょ

だったら何だよ

西井和音

それさ、どういう機械か
教えてくんない?

えー? どうしよっかなー

 彼一人がすっとぼけているうちに、周りの男共が二人を取り囲む。

教えてやってもいいけどぉ、
その代わりさ、俺達と遊んでくんない?

貴陽青葉

別に構わんが

 青葉が両手を広げて、やれやれと首を振る。

貴陽青葉

私達を満足させるイチモツが
無ければ話にならん

お、生意気

 男達の輪が徐々に狭まっていく。まずは暴力で屈服させるつもりだ。

貴陽青葉

かず姐、どうする?

西井和音

銃は使っちゃ駄目だから

貴陽青葉

ステゴロか。まあ、たまにはいいだろう

 後ろの一人が大柄な全身を使って覆いかぶさるように飛び掛かってきた。

 青葉は振り向きもせずに彼の腕を取って腰を払い、そのまま前方にぶん投げてレーンに転がせ、奥に並んでいたピンを全て薙ぎ倒してストライクを獲得する。

 若者全員の動きが、唖然とした顔と共に固まった。

……嘘……だろ?

貴陽青葉

さて、次の球はどれにしようかな

 青葉は顔の前で右手の指を全て曲げて伸ばす。

貴陽青葉

どうする? 続けるなら私のアベレージはぐんぐん加速するぞ

っざっけんな!
やっちまえ!

 誰かが放った怒声をきっかけに、不良集団の総攻撃が始まった。

 青葉は予定通り、全てのレーンに男共をぽいぽい投げて得点を稼ぎ、和音は手近に置いてあったボウリングの球で連中の顔面に別の意味でのストライクを連発する。

 やがて球場内にいた全ての不良集団が戦闘不能になる。

 いや、まだ居た。例の機械を持った奴がボールラックの陰から顔を出す。

クソが!
ぶっ殺す!

 口角から唾を飛ばして叫び、最後の一人となった彼がとうとう黒い機械を腕にあてがう。すると、機械の両側面から黒いベルトが飛び出し、がっちりと彼の腕に巻きついた。

貴陽青葉

何をする気だ?

 青葉が疑問を口にした時、彼は尻のポケットからUSBメモリに似た黒い何かを取り出し、拳側に空いた穴に差し込んだ。

 ぷしゅっと、空気が抜けるような音がする。

くくくっ……あはははははは!

貴陽青葉

何がおかしい?

お前ら、俺を本気にさせたな
だったらここで終わりにしてやんよ

 息巻いたかと思うと、彼の姿が視界から消えた。

 いつの間にか、彼は和音の頭上に滞空していた。

西井和音

なっ……

貴陽青葉

かず姐、逃げろ!

 青葉が叫んだ頃には、彼の踵落としがクロスした和音の腕に直撃していた。

 みしっと嫌な音が鳴る。

西井和音

くっ……そがぁ!

 地声で叫び、踵ごと男の体を振り落とすと、和音はすぐさま後退して男と距離を空ける。下手に反撃するよりは賢明な判断だ。

 しかし、男はよつんばいになって、再び姿を消す。

 今度は、青葉の背後に現れた。

西井和音

青葉っ――

貴陽青葉

遅い

 振り向いたと同時に青葉の右手が一閃。乾いた銃声が球場内に反響し、弾丸が男の顔の横を通り抜ける。

 すると、飛び掛かる直前だった男の体勢が後ろに崩れかける。

ああッ…………!?

貴陽青葉

スペアいただき

 振り上げた脚が股間にめり込み、彼は白目を剥いて昏倒した。

 彼が動かなくなったのを確認すると、和音が片腕を押さえながら歩み寄る。

西井和音

銃は使うなって言ったじゃん

貴陽青葉

これが素手で倒せる奴に見えたか?

西井和音

まあ……うん。たしかに

 青葉からすれば止まってみえたくらいだが、和音からすれば、あの動きは瞬間移動の類に見えただろう。しかも、ろくに鍛えていないだろうに、さっきの踵落としで和音の腕に決して軽くないダメージを与えたのはちょっと異常だ。

 青葉は使い方も分からない機械の操作に苦心し、どうにかベルトの解除に成功して、問題の黒い機械を回収した。

かえ……せ

 最初に青葉が投げ飛ばした男がレーンを這っている。まだ意識があったのか。

それだけは……PSYドライバーは……マジでヤバい……

貴陽青葉

PSYドライバー? これのことか

それは俺のモンだ……

 知っている。何せ、彼は素行調査の対象人物の一人だからだ。おそらく、騒ぎのどさくさに紛れてさっきの奴が元の持ち主である彼からこの黒い機械――PSYドライバーをくすねたのだろう。

未来学会に……千里大神様から
授かった……俺だけの力

貴陽青葉

何が俺達だけの力だ

 青葉はPSYドライバーからさっき挿し込まれたUSBメモリのようなアンプルを抜き出し、中に残留していた液体を穴が空くほど凝視する。

貴陽青葉

この黒い機械は専用アンプルの
中身を投与する為の
ポータブル注射器という訳か

西井和音

ただのドーピングじゃん

 和音が呆れ混じりに要約する。

西井和音

で、未来学会が何でこんな代物を
配ってんのか説明してくれる?

