てんこ

戯けが

学校から徒歩十分圏内の距離にある、古ぼけた名も知らない神社。

肩を上下させたまま切迫した表情の俺達を開口一番に謗ったのは、紛れも無く《狐》だった。

狐。妖狐。化け狐。

十把一絡げにそのような呼ばれ方をしている存在だが、実のところその口分けは多岐に渡る。
その中でも、たった今俺達に軽侮の眼差しを向けている金毛の狐は、俗に《天狐(てんこ)》と呼ばれている妖怪だ。

この狐、俺達《meme研究部》の中では《てんこ》と呼ばれているが、これがひらがな表記であることを本人(本狐?)は知らない。これは先代会長である篁撫子子(たかむらなでしこ)が決めた、いわば愛称のようなものだ。

てんこ

そのような低級霊相手に踊らされおって。撫子子が見たらさぞ嘆くだろうな

極めて稀有な狐の溜息という事象を眼前にし――俺からすれば見慣れた光景ではあるが――俺はようやっと心の余裕を少し取り戻した。

下犬目 的

いやいやいや、焦るっつの……! なに、なんなのコレ? 霊の仕業なの? なんか現在進行形でドット欠け広がってるんだけど!

天之 キリ

アタシのもだわ。まだ画面の十分の一にも満たないけど、放っといたらまずいんじゃない?

三ツ森 あまね

うぅ……すみません……まさかこんなことになるとは……

俺の背後で、消沈した面持ちの三ツ森が静かに陳謝する。

てんこ

そう悄気るな娘御。お主は良い働きをした。この程度の霊でも、今の吾輩には良い《餌》だ

一際獰猛そうな笑みを浮かべると共に、てんこはゆっくりと立ち上がった。

下犬目 的

てんこ、どうにかできるのか?

てんこ

馬鹿にしておるのか? これしきのこと、通力を使うまでもないわ

下犬目 的

いや、そうじゃなくて。コレ携帯電話の話じゃん。お前こういうの分かんないんじゃないの?

俺は自身の携帯電話を指し、こんこんと叩いてみせる。
てんこは狐につままれたような顔(狐なのに)を一瞬してみせたが、すぐ我に返ると鷹揚な態度で話し始めた。

てんこ

仔細ない。確かに吾輩にはその……すまほ? なるものはよく理解らん。じゃが、その器械から霊の存在を感じ取っておるでの。此れを喰うことは可能じゃ

下犬目 的

おぉ! ならさっそく――

てんこ

まあ待て。確かに可能じゃがの。知っての通り今の吾輩は往昔の頃より力が劣る。其のものの本質を理解せずに対処するとなると、少々荒療治となる

下犬目 的

あ、荒療治……? どういうことだ?

てんこは俺の携帯をちらと盗み見て、告げた。

てんこ

簡単に言うとの。その器械、破壊(こわ)さにゃならん

ッ…………!!

俺とキリ、二人分の息を呑む音が周囲に響く。

リリー・セクタ

なんだ、そんな事ですか。問題ありません。命には代えられませんし

てんこ

まあそうじゃろうの。では早速――

下犬目 的

まてまてまてまて! ちょっとストーップ!!

天之 キリ

てんこ! 他に方法ないの!?

状況も考えず、二人して必死の阻止を試みる俺達。てんこ、リリーの両名はかなり冷ややかな視線をぶつけてくるが、形振りかまってはいられなかった。

てんこ

なんじゃおぬしら、死にたいのか

下犬目 的

いや、もちろんそうじゃねえよ!? でもそれさ、壊されるとマズいんだよ……買ったばっかだからさあ……

天之 キリ

ア、アタシもちょっと……そうだ! リリー、機械関係の事詳しいよね? 壊した後に修理できたりしないの?

キリの助けを乞う悲痛な声に、そう言われましても……とか細い声で呟いた後、リリーは若干緊張した様子で眼前の金狐に向き直り問いかけた。

リリー・セクタ

てんこさん、破壊というのは『後で再度組み立てを行える程度に部品を細かく分解する』、ということでは足りないのでしょうか?

てんこ

そうじゃの。修理可能ということは、その器械はまだ『生きている』という事になる。修復不可能な段階まで打毀してこその《破壊》じゃ

そうですか、と一言返すと、ふっと息を吐き出してから再度コチラに向き直り、

リリー・セクタ

そういうことでしたら先輩方、申し訳ありませんがお力添えできません。部品単位で壊さなければならないようでしたら、一民間人の設備では到底修理不可能です

と、残酷に告げた。俺の新しい携帯は、たった一週間やそこらで破壊されてしまう運命だったのかっ……!?

