僕が教室に入ると、元気な女子の声がした。

しんしーん! しんしーん!

声のした方を振り向くと、
黒髪の色の白い女子がいた。

まぎれもなく、彼女は沙鳥蔦羽である。

よっこらせ!

沙鳥は古風な掛け声とともに、
華麗なバック宙を決めてから言った。

おっはよー! しんしん!

いたずらっぽく笑う沙鳥。

なんだなんだ、元気ねーなー!

合コンで狙ってた女に逃げられでもしたのかー? おいおい、芯条くんよー

合コンなんか行ってない。まだ中学生だぞ僕ら

そう言うと沙鳥はがっかりした様子で言った。

なーんだ! つまんねーな!

とりゃ!

沙鳥は手刀で僕の机を粉々に粉砕してしまった。

いやいや、今日の授業どうすんだよ

大丈夫じゃ!

大丈夫なんじゃ!

沙鳥は額に突然あいた第三の目から光線をだし、
机の残骸にあてた。

これで一発、元通りよ

しかし、言葉とは裏腹に、
残骸は今やドロドロした液体となり、
都合よく近くにあいていた排水口に流れていった。

いや、もう完全に元に戻せない感じになっちゃってるけど……

しんしん……

沙鳥は僕の目を潤んだ瞳で見つめると言った。

それが人生ってやつさ

そんなものが人生であってたまるか。

あと……。








こんなやつが沙鳥であってたまるか。








僕、芯条信一のことを「しんしん」などと呼び、
常軌を逸したハイテンションと身体能力で、下世話なセリフを吐き、
挙げ句の果てには額から光線を出すようなやつが、
沙鳥であってたまるものか。

だが、僕は慌てなかった。

なぜなら、
僕はかなり早い段階でわかっていたからだ。


これは、夢だ。


本物の沙鳥は、まず滅多に声を出さない。

彼女の声が聴けるのは授業で先生にあてられたとき、
そして、テレパスである僕とテレパシーで会話するときだけだ。 

こんな沙鳥は夢でしかあり得ない。

ちぇっくでぃすあーう! よおよお! めーん!

僕の前の席の宇佐美に向かって、
フリースタイルラップバトルを仕掛ける沙鳥なんて、
夢でしかあり得ない。

ごめん、うさちゃんね。きょうそんな気分じゃないの

ご覧の通り、宇佐美も夢仕様だ。

つまり、そんなテンションじゃないわけなの

微妙にオリジナルに忠実だな。

ワック

ワックって……。
本当に言ってる人初めて見た。
いや、夢なんだけど。

沙鳥さん

今度は句縁(くえん)が現れた。
僕の幼馴染みだ。

ちなみにオリジナルはちびでばかで運動神経のいい女子だ。

そろそろ、先生がいらっしゃるわよ? 静かになさい

まさかの委員長キャラだった。

くえくえ

沙鳥が言った。句縁のことか。

くえくえ

沙鳥は、いつのまにか皿に乗ったおはぎを句縁に差し出していた。

食え食え、だったらしい。

お、おはぎぐらいじゃ、懐柔されないんですからね!

句縁はそう言いながらも、おはぎに手を伸ばしている。

うぅ、だめよ、句縁……。このおはぎを食べてしまったら、私も悪の手に堕ちてしまうわ……

句縁は、おはぎに伸ばした手を、
もう片方の手で押さえつけながら言った。

ああ。だめよ……。きっと悪の手に堕ちてしまったら……

……黒いハートをモチーフとした模様が額に浮かびあがったりするんだから……

……瞳孔が赤くなったりするんだから!

そういうものなの?

さて、ところで芯条くん?

悪の心と葛藤する句縁を見ていた僕に、
沙鳥が言った。

どうしてきみだけは、いつも通りの芯条なのだぜ?

口調が安定しないな……。

いや、それはだって……

ここって、夢の中だろ?

僕が言うと、沙鳥は怪訝な顔をした。

うわぁ、メタなこと言ってら

メタって……

しんしん君

夢の中だから、どうだっていうんだい?

