宍戸亜紀。県立彩萌第一高等学校一年生。髪型はポニーテール。家族構成は自分を含めた父と母の三人暮らし。彼氏はいない。部活も入っていない。アルバイトもしていない。友人はそこそこいる方で、学校での成績も中の中くらい。漫然と青春の日々を過ごすだけの、基本的には誰の役にも立っていない上に見た目以外には全く将来性も感じない、ごくごく普通の女子高生。

 そんな彼女がいま居るのは、未来学会のビルの手前だった。

こちらが我々の総本山です

 二十代くらいのぱっとしない男性の案内で、亜紀はビルの自動扉をくぐり、受付で見学に必要な書類を提出してエレベーターに乗り込む。

 目指すのは最上階の三つ下にある大広間だ。話によれば、フロアのほぼ全体がだだっぴろい空間になっているという。

 亜紀が未来学会を知ったきっかけは駅前で布教活動に勤しんでいる同組織の末端構成員達による涙ぐましい時間の無駄遣いだ。二月の寒空の下でよくもまあ毎日毎日怪しげな白いローブを着ながら通りすがりの一般人にお声掛けをする気になったな、という無気力にも程がある評価が事の始まりだ。

 というのは嘘だ。未来学会の存在は布教活動以前から知っていた。

すみません。質問があるんですけど

何? 言ってみなよ

その大広間以外の階ってどうなってるのかなー……なんて

ああ、よく聞かれるよ

 男が人懐っこく笑う。

いまから行く巫女の間っていう部屋以外にも大広間がいくつかあってね。現人神様に帰依する人達の修練場だったり、大食堂だったり、あとは事務作業をする人達のオフィスだったり……ああ、そうそう。ここは井草会長が立ち上げた会社が作った商品の在庫を管理する場所でもあるんだ

へえ。それにしても、上に上がるには階段とエレベーターしか無いんですね

大広間が多い関係でね。スペースの阻害になるからって、エスカレーターはついてないんだよ。でもエレベーターがあるだけ便利でしょ

ふーん?

 このビルが無駄に高い理由の説明は――これで付くのだろうか?

ところで、現人神様ってどんな神様なんですか?

そもそも現人神様っていうのは神様の代弁者みたいなものでね。神様の力が憑りついた人間のことなんだよ

 だから、その正体をさっさと教えろや。

そうなんですか。で、その人の名前は?

ぐいぐい来るねぇ……

 男がやや引き気味に反応する。そろそろ怪しまれる頃合いか?

でも、そこまで興味を持ってくれてるなら話し甲斐もあるよ

時として馬鹿は
口車に乗せやすい。

僕らの現人神様はね、
小さな女の子なんだよ

名前は?

井草水依っていう女子高生だけど、それは世を忍ぶ仮の姿。ここでの正式名称は千里大神(せんりたいしん)っていうんだ。遠くの未来すら見据える千里眼を持つことからその名前がついたらしい

おお……

 ここでの大層なお名前は余計な情報だが、井草水依が関与しているという事実は亜紀にとって大きなプラスになった。

 やがてエレベーターの階数表示が目当ての数を示し、扉が重々しく開かれる。

 ここから短い廊下が続く先にある大きな赤い扉の向こうが、例の巫女の間らしい。

着いたね。じゃあ、行こうか

はい

 従順なフリをして彼の背を追い、開かれた扉の奥をつぶさに見回す。

 一見すれば床一面に畳が敷き詰められただけの大広間だが、壁掛けの篝火が暗い部屋を取り囲む様は部屋の名前に相応しい儀式的な様相を呈していた。

 最奥部の玉座には誰も座っていない。今日は現人神が欠席しているようだ。

 代わりに、白いローブを着た幾百もの人達が、畳の上でひたすら何かしらの絵を一心不乱に画き続けていた。

彼らは何をしているんですか?

現人神様は人から発する『気』をイラスト化して、その絵を元に未来予知を行うんだ。彼女は図形占い、と呼んでいる。これはその修行風景さ

そんなので本当に未来が
視えるんですか?

