#1 禁忌のテレグノシス

蓮村幹人

素行調査に関する相談が
今日だけで三件。
頭が痛くなりそうだ

 白猫探偵事務所の社長、蓮村幹人は応接間のソファーに腰を沈めて唸っていた。

蓮村幹人

そんなに人のプライバシーを
覗き見たい奴が多いのか。
困ったものだ

野島弥一

社長、ただいまーっす

 細身の優男というありふれた形容が似合う男、野島弥一が疲れた様子で自らのデスクにもたれかかった。

野島弥一

勘弁して欲しいっすよ。
家族の素行調査の依頼、
この一か月で何件目ですか?

西井和音

十二件

 淡々と答えたのは、黒いライダースーツを着たまま給湯室から出てきた西井和音だ。元々スタイルが良いとはいえ、体のラインがはっきり浮き出たその風体は、若い男からすればいささか目のやり場に困ってしまうだろう。

 ちなみにこの場にいる若い男、つまり弥一の感覚はアテにならない。こいつは真性のゲ……同性愛者だからだ。

西井和音

野島ぁー、お疲れのところ悪いんだけどさー、報告書の作成手伝ってー

野島弥一

俺もたったいま持ち帰ったメモと写真を
纏める作業があんだよ。

こんな時、青葉がいればなぁ……
あいつ、何気に画像加工が上手いんだよ

西井和音

今日は青葉、非番だよ

野島弥一

よし、自分でやろう
つーか、お前も自分で頑張れ

西井和音

結局そうなっちゃうかー
まあ、いいけどさ

 幹人から見て、和音と弥一の関係は良好と言える。互いに憎まれ口を叩き合いながらも信頼関係が構築されているのを見ると、昔の自分とその相棒を思い出す。

蓮村幹人

……青葉が本格的に働くようになってからだな

野島弥一

? 社長、何か言いました?

蓮村幹人

いや。君達は引き続き自分の仕事を頼む

西井和音

分かりました

 弥一が応じると、二人はそれぞれのデスクで報告書の作成に取り掛かった。

 探偵にとって報告書は商売の要であり、そして商品そのものである。故にパソコン操作のスキルは高いに越したことはない。特に二十代後半の和音と弥一はデジタルに程良く嵌まれる世代だ。彼らの素養はアナクロ世代の幹人にとって大きな助けとなっている。

 幹人が二人の働きぶりに満足していると、手元の固定電話が着信を報せる。

 受話器を取り、ため息混じりに応じた。

蓮村幹人

もしもし。こちら白猫探偵事務所です

新渡戸文雄

よう蓮村。景気はどうだい

蓮村幹人

……何故わざわざ事務所の
電話に掛けた?

 相手は声だけで判明している。彩萌警察署の新渡戸巡査長だ。

新渡戸文雄

プライベートなら携帯にかけてるよ
今回は仕事の電話だ

蓮村幹人

面倒だけは持ち込むなよ
ただでさえ素行調査の依頼を
突き返しまくっている状況だからな

新渡戸文雄

未来学会って知ってっか?

 人の話を聞け、と言うのは後回しにしよう。

 知っているも何も、未来学会は最近、駅前で大々的にヘンテコな格好をして布教活動をしている怪しい宗教団体だ。嫌でも噂は耳に入ってくる。

蓮村幹人

新渡戸。私は今日も忙しい。
オカルト話は後日、居酒屋で
じっくり堪能させてもらおう

新渡戸文雄

さっきからよぉ、署に来た住民からの
苦情が殺到してるんだわ

曰く、白猫と黒狛が依頼を受けてくれないからこっちに人探しを頼むしかなかった

ってな

 普通は逆だろう。そんなことを言い出すくらいなら最初から警察に頼めばいい。

蓮村幹人

……素行調査の対象となっている人物が揃いも揃って未来学会の本拠地ビルに
出入りしている

このような結果に繋がる依頼が
今月だけで十二件を超えてしまった

こちらの対処能力に限界が出てきたので、素行調査に関してはいま受けている分でラストオーダーにさせてもらっている

正直、それだけだ

新渡戸文雄

本拠地の中で何をしているかまでは
知らないんだな?

蓮村幹人

簡単に調べられたら苦労はしない
相手は新興の宗教団体
しかも代表の井草氏は黒い噂が絶えない人物だと聞いている

新渡戸文雄

青葉を潜入させれば良くね?

