哀れ、フェインリーヴ。自慢の弟子が作った筋肉増強即効薬のせいで、筋肉モリモリの狂戦士状態から無事解き放たれても、この調子であった。
全身の筋肉が、骨が、魂が絶叫を上げている。
フェインリーヴは抗えない苦痛に負け、ぼふんっと、研究室のソファーにまた顔を埋める羽目になった。
うぅ……、
痛たたたっ。
大丈夫か~? フェイン。もう一枚、湿布貼るか?
いや、だ、大丈夫、だ……。こ、このくらいっ。
でもなぁ、かなりヤバイ感じになってるだろ、お前……。
こ、このくらい……。
ぎゃああああ!!
哀れ、フェインリーヴ。自慢の弟子が作った筋肉増強即効薬のせいで、筋肉モリモリの狂戦士状態から無事解き放たれても、この調子であった。
全身の筋肉が、骨が、魂が絶叫を上げている。
フェインリーヴは抗えない苦痛に負け、ぼふんっと、研究室のソファーにまた顔を埋める羽目になった。
はぁ……、
愛が痛い。
撫子君……、逞しい身体つきの男が好きだからなぁ。
納得いかん……!! 俺という相手がいながら、何故マッチョに拘るんだ!!
恋人だからこそ、じゃないか? 滅多に運動もしない、研究馬鹿な恋人を心配しているからだと思うぞ。
薬学術師が研究に熱心で何が悪い!!
大体、運動をしなくても、自分にはしっかりと肉はついている。
肉体自慢の男達からすれば頼りなく見えるだろうが、ちゃんと健康レベルだ。
むすっと拗ね散らかすフェインリーヴを眺めながら、向かいの席に座っているレオトがやれやれと肩を落とした。
撫子君、筋肉マッチョ姿になったお前に、物凄く惚れ惚れとしてたぞ?
ふんっ、俺の価値は肉か? 筋肉山盛りじゃないと、恋人として不適格だとでも言いたいわけか?
別にそういう意味じゃないと思うけどな。ただ、撫子君的に、お前の逞しくなった姿を一度でいいから見てみたかったんじゃないか? ほら、一時的な変化の薬だったそうだし。
……別に、撫子を責めたりしたいわけじゃないが、今のままの俺では不満なのかと。
自信がなくなりそうなだけだよな?
うるさい。
涙ながらに自分の手で治療を施してくれた恋人の悲しそうな顔を思い出しながら、フェインリーヴはやりきれないといった表情で僅かに身動ぎをした。
一生懸命で、とても素直な少女……。撫子を保護した時には、まさか自分と彼女が恋仲になるなど、思ってもみなかった。ただ、一人で頑張ろうとする姿が健気で、その危うさを放っておけなくて……、気が付けば、目を離せなくなっていた存在。
撫子と想いを交わせた幸福は、フェインリーヴにとって奇跡のような人生の贈り物だ。
初めて出会ってから二年近く……、恋人になってからは、一年ほどか。
平穏で優しい月日の心地良さに、フェインリーヴは何の不安も抱かずに、溺れきっていた。
そう、まさか……。
撫子が俺をマッチョに大改造しようと企んでいたなんて、誰が予想出来るかあああああっ!
いやいや、結構前から筋肉フェチ発言出てただろ? 俺的にはいつかやると思ってたぞ。
全然気付かなかった……。
お前、撫子君と両想いになってから、幸せ絶好調で危機感皆無だったもんなぁ。
はぁ……。もっと早くに気付いていれば、こんな事にはっ。
恐らく、薬の副作用的には、今日と、明日、丸二日はまともに動けないかもしれない。
ずっとソファーの柔らかな感触とお友達状態で、襲い来る激しい苦痛と闘い続けるのだ。
そして、俺に迷惑をかけてしまったと、アイツは一人で気に病み続けるんだろうな……。
薬を作る事に夢中で、フェインリーヴが魔族であった事を忘れていた撫子。
まさか、こんな事になるとは思ってもみなかった事だろう。
一応、種族による薬との相性云々は前に少しだけ教えておいたが、甘かった。
なにせ、初級の試験は人間用の薬学知識と、その調合の腕を試すだけ。
各種族に関する段階へ進むには、中級の勉強が必要となるのだ。
この件に関しては地味に傷付きながらも、フェインリーヴは自分のせいでもある、と、罪悪感を抱いていた。
くそ……っ、いつになったら戻って来るんだ。
撫子が治療を済ませ、用があると言って出て行ってから一時間ほど。
どこに行ったのかも、何の用事があるのかも、フェインリーヴは知らない。
だが、ひとつだけわかる事がある。
撫子の事だ……。どうせ、どこかで一人自己嫌悪に陥りながら泣いているに決まっている
そんな彼女を慰めたいけど、動けない自分が情けなくて仕方ない、か?