ええ。これまで予知の的中率は驚きの百パーセントを維持している

 特に驚きはしない。

 だからこそ、一番肝心な質問をここですべきだと思った。

未来学会って結局のところ、現人神様の未来予知能力を自分も得ようとする人達の集団なんですね

有り体に言えばそんなところ。でもね、最近はこんな修練を積まなくてもいいようになりそうなんだ

というと?

これさ

 男は懐から小ぶりな黒い箱状の機械を取り出して亜紀に見せつける。

PSYドライバー。これに特殊な薬剤が入ったアンプルを装填することで中身が体内に注射され、短い間だけど未来予知能力を発現できるようになる。といっても見通せる未来は三十秒くらい先までらしいけど

 つまりドーピングで未来予知をしようという発想を叶える機械なのだろう。超能力に帰依している割には夢の無い話だ。

いまのところ、これは一定の修練を積んだ者にしか与えられない。元々は現人神様の能力を参考にして作られた神器の一つだからね

 使用条件が眉唾ものだが、水依の力を参考にした、というあたりは少々気になる。

でも今後は改良に改良を重ねて、入信しただけで誰でも使える神器に変わる。未来学会の未来は明るいという訳だ

凄いですね

他にも凄いところは一杯ある。君はいま、見学という形でその一端を垣間見たに過ぎない。もっと深いところに宝は眠っている。どうだい? 入信する気には――

ちょっと待ってください

 いよいよ勧誘モードに入った男を食い気味に制し、亜紀は苦笑して首を横に振った。

あくまで今日は見学だけですし、
ちょっと考える時間が欲しいです

まあ、強制はしないよ。決めるのは君自身だから

ありがとうございます
では、私はこれで

ああ、下まで送っていくよ

どうも

ここは下手に「一人で帰れる」などと言わない方が良さそうだ。亜紀は彼の厚意により、再び一階の受付近くまでエスコートされた。

 少々の世間話と別れの挨拶を済まし、ビルを出て、再びその全体像を見上げる。

……これで第一段階クリア
次は……っと

 亜紀は手近の適当なコンビニに走り込み、知り合いのアルバイト店員から預けていたショルダーバッグを受け取ってバックヤードに引っ込み、あらかじめ借りる予約をしていた更衣室に引っ込んで、髪留めを外していつもの黒髪ロングヘアーに戻り、ソバカス風のメイクをメイク落としのシートで拭いて消し去り、バッグの中に入っていた黒い七分丈のシャツと黒いスカートに素早く着替えた。

 全身黒づくめにしたかった都合上、黒のストッキングも忘れていない。

 腰に黒いポーチを巻き、これで準備完了だ。

東雲あゆ

よし、行くか

 宍戸亜紀――もとい東雲あゆは、意気込みも新たに未来学会のビルに向かった。

 白猫探偵事務所。所在地は黒狛探偵社より駅に近く、迅速を第一に仕事を遂行するやり手の探偵達が集まる個人営業の探偵事務所だ。

 黒狛の内部事情を知る龍也は、この会社の応接間で、彼らと似たり寄ったりの重大な秘密に触れてしまった。

貴陽青葉

どうした、火野君

火野龍也

……………………

 青葉が頭の先から顎の下まで汗だらけになった龍也の顔を横から覗き込んでくる。

 いやいや、どうした? じゃないでしょ。

 青葉がここで働いているのは、まあ良いとしよう。表向きはただの雑用係だと、社長の蓮村幹人は言っていた訳だし。

 でも、彼女の裏の顔を青葉本人の口から聞いた時、とある人物の顔を一瞬で思い浮かべてしまった。

 葉群紫月だ。彼は黒狛において秘蔵の探偵として扱われている。

 青葉もここでの立場は彼と全く同じらしい。

 黒狛と白猫はお互い商売敵。特に両会社の社長である池谷杏樹と幹人は元・夫婦。だが、彼らの部下である社員の各三人に関してはそこまで互いに敵愾心を抱いている訳ではない。

 でも、一番おかしいのは紫月と青葉の関係だ。もし二人が互いの正体を知っているとしたら、商売敵同士で仲良くしているということになる。

 反対に、二人が互いの正体を知らなかったとしたら?

