性懲りもなく正太郎は百合の元へやってくる。
百合にとっても正太郎にとっても、もしかすると手伝いをしている人間にとっても見慣れた光景である。
百合、正太郎さんですよ
どうぞ……
やぁ
あれ?元気ない?
性懲りもなく正太郎は百合の元へやってくる。
百合にとっても正太郎にとっても、もしかすると手伝いをしている人間にとっても見慣れた光景である。
しかし、本当にそれだけである
最初の頃から変わったことといえば、結婚したいというようになったこと
それから
これ、山茶花の花だよ
毎回のように山茶花を送るようになったことだった。
正直……迷惑……
控室に戻った百合は山茶花に向かって語りかける。
正直なところ花を愛でるような趣味は百合にない。
余裕がないというべきかもしれないが……
また花もらったのね?
うん……
こんなにもらっても……ね……
百合の表情にはどことなく悲しさよりも、寂しさという方が強く感じた。
百合?まさかあの人の結婚って言葉……本気にしてるんじゃないでしょうね?
そんなわけ……
百合の声が心なしか強くなってしまう。
百合……あんまり悩まないようにね……
仕事に影響出ちゃうと……
お菊はそう言いながら百合を抱きしめる。その手はかすかにふるえていた。
分かってる……
大丈夫だよ……
やぁ、今日も会いに来たよ
よろしくお願いします……
百合さん
僕と来てくれるつもりはないんですか?
必ず幸せにしますよ
できません
それはできないんです……
当事者以外も見慣れたこの光景だが、正太郎はここで新たな手を打った。
そこまでかたくなになるのか……
だったら、面白い話をしてあげよう
面白い話?
外の世界の話さ
君と一緒に見たいものや、君に見せてあげたいものがたくさんあるんだ
正太郎は笑顔で語りだす。
外の世界には素晴らしいものが沢山ある
ここよりも女性が生き生きしている
男と女の差別なんてなくなってきているんだ
…………
正太郎はさらにつづける
神戸のほうには女性がすごく活躍する劇団があってね。美しい女性たちが時には男性の役もしながら素晴らしい舞台を見せてくれるんだ。
あっ、君ならもしかすると入れるかもね
そう……
さらに続ける
普段もそれなりによくしゃべる人だが、今日は和をかけて饒舌だ。
それから、東京には素晴らしい駅が出来たんだって。赤レンガ造りの綺麗な建物さ。
もっとも、それに関しては僕もまだ見たことなくて、伝え聞いただけなんだけどね
それから――
あ、あの……
ん?
じ、時間が……
おっと、これは失礼……
ついついしゃべりすぎてしまったね……
それじゃそろそろ、お暇しようか
そう言って正太郎は立ち上がった
あっ、そうだこれ
山茶花はいりません
そう……
お帰りください……
わかったよ……
じゃあね……
パタンという音を立て襖が閉まる。
百合は深いため息をついた
ひどいこと言っちゃったな……
外の世界がうらやましくなったからって……
あの人と一緒に外に出られたらなんて考えちゃったからって……
最低ね……私……
もう……来てくれないかも……ね……
百合の左目からあふれた涙が頬を伝う。
その涙は今までなら無機質に開かれていたはずの両目からとどまることなく流れ出す
百合は枕に顔をうずめ、声を押し殺し泣いた。
悟られてはいけないのだ。
泣いていることが悟られれば、自分の身がどうなるか分からない
そんな状況でも涙が止まることは無い。
吉原に来てから押し殺し続けた感情があふれる
悲しさ、悔しさ
堰を切ったように流れ出た感情が
声になり
涙になり
形となる
感情を殺していたはずの少女が
初めて流した涙だった。