向かう先を、隠者は公園と称した。
向かう先を、隠者は公園と称した。
水夜の説明通り俺のいた世界とここは同じ構造であるらしい。
建造物や、電柱。校舎内の造り。すべて同じだった。
しかし、違う。空気が。いや雰囲気が。いや密度が。
存在するだけで押しつぶされそうになる。痛みなく肌を突き刺される。
体の内側からこの世界に抵抗する何かを感じる。自然に悟る。ここはやはり人間の受け入れられない場所なのだと。
その証のように視界が真っ赤だ。空が赤い。アスファルトが一面、血が染み込んだように禍々しく滲む。
人一人いない公道を、裏道を、俺と水夜は隠者に連れられ歩く。赤い世界を。
影やムンドゥスとも遭遇はしなかった。恐らく、隠者の誘導により巧妙に接触を避けるように移動したのだろう。
そしてどこかに見覚えのある公園にたどり着く。そこは水夜と最初に出会った場所。
隠者の誘導でその中央まで行くと、そこには救済者達が既に集結していた。
救世主様が到着したぞ!
魔術師が声を上げると敵地に関わらず、抑えがたくも歓声があがる。魔術師が俺の正面に跪いた。
救世主様、よくぞお越しくださいました
あぁ。それで、モルタリスは?
夏月
水夜が公園の端の一点を指さした。
目を向ける。
後悔する。
水夜の指さすその先には不気味な影獣が存在していた。
そう。湧き上がるのは見たことをさえ厭悪してしまう。本能に直に刻まれるおぞましさ。
自ずと不愉快さを掻き立てる。即座に吐き気を催す。
まさに化け物と呼ぶに相応しい存在。
なんだ、あれは………。
縛られていて身動きが取れないらしい。二人の救済者に囲まれ、縄のようなもので縛られている。
その大きさは人と同じくらい。それでいて明らかにそれは人ではない。
動けないにも関わらず、抑えようもなく禍々しさがあふれる。
影はうねり、どす黒い瘴気を空に放ち、妖しい狂気に満ちる。
全てを飲み込んでしまい得るような黒。
思わず視機能を疑ってしまうような黒。
そのあまりに非現実な在り方に気圧されてしまう。
あれを、殺すのか………殺せるのか?
足が震えた。
それに気づいた水夜が俺に向かい、眼差しが俺を貫く。
あれが世界を汚すモルタリス。どう?
どうって………あんまりだ。あまりにも不気味だ
そう。だからこそ、あなたはあれを殺さないといけないの。
初心者向けにあのモルタリスは動かないよう縛られているけれど、
ここまでお膳立てされても、出来ない?
軽く挑発するような口調。当然出来るでしょうと問いかけるように。
ああ、分かっている。それは彼女なりのエールだ。
この程度で、怖気づくわけにはいかない。慄くわけにはいかない。
その挑発に感謝する。おかげで自覚する。
…………俺は世界を救う
俺は何だ?
そう。俺は、救世主だ。
あんな化け物、何十匹、何百匹、何億匹であろうと駆逐してやる。
駆逐。殲滅。殺戮。虐殺。それは俺の与える救いだ。
すべてよ俺の前に列び跪け。
罪人の如く垂れるその首を叩き斬ってそして。
救ってやる。
こちらを
魔術師は機を見計らったように懐からそれを取り出し俺に差し出す。
妖しく光る先端から綺麗な直線を描いてそのグリップへと到達するその姿には、ある種の芸術性さえも感じてしまう。
その凶器の名はナイフ。
いや、ナイフと呼ぶにはいささか大型。マチェットと呼んだほうがいいかもしれない。
鉈に近い、片手で扱えるぎりぎりの大きさ。
俺はそのナイフを受け取り、グリップを強く握る。
もしかして自分のためだけに作られたのではないかと思うほどに、それは俺の手に馴染む。
重量感が刃先の細かな動きまで手のひらに伝え、そのくせ指の細かな握り具合で思うがままに刃筋を描ける。
きっと肉を切り削ぐのに一切のずれを許さない、無駄を削ぎ落した理想暴力。
宙を一振り、二振り。順手。逆手。手元で回してみる。
手首から先の重みだけで滑らかに十分な速度で振ることが出来る。
Ka-b○r社のグラス・マチェットです。カーボンスチールにエポキシコート、クラトンハンドル、刃厚は4.2mmと厚め。
重さも当然574gとナイフの名で呼ぶのがためらわれる破壊力。
森林内での行動を想定して作られたものですが、対人戦にも使われることを前提としているため、十分な殺傷能力を有します。
お納め下さい
感謝する、魔術師
光栄です
呼吸を変える。モルタリス以外を意識から消し去る。
殺意のみを思考に、モルタリスの方へと歩み寄る。
遠くからも見えたとおり、その化け物の体は四肢に至るまでのすべての動きを鎖で絡め取られていた。
その鎖はモルタリスの脇に立つ二人の救済者の手元まで伸びている。
救世主様!このモルタリスは我々でかの通り捕縛いたしました。あとは救世主様の手で殺すだけです!