誰が教えるか

西井和音

あっそ。だったら他を当たるわ

 青葉と和音は例の機械とアンプルを持ち出し、荒れ果てたボウリング場を後にした。

 事務所に帰り、青葉と和音は早速、幹人の前にPSYドライバーと専用のアンプルを突き出した。勿論、この日の為に予定を空けていた新渡戸も同席している。

蓮村幹人

なるほど。肉体強化系のPSYドラッグを投与する簡易注射器……か

 幹人は眉根を寄せて呟く。

蓮村幹人

北条時芳は肉体強化に加えて
簡易的な未来予知も行っていたそうだな

二人が戦った若者に、北条と同じような兆候は見られたか?

貴陽青葉

いや。単純に身体能力が
増加しただけみたいだ

 青葉が腕を組んで唸る。

貴陽青葉

でも専用のアンプルがあるなら、
別の薬剤が入ったアンプルとも
簡単に交換可能ということだと思う

蓮村幹人

銃と弾丸みたいな関係だな

 幹人が述べたその例えはある意味正確だ。銃の攻撃力やそれに関わる性能は銃弾が決めているのであって、銃器本体は銃弾の火薬を爆発させる為の容器に過ぎない。今回の場合、PSYドライバーがどうこうというより、問題なのはアンプルの中身である。

 新渡戸はPSYドライバーとアンプルを別々の透明なビニール袋に入れる。

新渡戸文雄

とりあえずこいつはうちの署で預かる。それより、件のボウリング場の
連中はどうした?

ちゃんと警察には通報したんだよな?

貴陽青葉

勿論だ
追加で救急車を二台分だけ
呼んである

 一台はその時PSYドラッグを使って暴れた奴に、もう一台はPSYドライバーの元々の持ち主だ。他の連中ならいざ知らず、薬物に汚染されている彼らをパトカーには乗せられないと和音が判断したからだ。

 新渡戸がにんまりと頷く。

新渡戸文雄

よろしい。でも気をつけろ。
もし例の井草水依ってのが
敵に回ったとしたら、
変な占いでお前らが標的に
なるかもしれない

蓮村幹人

覚悟は最初から出来ている

 幹人は何をいまさら、といった様子で頷いた。

蓮村幹人

人の心配をしている暇があったら
さっさと仕事に戻れ

新渡戸文雄

相変わらず愛想の無い野郎だぜ
じゃ、何かあったらまた連絡を――

火野龍也

お邪魔するっす!

 ノックも無く出入り口が開かれ、龍也が事務所の中に転がり込んできた。そんな彼の禿頭は、雨に打たれたように汗で濡れていた。

貴陽青葉

火野君? いきなりどうした

火野龍也

これを見るっす!

 龍也が突き出したスマホの画面には、井草水依の名前が表示されていた。

 巫女の間は数百人に及ぶ構成員の大群で鮨詰めになっていた。ちなみに今日はいつもと違って皆一様に私服姿だ。

 無論、これが未来学会に与する者の総員ではない。修練の間や事務所などに据え付けてあるモニターを見て、この部屋の人間と同じように構えている者達も含めるとその数は千以上に昇る。

 勝巳が玉座の横――つまり水依の隣でマイクに声を吹き込んだ。

井草勝巳

今日は急な召集でありながら、
こうしてお集まりいただいたことに
感謝を申し上げます

 まずは形式ばった挨拶から始まると、勝巳は間を大して置かずに本題を語る。

井草勝巳

早速本題に移らせていただきます
今日、これから三時間もしないうちに、
彩萌警察署の方々が
このビルを大人数で訪れます

目的はこの未来学会に対する
一斉摘発です

 会員達の間で重苦しいどよめきが波紋となって広がる。

井草勝巳

ですが、我々は何か、
法理に反するようなことを
しましたでしょうか

私達はこちらにおわす千里大神様に
とこしえの帰依を誓い、崇拝し、
そして自らを崇高な存在に昇華すべく
修練に励んでいるだけではありませんか

 群衆から

そうだ!

やら、

警察が来るのはおかしい!

