■下読み制度
■下読み制度
〇まず『下読み』って?
小説賞の公募で送られる原稿から、本選(最終選考らへん)に進めない原稿を弾く作業を、選考委員に代わって行なうこと、または行なう人のことです。
下読みは基本外注ですが、出版社内の人なこともあります。
双方に言えることとして、一般的に選考能力はありません。下読みという雑務にまわる人材は、相応の人材です。
〇賞選考に関するデマ
某匿名掲示板でも見かけましたが、デマがあります。筆者も同じ内容の情報を持っていたので、出処は同じかもしれません。
デマとは『一次選考は大雑把な篩で、著しくレベルの低いものや、小説以外のもの、規定違反のものを落としている。だから一次で落ちるということは、それだけ出来ていないということだ』というものです。
かつては――ライトノベルが流行すらしていなかった頃は、そうでした。少なくともそう説明する出版社はありました。
しかし今はまったく異なります。古い情報であって、現在ではデマです。
どんな意図で嘘情報を流しているのかはわかりませんが、小説界隈には頭のおかしい人が多いので、いちいち気にしていられません。スルーしましょう。
〇出来の高低は選考結果と比例しない
出来の高低で一次落ちか二次落ちかが分かれるわけではない選考もあります。また、仮に出来と比例させようとしても、選考にはブレが存在します。
そして重要なのは、ここからです。
下読みは担当者個人の力量や主観に大きく左右されます。そのため、こんなことが起こります。
ある時は『ラノベ業界でこれはない』と弾かれ、ある時は『そんなことは俺の管轄じゃない』で通る。どの担当者に当たったかで百八十度結論が変わります。原稿の出来は一切関係ありません。
もっといえば、賞の公式サイトで『うちはこのような選考をしています』と公言されていても、下読みは公式情報と異なる選考をすることがあります。
〇下読みの制度ってなんであるの?
下読みに任せなければ、大量の原稿を審査できないからです。
筆者は二通り、『編集者自らが選考する』とした賞を知っていますが、片方は二年か三年で潰れ、片方はすぐに下読み制になりました。
特にライトノベルにおいて、応募総数はかつての何倍にもなっており、編集者だけでは対応不可能です。
無理だから、というだけでは理由になっていません。
下読み制度が肯定される、唯一にして絶対の前提は、以下のものです。
下読み担当者によって当落が分かれる程度の原稿は、最終的に受賞しない。選考は受賞作を決める目的なのだから、下読みでのブレ――一次で落ちるか二次で落ちるかなど関係ない。
しかしこの前提は、担当者への全幅の信頼のもとでしか成り立ちません。現実として、下読み担当者には能力がありません。そもそもまともにやろうとすらしていないことも多いです。つまりこんな前提は崩壊しています。
有名人の名を借りるのは卑怯に思われるかもしれませんが、効果的なのも事実なので、借りさせていただきます。
ミステリ作家で大ベストセラー作家の東野圭吾氏。筆者も読みあさった読者のひとりです。この東野圭吾氏、よほど下読み制度の苦渋が忘れられないのか、あるいは問題提起したいのか、作品内で下読み制度を批判しています。捻りは加えてあるものの――娯楽として工夫があったり作内の発言が信用できなかったり――、批判内容が出てくることは確かです。推測の域を出ないですが、本気で批判するつもりもないのに下読み制度のデタラメさについて触れたりしないと思います。こんな批判は、出版社たちへ喧嘩を売っているだけになりますから。
筆者の場合は、出版社に喧嘩を売っていると思われても構いません。筆者は個人作家であって、出版社は商売敵でしかないのですから。とはいえ、たとえ出版社経由で本を出したとしても、主張を引っ込めるつもりは毛頭ないのですが。
〇下読み人材の酷さ。
筆者は三年ほどか、小説賞応募に力入れていたため、下読みと『戦って』きたのですが、酷すぎます。
どこからこんな不良バイト雇ったんだという下読みがいる、あるいは、下読みは出版社の人間だったりもするのですが、業務にたえうる能力のない人がコネか何かでやっています。
下読みの酷さを説明するには、実際の仕事の証拠を見せるのが手っ取り早いです。しかし応募者の知る下読みの仕事(応募作への選評)は、応募者への私信であるため、公開はできません。わざわざ『公開不可』と注意されていることも多いです。
そもそも、公開するだけでは意味がありません。下読み担当者は、当落を決める絶大な権限を有し、選評まで書いているにも関わらず、文責すらないのが通常だからです。匿名掲示板でデタラメ書いているのと同レベルなのが現在の下読みなのです。
なお、昔はマシだったと言いたいわけではありません。筆者の経験した少ないケースを信用するなら、昔のほうがよっぽど酷かったですので。なにせ規定違反クラスのものを通してしまう(同時にちゃんとしたのは落とす)くらいだったのですから。
○要するにどうすればいいのか。
応募者の立場からすれば、原稿の使い回しをするしかありません。選考結果が信用できないのですから、一度や二度駄目でも、他の賞へチャレンジすればよいです。
制度の改革としては、下読みを使わないのが一番ですが、非現実的なので、こういう案を提示します。
下読み担当者の匿名性の排除と、仕事の公開可能化。
公開可能にしなければ、その下読みがどんな仕事をしたかの情報共有を、応募者も出版社もできません。
駄目な下読みは淘汰される、そういう仕組みに変えるべきです。
こうした改革もしないのであれば、小説賞などやめてしまえばよいです。すでに、賞選考以外で、売れる本を探す手段は存在しています。後述していく、ネット小説の書籍化です。