■台詞の前に発言者名を付けよう(ストリエすげえ)

 ここからは、小説そのものに関する話題になっていきます。ただし前半までと似た話も出てきます。

 小説では通常、台詞はカギカッコで記され、発言者名が明記されません。漫画、ゲーム、アニメなど他の媒体では、誰の台詞かわかるのが当たり前で、いちいち説明などされないですが、小説では説明が必要となっています。
 発言者名付きと、なし、どちらが読みやすいか。筆者は断然前者だと思います。

 ましてや文章が下手な作家なら、言わずもがなです。下手過ぎて誰が話しているかわからない作家は、プロにもいます。(こういうケースは作家より編集者が仕事してないだけなのでしょうが。)
 この『発言者名付き小説』話をすると、定型の反論が来ます。『それは小説ではなく脚本だ』。違います。筆者の述べているのは、小説作品に発言者名を付けたものです。発言者名が付いている時点で小説ではない、とするなら、それは小説の定義を勝手に決めているだけのことで、意見になっていません。

 発言者名付きにより、様々に利点が生まれます。

・一カ所に大勢人物が居ても混乱しにくい。
・文章の勢いを殺す説明的な文をなくせる。
・初登場の人物でも【中年男性の声】といった説明を付けて話させることができる。
・ライトノベルなら特に、違和感もなく、むしろゲームのようで見栄えがいい。

 などです。

 一方、発言者名付きが駄目な理由はあるでしょうか。ないと断言します。
 出版社賞で、捨て原稿を使い何度も試したところ、例外なく発言者名付き部分が駄目とされたものの、理由は不明でした。繰り返しますが『これは小説の書き方ではない』という定義披露は、理由・意見ではありません。
 なお公募で駄目とされたわけですが、一次選考で必ず落とされるわけではありません。落ちやすいのは確かだというだけです。

 矛盾を感じる方がいるかもしれないので、説明を入れます。
 発言者名を付ければ通りにくく省けば通りやすい、ということと、こうした試みは捨て原稿で行なう、ということ。捨て原稿ならば発言者名云々に依らず通らないのでは、という疑問があるかと思います。
 捨て原稿とは、イメージされる通り、受賞の可能性が皆無な原稿のことです。しかしそうした原稿でも下読みが通りやすいものはあります。逆に、受賞の可能性はあっても下読みが通りにくい原稿もあります。
 散々述べてきた『下読み制度の機能不全』のひとつですが、こんな原稿が用意できてしまう時点で、駄目ですよね。

 ここでショートショートの神様、星新一氏を持ち出させていただきます。
 キャラクター名が、『エヌ氏』『エス博士』といったものになっているのは、よく知られています。
 何故アルファベットで人名を表現するかといえば、名前から受ける人物の印象をなくすためです。
 そうした理由が存在し、そして否定される合理的理由が存在しない。
 常識や慣習にとらわれず、『いいと思ったからやる』という姿勢は是非見習いたいところです。
 ところで、星新一作品にも、台詞の前に発言者名が付いたものは、一応存在します。事情はちょっとわかりませんが。

 筆者の出版している本は多いため、発言者名付きは希少な部類となっています。『付けるべきだ』と主張しておきながら率先してはやっていない形ですが、ひとつには、公募用原稿で付けるわけにはいかなかったこと、ひとつには、筆者も既存小説を読んで育ったわけで自然に書くと発言者名は付かないこと、などが挙げられます。
 そもそも、付けたほうが良さそうなら付ければいいのであって、すべてに付ける必要はありません。付けてはいけない理由などない、というだけです。
 筆者は別に先駆者になりたい意欲はないので、賛同される方がいましたら是非代わりに先駆者になってください。筆者は影からこっそり応援します。

 あ、筆者の意見を飛び越えて実現しているストリエ様も応援しています! このサイトのおかげで小説書けない人が書けているのは、大変喜ばしいことです。
 よし、これで編集部おすすめに選んでもらえるぞ!

台詞の前に発言者名を付けよう(ストリエすげえ)

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