下犬目 的

だめだっ……! やっぱり納得できねえっ……!

下犬目 的

なんか……ないのかっ……!? ウルトラC的な……! 抜本的解決法がっ……!!

本日二度目の狐の嘆息がこだまする。

てんこ

その、うるなんちゃらはよく解らんが……簡単に説明するとの、今その器械は結界を張っておる。往時の吾輩なら、薄紙が如く打ち破ることが出来たようなちゃちなものじゃが、それも今は難しい。破壊という手段を執ることでその器械のあるべき形を失わせ、これを対処とするのが最も手っ取り早いのじゃが……

てんこ

……それを壊さずに何とかしたい――と、そういうことじゃな?

もう、すごい勢いで首を縦に振った。

てんこは暫く呆れたように黙っていたが、その内辺りをとことこと歩きながら語り始めた。

てんこ

……まあ、なんとかならんこともない。常言っておるが、霊や妖といった超常的存在――お主らは《ミーム》と呼んでおったな。このような存在へ対処するには、そのものに対する理解を深めることが一番の早道じゃ。つまり今回で云うと――

一度説明を区切ると共に足を止めたてんこは、そこから跳躍して、老朽した賽銭箱に飛び乗った。

てんこ

――この霊障が発生した原因じゃな。ただ『話を聞いたから』、ではないぞ。この存在が霊化するに至った、より詳細な逕路を知る必要がある。じゃからの、そこを調べ吾輩に教えよ。このものに対する吾輩の理解が深まれば、結界の上からであっても捕喰が可能となるじゃろう

あくまで仮定じゃがの、と付け加えててんこは説明を終えた。

下犬目 的

つまり、このミームがどうやって生まれたかを調べてくればいいんだな?

てんこ

そういうことじゃな。このように概念的な存在と相対するには、其れに打ち克つ心象が肝腎じゃ。撫子子は《イメージ》と云っておったかの。その心象を得る為に必要となるのが知識と理解。そういうことじゃ

なるほど、理解した。そういうことならいくつか手は考えられるし――

てんこ

待て。一つ言い忘れておったがの、この様子だと猶予は精々あと二日程度じゃ。明後日の今頃には、お主らは死んでるものと思え

怖えーよ。

てんこ

ふん。たかが器械一つで自身の命を秤に掛けるお主らのほうが余程怖いわ……ま、精々足掻いてみよ

リリー・セクタ

私はそんな恐ろしい両天秤を掛けた覚えはないのですが……

下犬目 的

ま、まあまあ。とにかく二日以内に何とかすりゃいいんだよな? ならなんとかなるって!

てんこ

二日保つ確証は無いがの。万一、二日以内にその……どっとかげ? が全体に及ぶようならば此処に来い

ドット欠けな。どんなトカゲだよ。しかしまあやるべき事はわかった、帰ったらとりあえずアイツに連絡しておくか。

てんこ

ああそれとな、もし破壊による対処を選ぶ場合でも、吾輩の下で行うことだ。依代を失った霊体が身近な人物に害を及ぼす可能性も十分に考えられる。《呪詛返し》というやつじゃな。その点吾輩が居れば、彷徨い出た霊体は直ぐに喰ろうてやれる

てんこはそう言うと、月光を受けた歯を妖しく光らせながら嬉しそうに笑った。

下犬目 的

……それ、お前が喰いたいってだけじゃないのか……? とりあえず分かった、その時は頼むぜ

今回は時間的な猶予が少ないし、なるべく急いで行動したほうが良い。一通りの話を終え背後を振り向くと、なぜか恍惚な表情を浮かべた三ツ森が視界に入った。

三ツ森 あまね

えへへ……てんちゃんに褒められちゃいましたぁ……!