先ほど屋上で俺に嘆願した教皇がそのままの誠実さで言った。
俺はその声に応えるように無言で頷いてみせ、更に歩み寄る。
ついにモルタリスの目の前。ナイフを伸ばせば届く、という位置にまで来た。
攻撃範囲内。間合いの位置。殺し殺される距離。命を交渉する場所。
あとはナイフで殺すだけ。
俺は見つめる。
目の前の漆黒の影を。
俺は知っていた。
こいつこそがまさに、虚偽であり、悪であり、暴力であり、混沌であり、退廃であり、腐食であり、汚物であり、罪である、と。
フェブラの汚染源。俺の絶望。俺の日常
俺は殺さなければならない。
世界から虚偽と悪と暴力と混沌と退廃と腐食と汚物と罪を駆逐し、世界に安心と平和と共存と安全と浄化と平和と成長と知と永遠と安心と知と平和を協力の秩序と平和と安心と浄化をもたらすために。
俺は、殺さなければならない。
お前はランプをこすって、何を望む?
口をついて出た質問。
左右の救済者が目を丸くした気配を感じる。構わず反応を待った。
sdfな;kjんfkわrjn?
モルタリスは、この世の生命が発するとは思えない、聞くものに身震いを引き起こす音を慟哭した。
それは悲しみ。それは憎しみ。あるいは妬み。あるいは怒り。俺の理解が至る。
それが俺とお前との差なんだよ
理解が至る。こいつは。
殺すしかない。
殺すしかない。
殺すしかない。
こいつに望みはない。あるのはひたすらな害悪としての存在。救えない。
ナイフを高く掲げる。あとは振り下ろすだけ。
悪を殺そう。
殺そう。
殺そう。
悪を殺せ。
殺せ。
殺せ。
殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せそして救え。
俺はモルタリスの首を目がけて、ナイフを振り下ろした。
それが俺の与える救いだった。
ぎゃああああああああばdfアアあああああlkrんfrアアアアアアwんlさkんふぁkアdfなうぇふぉlwん
描くように、溶かすように。俺の下ろしたナイフはモルタリスの頸動脈を裂き、落ちる。手応えも軽く呆気無く。致命傷。
目の前の影から大量の血しぶきと、かろうじて聞き取れる悲鳴のようなものが同時に飛び出る。
ぎゃあああああsdまふぇふぁめw:fかなあああああわkふぁlkんflwけんf
その絶叫は、泣き叫んでいるようにも聞こえる。
影は大量の血を放出しながらのたうち回る。
血の色は赤かった。そのことは奇妙な非現実感を俺にもたらす。
やがて、影は少しずつ動きを鈍くし最期にあああdふぁfと遺して動かなくなった。
…………
…………死んだ、のか?
影は動かない。
やった………やった………
殺せた。モルタリスという怪物を。
やったぞ………!
振り返ると、救済者の皆が笑みを浮かべてこちらを見つめていた。
そして次の瞬間。
わぁっと屋上の時にも劣らない歓声と拍手が沸き起こった。
才気あふれる殺害…………さすが救世主様だ……………!
ああ、これで世界が………世界が、救われる!
さすが、さすがだわ救世主様ああ!