蓮村幹人

馬鹿を言うな。前回のような馬鹿騒ぎに彼女は巻き込めない

新渡戸文雄

なるほど。ま、詳しい話は俺が
直接そっちに行く時にでも
聞こうじゃないの

蓮村幹人

それで解決するようなら
情報提供は惜しまん
ただし、本当にそれだけだぞ?

新渡戸文雄

分かってるよ
準備が出来たら電話をくれ

蓮村幹人

言っておくが茶は出さんぞ

新渡戸文雄

事務所出たら自分で
缶コーヒー買うよ
じゃ、また明日な

 最初から最後まで随分と身勝手な男だった。昔から新渡戸は大体こんなものか。

野島弥一

社長

 弥一が何やらにたにたと笑っている。気色の悪い奴だ。あ、昔からか。

野島弥一

もしかしてぇ、
未来学会関連の何かっすか?

蓮村幹人

そうだ。時間があれば簡単な概要をまとめた資料を用意してもらいたい

野島弥一

お安い御用で

 弥一が仕事に戻ると、幹人は気が遠くなるような思いで窓の外を眺めた。

蓮村幹人

……未来学会、か

 不吉な予感はこれまで何度だって感じている。

 でも、いま心中に去来する胸騒ぎは、不吉程度では済まない気がした。


 私立明天女子高等学校は伝統あるカトリック系のお嬢様学校だ。進学はエスカレーター式で、高等部において一定の単位を修得した者は自動的に女子大学部に昇級する。

 だが、貴陽青葉の進路は最初から決まっていた。明天から抜け出し、何の変哲も無い普通の大学に行って穏やかな四年間を過ごし、卒業後は白猫探偵事務所の正社員になる予定がある。

 そういえば、大学生になれば彼氏って出来るんだろうか。男からすれば大学時代で彼女の一人は確実に捕まえておきたいんだろうが、女もいずれそうなるんだろうか。

 男が女を捕まえたい時は砂漠の中でオアシスを探すが如き難易度らしいが、女が男を捕まえたい場合は自販機の前で何を買うか決めかねているようなものだという話を何処かで聞いたことがある。

 女子校育ちでいきなり共学の大学に入った女というのはどういう目で見られるのだろうか。男慣れしてないからチョロいとでも思われるのだろうか。私は葉群紫月という同い年の悪友がいるから耐性はついているのだが。

 そんなことより早く下校したい。今日は紫月達とゲーセンに行くんだから。

根津聡子

貴陽さん? ……貴陽さん!

貴陽青葉

ん?

 担任の女教師、根津聡子(ねづさとこ)に呼ばれ、青葉はようやく我に返った。

貴陽青葉

おお、先生
いきなり大声を上げて、
何かありましたか?

根津聡子

いま、明らかに意識が虚無の
彼方に飛んでましたよね

貴陽青葉

すみません
火星と交信していました

根津聡子

なるほど。貴女は私を舐めていますね?

 冗談の通じない新人教師だ。ちょっとは広い心を持ちなさいよ、全く。

根津聡子

……じゃなくて。進路希望調査票
早く書いてくれないと困るんだけど

貴陽青葉

ふむ

 青葉は机の上に置かれた一枚の紙と再び向き合った。

貴陽青葉

まだ高校一年なのに気の早いことだ

根津聡子

この学校は早い段階で自分の進路を意識させて社会に対する自分なりの向き合い方をどの学校よりも早く学ばせるの

貴陽青葉

私の進路は既に決まっている

根津聡子

じゃあ、何で書かないの?

……………………

 いや、書かないんじゃなくて、書けないの。

 理由は、この調査票の素晴らしい書式だ。普通ならどの大学に行きたいとかを記載するだけで話は終わりだが、これにはさらに続きがある。

 曰く、『どの職種を希望するか。また、どの会社への就職を希望するか』である。

貴陽青葉

先生。世の中には知るべきことと知らない方がいいことというものがある

根津聡子

それは言われなくても分かってるけど……それが何?

貴陽青葉

私の進路についてはあまり知らない方がいい

 青葉からすれば、希望する大学の欄だけは埋めたのに、職業の欄を埋めなかっただけで何で教室に引き止められるのかが謎だったりする。

 ここで素直に『探偵』だなんて書いたら、自分の正体が周囲に露見する可能性がある。それは白猫探偵事務所における『秘蔵の探偵』としては避けたいところだ。いまさら探偵の学校に推薦書を出されたりしても面倒だし。

 だからといって適当な職業を書いてみたとしよう。このケツの青さも拭えない新人女教師が気合を入れてその手の資料を全力で集めかねない。

 正直言って、この状況はかなり危険だ。

根津聡子

そういえば、貴陽さんってアルバイトしてるんだよね?

