三月一日。



 ついに卒業のときを迎えた。



 この学校へ転校して、僕も少しは変われたのだろうか。



 結局のところ学校生活が幾分か改善されただけで、人間としての成長はなかったのかもしれない。




 校長先生が一人ずつ卒業証書を手渡していく。


 僕は体育館の窓から外の光を眺め、ここでの思い出を振り返った。



 いつも陽気なアキオ君と出会い、ホアチャー君とも少しずつ仲良くなった。


 うらべっち君の優しさに励まされ、飯塚さんの情熱に心打たれた。


 倖田さんの高圧的な態度に怯え、加藤君のしたたかさに驚かされた。



 そして……



 左方向の少し離れた列に目をやる。



 そこには相変わらずメガネを光らせた山根さんの姿があった。



 僕はもう山根さんのことをどう思っているのか、自分でもわからなくなっていた。

渡利昌也

 司会役の先生が僕の名前を呼んだ。

渡利昌也

はい

 僕は大きすぎず小さすぎず、目立たない声量で返事をした。



 これが変わらない僕のスタイルなのだ。




 卒業式も終わり、色とりどりの紙吹雪が舞う花道を歩く。



 左右からは在校生や先生からおめでとうの言葉が飛び交った。


 ある者は笑い、ある者は号泣している。


 途中、美術部の後輩から花束をもらった。


 校門を抜けると、そこは卒業生やその父母、先生や在校生たちでごった返していた。

昌也、おめでとう

 母がハンカチ片手に僕のところへやってきた。

渡利昌也

泣かないでよ、恥ずかしいなぁ

 親が子の卒業で泣くという心理が僕には理解できない。



 いつか子供ができたら僕もこうなるのだろうか。

渡利昌也

母さん、友達のところに行ってくるよ

 僕は母にそう言って、アキオ君たちのいる方へ向かった。



 アキオ君の周りにはホアチャー君にうらべっち君を含め、沢山の男女が集まって記念写真を撮ったり抱き合ったりしていた。



 アキオ君は声を上げて泣いていた。

アキオ

おおう!
わたりーん!
今までありがとなぁ。
世話になったなぁ

渡利昌也

僕の方こそ色々ありがとう

 抱きつくアキオ君の背中をポンポンと叩いた。



 思えばアキオ君は転校初日から気兼ねなく声をかけてくれた。


 今頃になってそのありがたみを実感し、自然と感謝の気持ちがあふれてきた。

ホアチャー

わたりん、卒業してもまた遊ぼうぜ

 ホアチャー君が僕の肩を叩いて言った。

うらべっち

そんときゃ俺もちゃんと誘えよ

 うらべっち君が僕に握手を求めてきた。

飯塚俊司

渡利君。
せっかくだからデッサン続けちゃいなよ

 うらべっち君の隣に立っていた飯塚さんが僕の肩をバシンと叩いた。

渡利昌也

いてて。
ちょっとは手加減してよ飯塚さん

 僕の泣き言など意に介さず、飯塚さんは大口開けて笑った


 こうして友達が一箇所に集まり、互いの卒業を祝う。



 これこそが僕の歩んできた高校生活の軌跡なのだと、少し誇らしく感じた。




 僕は卒業生たちの顔を見渡した。


 笑い合うクラスメイトたち。


 沢山の花束を抱えている生徒や、涙を流して先生との別れを惜しむ生徒。


 元美術部員の笑顔。


 あ!


 漫画研究部の嫌な二人組もいる。




 そして目の端に移った二つの小さな人影。

渡利昌也

え?

 僕は思わず声を発して驚いた。



 改めて二つの影の方を確認する。



 卒業生の群れからだいぶ離れた電信柱の傍らに、二人の子供が立っていた。


 一人は男の子でもう一人は女の子。


 入学式のような小奇麗な格好をしている。



 二人は棒立ちのまま、明らかに僕を見ていた。



 僕はその子達の方へと歩き出した。



 すると二人は逃げるように走り出した。

渡利昌也

待って!

 僕は二人を追いかけた。


 無意識の反応だった。

うらべっち

どうしたわたりん

 後ろからうらべっち君の声が聞こえた。



 僕は振り返り、うらべっち君の元へ急いで戻った。

渡利昌也

ごめん!
これ宜しく

 持っていた花束をうらべっち君に押し付け、子供たちを追う。

うらべっち

お、おい!
わたりん!

 うらべっち君には申し訳ないが、今度は振り向くことなく走り続けた。

 学校の壁を伝って左へ曲がり、閑静な裏通りを抜けていく。


 僕は足が特別早いわけでもないが、流石に相手は子供だ。


 徐々に二人との距離を縮めていった。



 二人を捕まえなければ。



 聞きたいことがあるんだ。



 僕は彼女との関係を勝手に終わらせていた。



 でも君たちが現れた。



 ひょっとして終わってないのか。




 僕の中でこの子達はそういう存在なんだと信じて疑わなかった。



 もはや眼前にまで追いついた女の子に手を伸ばした。


 そしてようやく肩を掴んだ。

???

きゃー!
きゃーきゃー!