ある者は歓喜の余りに叫び、またある者は壊れたように走り回る。口笛が鳴る。
公園全体が暖かい空気に包まれ、まるで辺り一体が輝いてるかのように明るく感じられる。
水夜が近づいてきて、俺の肩に手をのせた。
よくやった夏月。やはりあなたが『正解』だった
………ありがとう水夜。おかげでモルタリスを殺せた
興奮冷めぬまま思わず水夜の手を握る。
ん………夏月、痛い
悪い
怒らせただろうかと慌てて繋いだ手を離す。調子に乗りすぎたかもしれない。
少し気まずく感じていたが、水夜は全く気にしなかったかのように話を切り出した。
夏月にはまだ伝えそびれたことがある。それは夏月が救世主である理由
それは俺も疑問に思っていたんだ。俺で『正解』だったって言ったよな?
そう。確信はあったけど、この目で見るまで心許なかった。
でもあなたは救世主であるという証を自ら打ち立てた
そうなのか?
実はモルタリスは今まで誰も殺すことが出来なかったの
……え
だから毎回遭遇しても、捕縛。監禁までが限度だった。
それは絶望的な戦いよ。増え続けるモルタリスに対して殺すことも出来ず感染を食い止めなくてはいけないの
でもあなたが来たから。これからは違う。
あなただけ。あなただけがモルタリスを殺すことが出来る
だからこそあなたは『救世主』なの。これがあなたの素質。あなたの証。
だからこそ私達インサニアは、あなたが戦線に加わることをこれほどまで歓喜する
あなたは唯一の希望なの
…………俺だけ。でもどうして俺だけなんだ?
あなたが誰よりもフェブラに絶望しているから
なっ?!
何故それを知っている?俺の秘密、
バレていた?隠していたのに。命がけで。
私も同じだから
……
私もあの世界に望みを持たない。だからこそ救える
皮肉よね
この世界への適応率はあの世界との乖離率に反比例する。その結果、この世界での性能が私や夏月は常人を凌駕する。
普通の人間では呼吸さえ困難。救済者でさえ半日の歩行が限界。
でも夏月、あなたのそれは私の資質さえ比ではない。
私には捕縛された状態のモルタリスにも刃を通すことが出来ない。
でもあなたなら。もし仮にあのモルタリスが
そう言って彼女はもう動かないそれを指さした。
捕縛されていない状態だったとしても。
あなたならさして意識しないまま、バターをパンに塗るように殺せる。
大事なのは思い描くこと。自分の殺すさまを。ナイフの描く線を。それは実現する。
私が保証するわ。あなたはムンドゥスにおける殺戮の頂点に立っている。
そして、そこに立てるのは。世界を、フェブラを救えるのはあなただけ
理解が至り。俺はようやく実感を掴む。
俺だけが。誰でもない『俺』。『間宮夏月』だけが。
だからこそ救世主。唯一の存在。選ばれた資質。証。
胸の中を熱い衝動が駆け抜ける。生まれて初めての。体中に熱が満たされるような。希望。
視線を上げ公園を見渡す。
そこにはそれぞれに喜び合う、救済者の姿。その喜びは俺のため。ふいに言葉があふれる。
ありがとう、皆
誰にも聞こえなかったその小さなつぶやきはしかし俺の本心だった。
邪悪たるモルタリスをこの世から一匹駆逐した。
最高の気分だ。
そして俺こそが世界を救う。
今まで生きてきた中で、一番の爽快感かもしれない。
ありがとう皆、ありがとう。
再び地に伏すモルタリスを見ては、鳥肌の立つような快感が増す。
これを繰り返すだけ。こうして、少しずつ殺戮を積み重ねて、世界を救う。
喜びが胸を満たし動けなかった。
その瞬間ふいに目が眩む。
なんだ?
突如俺の目の前に強烈な光の玉が生成された。
ソフトボール大のその光球は空中にぷかぷかと浮遊している。
………なんだこの光は?
答える者はいない。もう隣にいたはずの水夜さえも見えないほどの眩しさ。光球は、少しずつ周囲を吸収し、巨大化していく。
祝福………?
少なくとも邪悪な雰囲気は感じない。
やがて光球がバレーボールぐらいの大きさまで膨らんだとき。
光は一度公園中に分散し………そこで再び空間を蝕み始めた。
公園中に散布した光は、そのひとつひとつが大きな光球となって俺の視界を喰む。
そして俺は、アドバルーン大の光球となったそれに飲み込まれる。