その日。

いつまで経っても、
沙鳥はテレパシーを送ってくることはなく、
良い姿勢で先生の話を聞いていた。

もちろん、
こっちからのテレパシーの問いかけにも、
何も答えない。

普段であればきっと。

とか。

とか。

などと言って、
僕の勉強を邪魔するはずなのに。

なぜだ。

沙鳥と同じクラスになって、
二人が互いにテレパスだとわかってから、
今までこんなことは一度も無かった。

沙鳥蔦羽は、僕、芯条信一に対して、
テレパシーで話しかけてくる女子のはずだ。
授業に集中したい僕を困らせる、
そういう女子のはずだ。

いったい何があった？

何か怒らせるようなことをしたか？
いや、沙鳥が僕を怒らせることはあっても、
その逆はあるまい。

ということはまさか、
夢に出てきた沙鳥が言っていたように……。

初めから「何も無かった」のか？


〝芯条くん。あなたはただ、沙鳥の心の声が聞こえると思い込んでいるだけではないですか？〟


僕には、
この言葉を否定することができない。

なぜなら僕は今まで一度も、
テレパシー以外で沙鳥と話したことがないのだ。
たしかめたことが一度もないのだ。

すべては、
僕の妄想だったというのか？

それと、1つわかったことがある。

沙鳥のテレパシーが無くなったら、
それはそれで、
結局、僕は授業に集中できないのだった。

休み時間にも、
僕は沙鳥のことばかり考えていた。

こんなことならば、
夢オチの方がまだよかった。

今までの出来事はすべて僕の夢で、
沙鳥蔦羽なんて少女すらいなくて、
僕は中学生ですらなくて、
ここは地球ですらなくて。

それで間もなくすべてを忘れて、
普通の平凡な日常に戻っていくのだったら、
その方がよかった。
沙鳥だけが、僕の夢になってしまうよりも。

でも妄想だったにしても、
なぜ今急に覚めてしまったんだ？

宇佐美が僕の前で何か言っている。

そんなんと違うわい。

誰があんな、
ユニーク思考ファンタジスタ謎女子なんか、
好きになるものか。

でも。なんだっていい。
今、僕は沙鳥の声を聞きたかった。

だって、それは日常だったのだ。

当たり前に存在しているものが、
不意に消えてしまったとき、
人はそれがいかに大切だったのかに気づく。

そういう話はよくある。
手垢のついたエピソードだ。

でも、こうして実感してみると、
まさにその通りなのだった。

宇佐美が何か言っている。

スパイラルスか。

沙鳥に全部ネタバレされて、
結局見なかった映画だ。

でもあの日の映画館にも、
本当は沙鳥なんていなくて……。

……いや。

そうだ。

もしも、あの時、
沙鳥が僕にネタバレしてきた内容が、
実際の映画と合致していれば……。

あのネタバレが真実なら、
沙鳥のテレパシーの証明になる。

宇佐美は怪訝な顔で言った。

僕は、
ハンマーで頭を殴られた気持ちだった。

漫画的な木づちっぽいやつじゃなくて、
金属の重たいやつで。

昼休み。

僕は校舎脇の人気のないベンチで、
沙鳥のことを考えていた。

冷静になってみれば、
まだ完全に妄想と決まったわけじゃない。

伝えてきた映画の内容がデタラメだったのは、
単に僕を困らせようと、
適当なことを言っただけかもしれない。
僕の知っている沙鳥なら、やりかねない。

だが、それも推測の域を出ない。
すべてが幻だった可能性の方が高いのだ。

変な心理テストを作ってきた沙鳥も、しりとりで勝手に自滅した沙鳥も、ゾウリムシにアテレコしていた沙鳥も、いじわるクイズがヘタクソな沙鳥も、元素記号を覚えるのが苦手な沙鳥も、句縁に体操着を貸していた沙鳥も、スイーツ風味のぶぶづけを食べたがる、食い意地の張った沙鳥も。

