洸汰

はぁ……はぁ……!

息を切らせながら必死に再開発地区を抜け出した洸汰は、いつの間にか爆発音が聞こえなくなっていることに気がつき、足を止めて振り返る。
夜の闇に包まれたその場所は、まるでさっきまで洸汰が体験していた出来事全てが夢幻であったかのように、静寂に包まれている。

だが、魔法少女と名乗った不思議な少女の柔らかく暖かな手の感触も、彼女からふわりと漂った甘い香りも、そして何よりも、今も残っている、逃げる瞬間に獰猛な笑みとともに突きつけられたあの濃密な死の気配が、そこで起こったことが現実だと彼の脳に告げていた。
そのことを思い出してしまった洸汰は背筋をぶるりと震わせると、そのまま家路を急いだ。

かつ……かつ……かつ……かつ……。
埃っぽい石製の床をゆっくりと靴底が叩く音が聞こえ、彼女は閉じていた目を開けて来訪者の顔を確認すると、どこかほっとしたような笑みを浮かべた。

魔法少女

よぉ……
あんたか……
助かったぜ……


口の端から血を流し、腹を中心として骨の数か所が粉々という重症の彼女は、痛みをこらえて古びた鉄製の柱に体を預ける。

魔法少女

ったく……
やってくれたぜ、あのレネゲイド……


ごほっと咳き込み、吐き出された血を乱暴に拭って彼女は言う。

魔法少女

だが、確証は掴んだ……
あいつはやっぱり……
いっ……


何かを言いかけた彼女は、不自然に言葉を途切れさせて何かを見つめる。
その視線の先にいたのは、一匹の黒い猫。
しばらく警戒するようにその黒ネコをじっと睨みつけていた彼女は、やがてほぅ、と息を吐き出した。

魔法少女

おいおい……
あんた……いつから黒ネコなんて使い魔にしたんだ?
ずいぶんと趣味悪ぃじゃねぇか……?
……まぁいいや……
早く本部へ連絡を取って医療班を寄越してくれ……


彼女がそう口にした瞬間、こくりと頷いた来訪者の姿が、奇妙な音を立てながらブレる。
それが意味することを瞬時に悟った彼女は、大きく目を見開いた。

魔法少女

んなっ!?
てめぇはまさか……!?

しかし、来訪者はその問いに答えることなく、にたりとまるで蛇のような笑みを顔に張り付けた直後、軽い衝撃と熱い何かが彼女の体を貫き、彼女の意識はそこで途切れて二度と戻ることはなかった。

誰もが寝静まろうとしている夜の街を、傍らに一匹の黒ネコを連れた一人の少女が歩いていた。
こんな時間に少女が一人歩いていれば、暴漢に襲われるか、警察に呼び止められることになりそうだが、少女はそんなことは気にしないとばかりにゆったりと歩いていく。
と、そこへ足元の黒ネコが口を開いた。

クロエ

あれでよかったのかニャ?

カレン

うん、いいんだよ……
放っておけば、どうせ教会が回収するだろうし……

クロエ

そんなもんかニャ?

カレン

そんなものだよ
それよりも明日からはいよいよ学校だよ?
楽しみだなぁ……

クロエ

…………はぁ……


人語を解する猫に特に動じることもなく、普通に答えた少女を見上げて、黒ネコは器用に肩をすくめた。
そして一人と一匹は夜の街へと消えていく。
まるで夜の散歩を楽しむように、ゆっくりと、ゆったりと。

そして、少年にとっては人知を超えた夜が……。
少女にとってはすべての始まりの夜が……。
もう一人の少女にとっては最後の夜が明ける。

恐らく彼にとって人生でもっとも長かったであろう夜を過ごし、少年はいつものように学校へ登校し、自分の席でだらしなく顔を伏せていた。

洸汰

ほんと……
昨日のあの出来事はまだ夢みたいだ……

洸汰

でも……
確かに起こったこと……なんだよな……

一晩たってもまだ纏わり付いてくる濃密な経験にそんなことをぼんやりと考えていると、クラスのお調子者で通っている友人が陽気に話しかけてきた。

よっす!
どした?
なんか朝っぱらからお疲れモードじゃねぇか?

洸汰

ああ……
ちょっと昨晩いろいろとありすぎてな……

なんだぁ?
塾のテストで悪い点数でも取ったか?
ってそんなことはどうでもいいんだよ……

どうでもいい、で洸汰の話を斬り捨てた友人が急に声を潜めた。

なぁ、おい……知ってるか?
実はな……今日は転校生が来るらしいぜ?
それも外国人の女子だってよ!
しかもうちのクラス!
留学生だぜ?
わくわくしねぇ?

洸汰

はぁ……
俺はたまにお前のその性格が羨ましいよ……

留学生の女子がどういう人間なのかを想像して、顔をだらしなくゆがめる友人に、洸汰は皮肉を投じた。

と、そうこうしているうちに始業のチャイムが鳴り、担任教師の入室と共に各々が席へと戻っていく。
そして全員が着席したのを確認してから、担任教師が徐に切り出した。

え~……
突然だけど、このクラスにイギリスからの留学生を紹介する……
入ってきなさい……

はい、と静かに返事をして教室にゆっくりと入ってきた少女を見て、クラスからどよめきが起こる。
洸汰の友人に至っては、軽く口笛を吹いて表情をだらしなくさせているほどだ。

教室に入ってきた少女は、クラス中のそんな空気に構うことなく教壇の脇に立つと、小さく頭を下げる。

カレン

今日から皆さんと一緒に勉強させていただきます……
イギリスから来ました、カレン・マルヴェンスと申します……

カレン

皆さん、よろしくお願いします!

少女――カレンの微笑を受けて、クラス中が騒然となる中、洸汰ははて、と頭を捻った。

洸汰

昨日、再開発地区で出会ったあの魔法使いの子も同じ名前じゃなかったっけ?

そう考えるものの、「カレン」なんて名前は割りとよく見かけるか、と思い直してぼんやりと留学生を見つめる。
その瞬間、カレンの視線が重なり、洸汰は慌てて目を逸らす。

そんな洸汰を、カレンはどこか安堵したような、それでいて悲しそうな、そんな複雑な視線を送っていた。

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