彼女は異世界の人間だから


第一話
「私は異世界の人間だから」












もう、君とは会えないんだよ

……そう、なんだ

 冬が開け、3月の初めに。
 僕は好きだった女の子に振られて、別れを告げられた。

 その理由は、至ってシンプルだった。


私は異世界の人間だからね。こっちに来られなくなるんだ

 住む世界が違うから。
 僕の世界と、彼女の住む世界。二つを行き来することが、出来なくなる。

……うん。知ってるよ



 僕がそう答えると、彼女は少しだけ驚いた顔をする。
 だけどすぐに優しく微笑んで、彼女は言った。

そっか……。じゃあ、さよならだね

 僕はただ、無表情に彼女の足下を見つめていた。
 心が、どういう反応をしたらいいかわからずにいる。
 ずしりと重い気持ちだけがいっぱいに広がって、僕はなにも考えることができない。

 ただ、一言だけ。言おうと思っていた言葉を思い出す。


最後に会いに来てくれて、ありがとう。理沙子



 すると彼女は目を潤ませ、僕の右手を取るとぎゅっと両手で包み込んだ。

私の方こそ! 永一くんと、会えてよかったよ


 そう言うと理沙子は、背を向けて走り去ってしまう。

 僕はその背中を、黙って見送ることしかできなかった。




全部、わかってるんだよ。理沙子……

 3月といえど、まだまだ肌寒い。
 冬は開けたというが、僕にはまだ春は来ていないようだ。

 一人立ちつくし、冬に出会った彼女のことを想う。

 あの日は今日なんかより、ずっと寒かった――。























 12月の半ば。この冬一番の寒さと言われたこの日の空は、どんよりとした雲に覆われていて、夜には雪が降るという予報だった。

 そんな、本当に今にも雪が降り出しそうな夕暮れ時。
 帰り道に通る公園で、僕は彼女と出会った。



…………

…………?


 公園に佇む、一人の少女。
 普段なら、そのまま通り過ぎたと思う。

 最初目を留めた理由は、正直に言おう、可愛かったからだ。でもそれだけで、足まで止めようとは思わない。ましてや声をかけるなんて、そんな度胸も無い。制服も別の学校、近くの女子校のものだし、接点も無かった。

 だけどよく見ると、この寒空の下、セーラー服の上にはコートはおろかマフラーもしていない。見るからに寒そうな格好なのだ。


 そしてなにより、僕が足を止めたのは。

 彼女が、思い詰めた顔をしていたからだった。

ねぇ、君。……寒くないの?


 意を決して出した言葉は、緊張してぶっきらぼうな感じになってしまった。

え……? あ、あれ? 私? 私に話しかけてる?


 少女はハッと顔を上げて、周りに誰もいないことを確認し、自分を指さす。

そうだけど。今日、雪降るかもしれないってのに、コートも着ないで大丈夫なの?

あ……

 まるで今思い出したと言わんばかりに自分の格好を見直して、僅かに頬を赤く染める。

あはは……。ちょっと慌てて出てきたから、ね。私は平気だよ!
寒いのにはつよ……い……

うぅ……

ああ……


 彼女はくしゃみをして、ぶるっと体を震わせる。

 僕は思わず苦笑する。説得力の欠片もない。

えっと……こういう場合、どうすればいいんだっけ?

 小説かマンガみたいだけど、こういう時に男ならどういう行動を取るべきか。僕は必死に考え、ある答えを導きだす。

 それは僕のような女の子と話すのにあまり慣れていない男子高校生には、難易度の高い行動だった。

とはいえ、なにもしなかったら絶対後悔すると思う


 恥を掻くだけかも知れない。でも、僕は自分の着ていたコートを脱いだ。

ほら、とりあえずその、これでも着てっ


 僕は少女に近寄り、脱いだばかりのコートを肩にかける。

 すると当然、少女はビクッと跳ねるようにして驚いた。

ええっ?! だ、ダメだよ!
確かに、やっぱりちょっと寒いけど……今度は君が寒いでしょ? 私なら本当に、平気だから!

平気って、さっきみたいに震えてたら説得力ないよ。それに僕も寒いのは割と平気な……方。だから……っ

う……


 強引にくしゃみを堪えたせいで、変なくしゃみになる。

 僕が気まずく顔を逸らすと、少女はぽかんとした顔をして、やがて笑い出す。

……あっははは! なによ、君こそ説得力ないじゃない。寒いの平気なんて嘘でしょ?

う……まぁ。どっちかというと


 正直なところ、寒いのは苦手だった。今日の格好だって、完全に真冬仕様だ。

もう、やせ我慢しちゃって。男の子だねぇ

い、いや! そんなんじゃない!


 じゃあどんなんだ、と言われると答えに窮すところだったが、彼女はちょっとだけ笑って、肩にかけたコートを脱ぐ。

はい。ありがとね、コート

え、いや返してもらったら意味が……

私は本当に大丈夫だから。もう帰るから、ね?

 そう言われ、僕は渋々コートを受け取る。




ん~、なんかすっごく人の温かさに触れちゃったな。おかげで、気持ちもちょっと温かくなったかも

えっと……?

あはは、なんでもないよ。
それじゃ、寒いしとっとと帰るね

 少女はそう言って、背を向けようとする。




あっ……な、名前! 聞いても、いい?

え、名前?

 咄嗟に出たその言葉に、僕は自分を褒めると同時に後悔し、心臓が破裂しそうなほどドキドキと鼓動を始めた。

 突然名前を聞くなんて、変に思われないだろうか?

 すでにコートを肩にかけるなんて恥ずかしいことをしているのに、今はそれ以上に恥ずかしかった。

ささい りさこ

理沙子だよ。笹井、理沙子。君は?

ふかまつ えいいち

ぼ、僕は……深松永一、だけど


 自分から聞いておいて、だけど、は無いだろう?
 言ってからさらに後悔する。自分は本当に、女子と話すのに慣れていない。

 これまで生きてきた自分自身を呪いつつ、このまま終わっては意味がないと、奮い立たせる。

あのさ……。また、会えるかな?

 もっと別の言い方がなかったのかと自問するが、今自分がどうしたいのか素直にわかりやすく伝えるにはこんなシンプルな言葉が一番だ、と開き直る。

 だけど少女は顔を曇らせ、僅かに俯いてしまう。

えっとそれは……難しい、かな?

……どうして?

 未練がましいなと思いながらも、聞かずにはいられなかった。

 たぶんだけど、嫌われるようなことはしていないと思う。

あのね、ここだけの話なんだけど……


 彼女は僕に近付いて、そっと耳打ちをする。



私、異世界人なんだ。異世界に帰らないといけないから、だからね

……え?




 ぽかんとする僕。彼女は離れ、笑顔になる。


ごめんね。今日はありがと。ばいばい

 そう言って、手を振って歩き去っていく。






…………はい?


 僕は彼女の言葉を理解するのにいっぱいいっぱいで、止めることもできず。

 呆然と、見送るしかなかった。





 やがて、自分が冗談であしらわれてしまったのだと気付き。

 のろのろとコートを羽織り直して、家路についたのだった。









 そんな出会いがあってから、僕は毎日行き帰りの道で、少女、笹井理沙子の顔を探すようになった。

 同じ女子校の制服を見かけると、つい顔を見てしまう。

 しかしまったく成果は上げられず、一週間が経ち。さすがに諦め始めた、金曜日。







…………あ。異世界人!

え?! あ、うそ、永一くん? ていうかそれ、大きな声で言わないで!




 出会ったあの公園で、僕らは再会したのだった。




第一話「私は異世界の人間だから」

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