貴陽青葉

そういえば一つだけ言い忘れていた

 青葉がついでのように言った。

貴陽青葉

私がここで働いているのは紫月君とあゆには内緒にしてくれ

 紫月も大体似たようなことを言っていた。彼にはどういう訳か、青葉に自らの正体が露見するのを極端に恐れている節がある。

 何にせよ、いまの発言で、紫月と青葉が互いの正体を全く知らないことが判明した。

蓮村幹人

それで、今日は何の用件かね

 幹人が向かいのソファーに腰を下ろし、まるで他人事のように言った。

蓮村幹人

青葉。お前は自分の職場にお家デート感覚で自分の友人を連れてくるような悪い子じゃないと私は信じている。こうもあっさり自らの正体を他人に露見するような真似も決してしない。ということは、ただならぬ事態が発生していると見ていいのか?

貴陽青葉

既に事態は急を要する

 青葉が物怖じせずに告げる。

貴陽青葉

たしか、最近は未来学会に関連する素行調査の依頼が殺到していた筈だ。それに関わる重要な情報を持ち帰ってきたが、その上で社長達に頼みたいことがある

蓮村幹人

頼みだと?

貴陽青葉

依頼者はそこの彼。内容は友人の奪還だ

蓮村幹人

……一応、話だけでも聞こうじゃないか

 呆れたような素振りで背もたれに寄り掛かった幹人に、龍也は青葉のフォローも交えて、先日に起きた騒ぎを全て彼に明かした。

 話を聞いていくうちに、幹人の眉根が徐々に寄せられる。

蓮村幹人

なるほど。やはり、その井草水依という少女が未来学会のキーパーソンという訳か

貴陽青葉

やはり? 何か知っているのか?

蓮村幹人

新渡戸の奴から未来学会の調査依頼を受けててな。ここ数日間でだいぶ情報が集まってきたところだ。その中には未来学会の代表、井草勝巳の身辺調査も含まれている

 幹人はあらかじめ手元に置いていた資料の内容を読み上げる。

蓮村幹人

井草勝巳。井草グループの代表にして、ライズ製薬株式会社取締役社長。宗教団体・未来学会の創始者でもあり、これまでに立ち上げた企業及びその他団体は十に昇る。家族構成は娘が一人。家には複数の女中とボディーガード一人が在中。井草グループで代表的なのは自らが社長を務めるライズ製薬と医療機器メーカーの株式会社オーバーレイ。その二社は商品展開が連動することもある。ざっと、こんなもんか

 あらましを聞くだけでも、水依の父親の商才は眩暈がする程に優れているようだ。

貴陽青葉

じゃあ、彼が何をしようとしているのかは見えているんだな?

蓮村幹人

いいや、それはまだだ。だが、何をするにしてもその井草水依さえいなければ未来学会は機能を完全に失うだろう。ところで、火野君

 さっきから青葉とのやり取りに没頭していた幹人が、突如として龍也に水を向ける。

蓮村幹人

君と彼女は親しい仲にあるという話だが、いま聞いた話以外で何か気付いたことはあるかね? 些細なことでもいい

火野龍也

気付いたこと……まあ、彼女というより、ボディガードの王虎についてなんすけど

 こちらが気付ける限りでは、水依は何かこちらに手掛かりを与えるような素振りをまるで見せていなかった。

 むしろ、露骨な手掛かりを残したのは王虎の方だ。

火野龍也

次に彼女と会う頃にはバレンタインデーどころかホワイトデーも終わってる……とか

蓮村幹人

つまり、思ったより長期的な計画を企てているという話だな

火野龍也

要略するとそんな感じっす。もしかしたらいまは何かの準備の真っ最中なのかも

蓮村幹人

奪還のチャンスはいましかない、
という訳か

 幹人が顎に指を当てて呟く。

蓮村幹人

実を言うと、君が依頼しなくても我々でどうにかするつもりだったんだが……

火野龍也

そうなんですか?