 唐突に、聡子が天井に目線を泳がせながら訊ねてきた。

根津聡子

だったらそのバイト先の正社員になっちゃうとかもアリだけど……

貴陽青葉

それは……まあ……

 最初からそのつもりだ。でも、現段階でそれを聡子に伝える訳にはいかない。

 もし伝えて、この女がうっかり口を開いてしまい、自分の正体が学校全体に広まってみろ。人の情事を覗き見する危険人物に対する異端審問が始まってしまうではないか。

根津聡子

ねぇ、貴陽さん

 聡子がこちらの顔を覗き込む。

根津聡子

早く書いてくれないと、
私が帰れないのよ

貴陽青葉

そ……その……

 ええい、仕方ない。適当な職業を書いた上で、何もしてくれなくていいと釘を刺すか。

ちょっと、宜しいですかな?

 後ろ側の扉が開き、隙間から一点の曇りも無い丸メガネが覗いた。

根津聡子

校長先生?

貴陽青葉

およ?

 この場面でまさかの校長である。意味が分からない。

根津先生。彼女の進路希望調査については希望する大学の記載だけで大丈夫です

根津聡子

しかし――

先生

 年相応の鋭く老練な眼光で聡子を射抜くと、次に校長は青葉に微笑んだ。

貴陽さん。今日はもう帰りなさい。君のお友達がこの近くでずっと待っている

貴陽青葉

分かりました
では、お言葉に甘えて

 聡子が引き止めるより先に、青葉は素早く席を立ち、校長の横をするりと抜けた。

根津聡子

校長先生、これは一体どういうことですか?

 聡子が眉根を寄せて訊ねると、校長はゆっくりと歩み寄ってきた。

根津先生。彼女の事情についてはあまり突かない方がいい

根津聡子

どうしてです?

貴陽さんは学生社会的に見ても少々特殊な立場にいる。それに、人には隠し事の一つや二つくらいはある。それが例え、教師が相手だったとしても

根津聡子

生徒一人を特別扱いしろと?

彼女の場合は本当に仕方ない。何せ、この彩萌市を裏から支える一人なのだから

根津聡子

何を言っているか理解出来ません

世の中には知らない方が良いことというものがたくさんある。なるほど、たしかにその通りだ

 感慨じみた台詞だけ残し、校長はゆるりと身を翻して教室から立ち去った。

貴陽青葉

悪かったって。後で飲み物奢るから

井草水依

ぶー

 昇降口を抜けて勉学の檻から抜け出し、青葉は商店街の往来で井草水依に抱きついた。

貴陽青葉

そんなに機嫌を損ねるとは思わなかった。許してくれ。な?

井草水依

私、ずっと待ってた。青葉が終始ふざけているのが悪い

貴陽青葉

みなえぇぇ~

 水依に頬ずりをかましてみるが、やっぱり彼女はご機嫌ナナメだった。

 やがて商店街を抜けて駅に出ると、噴水の前で集まっていた三人の男女がこちらの姿を認め、そのうちの一人が大きく手を振った。

東雲あゆ

おーい、青葉ー

貴陽青葉

すまん。ちょっと遅れた

 手を振っていた女子高生、東雲あゆに頭を下げる。

貴陽青葉

教師が進路希望の件でうるさくてな。この時期にご苦労なこった

火野龍也

随分と早いんすね

 三人のうち、一際目立つ高身長の男子高校生が苦笑する。彼は火野龍也といって、近隣の男子校に通う一年生だ。年は青葉と同じだが、電球並みに明るいスキンヘッドと深夜の如く深い黒のグラサンをかけているせいで、見た目より年齢が上に見えるどころか、考え方によっては『そっち系』の人にも見えなくはない。

