撫子

はぁ……。

 大切なお師匠様をとんでもない目に遭わせてから数時間後。
 薬草の栽培ハウスを背にし、撫子は自分の犯した失態に打ちのめされていた。
 一時(いっとき)でも良いから、フェインリーヴが逞しくなった姿を見てみたかった、ただ、それだけだったのに……。

撫子

お師匠様……、凄く、痛がってた。私が作った薬のせいで……。

 それに、レオトとポチが止めてくれなければ、このレディアヴェール王宮はさらに被害を受けていた事だろう。幸い、建物も人も、最小限の損傷と、軽傷で済んだのだが……。

撫子

薬師見習い……、失格だわ、私。

 ……お師匠様の、恋人としても。
 撫子は花壇の側で膝を抱え、溜息を繰り返す。
 自分が調合した薬と、それを服用させる相手の種族性や、副作用などに関する諸々の基礎的な面を失念していた事。そして……。

フェインリーヴ

撫子……、そ、そんなに、そんなに……、ま、マッチョが、いい、のか……。ぐふっ。

撫子

お師匠様が……、治療中に魘されながら言っていたあの言葉。

 悪気があったわけじゃない。
 今のフェリンリーヴに不満があったわけじゃない。
 ただ……、魔族を束ねる魔王にしては、少々? 身体つきがそれに見合っていない彼に、逞しいマッチョバージョンも如何ですか? と、好奇心であの薬を作ってみただけで。彼を否定したつもりはなかった。
 けれど、……よくよく考えてみれば、フェインリーヴにとっては、同じ事だったのかもしれない。
 

撫子

私だって……、もし、お師匠様に『俺はナイスバディのボインが好きだ!!だから、この薬を飲んで俺好みになれ!!』みたいな事を言われちゃったら……。

 へこむ。確実に、完膚なきまでに自己否定をされたような気がしてどん底までへこむ!!

撫子

どうしよう……っ。今回の事でお師匠様に嫌われちゃったら、弟子破門!!とか……、恋人失格の烙印を押されて、追い出されちゃったりでもしたら……!!あああああああああっ!!

フェインリーヴ

ちょおっと待てぇえええええええええええ!!

撫子

お、お師匠様ぁああっ!?

 爆煙をあげながら栽培ハウスへと駆け込んできたそれは、紛れもなく撫子のお師匠様の声だった。
 激痛に苛まれ、動ける状態にないはずの、撫子の大好きな……、お師匠様が。

ポチ

ふぅ……。撫子、後は頼むぞ。

フェインリーヴ

うぐぐ……っ!! ポチっ、貴様……、人を引き摺り倒して運んだ挙句、ポイ捨てとはどういう了見なんだ……!!

ポチ

俺の背中にしがみついていられなかったお前を銜えて走って来てやったんだ。とてつもない重労働だったんだぞ。感謝の言葉ぐらい寄越したらどうだ?

 皆の前ではただの飼い狼を演じているものの、気心の知れている者の前では相変わらず素敵な低音美声で喋るポチの言う通り……。 
 確かにフェインリーヴは、ポチに襟首を銜えられた状態で引き摺られながら(全速力で)の登場であった。道すがら色々な所で怪我を負ったのだろう……。

 ぶっちゃけズタボロ状態だ。

撫子

だ、大丈夫ですか!? お師匠様!!絶対安静だって言ったじゃないですか!!

フェインリーヴ

そんな事はどうでもい!!

ポチ

ほぉ……。

ポチ

――うりゃ。

フェインリーヴ

ポチぃぃいいいっ!!ぐぅうううううっ!!

 あぁ、やっぱり駄目だ。
 フェインリーヴはちっとも回復してなどいない。
 その証拠に、ポチが前足で背中を軽く叩いただけでこの絶叫。……骨がバキッと折れるような音まで聞こえた気がする。
 撫子は大慌てで這い蹲っているフェインリーヴを助け起こすと、彼の頭を自分の膝へと乗せた。

ポチ

撫子。悪いが、暫くの間相手をしてやってくれ。あとで迎えに来る。

撫子

え? あ、う、うんっ。

ポチ

それではな。

………………。

撫子

あ、あのぉ……、大丈夫、ですか?お師匠様。

フェインリーヴ

ど、どうにか、な……。それよりも、あの薬の件だが。

撫子

も、申し訳ありませんでした!!

