■作家志望者・ワナビなんて、実はほとんどいない
■作家志望者・ワナビなんて、実はほとんどいない
作家志望者、特にライトノベル作家志望者を、『ワナビ』と呼んで嘲弄する風潮があります。今ではすっかり定着して、自身でもワナビと名乗っている人も多く見られます。(かつての『オタク』などもそうでした。)
では、ワナビと呼ばれる人、自称する人のなかで、本当にワナビ――プロ作家を目指している人はどれだけいるでしょうか。
とてつもなく少ないです。
考えてみれば当たり前の話なのです。
例えば、女子サッカー日本代表の通称なでしこジャパン。活躍が伝えられ、盛り上がり、子供たちもサッカーを始めるようになります。そしてそんな子供たちは口を揃えて言います。『将来の夢はなでしこジャパンに入ること』と。
ではその子に可能性などあるのか、親と話し合ったのか、日本の頂点選手に焦点当てた練習をしているのかといえば、そんな子はほとんどいません。そんなものを『目指している』と呼ぶでしょうか。本人も目指している自覚などあるでしょうか。
作家志望者・ワナビも同じことです。
さらに言えば、新人賞公募に応募する人もほとんどがワナビではありません、趣味だとわざわざ断っている人も当然ワナビではありません。しかしこれらの人のことをワナビだと馬鹿にし、時には『目の肥えた自分が助言をしてあげよう、言うことを聞かないなど謙虚さがない、本気でプロになる気があるのか』などと、勘違いさんが罵倒してきます。(小説界隈ではよくあること。)
もっと書きましょう。新人賞をとってデビューした人も、小説投稿サイトから書籍化した人も、プロ作家を目指していたと言ってよいか怪しいです。簡単な話、小説家は儲からないのが普通だからです。副業にしては時間労力使い過ぎていますが、本業にできるほど収入などありはしません。プロ作家を目指すというのは、現実味が限りなくない目標なのです。
これらのことは、当事者たちにとっては、『あるある』であり『え、そうだったの?』でもあることですが、無関係な方々はまず誤解していることではないでしょうか。
先の例で出した、なでしこジャパンに憧れてサッカーをする女子を考えればわかるように、そういうことなのです。サッカーはいつまでも続けるかもしれません、また長く夢も口にするかもしれません、でも実際は目指してなどいないのです。
私事のレアケースになりますが、筆者は、そもそも作家志望を表明したことが一度もありません。小さな頃からです。数年公募に力を入れ、受賞もできればいいと思ったことありますが(そういう作があった)、その時期にさえ、プロ作家を目指すという意識は皆無でした。賞をとりたいとか本を出したいというのと、プロ作家を目指すというのは全然違います。
儲からないといった事情ではなく、元々憧れがなかったのです。純文学の右翼左翼作家の頭の沸き具合を見てのこともあるでしょう。また、娯楽作家は先の作家とは別ですが、そちらにしても、漫画やゲームのほうが関心ありました。後にも語りますが、小説という媒体は漫画やゲームに比べて『劣っている』としていい部分があります。
それに、作家云々以前に、プロとアマというのは、『プロは誰かの奴隷(他人――時に客ではない――の需要に応える道具)、アマは貴族の戯れ(趣味と実益を兼ねる)』なのです。アマチュアで何が悪いのか、ということです。自己顕示欲や社会への影響力を考えれば話は変わるでしょうか、単純に本人の希望としては、プロであることに魅力は薄いと思います。
ところで筆者は現在、電子書籍個人作家なわけですが、これはプロなのかアマなのか、訳がわかりませんね。元々曖昧だった境が、さらに定義不能な時代になりました。もうどっちでもよいでしょう。