思ったよりも早く訪れた接触に半ば戸惑いながら、廊下に出て教科準備室に向かった。

彼女は俺の隣、半歩後ろをついてきた。

ただ机を運ぶだけなので、ついてくる必要はないんじゃないかと思いつつ指摘するのも躊躇われる。

互いに無言で、リノリウムの床を踏み鳴らして歩く。

まだどのクラスもホームルームが終わってないようで、廊下には人影がない。

なあ、えっと……鏡さん?


唇を舐めて湿らせてから、転校生に話しかけてみた。

水夜でいい


下の名前で呼べと。

ああ、水夜さん


動揺を隠して、無理に呼んでみた。

さんはいらない


呼び捨てってことですか。

あー、じゃあ水夜


もう動揺が隠せないレベルで狼狽しながら投げやり気味に呼んでみた。

みよ。

不思議な響きだ。口に出してみてそう思った。

何となく酔ってしまいそうな、引き込まれてしまいそうな、そんな感覚がした。

普段から下の名前で呼ぶ女の子は沙希くらいだったから、少しの違和感。

それで、何?


促されて話しかけたのが自分のほうだったことを思い出す。

あのさ、昨日の人殺しがなんとか、さっきの神様が死んだとかって。
全部、その、本気で言ってるのか?


問いただす口調にならないよう気をつけ、なるべく柔らかい物言いで訊いた。

気を抜けば掴みかかってしまいそう。昨日のあれは冗談だと言われても退けなくなるから。

でも。

全て、本当の事


しかし彼女はそんな俺の懸念を一蹴するかのように、肯定した。

……なるほど


本気でなく本当。なるほど。

廊下が途切れ、階段へとたどり着く。

自然と、会話もそこで途切れる。

だからてっきり少女はついてきていると思った。

段差を下りて踊り場に立ち、しかし振り返ると水夜はまだ階段の中ほどの位置にいた。

もしやあえてその位置で止まっていたのだろうか。俺を上から下まで見ることの出来る場所。

俺に見上げることを強要する場所。

逆に、あなたに聞く

夏月でいいよ


彼女には、そう呼ばれたかった。

………夏月。あなたは、


あるいは震えていたのかもしれない。途切れたその声は。

恐れていたのか。俺の答えを。俺は。

あなたは私の言ったことを信じる?


その鈴の鳴るような澄んだ声が、空っぽな頭の中の隅々まで響き渡る。

俺を見下ろす水夜の瞳は冷たく、それでいて覗き込むと力強い光が潜在していた。

……信じる?

俺が人を殺す側だってことを?

神様が自殺したってことを?

馬鹿な。

そんなこと一体、誰が信じる。

道行く人千人に聞いたら、きっと千人がかぶりを振るだろう。

でも、それでも。

まだ、信じられないな


余地を残した。まだ。そう、今はまだ。

あるいはそれは、俺自身の希望だったのかもしれない。

水夜はそれを聞くと予想通りだとでも言いたげにこくりと小さく頷き、初めて見せる不敵な笑みを浮かべて言った。

昼休み、屋上に来て


俺が来ることを、すでに知っているかのように。

心なしかほっとしていたように見えたのは、きっと気のせい。

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