フェインリーヴ

撫子……。

撫子

も、もう、もう二度と間違えたりなんかしませんから!!だから、だからっ!!……お願いですから、捨てないで、くださいっ。

フェインリーヴ

このっ、――馬鹿もんがぁああっ!!

撫子

――っ!!

 やっぱり怒ってる!!物凄く!!
 持ち上げられたその手が握り込まれたのを見た撫子は、彼に殴られると思った。しかし。

…………………。

撫子

……あの。

フェインリーヴ

間違えたのが俺相手で、良かったじゃないか……。

撫子

お師匠、様……?

 フェインリーヴが振り上げた拳は、何の力も宿さずに撫子の額の上あたりを優しく小突いていた。
 

フェインリーヴ

確かに今回の失敗は、一歩間違えば他者にどんな害をもたらしたかわからないレベルのものだった。だがな……、幸いな事に、人外の俺が、お前の大きな失敗第一号になってやれたんだ。

撫子

で、でも……。

フェインリーヴ

でも、はいらない。お前はしっかりと反省し、もう二度と同じ間違いはしないと、薬術や調合に対して今まで以上の心構えが出来た。これは大きな一歩だ。違うか?

撫子

でも、でもっ、そのせいでお師匠様や皆さんが大変な目に遭って、今も……、薬のせいで、お身体が辛いんでしょう?

フェインリーヴ

あぁ、辛いな。ものすっごく!

撫子

や、やっぱり……っ。ごめんなさいっ、ごめんなさいっ、お師匠様!!私、私っ。

フェインリーヴ

だが、師匠として、お前に良い勉強をさせたと、そう思ってもいる。

撫子

お師匠様……っ。

フェインリーヴ

だから、もう謝るな。お前は普段から真面目で、失敗もあまりしない出来の良い弟子だ。だから、今のうちに大きな失敗をひとつしておいてくれて、俺としてはほっとしている。

 撫子の膝の上に頭を寝かせながら、フェインリーヴは嬉しそうに笑った。
 お前が失敗した相手が自分で良かったと、これから薬学術師としての道を歩んでいくのに必要な、大切な心構えをさらに強化する事が出来た、と。

撫子

もう……っ、なんで、何でそんなに私を甘やかすんですかっ。

 お師匠様は……、この人は、どうしてこんなにも温かで優しいのだろうか。
 撫子は大粒の涙を零しながら、改めて思う。
 本当に自分のような存在が、彼の相手でいいのかと。けれど、そんな心の内もお師匠様には見抜かれているようで……。

フェインリーヴ

俺は、お前を破門する気もないし、手離して他の男にやる気もないからな……?

撫子

ひ、人の心を読まないで下さいよ!!

フェインリーヴ

お前は感情が豊かだからな。すぐ顔に出るんだ。

撫子

そ、それは……、どうも、すみませんっ。

フェインリーヴ

大体だな、別に甘やかしてるわけじゃない。何も反省していない奴には勿論雷を落とすが、お前のように一度の失敗でへこみすぎるタイプには、加減をしているだけだ。

撫子

落ち込み方が酷いのは、自覚してるつもりなんですが……。その、本当に私みたいな存在が、……お師匠様みたいな素敵な方に寄り添っていいのかな、と、そう思いまして。

………………。

フェインリーヴ

……は?

撫子

私……、お師匠様と恋人同士になってから、時々思うんですよね。……釣り合ってないなぁ、って。

 凶極の九尾絡みの事件と、撫子の住んでいた元の世界でのゴタゴタが落ち着いてから暫く……。
 考えないように考えないように避けていた事実。
 彼女のお師匠様であるフェインリーヴは色々とあれなところもあるが、――実は、かなりの女性達から意味深な視線を貰う存在でもあったのだ。
 いや、薄々とは気付いていたのだが……。
 何というか、改めて気付かされたというか。

フェインリーヴ

……。

撫子

好きな人が出来て、恋人同士になれて……、それが奇跡みたいなものなんだって、思ってました。幸せな奇跡……。でも、でもですねっ。

撫子

お師匠様のモテ様は半端ないんですよ!!

