■コピペ意見の危険
■コピペ意見の危険
世間で耳にする意見を、そのまま自分も使うことがあります。これを『コピペ意見』と呼んでおきます。
小説(創作物)のなかに取り入れられることも多々あります。
しかしコピペ意見には危険がいっぱいなので、用法には注意が必要です。
例えばこんな意見。
『個性ばかりが目立つなんて、まるで幼児みたいだ』
似たようなことを聞いた経験はないでしょうか。
この意見は間違っています。
意見の前提として、『幼児に個性がある』が存在しますが、斬新過ぎる見解です。幼児は判を押したように同じで、成長に伴い個体差が顕著になっていきます。
何故こんな間違いになったのか。
元はこんな意見だったのです。
『社会に認められる個性とは、幼児が奇声を発するようなものではない。そんなのは誰でもすぐにできるし、意味もない』
この意見自体は、おかしいことはありません。同意するかは別として、成立する意見です。
しかしコピーを繰り返していく内に、中身も変容してしまって――ちょうど伝言ゲームみたいなものです――、最初は正しかった意見でも間違ってしまうのです。
これが、コピペ意見の危険です。
他のパターンとしては、論は正しくとも例が間違っているものがあります。
個性云々でのコピペ意見といえば、これが有名。
『王道の何がいいかをわからなければ面白いものは作れない』
意見自体は成立しますが、では王道とはどんなものかの例を挙げると、デタラメなものだったということがあります。せっかくの正しい意見も台無しです。
ついでにもう一つ、よくあるコピペ意見。
『ピカソは基礎があってそれを崩しているから素晴らしいのであって基礎もできていないものは――』
あんたピカソのことなんてわからんでしょう。
こうやって自分で考えずコピペ意見に頼ると、えてして間違えます。
ところで、小説内にコピペ意見が取り入れられるとしましたが、その際、意見が正しい必要はあるでしょうか。
今回の話をコピペ的に活用すると、きっと間違えてしまいます。
というオチでこの項はお終いです。