という叫びが飛び出す。

井草勝巳

そう。おかしいのです。
異常なのは警察の方であって
我らではない
つまり我々にはこの組織を護る
正当な理由がある

賢明な皆様は既にお察しでしょうが、
この組織の未来を国家の犬に
凌辱される前に手を打つ必要が
あるとは思いませんか?

 勝巳の言葉に乗せられて、大義に燃える者が現れ始めた。

井草勝巳

もし自分にこの組織を護れる力が
あるのなら――そう考える方も
決して少なくはない筈

私はそんな貴方方の希望を叶えるべく、
このような神器を用意した

 満を持して、と言わんばかりに、勝巳は懐からPSYドライバーと専用のアンプルを取り出し、この場にいる全員に対して見えるように振り上げた。

井草勝巳

これさえあれば警察機構どころか
自衛隊ですら簡単に殲滅させられる

望むなら千里大神に匹敵する
未来予知の力を皆様に与えて
差し上げましょう

これで貴方達は皆、
千里大神の朋友となれる

 要は水依と同類になれるということだが、これが一番、彼らには効いたらしい。

 揃いも揃って恍惚と興奮が入り混じった眼差しを、水依ではなく、PSYドライバーに向けていた。

井草勝巳

いまからこのPSYドライバーを使い、ここに攻め入る警察機構を迎撃する――と言いたいところだが、

問題がもう一つだけある

井草水依

 水依は目を丸くして勝巳を見上げる。いま言った、もう一つの問題の内容を知らなかったからだ。

井草勝巳

実は警察以外にも見過ごせない
敵組織が存在する

彼らは無粋にもこの組織の者達を
陰から尾け回し、挙句の果てには
同胞の一人を暴行して
彼が所有していた神器を警察に提出した

これはついさっきの話だ

 そんな話は初耳だ。とても嫌な予感がする。

井草勝巳

その組織の名は、
白猫探偵事務所

井草水依

……!?

 水依は弾かれるように立ち上がった。

 井草邸での騒ぎの後、王虎は勝巳から命を受け、とある少女の正体を探っていた。すると、その少女はとある探偵事務所に所属する職員の一人であることが発覚した。

 少女の名は、貴陽青葉。

 彼女は、白猫探偵事務所における秘蔵っ子なのだという。

井草勝巳

彼らは少数精鋭の探偵集団です

 水依の変化にも構わず、勝巳は朗朗と語る。

井草勝巳

しかも社長は元・刑事で、
いまでも彩萌警察署の
面々と親交が深いという

彼らはグルと見て間違いない
放置しておけば我々の邪魔を
し続けるのは自明の理

ならば早いうちから潰してしまった方が
後の憂いを残さずに済む

井草水依

待って!

 水依が叫ぶと、勝巳の言葉どころか、群衆のどよめきさえも静まり返った。

井草水依

白猫に立派な兵力は存在しない
こちらの戦力を察知しているなら
下手に手は出してこない筈

放っておいても何ら問題ない

だから――

井草勝巳

お言葉ですが、それが如何に
貴女のご託宣であろうと
信ずるには値しません

 相手が実の娘とは思えないような口ぶりだった。

井草勝巳

貴女はこちらに警察が攻めてくるとだけ私に教えてくださりましたが、白猫の動向については何一つとして語らなかった。現に先の暴行と強奪について、私は何も聞いていない

 例の暴行事件については水依の予知の範囲外に位置する人間に起きた惨事なので察知しようが無かっただけだ。

 でも、勝巳にそんな言い訳は通じない。

井草勝巳

ご理解いただけたでしょうか。これが白猫を排除するに値する明白な理由であることを。ならば、貴女はその玉座から我々の勇姿を、どうか厳粛に見守ってくださいまし

 もう、水依には何も言えなかった。

 言い返そうにも力が足りない。説得しようとしても、相手は勝巳とこの組織にいる全ての人達だ。まさか現人神が数の不利に押される日が来ようとは思いもよらなかった。

 かてて加えて、勝巳のバックには王虎が控えている。おそらくもう一つの敵対者の正体が白猫だと突き止めたのは彼だろう。でなければ、先の暴行事件の犯人は謎の襲撃者として片付けられ、敵は警察機構に絞られていた筈だ。

井草勝巳

いまからここにいる全ての方にPSYドライバーを配布します。簡単な使い方は全員の分が行き渡った後に説明しますので少々お待ちください

 勝巳が首を縦に振って合図すると、壁側に控えていた白いローブの黒子みたいな連中が、人が抱えるには若干大きめの段ボール箱を群集の四隅に置き、バケツリレーの要領で箱を隣の人間に回していくように指示する。

 箱の中には、PSYドライバーとアンプルがセットで収まった黒い小箱がぎっしりと詰まっていた。

『禁忌の探偵』編/#3願い その一

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