 町に行けば、必ず兄妹に間違えられるわ、平気で他の女の子達が寄って来るわ、何度撫子の心が鬼神じみた炎の荒ぶりを見せた事か……!!

撫子

私なんて、お師匠様や他の女性達から比べてお子様一直線ですし、胸も小さいですし、どっからどう見ても、お師匠様の恋人には見えないんですっ。

フェインリーヴ

……。

撫子

凄く、凄く……、心の底から大好きなのに、私は外見も中身もお師匠様に釣り合わないんです。だから、さっきちょっと思いました。一度お師匠様から離れて、旅にでも出ようかな、って。

 今は自分を見ていてくれても、いつか他の女性を愛する時が来るかもしれない。
 もし、その時が来て……、愛する人に別れを告げられたら。初めての恋は幸せを運んでくれたけれど、同時に、自信のない撫子にとっては、不安も大きかったのだ。

フェインリーヴ

……まったく。

撫子

呆れましたよね?やっぱり私は、一度精神修行も兼ねて旅に出た方が。

フェインリーヴ

勝手に自己完結をするな!!

撫子

ご、ごめんなさい……っ!!

フェインリーヴ

あのな、俺だって自信なんかないわ!!

撫子

お、お師匠様?

フェインリーヴ

俺は、特定の女を好きになった事がなかった。お前と出会うまではな……。だから、女の扱い方なんぞまるで未知の分野だし、お前とは歳が離れすぎていて、楽しませてやれている自信もない!!

撫子

あ、あの……っ。

フェインリーヴ

お前は、俺と一緒に魔族の長い時間を生きてくれると誓ってくれたが、いつか……、同じ人間の男を選ぶ時が来るかもしれないと考えたら、がらにもなく、不安塗れになる時もある。

撫子

な、何言ってるんですかっ!!私は、お師匠様以外の人なんて、好きになりません!!

フェインリーヴ

俺だって、お前以外の女なんぞ眼中になしだ!!たとえスタイルが抜群のボインだろうと、お前にはない色気がたっぷりとあろうと、俺が選ぶのはお前だけだ!!

撫子

うぅっ……、凄く嬉しい言葉なのに、素直に喜べないっ。

 本人の言った通りだ。
 フェインリーヴに悪気はないのだろうが、やはり、女の子の扱い方も、愛の告白も、少々? いや、かなりずれているのかもしれない。
 地味に撫子の精神を抉ってくる、残念な御人だ。

フェインリーヴ

ほらな……。大事な時でも、色々と失敗が多い。お前と一緒で、こっちも恋愛初心者なんだ……。少しは俺の心の内も考えてくれ。

 撫子の反応で、自分が余計な事を言ったと気付いたらしく、フェインリーヴは溜息まじりに横を向いてしまった。耳たぶが……、ほんのりと赤く染まっている。

撫子

恋愛初心者……、ですか。

フェインリーヴ

そうだ。俺も、お前も、二人揃って無知な恋愛初心者だ。だから……。

フェインリーヴ

俺とお前は、同じだ。薬学でも、恋愛でも、色々と失敗して、一緒に成長していけばいい。

撫子

お師匠様……。

 優しくて、温かい……、頼もしいぬくもり。
 撫子は頭を撫でられながら、彼の顔をじっと見つめていた。心の中の不安や焦りを、全部この人の深い愛情が溶かしてくれる。

撫子

じゃあ、お子様な私でも、これからもずっと、一緒にあ師匠様の隣を歩いて行ってもいいですか?

フェインリーヴ

勿論だ。

撫子

ありがとうございます、お師匠様。

 顔を近づけて彼の額にそっとキスを贈ると、フェイリンーヴも同じように温もりを返してくれた。
 一人旅に出よう、なんて口にしたけれど……、やっぱり、この人の傍からは離れ難い。
 ずっと一緒にいたい、見つめあっていたいと、心からそう思える。

フェインリーヴ

ところで撫子……。

撫子

はい?

