神 斬
髪 切 り屋
神 斬
髪 切 り屋
終の巻 十六夜(いざよい) 序章
祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)の鐘の声、諸行無常の響きあり。
沙羅双樹(さらそうじゅ)の花の色、盛者必衰の理をあらはす。
おごれる人も久しからず。ただ春の夜の夢のごとし。
たけき者も遂には滅びぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。
平家物語 序文
別の時空の誰が書いたのかは、わからないが、現代語訳はしなくても解るであろう。
さて、終の巻の案内人は、大神(おおみかみ)である
私、現代名 日神鏡子(ひかみきょうこ)天照大神(あまてらすおおみかみ)が務めさせていただこう。
何故、大神である、私が、終の巻の冒頭古典に平家物語の序章を選んだのかですって?
この国の人々は、神話の時代から、自然の中に、神をみつけ、祀ってきた。
太陽に例えられた、わたくしとて例外なく万物の創生物の一つである。
この国の長い歴史の中で、神は異国から来た神。
仏という概念と習合し、八百万(やおよろず)の神として争いながらも、この国の人々の心の中で、いつしか、受け入れられた。
仏は特に、人の死後の世界の安寧をつかさどる神として、人々の心の支えとして浸透していった。
仏という概念を生み出した
印の国のシャーキャ族の王子
ガウタマ・シッダールタは釈迦となり祇園精舎で説法をおこない
人の心に安らぎを与えたと聞く。
大神である、わたくしが仏の話をするのも、いささか
滑稽(こっけい)ではあるのだが。
さて祇園精舎の守護神とされる、習合神牛頭天王は、わが国 日出国(ひいずるくに)の山城国 四条の八坂に祭られる神である。
この牛頭天王は行疫神疫病神(やくびようがみ)として崇め信じられてきたが、いつしか、人々から、疫病神を鎮め退散させる神と崇められる様になったと聞く。
わたくしは、この牛頭天王と習合されたとされる、暴れん坊で、やんちゃな神を知っている。
誓約に使った、牛王宝印(ごおうほういん)と呼ばれる、この紙に
その神の決意が書かれている。
人の最後は、人、自らが決める、そのために、俺は神変(じんべん)し人となろうとも人が幸せに暮らせる世界を創る。
この決意を書いた神はどこから来て、どこに行ったのか?
そして今は、神ではなく、人になったのか?
その者は問うた、人は生まれてから死ぬまで、何をするために生まれてくるのか?
その人間が心の支えとして生みだした神仏という概念。
人がいたからこそ、生まれた神と仏。
私としたことが、少し、おしゃべりがすぎたようじゃの。
諸行無常、盛者必衰、いずれすべての物に終わりはくる。
それが、たとへ、ひとへに風の前の塵に同じではあるのかもしれないが、この物語にどのような終わりが待っているであろうか?
ただ春の夜の夢のような、儚(はかな)き思い。選択すること、ためらうこと。
完全ではないから、満月ではなく十六夜(いざよい)
既望(きぼう)と呼ばれる終焉を
わたくしと一緒に見届けようぞ。
神 斬
髪 切 り屋
終の巻 十六夜に続く