僕は美術室を自らの居場所に選んだ。



 離れたところからお祭り騒ぎのような生徒たちの声が聞こえる。



 後輩が展示したデッサン画を眺め、絵画を眺め、頭の中で思い出を眺めた。


 この学校に転校してきて色々な人と出会った。


 友達になれたと思った。


 ならば僕はどうして一人でここにいるのか。



 山根さんと話がしたい。



 あの頃の関係のままでいい。


 山根さんの描いたネームを読ませてもらい、感想を言う。


 少しだけ世間話を僕から切り出して、山根さんが一言二言返す。




 砂時計の砂が落ちるのを眺めているような、あの頃の時間を過ごしたい。



 無人の美術室でただ一人、僕は悶々としていた。

飯塚俊司

おお、もしかして渡利君

 大きな声にビクッとして振り向くと、そこには飯塚さんが立っていた。


 隣にはうらべっち君もいる。


 二人とも何故かタンクトップ姿で汗だくになっており、脇に制服の上着を抱えている。

渡利昌也

飯塚さん。
それにうらべっち君も。
どうしたの、そんな格好で

飯塚俊司

ああ、これな。
ほら、近くに公園あるじゃん。
そこでこいつとバスケやってたんだ

うらべっち

俺も飯塚も学園祭の楽しみ方が分かんなくてさ

 二人はそう言って高笑いした。

うらべっち

そんで、わたりんこそ一人で何してんだ?

 うらべっち君は涼しい顔で、僕が一番聞かれたくない質問を投げかけた。

飯塚俊司

ははーん。
さては渡利君も俺たちと同類だな。
暇つぶしってわけだ

 同類といえばそうかもしれないが、この二人のような爽やかスポーツマンと一括りにされると嬉しくもあり、悲しくもある。

飯塚俊司

それにしても本当になんで一人なんだ渡利君。
別行動中か?

渡利昌也

え、なんの話?

 飯塚さんがうらべっち君の質問を蒸し返した。


 ただ、質問の締めくくりには疑問を感じる。



 『別行動』とは一体……。



 そこへうらべっち君が補足した。

うらべっち

隣に山根が一人で立ってたんだ。
飯塚から聞いたんだけど、わたりんって山根と付き合ってるんだろ

 隣といえば漫画研究部。


 そうか。


 漫画好きの彼女ならそこにいるのは自然の流れだ。

飯塚俊司

そうなんだぜ卜部。
ラブラブぅな現場を何度見せつけられたことか

渡利昌也

そうだといいんだけどね。
まだ付き合ってさえもいないんだよ

 飯塚さんが目を見開いて僕を見た。



 からかうつもりが、予想外の反応に肩透かしを食らったようだ。

渡利昌也

僕、もうここは見飽きたし、せっかくだから山根さんに声をかけてくるよ

 自分でも驚く程、なんの躊躇もなくそんな言葉を口にした。


 僕が美術室のドアから出ていこうとすると、後ろから二人が呼び止めた。


 僕は振り返って二人を見た。


 飯塚さんが親指を立てて、これでもかというほどの白い歯を見せつけた。

うらべっち

わたりん、頑張れよ

 うらべっち君も親指を立てた。


 『そんなんじゃないよ』という意味を込めて、僕は苦笑いを返した。



 漫画研究部室は美術室と同様、静まり返っていた。



 僕は開きっぱなしの入口から中を覗いた。


 机が壁に沿って部室を囲うように並べられ、中央にも四つの机が正方形になるように配置されている。


 机の上には漫画研究部員たちが描いたであろう漫画やイラストが並べられていた。


 部室の後方の窓際に、一人の女子が壁の方を向いて座っている。


 他には誰もいない。



 寝癖がかった長い髪。


 後ろ姿でも山根さんだとわかった。


 僕の鼓動がどんどん早くなる。


 頭のてっぺんから蒸気が立ち上りそうだ。


 僕は胸に手を置いて深呼吸をした。

渡利昌也

山根さん

 声をかけても山根さんは気づいてくれなかった。


 恐らく漫画を読んでいるのだろう。



 相変わらずだな。


 僕は少し懐かしい気持ちになった。

渡利昌也

山根さん

 今度は彼女のすぐ隣まで近づいて声をかけた。

山根琴葉

は、はぇい?