 龍也が会釈すると、水依がさっきの不機嫌面を引っ込め、彼のお腹に頭から突っ込む。

火野龍也

おわっ……っと、今日はなかなか勢いがありますね

井草水依

火野君。今日は青葉がポンコツだからちょっと困ってる

葉群紫月

おい、言われてるぞ

 小馬鹿にしたように笑うのは、青葉の悪友こと、葉群紫月だ。見た目は中肉中背の何ら変哲も無い男子高校生だが、何故かいつも懐に十手を携帯している危険人物だ。

 紫月は青葉の頭をぽんぽん撫でながら言った。

葉群紫月

青葉のポンコツっぷりはいまに始まったことじゃないよな

貴陽青葉

自覚はあるが
君にだけは
言われたくない

 とりあえず腹パン一発でラブ注入しておいた。

 鳩尾を抱えて蹲る紫月の尻に、あゆが何故か蹴りを入れている。彼女の行動原理は未だに謎が多いものの、いまに限って言えば衝動的に蹴りを入れたかったのだろう。

 意外と簡単に復活した紫月が爽やかな笑顔で親指を他方に向ける。

葉群紫月

さて。じゃあ、そろそろ行くか?

貴陽青葉

そうだな

 最近はずっとこんな感じだ。青葉や紫月、龍也のバイトの休日が重なると、決まってこの五人で放課後は遊び呆けている。学生リア充連中のよくある一幕だ。

葉群紫月

くたばれ青葉!

貴陽青葉

お前が死ね!

 小ぶりなディスクがエアホッケーの台上を高速で行き交う。ちなみにこれはタッグマッチで、今回は紫月&龍也VS青葉&あゆだ。

 龍也から弾かれたディスクを、あゆが卓球で言うところのスマッシュの要領で打ち返し、男子チームのスリットの真ん中に吸い込まれる。

 これでゲームセット。勝者は女子チームだ。

東雲あゆ

よっしゃ!

貴陽青葉

いえーい

 青葉とあゆがハイタッチしている傍で、紫月と龍也が同時に膝を突いて愕然としている。彩萌市内においてトップレベルの凶悪な女子高生二人を敵に回せば大体こうなる。

 それにしても、こんなにはしゃいで不良連中に絡まれないか心配だ。まあ、変に突っかかる奴がいれば自分とあゆ、もしくは紫月がぶっ飛ばせば済む話か。いや、龍也みたいな外見の奴がいるから、絡みたくても絡めないとは思うのだが。

 青葉がそんな懸念していると、水依と龍也が別のゲームを始めた。お次はホラー系のガンシューティングだ。

 二人共、銃の扱いが揃いも揃って素人もいい所だ。でも、心底楽しそうだ。

葉群紫月

超一流のガンスリンガーから見て、
こいつらの腕前はどうよ

 紫月がからかうように訊ねてくる。

貴陽青葉

……二人の相性がいい

 青葉はズレた回答を用意した。

貴陽青葉

あいつらはこういう二人プレイのゲームに素質がある

葉群紫月

次は俺と青葉の相性でも
試してみる?

貴陽青葉

君とは競い合いになりそうだ
止めておくよ

 自らの射撃技術をひけらかすほど、青葉もそこまで自信過剰な方ではない。能ある鷹は何とやらという訳ではないが、いまはあまり銃を握りたくない気分だった。

 黙って龍也と水依の背中を見守っていると、唐突にあゆが紫月と青葉の首を両脇に抱える。うぜぇ。

東雲あゆ

ねえねえ、あの二人ってなかなかイイ感じじゃない?

 輪をかけてうぜぇ。

葉群紫月

下手な詮索は
止めとけ

 紫月がぞっとするような冷徹な声音で釘を刺す。

葉群紫月

人の恋路に横から首を突っ込むとロクな目に遭わない

東雲あゆ

こ……怖いな

 あゆが恐る恐る紫月と青葉を自分の腕から解放する。

東雲あゆ

葉群君、こういう話の時だけ凄い顔するよね

葉群紫月

……まあ、な。色々あったし

 何があったのかは知らないが、いまの紫月に恋愛の話題はご法度のようだ。

火野龍也

ふぎゃあああ! 死んだ!

 気付けば、龍也達が遊んでいたゲーム筐体の画面に『GAME OVER』の血文字がべったりと塗り付いている。

火野龍也

せっかくいいところまで
行ったのに!

井草水依

とぅーびーこんてぃにゅー?