…………怖えーよ。

とにかく、皆で手分けして今日明日中に情報を集めよう!そんで、部活時間で皆の情報を整理して、もし明日の内に糸口も掴めなさそうなら……その時は諦めててんこに頼もう……。

そんなキリの悲哀感漂う一言で場を締めた俺達は、その後各自帰路についた。ちなみにリリーはこの件について、

リリー・セクタ

私は別に壊してもいいのに……

と、最後まで愚痴っていた。スマン……。

まあとにかく、今は行動だ。

制服のまま勢い良くベッドに座る。ポケットから携帯を取り出し――ちょっと欠けが増えててビビった――電話帳から見慣れた名前を見つけると、すぐに発信ボタンをタップした。

果たして、彼女はすぐに電話に出た。それも、コール音が鳴る間も無いほどの早さで。

仮名 出雲

やあやあ的(まと)くん。待ってたよー

電話越しでも分かるにやにや笑いを浮かべながらそう答えたのは、仮名出雲(かりないずも)という女だ。

ざっくり言うと、悪友である。

下犬目 的

なんで待ってんだよ。普通に怖いから。あーていうか、こんな時間にスマン

仮名 出雲

あは、何謝ってんのさ。ボクと的くんの仲じゃない。いつでも電話してよ

下犬目 的

まーな。それで、ちょっと頼みがあるんだけど

仮名 出雲

いいよ、なんでも言ってよ。的くんのためなら、ボク、なんでもしちゃうかも

このタヌキ女め……。放っておくと調子の良いことばかり言うが、報酬はしっかり持っていくヤツなのはこの一年の付き合いで重々承知済みだぜ。

下犬目 的

いつも通り、あるミームについて調べて欲しいんだ。報酬は――

仮名 出雲

駅前のカフェのパンケーキ。五日分

俺のセリフを遮ってそんな事を宣(のたま)う。ぐ、五日分か……。

下犬目 的

分かったよ。それで頼む

仮名 出雲

やったぁ。これでまた一週間は的くんと放課後デートできるね

下犬目 的

ああ、俺も楽しみだよ。で、そろそろ本題に入っていいか?

既にお馴染みとなった、歯の浮くような軽口のやり取りを半ばやっつけ気味に軌道修正して、俺は今日の三ツ森の話、その後に起こった事象、今欲しい情報なんかの話をした。

仮名 出雲

――なるほど。じゃあボクはそのドット欠け現象のルーツを探ればいいわけだ

下犬目 的

そういうこと。……頼むぜ、ほんと。俺の携帯電話の寿命はお前にかかってんだからな!

仮名 出雲

それは困るね。ボクと的くんの日課のラブトークができなくなっちゃうもんね

下犬目 的

そんなことしてましたっけ!?

心当たり無えけど!?

仮名 出雲

え、でも的くんの携帯電話の通話回数、ボクが一番多いよね?

マジ!? 一度耳から携帯を離して電話アプリの履歴表示を繰る。ほ、本当だ……。

仮名 出雲

で、二位がお母さんなんだよね? 的くん、なんか寂しい人生だね

下犬目 的

うるせえよ! ていうかなんで知ってんだよ!?

仮名 出雲

そりゃあ、的くんのことならなんでも知ってるよ

語尾にハートマークが付きそうな口調でそんなことを言う出雲だが、残念だったな。今回の俺は騙されないぜ。

下犬目 的

いや、嘘だな。お前は手持ちの情報から俺の通話回数を推理したに過ぎない。まず俺の携帯は購入して日が浅い。そしてちょうど数日前まで俺達はテスト休みだった。携帯の番号を伝えるタイミングが殆ど無かった以上、電話の相手が少ないのは必然だ。その点、お前に関しては携帯の購入の際にアドバイスやら何やらしてもらった関係で番号を教えていたし、その後もたまたまミームの情報について聞く機会なんかが重なった。結果お前との通話回数が一番、母さんとの回数が二番という結果に落ち着いた。それだけの事だ

仮名 出雲

わ、すごいね。探偵さんみたい

下犬目 的

フ……。俺の知性の成し得る技だ。いや、業と言い換えても良いかもしれない……

仮名 出雲

あは、さすがはボクの的くんだね

下犬目 的

当然だ。ちなみにさっきお前は俺のことを寂しいヤツだと言ったが、それも同様の理由で否定できるぜ。今回は思いがけず休み期間が重なってしまった事が原因なわけだから、つまりお前との電話回数が多いのはあくまで偶発的にタイミングが重なっただけに過ぎず

仮名 出雲

ん? でも、昨日一昨日は学校有ったよね?

うぐっ!

仮名 出雲

それに、本当に仲が良い友だちがいるなら学校が休みでも電話番号を教える機会くらいあるよね?

うぐぐっ!

