禁忌の探偵編
プロローグ
禁忌の探偵編
プロローグ
機械的な照明を切った暗闇に、壁掛けのかがり火が列を成して燃え盛る。
ここは『巫女の間』と呼ばれる大広間。床は全て畳が敷かれており、その上で白い外套を纏った数十、否、百数人の人間が等間隔で土下座している。勿論、彼らは全員揃って何者かに対して謝罪している訳ではない。
崇めているのだ。最奥部の玉座に正座する、小さな紅白の巫女――井草水依(いぐさみなえ)を。
私の瞳は未来を見通す。
さあ、汝の願いを述べるがいい
水依が幼い声音に荘厳な響きを乗せると、彼女から半畳分の間隔を開けて頭(こうべ)を伏す若い女が面を上げる。
私がいまお付き合いしている男性の様子が最近おかしくて……彼と私の未来がこの先どうなるのかを知りたいのです
その願い、承った
水依は横からぬっと現れた黒子からトレーシングペーパーの束と小さな机、製図用のシャープペンを手渡されると、机の上でトレーシングペーパーに奇怪な模様を手早く書き上げる。
一枚目が完成。続いて二枚目、三枚目――使った紙の総量は五枚。
模様が描かれた紙を重ね合わせると、一つの新たな模様が完成する。
いわゆる魔法陣のイラストだ。水依はこれまで、魔法陣を構成する為に必要な文字や円といった模様を描いていたのだ。
いま、汝の『気』を読んだ。
これより開眼する
水依は五枚重ねのトレーシングペーパーを頭上に掲げ、魔法陣の中心を凝視する。
最初は視界全体が黒く塗りつぶされ、やがて青く染まり、奥から映像の怒涛が押し寄せてきた。
この映像が、女の未来そのものだ。
……視えた
呟き、水依は紙を女の手前に差し出す。
汝の付き人は汝と別の女と
交際している。
しかも六股
六!?
女が場所に見合わず素っ頓狂な声を上げると同時に、ひれ伏していた白い外套の大勢がどよめきと感嘆のアンサンブルを奏でる。
しかも一か月後、六人中二人の
妊娠が発覚する
に……ッ
ニンジンではない。妊娠だぞ?
何処かでバカがうつったか、冗談で場を和ませようとする。
でも結局、何処かの誰かさんみたいにはいかなかった。
……許せない
地獄の底で生まれた怨嗟の音が女の喉から這い上がる。
現人神様。このまま泣き寝入りするのは
あまりにも悔し過ぎます。
何か、良い意趣返しの手段は
無いものでしょうか
探偵でも雇えばいい
何故か知らないが、そんな答えが口をついて出てしまった。
彩萌市には白猫探偵事務所と黒狛探偵社という、地元の大物芸能人も御用達にしているような腕の立つ探偵の組織が存在する。彼らに浮気の証拠を集めてもらうといい
白猫探偵事務所は元・刑事が社長を務めているだけあって人間の醜さと直面した上で迅速な仕事を徹底するプロ中のプロだ。彼らの仕事に間違いは無い。
対する黒狛探偵社は街の人気者が率いる個性派集団で、癒しを求める人の寄る辺となっているらしい。その実力たるや、白猫に勝るとも劣らないと聞く。
これが、いま視えた未来と
汝の要望に対する最善策。
これを聞いてどうするかは
汝の心意気次第
充分です
女が再び畳に額をこすりつける。
ちなみにこの女はどこぞの有名なロックバンドのメインボーカルらしく、水依に未来を視てもらうのは今日で二回目となる。一回目はバンドの行く末についてだった。あれも水依の予知通り、ギターを務める男メンバーの不倫問題が発覚してバンド全体がマスコミから集中砲火を受けた。
次は現人神様の言う通りにします
さっきも言った。どうするかどうかは
自分次第だと。
一回目にアドバイスを無視して何も
しなかったことについては汝の自己責任
それは重々承知しております……! だから今後も是非……!
よかろう。では、そろそろ下がれ
はい
こうしていつも、信者達には横柄に接している。組織内における威厳を保つ為だ。
でも、疲れる。いつもと違うから。
そもそも、私にとっての日常とは――本当の私とは、何なのだろうか。
水依。ご苦労だった
玉座の後ろから、紺色のスーツ姿を着た初老の男が水依の真横に現れる。
彼は井草勝巳。水依の父親にして、この組織の創始者だ。
今日はさっきの彼女で終わりだ。明日はエコノミストが相手なんだが……
問題無い。経済に関する記述は
読み漁っている
よろしい。もう下がりなさい
うん
水依は無感動に頷き、玉座から降りて信者達の前から立ち去った。
彼らは最後まで、仰々しく荘厳な姿勢で見送ってくれた。