雪の福音亭での一軒から一夜明けた朝。
あたしとエリザは、買い物をしに街の商業地区まで来ていた。

エリザ

アニカは何を買うんですか?

アニカ

まずはヴァルターに壊された短刀かな。
それと……紙

エリザ

紙?

アニカ

ヴァルター相手に火の護符を使いすぎちゃったから補充したいんだけど、あれはこの辺じゃ売ってないから自分で作るの。
そのための紙だよ

四大精霊の力を使役するための護符は、四大精霊信仰の盛んな地域では店で売られていることもあるが、この辺りでは手に入らない。
自分で紙に魔法陣を書き、祈りを捧げて魔力を込める必要がある。

商業地区の通りの両側に軒を連ねる店たちの中に刃物店を見つけ、あたし達はまず短刀を買うことにした。

店の中に足を踏み入れると、壁一面に大剣・レイピア・曲刀などさまざまな刃物が掛けられていた。包丁や短刀などは棚に並べ置かれている。

あたしは短刀が陳列されている一角で品定めを始めた。一本一本取り上げて、ためつすがめつ眺めてみる。どれも質の良い鋼で、良く切れそうだ。

念のため、刃を軽く爪で弾いてみたりもする。目に見えない細かいひび割れなどがあれば音に異変があるはずだが、どれも小気味良いコン、という音がする。どうやら質の面ではどの短刀も、等しく一級品のようだ。

握ったまま軽く振ってみて、柄の握りやすさや重心の位置などがしっくりくるものを選ぶ。
品質の割に値段は決して高くなかった。

アニカ

いやー。
いい買い物したわー

買ったばかりの短刀を鞘に納めたまま弄びながら、今度は紙を売っている店を探す。

甘ったるい香りを放つ果物屋の前を通り過ぎようとしたとき、やにわに後ろから走り寄ってきた小さな男の子が、店先のリンゴを二個ひっつかむと、あっという間にもと来た方へ逃げ去った。

アニカ

ど、どろぼう?

その少年は、捕まえようとする大人たちの腕を器用にかいくぐって逃げ回り、細い裏路地へと逃げ込もうとしたところで、駆け付けた白マントの男に思い切り突き飛ばされた。

フォルケール

聖地ザンクトフロスで泥棒とはいい度胸だな。異教徒の少年よ

少年を突き飛ばしたのはフォルケールだった。彼の後ろには何人かの騎士団員がつき従っていて、その中にはマルクの姿も見える。

突き飛ばされた少年はと言うと、リンゴを取り落とし、全身の痛みに立ち上がることも出来ないでいる。

フォルケール

貴様、前にも一度見たことがあるな。
確か一週間ほど前に、やはり店のものを盗んでいた。更生せず罪を繰り返す様な奴は、生きる資格はない

そう言ってフォルケールは、腰の剣を抜くと正面の少年に向けて構え――
そのまま振り下ろした。

マルク

お待ちください

間一髪のところでマルクが割って入り、金属製の手甲でフォルケールの剣を受け止める。

マルク

やりすぎです!
相手は子供ですよ!

フォルケール

ああ子供だな。だが罪人だ。
同じ罪を繰り返し、悔い改めることをしない罪人だ

マルク

この子のことは知っています。
家が貧しくて、食べるものがないんです

フォルケール

ザンクトフロスでは、異教徒が就ける職業は制限されている。貧しい子供なぞ珍しくもない。貧しい子供だからと言って盗みを看過していたら、すべての店から商品が根こそぎ盗まれてしまうぞ

どうやらザンクトフロスは天上教の聖地であるがゆえに、異教徒の就ける職業について厳しい規制が存在するらしい。昨夜、異教徒の楽団が料亭で演奏をさせて欲しいと必死に食い下がっていたのも、その仕事を奪われたら他の仕事の当てがない、という背景があったわけだ。

エリザ

この子が盗んだリンゴの代金は私が立て替えます。どうかこの場は、見逃していただけないでしょうか

見かねてエリザも口をはさむ。しかしフォルケールは取り合おうとしない。

フォルケール

例えこのリンゴの代金を貴様が立て替えたとて、こいつは腹が減ったらまた盗みを働くぞ。
こいつが二度と盗みを犯さぬよう、貴様が一生食い物を与え続けるとでも言うのか?

エリザ

そ、それは……

フォルケール

仮に貴様が一生こいつの面倒を見るとしてもだ、それでは貧しいながらに罪を犯さず、空腹に耐えながら生きている他の異教徒に対して不公平ではないか?