 女の子が耳を塞ぎたくなる金切り声を上げた。



 僕は慌てて掴んだ手を離し、両手を上げて何もしてないことをアピールした。

渡利昌也

ちょ!
ご、ごめん。
ほら、何もしないよ

 なにゆえこんな言い訳をしなければならないのか。


 これじゃまるで怪しいお兄さんではないか。

???

ねえ

 男の子の方が僕の袖を引っ張った。

???

このままでいいの?

 男の子は僕の顔を見上げてつぶやいた。


 心なしか目が潤んでいるように見える。

渡利昌也

どこにいるかわかる?

 僕は脈絡もなく言った。


 なぜかこの子の言いたいことが理解できていた。

???

この道をまっすぐのとこなの。
早く行ってよ

 女の子が、先程まで走っていた方向をまっすぐ指差した。


 女の子は鼻をすすっている。


 泣きそうになるのを我慢しているようだ。




 僕は頭で考えるより先に、指さされた方へ走り出した。



 無人の駐車場を過ぎ、看板が黄ばんでいるラーメン屋を超えて、人気のない狭い道路をがむしゃらに突っ走った。



 走りながら考えた。




 そういえば、なんで走ってるんだろう。


 この先には山根さんがいるからだ。


 だが僕は山根さんのことが好きなんだっけ。


 数ヶ月前、好きだと認めた。


 ここ最近はどうだ。


 好きかどうかもうわからなくなっているんじゃなかったか。




 そんなことを考えていると、徐々に足が重くなってきた。



 僕はゆっくりと足の動きを止めた。


 上を向いて切れた息を整える。



 そしてうなだれるように下を向いた。



 無機質なアスファルトが僕に訴え掛ける。



 何やってるんだお前……と。




 道の真ん中を走っていた僕は、いつ通るやもしれない通行人や車の邪魔にならぬよう、端の方へ移動した。



 民家の壁にもたれ、そのまま座り込んだ。



 もう僕の思考は止まっていた。

???

疲れちゃったの?

???

もう走らないの?

 道を挟んだ向かい側に、あの二人の男の子と女の子が座っている。

渡利昌也

いや、走るよ。
でも、もう少しだけ休ませて

 悲しそうな二人の顔を見て、とりあえず差し障りのない言葉を返した。



 そのまま二分ほど、僕は身動き一つ取らなかった。

加藤むつみ

渡利君、どうしたの?

 声に反応して顔を上げると、加藤君と倖田さんが二人の子供の側に立っていた。

渡利昌也

あれ、加藤君と倖田さん。
二人こそ何してるの?

倖田真子

さっきこの子たちが泣きそうになってたんで声をかけたんだが、何も言わず走っていったんでな。
気になって追いかけてみたら、お前がそんなところにうずくまってたわけだ

 僕は倖田さんの説明に対して特に反応を示すこともせず、再び下を向いた。



 倖田さんや加藤君のヒソヒソ話が聞こえてきた。


子供たちの声も時々混ざっている。



内容は聞こえなかったが、倖田さんと加藤君が子供たちから僕との関係を聞いているのだろう。


 もっとも僕自身、この子供たちが何者なのかわからないのだが……。

倖田真子

この二人、お前のバイト先に現れた子だよな。
知り合いか?

渡利昌也

知り合いというか。
どう説明したらいいものかな

 僕はこちらをずっと見つめている二人の子供に目を向けながら言った。



 加藤君と倖田さんは再び小声で何かを喋っていたが、しばらくすると話し声も聞こえなくなり、沈黙が続いた。



 なんなんだ、この状況は。

加藤むつみ

そういえば今日、夕方から卒業パーティーあるんだって。
渡利君は行く?

 加藤君が話を変えてきた。



 この場の変な空気を一掃しようという気遣いであろう。

渡利昌也

わからない。
大事な用事がある……かも

加藤むつみ

山根さん?

渡利昌也

……うん

 加藤君は当たり前のように彼女の名前を言い当て、僕も迷いなく肯定した。

加藤むつみ

渡利君、また物事を難しく考えてるんじゃないの?

 加藤君はいつも僕の心を見透かす。



 その通りなんだ。



 山根さんのことが好きなのか、そもそも好きってなんなのか。



 理詰めで考えた結果、結局のところ答えが出ないまま身動きが取れずに、僕はこうしてうずくまっている。

加藤むつみ

君は山根さんと、このままお別れになっても良い?
それとも良くない?

 加藤くんの問いかけは単純明快。



 好きなのかとか、どうしたいとか聞かれるより答えがはっきりとしていた。

渡利昌也

良いわけないね

 僕は立ち上がった。



 加藤君はいつも通り爽やかに微笑んだ。

渡利昌也

僕、行くよ

加藤むつみ

うん。
まずは会って話してみるといいよ。
その後のことはそれから考えればいいさ

 加藤君に促され、僕は再び走り出した。

倖田真子

おい、渡利

 倖田さんが僕を呼び止めた。

倖田真子

山根さん、もったいないなって思ってたんだ。
彼女、いつもうつむいてて暗いだろ?
笑ったら可愛いと思うんだよね。
だから、あんたが笑顔にしてやりなよ

渡利昌也

そんな無責任な約束できないよ。
でもちゃんと考えてみる

倖田真子

はは、お前らしいな

 倖田さんが腕を組み、仁王立ちで僕を見送っている。



 僕は背を向け、再び走り出した。

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