フェインリーヴ

どうせなら、こっちにもキスをくれないか?

撫子

え?あ、あの、その……、こんな場所では、ちょっと。

フェインリーヴ

駄目……、なのか。そうか……。

撫子

あ、あのっ、わ、わかりましたっ。ちょ、ちょっとだけですからね!!

フェインリーヴ

本当か?では頼む。(確信犯)

 何か騙されたような気がしないでもない……。
 だが、彼の悲しそうな顔を見るのは忍びなくて、撫子は勇気を出してお師匠様の唇にぬくもりを落とそうとした。

 ――だがしかし!!

側近

陛下~、失礼いたしますよ。……と、おや。もしかして、イチャイチャタイム真っ最中でしたか?これは失礼。

撫子

ち、違います~!!

フェインリーヴ

ぐはっ!!

 揺らいだ空間の歪みからひょいっと飛び出してきた青年の姿に、撫子は思わずフェインリーヴを放り出す形で勢いよく立ち上がってしまった。
 ……近くにあった花壇に、お師匠様の顔面がヒットしてしまう。

側近

いえいえ~、仲睦まじいのならじゃんじゃんやっちゃってください。あ、でも、子作りの類は二人っきりのお部屋でお願いしますね~。

フェインリーヴ

何の話だ!!

側近

うぅ~、そんな全力でド突かなくてもっ。あぁ、痛いっ。

フェインリーヴ

ラスティード……、本気で怒るぞっ。

ラスティード

何ですか、そのつれないお言葉は~。撫子さんとは両想いなんでしょう~?私は側近として全力で応援し、あわよくば一日も早いお世継ぎをと考えてるだけであって……。

撫子

お、お世継ぎって……、こ、子供!?

ラスティード

両想い、魔族になる事も受け入れて頂けた事実。となったら後は、撫子さんと陛下がご結婚なさって、存分にイチャつきまくって頂いて、次代の魔王陛下をもたらして頂くのは当然の事でしょう!!

フェインリーヴ

だ・か・ら~……、話が早すぎると言っているだろうがああああああっ!!

撫子

ちょっ、お、お二人とも喧嘩しちゃ駄目ですよ!!お師匠様!!身体はどうしたんですか!!辛いんじゃなかったんですか!!

 全く以って聞いちゃいない人↓

フェインリーヴ

このっ!!性急な事ばっかり言いおってからに!!撫子が怖気づいて俺から離れたらどうしてくれるんだぁああああっ!!

ラスティード

そうやって慎重派を気取る方が獲物を取り逃がすって言うじゃないですか~!!男たるもの、たまには強引押せ押せ!!ですよ~!!

撫子

……どうしよう。

ポチ

撫子、話は終わっ……。

撫子

あ、ポチっ!!

ポチ

魔王と側近のじゃれあいか?あれは……。

撫子

う~ん、そんな感じ、かなぁ。ポチ、一緒にレオトさんの所に行こう?

ポチ

待っていなくていいのか?

 そう問われたものの、撫子はやはり頷いてポチと一緒に戻る選択をした。

撫子

だって、……お師匠様とどんな顔をしていいかわからない、し。

 このまま幸せな時間が続いて、いつかフェインリーヴのお嫁さんになる日が来たら、つまり、キス以上のあれこれが待っているわけで……。
 と、そこまで考えて撫子は我に返った。

撫子

そういえば……、初夜って、何をするんだろう。

ポチ

……(視線を逸らす)

 撫子が知っているのは、唇への愛情の証だけ。
 結婚後の初夜に男女が寝屋に入り、何をするのか、具体的な事については何も、撫子は知らなかった……。元の世界にいた時は、男性に任せていればいいとしか噂に聞いておらず、彼女自身も巫女姫として生きる道に忙しく、まさに知識の範囲外、だったのだ。

ポチ

前途多難だな……、フェイン。

 魔王と側近がじゃれあう? 昼日中……。
 疑問顔の撫子と、どう答えていいものかと迷うポチであった。

3・薬師で○○なお師匠様と【後編】

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