フォルケール

こいつはたまたま貴様の見ている前で盗みを働いたから食べ物を恵んでもらえた。一方で同じくらい貧しくても盗みなどせず、なんとか真面目に暮らしている者はひもじいままだ。こんな不公平があって良いのか

エリザ

……

反論できず、エリザは押し黙った。少年が「ひもじいから」盗難を犯したのならば、ここでリンゴの代金を立て替えても一時的な解決にしかならない。時間がたてばまた腹は減るのだ。

マルク

だとしても、こんな子供を殺すなんて間違ってます!

マルク

そんなことをして、亡くなったテオドール様が喜ぶとお思いですか!

マルクが、フォルケールのかつての腹心での名を口にした途端、フォルケールは鬼のような形相でマルクに詰め寄り、彼を突き倒した。

フォルケール

貴様ごときがっ!

フォルケール

テオドールの名をっ!

フォルケール

気安くっ!

フォルケール

口にするなぁっ!!

言いながら、フォルケールは突き倒され倒れこんだマルクを、何度も足蹴にする。足を踏みつけ、腹を蹴り、かかとに付いた拍車で頬を蹴る。マルクが血を吐いても、やめる様子はなかった。

フォルケール

もういいマルク。貴様は騎士団の規律を乱す。
そこの盗人より先に、貴様を処刑してやろう

そう言ってフォルケールは、マルクに狙いを定めて、剣を大上段に振りかぶった。

彼が剣を振り下ろす瞬間は、あたしも正視できなかった。しばらくたってから意を決してマルクの方を見てみると……。

マルクは無事だった。彼を斬るはずだった剣は、フォルケールの手を離れて、路地に突き立っていた。

フォルケール

……?
何が、……起こった?

フォルケールでさえ、事態を把握していないようだった。周囲で見ている騎士団たちも啞然としているなか、抜き身の剣を携えた青年が一人、フォルケールへ近づいてきた。

アルベルト

子供を殺そうとしただけでなく、仲間まで斬ろうとはね。全く天上教徒は野蛮で困る

その青年に、あたし達は見覚えがあった。ヘカテーが見せてくれた映像の中で、「樫の樹亭」にいたアルベルトだ。映像の中ですぐにボロムを出発すると言っていたが、もうザンクトフロスに着いていたのか。

フォルケール

誰だか知らぬが異教徒か。
貴様らにはわかるまい。規律を守る重要性が。規律を守らぬものには、しかるべき刑罰が必要なのだよ

アルベルト

規律を守らぬものに刑罰を。それには賛成だ。だが、グラマーニャ人こそが規律を乱しているがな

フォルケール

グラマーニャ人の治めるグラマーニャ王国にあって、グラマーニャ人が規律を乱しているとは異な事を言う。一体どんな理屈でそんな戯言をのたまうのだ?

アルベルト

元来この辺りや、もっと南のミヘル地方までは、ミタン人の土地だった。魔物はその時代時代の魔王の威光の強さによって勢力圏をミタン人の領地にまで広げる事はあっても、全面的な衝突は起こさずに、ほぼ住み分けできていた

アルベルト

だが遥か南から進行してきたグラマーニャ人がミタン人の街や村を次々に支配下に置くと状況は変わった。彼らは魔物との共存を拒み、魔物が人間の領土に現れるたびに魔王討伐隊をオズィアまで派遣し、現代まで続く魔物と人との全面対立を作り上げた

アルベルト

先史時代より続く千篇一律の平和なる秩序を破ったのは、グラマーニャ人だ

アルベルトは長口舌を畳みかけるように一気にまくしたてると、憎しみを込めた目でフォルケールを睨んだ。しかしフォルケールは涼しい顔だ。

フォルケール

魔物と馴れ合うのが平和とは恐れ入る。野蛮な異教徒はそれで良いかもしれないが、天上教の神は魔物の存在を許さない。貴様が魔物との馴れ合いを望むというのなら、まず貴様から斬らねばなるまい

フォルケールが地に刺さった剣を引き抜き、アルベルトに切っ先を向けると、アルベルトも挑戦的な微笑を浮かべて、剣を構えた。

アルベルト

さて、斬られるのはどっちかな?

