■障碍は個性か
■障碍は個性か
それは、個性の定義による。
というのは置いておいて、この項では、小説を書く上で大事な『言葉』について語ります。
障害(身体障害などの障害)という言葉を、『障がい』と書くことが近年多くなっています。
害という字を避けるとか、障害な(邪魔な)人間という言い方を避けるとか、そういう意味合いがあります。障害者を気遣おうというわけです。
筆者も基本的に、『障害』ではなく『障碍』と分けて記すのですが、しかし理由は先述のようなものではありません。
障碍は障害とイコールではなく、言葉が不適当だからです。
障害(ハードルやハンディキャップ)なのは、障碍があることで生じる二次的なものであり、障碍そのもののことではありません。
さらに、障碍があることは、障害があることと一致しません。
例えば、発達障碍傾向は強いが定型発達者より勉強に有利な性質を持っていたら、定型発達者のほうがハンディを抱えていることになります。
これほど異なる二つの概念を『障害』と同じ言葉で表すことで、議論に支障が出ることもしばしばです。筆者も経験あります。大変面倒です。
だから筆者は、『障碍』という書き方をして、『障害』と分けて使用します。
理想は新しい言葉が作られ広まることではあるのですが。
このようなことは、辞書には載っていません。辞書的にはどちらも『障害』でいいわけです。しかし意味を認識せず使用すれば、デタラメな論になりかねません。
小説を書く――言葉を紡ぐのであれば、こういった点にも気を配る必要がある、ということです。
なお、ついでなので書いておきますが、『子供』を『子ども』と表記することが学校やマスコミで定着していることに、意味はありません。クレームを付けることが目的である悪質クレーマーに屈した姿というだけです。『子供』と普通に表記して一切問題は生じません。