蓮村幹人

さすがに依頼の受付拒否が続くとこちらの信用に関わる。むしろ君達からこういった情報を得られたのはかなり大きい

 どうやらこちらの願望と白猫の目的には共通の利害がある様子だった。

蓮村幹人

問題はこの情報を元に誰を動かすかだが……

野島弥一

それは俺がやりますよ

 話に割り込んできたのは、ついさっきパソコン作業を終えて休憩している野島弥一だった。見た目は長身イケメンの一言に尽きるが、彼の全身から発せられる不気味なオーラはどことなく王虎が常に発散させているそれに似ていた。無論、戦闘能力的な意味ではない。もっと別の何かだ。

野島弥一

実は最近ですね、幹部クラスと思しき野郎がおかしな物体を持っているのを撮影したんすよ

 弥一がテーブルの上に出した写真に写っているのは、有り体に言って二十代の冴えない男性だった。写真の中の彼はビルを出るなり、黒い長方形の機械を天に掲げて大はしゃぎしている。

野島弥一

奴らが何かを企てているとしたら、これが一番の手掛かりだと思います

貴陽青葉

野島さん、でかした

 青葉が親指を立てて無表情で賞賛する。

貴陽青葉

数少ない手掛かりをありがとう。でも、こいつを尾行する役割は私がやる

野島弥一

何故?

西井和音

もしかしたら荒事に発展するかもしれないでしょ?

 またまた話に割り込む者があったと思ったら、出てきたのは弥一と同じくらいの身長を有する、芸術品並みにしなやかな体型の美女だった。

 まるで女豹を想起させる彼女の名は西井和音。青葉曰く、姉のような存在らしい。

西井和音

こういう危険なのは青葉とあたしがやるって相場が決まってるの

野島弥一

おいおい勘弁してくれよ。俺だって護身術くらいは――

西井和音

あんたはいざという時に五体満足じゃないと困るんだって

 和音が意地悪な顔になって弥一にデコピンする。

西井和音

あんたはあんたの役割の為に、ここに残って社長の手伝いをする。OK?

野島弥一

しゃあねーな

 弥一があっさり納得して引き下がる。

 こういうやり取りを見ていると、如何に白猫探偵事務所のメンバーが固い信頼で結ばれているかがよく分かる。黒狛のような和気藹々とした雰囲気とは少し違うが、その絆は彼らに勝るとも劣らない。

 それにしても、弥一の生存率が白猫ではどういう意味を成すのだろう?

蓮村幹人

決まりだな

 幹人が鶴の一声を放つ。

蓮村幹人

野島君。この男の身辺調査は?

野島弥一

ばっちりっす

蓮村幹人

では、彼の主な行動予定などを青葉と西井君に伝えたまえ

野島弥一

了解

蓮村幹人

二人は彼から伝え聞いた情報を元に行動を開始したまえ。可能なら今日のうちに新たな手掛かりを拾ってもらいたいものだが……

貴陽青葉

私はいつでも出撃できる

西井和音

右に同じ

蓮村幹人

では、行動開始だ

 とんとん拍子で探偵同士の打ち合わせが進んでいく。これが最速を謳う白猫探偵事務所の最たる強みなのだろう。

 ならば、戦闘能力最強を謳う、あの探偵達と力を合わせれば?

火野龍也

あ……あの

蓮村幹人

どうした?

火野龍也

黒狛の人達にも協力を要請できないかなー……なんて

蓮村幹人

……随分と意外な相手を
持ち出したな

 幹人が頭痛を催したように唸る。

蓮村幹人

なるほど、君は黒狛とも関係があったのか。それについてこちらからとやかく言うつもりは無いが――いまの黒狛は使い物にならない

火野龍也

どういうことっすか?

蓮村幹人

おそらく彼らのエースはいま、重大な機能不全に陥っている

貴陽青葉

彼らに何があった?

 青葉が淡々と訊ねると、幹人は渋い顔をして答えた。

蓮村幹人

詳細は伏せる。ただ一つあるとすれば、大体は私のせい、という話だ

『禁忌の探偵』編/#2未来学会 その二

facebook twitter
pagetop