火野龍也

うーん、どうしましょうかね……

 二人の悩む姿が、いまの青葉には少し可愛く見えた。

 気付けば時刻は夜の八時を回っていた。さすがに少々遊び過ぎたか。

 再び駅の近くに戻ってみると、噴水広場の前で白い外套を着た数人の男女が、マイクを片手に演説したり怪しげなモノクロのチラシを配ったりしていた。最近、彗星の如く彩萌市に現れた新興宗教団体の布教活動だ。

 龍也と水依はさして気にしていない様子だが、あゆだけは違った。彼女はどういう訳か、さっきからずっとその団体を凝視しているのだ。

 青葉はそっと彼女の肩に手を置いた。

貴陽青葉

あゆ、あまり長く見ていいもんじゃない

東雲あゆ

……未来学会

貴陽青葉

え?

 いまのあゆは、さっきの紫月と似たような形相をしていた。

 ややあって正気を取り戻したらしい、あゆは取り繕うように手を振った。

東雲あゆ

あ……いや、その、何でもないよ。何か変な人達がいるなーって思っただけ

貴陽青葉

でもさっき、未来学会がどうとか

東雲あゆ

それより、ほら!
あれ見て、あれ!

 あからさまに誤魔化し方が怪しいが、とりあえず彼女が指差した方向に視線を遣る。

 あそこはこの彩萌市で長年続いている有名な個人経営のスイーツ専門店だ。店先ではふりふりのスカートを穿いた可愛らしい女性店員が、手近に置かれたテーブルの上に山積みされたチョコレートの箱を多くの女性客に売り捌いている姿が見受けられる。

東雲あゆ

そろそろバレインタインデーだね! 青葉って誰か本命のチョコ渡す人とかいんの?

貴陽青葉

君は何を言ってるんだね?

 青葉は大げさに首を傾げた。

貴陽青葉

私は食べる専門だ。人に作って渡すなんて人生で一度もやったことが無い!

井草水依

……私、チョコ作れない

 店先で消えていくチョコの箱達を眺め、水依がしょぼくれたように俯く。

井草水依

そもそも料理出来ない
どうしよう――あ

 何か閃いたらしい。水依がこれまで以上に楽しそうに提案する。

井草水依

青葉、あゆっち。今度、時間が空いた時にチョコを作ろう

貴陽青葉

何だ、いきなり

井草水依

知り合いに腕のいいパティシエがいる。私の家に来ればすぐ会える

東雲あゆ

お? マジで?

 真っ先に喰いついたのはあゆだった。

東雲あゆ

行く! 私、超行きたい!

貴陽青葉

……まあ、いいだろう。そういえば水依の家には行ったことが無いからな

井草水依

じゃ、決まり

 胸の前で手を合わせた水依の面持ちは、これまでになく満ち足りていた。

 勝手に女子会ムードに突入した青葉達三人の井戸端会議を眺め、紫月と龍也はただひたすら無言でぼうっとしていた。

 でも、そろそろ沈黙が気まずい頃か。

葉群紫月

火野君。井草さん、きっと君に本命のチョコを作るぜ

火野龍也

そりゃ嬉しいっすね

 期待に対して反応が薄い龍也であった。

火野龍也

いまから十四日が楽しみですわ

葉群紫月

そうか

 正直、紫月も水依と龍也の仲が少しだけ気になっている。龍也自身が彼女をどう思っているかとか、或いはその逆とか。健全な高校生ならこの手の話題は興味の対象だ。

 でも、健全とか不健全の境界を越えている高校生なら、話は全く別だったりする。

 もう二度と人の恋路に対して不用意に首を突っ込まない。それが、あの惨劇から学んだ紫月なりの経験則だ。

 たったいま、この禁に触れそうになり、夕闇の血みどろが克明に脳裏を過る。

火野龍也

意外っすね

 龍也が落ち着き払って訊ねてくる。

火野龍也

葉群さん、もうちょい突っ込むかと思ってたのに

葉群紫月

世の中、知らない方がいいこともある。俺にとってはいまがその時ってだけの話だ

火野龍也

そういうもんっすかね?

葉群紫月

あくまで俺にとっては、だ

 悪魔な俺にとっては――と吹き替えたら、さすがに中二病過ぎるだろうか。

 女子三人の話が一段落すると、何故か青葉がこちらを睨んできた。

貴陽青葉

……………………

葉群紫月

? 青葉?

貴陽青葉

いや、何でもない。夜も遅いし、さっさと帰ろう

葉群紫月

だな

 きっと、気のせいだ。

 まるで自分の全てを見透かしたような、青葉の痛い程に鋭い視線は。

『禁忌の探偵編』/#1 禁忌のテレグノシス その一

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