仮名 出雲

ていうか、むしろ休みの日ほど自由な時間あるよね? 遊びにも行けるし、長電話もできるし、何より――

下犬目 的

分かった!! もう全部分かった! 分かったから……

もうこれ以上……俺のライフを減らすのはやめてくれ……。

仮名 出雲

なんかごめんね……。でも、的くんにはボクがいるから大丈夫だよ

下犬目 的

出雲……!

なんだか無性にキラキラとしたエフェクトをまとった出雲が頭に浮かんだ。

仮名 出雲

あ、ちなみに的くんの推測は全然的はずれなんだけどね。的だけに。実は的くんの携帯セットアップした時にスパイウェア仕込んでてさ、端末情報常にこっちに送られるようにしてるんだよね。だから三位以下の通話相手も分かるよ。三位が妹さん、四位が天之(あめの)キリちゃん、五位が――

下犬目 的

ああああああああああ!!

仮名 出雲

あと、的くん昨日もえっちなサイトで動画見てたよね。確かタイトルは《俺の後輩がこんなに――

下犬目 的

あああああああああああああああ!!!

国家権力は、こいつを野放しにしていて良いのか!?

たっぷり十分間、俺の個人情報を弄ばれた。
個人情報保護法は、サイバー犯罪対策課はどこへ行ってしまったんだ……。

仮名 出雲

あは、仕方ないよ。ボクが足がつくようなヘマするわけないし

その通りだった。今に至っては恨めしいことだが、確かにこの女はハッキング技術の第一人者である。

曰く、我らが学び舎《私立伝奇高等学校》の学内ネットワークに不法侵入可能で、全校生徒の情報を不正入手および改ざんできるだとか。

曰く、学内のみならず、この世のネットワークに繋がっている全ての端末にアクセスが出来るため、全世界の権限を支配しているのも同然だとか。

曰く、その力に目を付けた、世界の終わりを目論む敵との凄惨かつ壮絶な戦いがあったとか。

まあこれら全ては本人の発言だし、後日に「ああ、あれ? 全部嘘だよ?」なんてあっけらかんと答えられたものだから何の参考にもならないのだが。

とはいえ、出雲の情報収集能力自体は折り紙つきだ。その為甚だ不本意ながら、こうして謝礼を払ってでも調査を頼むことがままある。

仮名 出雲

ちなみに今、《下犬目(しもいぬめ)的》の生徒情報見てるんだけどね。的くんベタだなー。保健体育だけ授業態度も成績も優秀っ

下犬目 的

学内ネットワーク見れてんじゃねえかあああ!!

もうやだコイツ。学校側に言ったほうが良いのか? いや、警察か……?

仮名 出雲

あはは。まあ冗談はそれくらいにして

冗談になってねえ。

仮名 出雲

じゃ、今回の件確かに承ったよ。ボク明日は学校休むからさ、なにか分かったらメールで送っとくよ

下犬目 的

休むって……大丈夫なのか?

仮名 出雲

もっちろん。ボク、今までこなせなかった依頼あった?

通話口から自信に満ちた声が聴こえる。

下犬目 的

そういう意味じゃねえんだけど……わかった。こんだけイジられたんだ、いい結果を頼むぜ!

仮名 出雲

任せといてよ。じゃあまた明日連絡するね。吉報を待っておいて

下犬目 的

おう。じゃあ今日はこんなもんで失礼するとするぜ

仮名 出雲

うん。じゃあね、愛しの的くん

軽口を聞き流し、通話の終了ボタンを押す、その瞬間。

……心臓に悪りー。色んな意味で……。

とにかく、これで俺の打てる布石は打った。
友達の女の子に頼むだけ、と言葉にするとなんとも惰弱な策だが、正直これが俺の出来る最善だ。あとは、部員と悪友を信じて待つだけ。

……命の危険を感じた事による疲労からか、はたまた一息ついた安心感からか。

通話を切った瞬間に睡魔が一気に襲ってきて、俺はそのまま後ろ向きにベッドに倒れ込んだ。

まどろみの中で、幾つかのとりとめのない思考が頭の隅をよぎる。

……なんか、大事なことを忘れてる気がする……。

そんな漠然とした焦燥感が生まれたが、それもすぐに睡眠欲に飲み込まれてしまう。
着替えや食事も忘れて、その日はそのまま眠りについた。

――この日の会話が、仮名出雲との最後の会話になるとも知らずに。

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