すべての沙鳥が、
僕の都合のいい解釈によって生み出された、
架空の存在だった可能性が高いのだ。

そして、
それに気づいてしまった僕はもう二度と、
あの沙鳥には会えないのかもしれない。

不意に声がした。

残念ながら沙鳥ではなく、
おじさんの声だった。

振り向くと、
そこには意外な人物が立っていた。

そうなのか？

たぶん違うだろうけど、
この校長先生ならば、
本当に把握していても不思議はない。

変な人なのだ。

校長なのに？

立とうとする僕を校長先生は制した。

相変わらず、訳がわからない人だった。

沙鳥を思い出す。

ひょっとしたら、
このちょっと不思議な校長先生ならば、
僕の現実離れした相談にも、
乗ってくれるかもしれない。

思い切り突っぱねられた。

単に、
話し相手がほしいだけだったようだ。

校長先生の方が似てるんだと思うんだけど。

なんだマグマオチって。
オチてるのかそれは。

沖縄のドラマの話も、
沙鳥としたな。

舞台が沖縄だってことは、
沙鳥に教えてもらったんだっけ。
妄想の沙鳥だけど……。

沙鳥に、



〝教えてもらった〟



だって……？

そうだよ！

沙鳥に教えてもらった情報で、
現実に存在するものがあったじゃないか！

ということは、
沙鳥のテレパシーは……、

僕はベンチから立ち上がった。

はやりそうもないドラマのプロットを述べ続ける校長に僕は言った。

僕が、
何の脈略もない突然の感謝を述べると、
校長先生は優しい笑顔を浮かべて、
諭すように一言だけ言った。

教室に戻ると、
沙鳥は机に突っ伏していた。

しかし、きっと寝てはいない。

なぜなら沙鳥は、
寝てるときの方がうるさいからだ。
僕だけがそれを知っている。


さあ、答えてもらうぞ。


どうして、
朝からテレパシーを使わずに、
黙っているのかを。

しかし、
朝からあれだけ問いかけても、
答えなかったのだ。

普通の方法で、
話しかけたんじゃだめだ。


いや、


むしろ、


普通の方法じゃないと、
だめだ。


だって、
普段の僕らが異常なのだから。


僕は沙鳥の隣の席に座った。

そして、
いたって「普通に」話しかけた。

テレパシーではなく、
本物の声で話しかけた。

沙鳥は顔こそ上げなかったが、
驚いた様子で体をピクリとさせた。


そして。

久しぶり聴く声が、頭に響く。
僕は心底ほっとした。

ってことは……。

沙鳥は、堂々と言った。

そういや、ちょっと前に、
来週誕生日なんです、
とか言ってたな……。

しかし。

僕は万感の思いを込めて、
渾身のテレパシーを送った。

なんてことだ。

こっちは朝から、
思いつめるほど悩んでいたというのに、
発端は、
ただの沙鳥の勘違いだったのか。

いや、それは偶然だ。
なんせこっちは知らなかったんだから。
今日が沙鳥の誕生日だなんて。

しゃくしゃくだと余裕ありげだ。

何をする気だ？

と思っていると、
沙鳥は突然顔を上げてこちらを見た。

考えてみれば、あまりきちんと、
正面から沙鳥の顔を見たことがなかった。

僕は妙な緊張に襲われた。

そして、沙鳥は。

初めて笑った。

僕が呆気にとられていると、
沙鳥は再びすぐ机に突っ伏した。

そんなにか。

言いたいことは色々ある。

僕が今日どれだけ思い悩んだか、
教えてやりたい。
映画の件も、問いただしてやりたい。

しかし、
今、僕が沙鳥に言うべきことは、
きっと一つだけだろう。

僕は、
まだ伝えていなかった言葉を、
言った。

いや、
いつものように、
テレパシーで送った。

僕、芯条信一と、
斜め前の席の女子、沙鳥蔦羽は、
テレパスだ。


少なくとも、
今はまだ。