小問2の答えは蜻蛉日記だ。これはいわゆる女流日記と呼ばれる平安時代の


古典教師は、話しながらもチョークを軽快に黒板に叩き付けている。

それに合わせて頭を上下させ、必死にノートを取る生徒達。

特筆することのないただの授業風景。

しかし俺の目には異様に映ってしまう。

できすぎたハリボテのように。映画のワンシーンのように。

たぶんそれも水夜が俺を屋上へ呼び出したせいだ。

何をするつもりなのだろうか?

……わからない。わかるはずもないけれど。

窓に反射して、一つ後ろの席に座る水夜の姿が映る。

不自然なまでにピンと背筋を伸ばし、見たところ真面目に板書を写していた。

まるで今朝の自己紹介が嘘だったかのように。その姿は遜色ひとつない模範生のようだった。

何故かそれが、俺には不満だった。

無機質なチャイムの音が、校舎の中を駆け巡る。

はい、じゃ、今日の授業はここまで

起立、礼ー


一限目の授業がようやく終わった。

解放感から一人で伸びをしていると、途端に後方が騒がしくなる。

水夜の席に、女子の中でもクラスの中心にいる坂崎とそのグループの連中が集まり出したのだ。

転校生の必然とも言えるであろう、休み時間に席を取り囲まれるイベント。

小学生の頃に良く見たその光景はこの年になっても健在だったらしい。

俺は窓に映るその光景を、期待混じりに眺めていた。

期待?俺は何を期待しているのだろう。

鏡さんって、どこから来たの?

鏡さん、可愛いよね。今度一緒にプリ撮り行かない?

ってか、鏡さん頭チョー良さそうだよね。実際のトコどうなの?


水夜は一斉に、四方八方から話しかけられている。きっと聖徳太子の気分を味わっていることだろう。

もちろん転校生を取り囲む彼女らにとって質問の中身に意味はない。

それは洗礼。新入りの転校生への牽制。

彼女たちはたぶん正直なところ水夜に一切の興味を抱いてない。

というより、彼女たちはきっと恐れている。

あんな自己紹介で彼女たちの世界に侵入した、異端者を。

だから俺の真後ろで繰り広げられるそれは、表示。私達には逆らったらダメだよっていう。

親切なことだ。

だが、肝心の水夜は一切言葉を発しない。

ねえねえ鏡さん、どっから来たのってば

駅前のゲーセンとか行ってみる?行くよね?安いよ


水夜は返事をしない。

ちょっと、鏡さん。聞いてる?


返事はないかに見えた。

その時。

………あなたたちは


初めてその輪の中心にいる水夜が言葉を発した。

えっ?

あなたたちは救世主に駆逐されるべき存在

は、なんて?救世主?

あなたたちに用はないの。消えて


水夜は切り捨てるように言った。

周りの女子が、皆一様に静まり返る。

休み時間で活気づく教室の中で、この水夜の机の周辺だけが台風の目のように異なる雰囲気を醸し出していた。

俺だけが気付いている。その異様な空間に。まだ教室全体には広がらない。

へぇ?


その穏やかでない空気の中で、もったいぶるように。ようやく一人が口を開いた。

別の女子も、それを皮切りに水夜に迫る。

救世主?何、あなた頭大丈夫?

そういえば朝も妙な事言ってたよね、神様だとか。ネタじゃないんだ、狂ってるの?

……マジ?キチ○イ女?


分かりやすく手の平を返す女子達。異端への攻撃。

鏡さん、頭使おうよ。あたしらみたいなの敵に回してさぁ、この学校でやっていけると思ってるの?


トーンを落とし、脅すような口調だった。もはや友好的なんて念頭にない、きっとメンツのかかった問題。

消えて


しかしそんなものも、水夜はたった一言で全てをはねのけた。

大きな音が響く。

思わず振り返ってしまった。机に頭を押し付けられる水夜がいた。髪を掴まれ持ち上げられる。

覗いた顔は涙混じりの、無表情。覗きこむ顔に視線を合わせようともしない。

俺にさえ焦点の合わない瞳。

ごめんね、鏡さん。痛かった?でもわかったよね。こうなるから

きゃは、坂崎さんやり過ぎ

るさい

ごめん


取り巻きすら一言で黙らせた彼女に、クラス中の視線が集まっていた。

でも当然。誰も助けない。わかっていたから。こうなることは。当たり前だから。当たり前。

こうなるからさ、鏡さん。あんまりはしゃがない方がいいよ、ね?わかった?

……

わかったら、そうだね。机舐めてよ


そう事もなげに彼女は言った。教室中の空気が変わる。それは境界だ。わかりやすい一線。

越えたら、坂を転げ落ちる。明日からの水夜の運命が決まる。

ほら


彼女は水夜の髪を引き回し、机にその顔を近づける。

抵抗もしない水夜の視界一杯には傷だらけの自分の机が写っているだろう。

……

ねぇ、早くしなよ。早くしないと


時間切れだとでも言うように、授業開始のチャイムが鳴る。
合わせたように数学教師が教室に入って来た。

はいお前ら座れー

……まいっか

その一言で集まっていた彼女たちは各々の席へと散らばる。どうやら終わらせてしまうらしい。

――――


水夜の耳元で何かを囁いて自分の席へ。水夜はそれでも表情を変えない。そのまま髪を放され、うつむく。

あー、えっと……良かったね鏡さん。この程度で赦してもらえて


水夜の返事はなかった。うつむいている。きっと無表情で。

なぜか俺は今背後で繰り広げられたそれが予想通りの展開であったことに安堵を覚えた。

大丈夫、いつも通り。

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