むしろ、夢の中だからこそ、ハメを外してしまえばいいのじゃなくて?

違うかい?

それは……

まあ、たしかにな……。でも……。

なんか嫌なんだよ

ハァ? なんか?

というか、意味がないじゃないか

どうせ、ここで僕が何をしようが、何の意味も持たない

僕は意味のないこと、無駄なことに時間をかけるのは、嫌なんだ

なるほど

夢の中でも、芯条くんは芯条くんですね

沙鳥は納得した様子で言った。
いつのまにか、現実の沙鳥と同じ口調に戻っている。

だけど、もし意味があるとしたらどうです?

夢の中で起きたことが、現実にも干渉する……

……としたら?

そんなことはないさ

なぜ、そう言い切れるんです?

だって常識的に考えて、そんな不思議現象が起きるわけないだろ?

へえ、妙なことを言いますね

妙なこと?

ええ。だって、芯条くん……

テレパシーは信じているのに?

……

……

見ていたら吸い込まれそうな瞳の沙鳥から、
僕は視線を逸らした。

どうです? 矛盾していませんか?

……いや、それはだって

テレパシーは実際に体験してるから。もう信じるしかないだろう?

体験?

ああ。だって

いつも沙鳥は授業中に、僕の頭の中に話しかけてくるだろう?

僕がそう言うと、沙鳥は目を伏せた。

芯条くん

本当にテレパシーなんてものが存在すると言い切れます?

……?

……どういうことだ?

芯条くん

あなたはただ――

みすたあ芯条

げっとあっぷ! 起きなさい!

……

もーにんぐ! もーにんぐほーむるーむ!

担任の先生の、
ヘタクソな発音の英語が聞こえる。

……

……!!

どうやら僕は、
あろうことか朝のホームルームの時間に寝てしまっていたようだ。

……しまったな。
普段の遅れを取り戻そうと、
きのう夜更かしして勉強したのが仇になったな。

……すみません

教室にささやかな笑い声が広がった。

恥ずかしさもさることながら、
僕はさっきまで見ていた夢を思い出していた。




変な夢だった。




いや、夢というのは変じゃないほうがおかしい。
むしろ変であるべきなのだ。

だからこそ、
起きる間際の妙にリアリティのある沙鳥が気になる。

沙鳥はいつものように、
僕の斜め前の席で静かに机に向かっている。

記憶がたしかならば、
僕が眠りに落ちる前、沙鳥はまだ登校していなかった。
僕が妙な夢を見ている間に来たのだろう。


まさか、沙鳥のやつ……。
ひょっとして僕の夢の中にまで、
テレパシーで介入してきたのか?

だとしたら、気味が悪い。
僕の貴重な睡眠時間をおびやかす能力を、
沙鳥が持っているとしたら、脅威じゃないか。

……いや、まあ。

僕が寝ている時に沙鳥がそばにいる状況なんて、
そうそうないのだろうけど。

いずれにしても、真相を問わねばなるまい。

僕は、沙鳥に念を送った。

沙鳥

なあ、沙鳥?

沙鳥からの返事はない。

というより、沙鳥がこんなに大人しいなんて、
珍しいな……。

なあ、沙鳥って

さっき僕が寝てるときに、念を送ってこなかったか?

沙鳥からの返事はない。

なあ、沙鳥さんって。

どうせ聞こえてるんだろ?

変だな。いつもと立場が違う……。

……

……!!

そこで僕は、
唐突にある言葉が頭に浮かんだ。

それは、さっきの夢の最後。

夢の中の沙鳥が最後に言った言葉だった。

そうだ。
僕は最後にはっきりと、その言葉を聴いた。

聴いてしまったんだ。


しかし、

それは、

到底信じられない、

恐ろしい言葉だった……。


だって……。

……まさか……

――芯条くん。
本当にテレパシーがあると言い切れる?

あなたはただ――

……うそだ!!

――あなたはただ。

沙鳥の心の声が聞こえると、
思い込んでいるだけではないですか?

つづく。

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