霊深度

-3.14の、

溶けるあのひと

CridAgeT

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あのひと、つまらない人だから、私があげた指輪の事なんて忘れてる。

最近は女性からも指輪を贈るものなのか?

いいえ? 飾るタイプの、ほら、この前言ってたやつ。

『朝露に溶ける茉莉花』だったか? 気に入っていたのに手放したとかいう

うん……

クリムは作品を磨く手をふと止め、その滑らかな石の腕輪を軽く弾いた。
軽やかな音が響く。

『カスミソウは罪の音を知らない』

あ、この前見つけた指輪、ここに飾ることにしたんですね!

カゲツは今日も元気そうだ。

ああ、せっかくだからな

これ、指にはめるには大きいですよね……?

彫り物や装飾が多いだろう?

カゲツは興味ありげに石の指輪を見た。

乳白色に桃色の斑が入っていて、あちこちに可愛らしくも美しい花が彫り込まれ、金や水晶で縁取られたりしている。

これ、なにか素敵なものが籠っている気がします。神社にいっぱいあったのと同じ感じ

そうかもしれないな

私は椅子に腰を下ろした。

クリム……彼女は当時から稀代の作家だった。
その指輪は、亡くなった母親が遺したスケッチからデザインを起こしたらしい。

こういった作家は普通、同じ作品は何度も作らないからな

その……指輪を贈るのって、特別な意味があるんですよね?

ん?

その……女の人からだって言ってましたけど……

私には分からなかったよ

溶けるんですか?

妙なことを仰る方ですね。

その石は不溶性です。

初めて彼女の作品、つまりこの指輪を見たとき、私は不躾なことを言ったらしかった。

彼女の表情は読み取りにくかったが、おそらく気分を害したのだろう。

つまらないひと

そのときは、指輪は華奢な紐で彼女の首から下げられていた。

……この花、ジャスミンでしたか

まりか

茉莉花?

そちらの名で呼んでください。

   はい

これは、私の一番好きな作品。

作品?

私が作ったんです。

誰かのために?

ええ。……あげる人が決まっているものなの。

え? この指輪、先生のじゃなかったんですか?

違う。それは、預かりものだ

私はフライパンを大きく振った。煮魚のパイが、濃い焦がし糖蜜の海でひるがえる。

エプロンに少し糖蜜が飛んだ。

こんな大切なもの、何故私に預けようなどと考えたのか

案内された家は、石材と作品に満ちた、作業場のようなところだった。

私は、幽霊に憑かれやすいの。
だから、ここにいる。

あなたが聞いたという噂通り、ここには幽霊がいないでしょう?

……本当に、ここには『霊を祓う石』があるんですか?

ええ。……ねえ、私たち同い年なのだから、敬語はおかしいんじゃないかしら。

なるほど

家の裏手には、私の背ほどに大きな大理石らしき石碑があった。

水滴を花びらに乗せた花が一輪、本物と疑うまでに繊細に浮き出ていた。

  まるで、墓のようだ

これは何の花だ?

ユリ。『小百合に黙祷の白露』っていうの。

クリムは花に顔を寄せた。

この石には、未練を取り除き、心を浄化してくれるという言い伝えがあるの。

幽霊たちの未練が、少しでも無くなってくれたらと思って。

……未練、か

なに。

あなたは知らないだろうな

ほとんどの幽霊は、未練があるせいで成仏できないんじゃない

え?

成仏なんて、どうやってもできないんですよ

もう覚悟ができていて未練がないやつも、 誰も存在に気づかないくらいになってしまっても。
人間と違って、自殺することすらできない。

どういう、こと。

ちょっと欲を出すと、それだけで、こうだ。
物理攻撃や幽霊の攻撃が効かないようになるまでこの世界に留まってしまったら、自分では成仏する手段なんてない。もう存在し続けるしかない

少し、口が滑ったらしかった。

未練がなくたって、永遠に近い時間を過ごさせて、気が狂ったり悪霊とならない方が無茶だ。むごい

……

そのときのクリムの表情は、……わからなかった。

どんな感情を含んでいるのかも、なぜそんな顔をしているのかも、わからなかった。

だから、あなたはあんな所に居たのね。

……

私と彼女が出会ったのは、はるか高みの、断崖絶壁。

本当に細い岬の、ぎりぎりの端だった。

クリムは大小さまざまな石の積み上げられたところで足を止めた。

これ全部

……

この石材の山も、この作品たちも、この指輪も、全部霊的なものを祓う石なの

私は半ば発作的に、手を伸ばしたらしかった。


指先が石に触れて、痛みが走った。

っ!

見ても、指には傷一つついていない。

無理に触らない方が良いわ。

……聞かないのか?

あなたは霊じゃない。まして悪霊でもない。

あなたの事情は分からないけど、無理に触らない方が良いわ。

  そうか

この石だったのか

未練を祓えてもどうでもよいのに、これは信じるのね。

    それは

……つまらないひとね。いくらでも持っていけばいいわ。

感謝する

でも、崖から落ちかけたときの怪我を治すために、数日ここに居てからね。

……それと、私は一度助けた命を無駄にされるのは、きらいなの。

結局そこにいたのは数日だったが、私にとっては退屈ではなかった。

これは?

その作品は、まだ途中なの。水連よ

これは……マーガレット?

残念、ノースポール。北極を思わせる白さの花。花言葉は『輪廻転生』。

これは、少し粗削りに見える

最初のころ作ったもの。あなたみたいなつまらないひとにはただの不器用な文鎮かもしれないけれど、私には大切なもの。

いや、綺麗だ

……そういうところがきらい。

先生が持っているカタナって、そのときもらったものなんですか?

これは、石だけ貰って、よそで作った。
クリムは武器職人じゃなかったからな。

……それに、彼女のような人はこういうものを作るべきじゃない

あっ、そうですよね……先生

桃色の茉莉花には花言葉は決まってないそうですよ。

……どうして、クリムさんは先生にこれを預けたんでしょう?

さあな。そろそろ料理仕上がるぞ

甘ったるい。

いつもと同じ味付けなのに、なぜかそう感じた。

ご存じ? 人というのは、好きな人の姿ははっきり見ることができないのよ。

へえ、初耳だね

好きな人の顔ほど思い出せない、と言わない? 瞳孔が開くせいかしらね。焦点が合わなくなるの。

だから、記憶にも、はっきりとその人の像が残らないの。溶けてしまうのよ。

溶けてしまうのは悲しくないのかい?

でも、それで良いの。そう。そうだったのよ。

最初から、
『溶けるの。それで良いの』

そう、言えていたら……

……

でも、仕方ないのね。

なぜだい?

私、最後までうまく気持ちを言えなくて、結局『預かって。』って言ったんだもの。

茉莉花――MaRiCa.

CuRiMuとよく似た名前の花。

愛する人に贈る、指輪。

To, be, continued.

繰り越し マイナス3
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小計 マイナス3


マイナス?(測定不能)
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