 山根さんが僕を見た。

山根琴葉

ど、どうも

渡利昌也

え、あ……ど、ども

 山根さんは読んでいる最中の漫画をパタンと閉じた。

渡利昌也

後輩の漫画だよね。
いい作品ある?

山根琴葉

え、えと。
はい。
ど、どれも個性的で。
よろしいかと

 山根さんが読んでいた漫画が先ほどチラっとだけ見えたが、お世辞にも上手いとは言えなかった。


 山根さんはいつでも否定的なことを口にはしない。


 本音を言えるほど心を許してもらえてはいないのだろうか。


 それとも本当にいい作品だと思ったのか。

渡利昌也

山根さん。
最近、漫画描いてる?

山根琴葉

は、はあ。
細々と……。
わ、渡利さんは、その。
絵の方は?

渡利昌也

僕はもう全然……かな

 久しぶりに会ったせいか、お互い以前より態度がぎこちない。


 会話が止まっては話題を探し、話し尽くしてはまた話題を搾り出し、ついにはあまり触れたくない話題にすがるしかなくなった。

渡利昌也

そういえば。
以前、たくさんの友達と僕のバイト先に来てたよね。
どこか遊びに行った帰りなの?

山根琴葉

え?
えと……

 山根さんはまるで隠し事を問い詰められているかのようにうつむいて口篭った。

山根琴葉

と、泊まり込みのペンション。
さ、誘われて。
ま、漫研の人に。
そ、その……人数合わせだとかで

 僕がとやかく言うようなことは何一つない。


 そんな筋合いもない。


 同級生の男女が泊まり込みで遊びに行くなんてよく聞く話だ。



 だが僕は動揺した。



 そんな自分自身が嫌でたまらなかった。

渡利昌也

そ、そうなんだ。
楽しかった?

山根琴葉

え、えと。
はあ。
一応

 僕は平常を装った。


 だが、疑念は果てしなく暴走していった。



 何かがあったんじゃないか。


 誰かと深い仲になったんじゃないか。



 僕は邪念を払うように別の話題を考えた。


 だが頭をフル回転すればするほど、口は一向に開かない。


 山根さんもうつむいたまま黙っている。



 気まづい空気で息苦しくなってきた。



 そのとき、『ピンポンパンポン』と校内放送用スピーカーから気の抜けた音が流れた。



 今まで息を止めてたかのように、僕は大きく息を吐きだした。



 スピーカーからは引き続き、全校生徒へのお知らせが流れた。

これより、体育館にて出し物を開催します。
全校生徒は体育館に集合してください

 高速回転していた脳内が徐々に落ち着き、動かなかった身体がようやく正常に機能しだした。

渡利昌也

集合だって。
僕、もう行くね。
山根さんも早く体育館に向かったほうがいいよ

 僕は一緒に行こうとは言えず、山根さんを残して漫画研究部室を出ようとした。

山根琴葉

あ、あの

 山根さんが僕を呼び止めた。

渡利昌也

どうしたの?

山根琴葉

い、いえ。
な、なんでも。
なんでもです

 山根さんは、そうは言いながらも何かを訴えかけるように僕を見つめていた。

渡利昌也

そう。
それじゃ

 僕はあえて追求せずにその場を立ち去った。



 体育館に向かいながら、加藤くんの言葉を思い出した。



 今のままの関係は卒業と同時に終わる。



 僕は思った。


 もう今日で終わってしまったのではないかと……。



 明確な理由を問われると返答に困る。嫌いになったわけでもないと思う。



 ただ、先ほどの気まずい空気が、まるで見えない壁のように僕と山根さんとを隔てた。






 山根さんとは学園祭を境に会うこともなくなった。







 僕は日々、学校とバイトの繰り返し。





 周囲は進学やら就職やらで時は加速したように過ぎていく。









 そして、何の変化もないまま……僕らはもうすぐ卒業する。




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