先に動いたのはフォルケールだった。右足で強く地面を蹴ったかと思うと、次の瞬間にはアルベルトの間近まで間合いを詰めていた。そのままフォルケールは、剣を横薙ぎにはらう。

アルベルトは後ろに飛びのいてこれをかわし、相手が第二撃のために剣を振りかぶった一瞬の隙をついて、カウンター的に攻撃を繰り出す。

フォルケールの剣撃も恐ろしく速かったが、アルベルトはそれ以上に、目にも止まらぬ一撃を放ってきた。フォルケールは人並み外れた反射神経でどうにかこれを剣で受け止める。

金属同士のぶつかる甲高い音がして、フォルケールの剣が鍔元から折れ、刃が宙を舞う。アルベルトの剣が折れなかったのは、フォルケールのものよりも幅も広く峰も分厚い大剣だったからだ。そんな重そうな大剣を神速のスピードで振り回せるアルベルトの膂力には、感嘆するしかない。

アルベルト

斬られるのは貴様の方だったな

勝利を確信したアルベルトが、おもむろに刃をフォルケールの首へと近づけていったその時。

地面から伸びた無数のつる草がアルベルトに絡みつき、身動きできなくした。

アルベルト

なんだこれは!?

エリザ

その方を殺すのは待ってください。
アルベルトさん

メレクの巫術で生み出したつる草でアルベルトを縛り付けたのはエリザだった。エリザから「アルベルト」と呼ばれて、彼は怪訝な顔をする。

アルベルト

確かに宿に泊まるときなど、宿帳にはその名を記すことにしているが、逆に言うとそれ以外でアルベルトと名乗ったことはない。その名を知る貴様は何者だ?

エリザ

わけあって貴方のことを色々と知っています。あなたが人間に化けた魔物であることも……
――そして、三百年前の魔王腹心、ドラゴンプリーストの息子であることも

アルベルト

ほう、それは面白い。
だがなぜ貴様は、こいつを殺すのを邪魔するのだ? 見たところ貴様はメレクの巫術師だろう。貴様と同族の、ミタン人の子供を殺そうとしたこいつをなぜかばう?

問われてエリザは、決意を込めたまなざしで答えた。

エリザ

私は、人間と魔物の間の、長きに渡る争いを終わらせたいのです。あなたが巡礼騎士団の総長を殺害することは、争いを拡大することにつながります

アルベルトは、それを聞いてほほ笑んだ。

アルベルト

奇遇だな。余も魔物と人間の争いを終わらせたい。だが、そのためにはグラマーニャ人どもを南に放逐する必要があるのではないか?
グラマーニャ人が遥か南の狭い地域でこぢんまりと暮らしていた頃は、争いがなかったのだから

エリザはかぶりを振る。

エリザ

それは解決にはなりません。領土を奪われ、南に追いやられた憎しみは、世代を超えてグラマーニャ人の心に残り続けます。その憎しみはかならず、新たな争いを生みます

アルベルト

ほう……。
では、どうするというのかね?
そこにいる騎士団総長閣下が、ミタン人の子供を殺すのを黙ってみていると?

アルベルトの問いかけにエリザはしばらく思案した後、フォルケールの方に向き直って言った。

エリザ

私に五日間だけ時間をくれないでしょうか?
その間だけ、窃盗程度の罪でミタン人を殺すのをやめてください。
五日のうちに、ミタン人による犯罪を減らして見せます。

フォルケール

ふん、たった五日で何ができる。
もし成果が出なかった場合、五日の間に罪を犯したミタン人どもを全員処刑してやるからな

エリザ

いいえ、必ず犯罪を減らします。
あなたが納得し、処刑をやめざるを得ないくらいに

そう宣言した後、再びエリザは、アルベルトの方を向いた。

エリザ

力でねじ伏せるのではなく、争いの原因を解消する。
それが私の、争いを終わらせる方法です

エリザの決意表明を、アルベルトはふん、と鼻で笑い飛ばした。

アルベルト

せいぜいやってみるがいいさ。
だが余は、貴様のやり方が実を結ぶの待ったりはしないぞ。
時が満ちればすぐに、グラマーニャ人の掃討を始めるつもりだ

アルベルト

貴様のその悠長な手段では、とても間に合うまいよ

そう言うと彼は、絡みついたつる草を引きちぎり、去って行った。

アニカ

あのアルベルトってヤツやたら強いけど、あいつもトイフェルに憑かれてたりすんのかな?

エリザ

どうでしょう。彼は魔王の腹心かそれに匹敵する立場の存在であるはずですから、強くて当たり前、とも言えます

どちらにせよ、あたし達にはやらなければならないことがある。

まず五日以内に、ザンクトフロスの街における、ミタン人の犯罪を減らすこと。

さらに長期的な目標として、魔王を倒そうとするヴァルター達とグラマーニャ人を滅ぼそうとするアルベルトの両方を止め、人間と魔物を和解させなければならない。

困難な道だが、とにかく全力を尽くすことしか、今のあたし達にはできない。

(続く)

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