……あぁ
流石に家出をする、という事はないだろうが、彼女は思い詰めやすい性格の持ち主だ。
普段は明るく前向きな性格をしているが、一方で、酷く脆い部分も抱えている。
それは、元、癒義の巫女としての名残のようなものなのだろう。
誰かを守り続ける為に、たった一人の肩に背負わされてきた重荷。
ようやくそれから解放されたというのに、今回の失敗は……、きっと彼女の心を傷付けた。
悪意を抱かずに飲ませた薬が、自分の師匠を、恋人をとんでもない目に遭わせてしまったのだから。
自分の勉強不足だったと、考えなしだった、と、そんな風に考えながら膝を抱えているはずだ。
こんな事になるなら、さっさと本当の姿を見せておけば良かったんじゃないか?
……あの姿は、嫌だ。
お前の気持ちはわかるけどな。魔界での件で父親とは和解したようなもんだろ? いい加減に自分の事も受け入れてやったらどうだ?
現、魔界の王たるフェインリーヴは、先代の魔王である自分の父親をその手に掛けた。
強大な力を揮っていた先代の魔王を、その圧倒的な存在を、彼は一人で打ち破ったのだ。
撫子は知らない。今のフェインリーヴの身体が、本来のそれとは違う事を。
魔力だけでなく、あらゆる戦闘方法を学び、肉体を鍛える事に意識を向けていた過去の日々。
成長と共に、フェインリーヴは何度も鏡から目を背けたくなった。
見る度に……、思い知らされた。
強靭な肉体も、顔も、身の内に流れる魔王の血と、父親によく似た魔力の波動も……。
自分が、あの冷酷で無慈悲な魔王の息子だと、そう思い知らされた瞬間の絶望。
先代の魔王を排除してから、フェインリーヴは自分の肉体を術によって変える事にした。
父親の存在から、逃げるように……。
レオト……、お前の言う通り、受け入れるべきなのかもしれないな。俺は、自分の罪から、親父の存在から、ずっと目を背けたままだ。
別に無理をしろとは言ってないけどな? けど、お前の本当の姿を、彼女が受け入れてくれたら、好きになれるんじゃないか?
……そう、だな。
痛む身体を無理に動かして仰向けになると、フェインリーヴはレオトの肩越しに見える窓の向こうに視線を向けた。清々しい、迷いのない、美しい青。
こんな晴れやかな日は、撫子やレオト達と、どこか景色の良い場所に出掛けたくなる。
今が幸せだと、そう実感できる……、平穏な日々の象徴。
撫子……
自分の事を想いながら、涙で頬を濡らしている少女を思い浮かべると、居ても立ってもいられなくなる。早く、早く、あの子の傍に行かないと。
レオト、頼みがある。
ん?
ポチを貸してくれ。
……ん。わかった。けど、あまり無理はするなよ。
フェインリーヴが何をしたいのか、ポチをどう使いたいのか、レオトはすぐに察してくれた。
けれど、またまた無理をしようと動いたフェインリーヴは、見事にソファーから転がり落ちてしまう。
ゴンッと、痛そうな音が響く。
テーブルに額を直撃させた可哀想な音だ。
そんな残念極まりないフェインリーヴを、レオトは苦笑と共に助け起こしてくれたのだった。