■『小説』も差別されていた
■『小説』も差別されていた
まず『小説』という言葉ですが、元々差別的な言葉でした。(漢字圏において『小』は悪口で使う。)
今でこそ小説を高尚なものとか知的な遊びだと思って、偉そうに語る人も多いですが、かつてはバカにされていた側だったわけです。
フィクション小説という言い方をしますが、そもそも小説はフィクションの意味をかなり含んでいます。小説がバカにされていたというのは、フィクションがバカにされていたと言い替えることもできます。
現在、小説そのものへの差別は、失われたといってもいいでしょう。
しかし今度は、他ジャンルの小説を差別する、あるいは新しい小説を差別するという現象が生まれています。
ライトノベルが冷遇・蔑視されるという話はよく知られていると思います。ケータイ小説やネオ時代小説、ハードではないSFが差別されるというのもあります。さらには、短編では一人前の作家と認められない、コメディは感動に劣る、などもあります。
これら差別はすべて、合理的な理由が存在しません。
差別主義者の言い分は例外なく、自身の定義を説明――『こんなものは○○ではない』と否定しているだけになっています。
もうひとつ言えることは、読者目線の欠落です。自称目の肥えた、しかし簡単なものも読めない人が差別をするわけですが、そんな人に合わせてもいいことはありません。読者に合わせて、小説も様々な進化を遂げるのは当然のことです。